Top Page GALLERY 2021


【1月の表紙】

2012・01・08 宗谷本線 雄信内駅 (NikonD700 AFNikkor20-35oF2.8D ISO800)
車がギリギリすれ違えるほどの橋で天塩川を渡り右折すると、真っ暗な雪道の突き当りに木造駅舎が建っていた。 周囲に人の住んでいる気配はなく、丑三つ時の漆黒の闇の中にここだけ煌々と明かりが付いている。 仮乗降場から昇格した板張りのホームだけの駅や車掌車の廃車体を流用した駅が多くを占める宗谷本線の中で、 雄信内駅は歴史を感じさせる駅舎が残存し、無人化された後も除雪作業員用の詰所として使用されている。 今日の宗谷ラッセル夜の部は、ここで木造駅舎とDEを絡めて狙ってみようと思う。

年末年始の大雪で庇の上にはこんもりと雪帽子。駅名標の上の電灯が切れているのは残念だが、明るさは充分である。 扉を開けて改札越しに朱いヘッドをブラす感じでどうだろう。4灯のライトを全て入れるにはグッと寄ってローアングルから20oがベスト。 当時高感度に強いと言われていたD700で準備を整えた。深夜3時過ぎ、静寂を切り裂くように低いエンジン音が響いてきた。チャンスは一瞬。 タイミングを合わせて1/6秒でシャッターを切った。モニターを確認してガッツポーズ。見上げると、北辺の地には珍しく夜空に星々が煌めいていた。



【2月の表紙】

2021・02・21 伊豆急行 河津−稲梓 (NikonD5 AF-SNikkor35oF1.8 ISO200)
立春を過ぎてもまだまだ冬そのものといった寒風が吹きすさぶ2月の中旬。だが伊豆半島南部、河津の街は早くも春爛漫の様相を呈していた。 早咲きの河津桜に菜の花が線路際を彩り、ラストランを来月に控えた斜めストライプの「踊り子」を見送る。 ついつい身近過ぎて課題消化が進んでいなかった185系の勇姿を仕留めるべく、昨年の今頃は足繁く伊豆急に通ったものだった。

先週の初訪問で味をしめ、この日も早朝から天城越え経由で現地入りした。東京近辺を始発で出る電車より前に着けば立ち位置は余裕で確保できるだろう。 しかし、その読みは脆くも崩れた。前日入りして沿線の宿に宿泊した人々で早くも限られた立ち位置は大混雑。はてさてどうしたものか? 暫し逡巡して最前列にローアングルでセッティングした。広角ならこれくらい前に寄っても全然平気で、ジッツォ全開脚でローから煽れば菜の花も印象的に取り込むことができる。 ヘッドマークは目立たないが、華やかな絵柄に185系の顔が写れば合格点だろう。薄紅色の花びらの影から姿を現した「踊り子」にタイミングを合わせてシャッターを切った。 今年も間もなく南国伊豆は開花の季節。だが、この地でMT54の響きを聞くことはもう叶わない。



【3月の表紙】

1997・03・02 釧網本線 細岡−塘路 (OLYMPUSOM−1 ZUIKO100oF2.8 RVP(+1))
夜行「おおぞら」に接続する始発列車を細岡で降りた。小さなロッジ風の無人駅を出ると、後はひたすら線路沿いを歩くこと約20分。 誰かが踏み台として置いたビールケースで小さな沢を渡り、氷河のようになった踏み分け跡を辿って正面の丘に登ると目指していた撮影地である。 眼下には原野の中を蛇行する釧路川、どこまでも続く湿原と遥か遠くになだらかな山々の稜線が見える。 前日ここを教えてくれた人が言っていたように、文字通りの「絶景」が広がっていた。だが、のんびりしている時間はない。 かじかむ手でボロボロのスリック・マスターを立て、OM−1とマミヤC330を構えた。

7時半過ぎ、丘の影に2灯のヘッドライトが光った。やがて2エンド前のDE重連が黒いタキを従えて、昇りたての朝日に照らされた舞台に躍り出る。 指先の冷たさも忘れて夢中でレリーズを握った。だが、せっかく初陣を飾ったはずのマミヤの2眼レフ機は寒さのせいか元々の不調なのかシャッターが切れていなかったらしく、 後日現像から上がってきたのは昆布のように真っ黒なスリーブのでみあった…。それでも相棒OM−1がしっかり記録を残してくれた。 「DL湿原号」で盛り上がったこの冬、久しぶりにこのカットを眺め、受験直後に道東を彷徨った四半世紀前を回顧してしまったのだった。



【4月の表紙】

2017・04・16 小湊鐡道 飯給駅 (NikonD800 AF-SNikkor28oF1.8G ISO200)
早くも水が張られた田んぼからは、初夏のようにカエルの声が響く。いすみ鉄道で桜とキハを撮った後に、すっかり春の撮影名所となった飯給駅に立ち寄った。 残照が消えて夜の帳が降りると、ライトアップされた桜が艶やかに闇に浮かび上がる。 一番人気はシンメトリーな構図の真横の位置らしいが、せっかくヘッドライトの点いた五井行きなので、やや前方寄りの斜めサイドがちアングルから水鏡も入れて28oで構える。 間もなく静寂を破って2両編成のキハが無人のホームに滑り込んだ。乗降客はいない。 ただ、カランカランという乾いたアイドリング音の合間を縫うように、間断なくシャッターの音だけが続いた。

季節ごとに風物詩と列車の組み合わせを追って全国行脚を繰り返すこと幾星霜。 そんじょそこらの気象予報士より四季の移ろいに敏感になった我々の“鉄暦”に照らしても、温暖化の影響か、近年春の訪れがずいぶん早くなった気がする。 この写真を撮ったのが5年前の4月の中旬だが、昨年今年といすみ・小湊界隈は3月末にはもう満開である。 個人的には仕事が閑散期に入る年度末に桜行脚を楽しめるのはありがたいのだが、入学式や入社式を葉桜の下で迎えるというのは何とも味気ないものである。



【5月の表紙】

2019・05・04 磐越西線 豊実−徳沢 (NikonD850 AF-SNikkor50oF1.8G ISO200)
菜の花、桜の見頃が過ぎると春は第2ステージの芽吹きの季節に入る。 5月の連休には磐西辺りの南東北まで“新緑前線”が北上し、一昔前までは国鉄色のキハで統一された「磐西・只見ぐるり一周号」がいい被写体になっていた。 だが、新津のキハが落ちて以来、この界隈にはイマイチ写欲をそそる対象が思い浮かばない。 「ばん物」も悪くはないが、マーク付きのカマに不細工な客車では食指が動くには至らなかった。 そんな中、3年前のGWは検査入場中のC57に代わってDEが先頭に立つことになった。 他に撮るものも思い浮かばないし、工夫次第でどうにかなるかと「カシオペア信州」撮影後に会津の地まで転戦した。

それでも、いざ現地に乗り込むと“どうにかする”のに一苦労。 マークは付くしカマ次位はオヤ12…後追い気味でカマ+客車1両切り取りというアイデアでこの場所に陣取り、新緑をふんだんに入れた構図で列車を待った。 間もなく甲高いホイッスルが聞こえると、朱いDLと青い客車が木陰から姿を現し、独特のジョイント音を響かせて淡い緑の渓谷を軽やかに駆けてゆく。 我々世代には、これぞあるべき汽車の姿である。 昨年の「DLやまぐち号」、今冬の「湿原号」代走に最近の「水郡線復旧記念号」・「磐越東西線号」…長年縁の下の力持ち的存在だったDEも今となっては注目の的。 今年も四季の彩の中にセミセンターキャブが輝くことを期待してやまない。



【6月の表紙】

2021・06・01 中央西線 上松−倉本 (NikonD5 AF-SNikkor28oF1.8G ISO200)
6月1日は一部のコアな鉄ちゃんの間では梅雨入り直前の晴れの特異日として知られている。 前線以北のカラッとした空気の下で1年で一番日の長い季節の光線を活かすことができる貴重なチャンス。 思い返せば北陸朝三発や蟹田の「はまなす」などブルトレ朝練で成果を上げたことも多かった。 翻って4時台から沿線で三脚を立てることもなくなった令和の時代だが、今年もせっかくの晴れ予報、 この時期ならではを有効活用できる場所は…と考え、朝の6088レから夕方遅くの5875レまで原色重連と戯れることができる中央西線に足を延ばした。

かねてから朝の6088レで狙ってみたかったのが、線路の直下に奇岩が並ぶ上松の寝覚ノ床。 中央西線はスッキリ編成撮りをするのが難しいだけに、やるなら中央アルプスや中山道の旧宿場町の風情を絡めた絵づくりで勝負したい。 その一つとして、木曽川の景勝を行くシーンを押さえておきたかった。だが、ネット上に作例は多くあれども「これは!」という切り取り方はなかなか見かけないもの。 やはり現地リサーチが一番である。他に同業者がいないのをいいことに、右往左往してねざめ亭駐車場の端から28oで構図を決定。 8時40分、下り普電が画面を横切るとすぐに、ロクヨン重連のモーター音が響いてきた。



【7月の表紙】

2021・07・18 しなの鉄道北しなの線 黒姫−妙高高原 (NikonD850 AF-SNikkor85oF1.8G ISO200)
コロナ蔓延の中、TVの向こうのTOKYOでオリンピックに燃えた夏。 従順な国民たちは Stay Home の掛け声の下でお家で大人しく画面にかじり付いていたのだろうが、残念ながらちょいワル“火車撮影家集団”の面々は、 ヨコ文字のスローガンづくりにばかり余念がない都知事のお膝元で、写真展「世界の線路端からW」を開催していた。 期間中の週末には「ドイツの鉄道」をテーマにトークショーをやれとのことで、恥ずかしながらドイツ留学経験のあるM氏と共に登壇させて頂いた。 緊張から解き放たれ、翌日は涼風に包まれた信州へ。復活したばかりのトキ鉄413・455系を撮りに未明の上信越道を飛ばしたのだった。

7月というのに、この日の妙高は南側から見上げる限りは独特のピークまでクッキリだった! 本命片貝の棚田に行く前に、美味しい運用の湘南色115系を頂戴するとしよう。 いよいよ季節は夏本番!蝉の声が鳴り響く中、懐かしいモーター音が響いてきた。 ところで、この頃までは順調に梅雨も明けて好調だった昨夏、しかし一転8月はまさかの長雨で「DLやまぐち号」にずいぶん手を焼いた。 今季もD51故障で山口線はDL代走に熱く燃えそうだが、はてさて天気はどうなるのやら。今月中に高円寺の気象神社に参詣しておくのもいいかも知れない。



【8月の表紙】

2004・08・10 八戸線 侍浜駅 (NikonF4s AFNikkor300oF4ED RVP100)
今から18年前の夏、26万円の中古のボロ軽とはいえ初めて自分の車を手に入れて、意気揚々と北東北を目ざした。狙いは盛岡地区の復活国鉄色の気動車たち。 人気のあった花輪・山田・岩泉のキハ58・52も良かったが、このときは腕木・タブレットの終焉が囁かれていた八戸線のタラコ40をメインに、三陸に乗り込んだ。 初日は盛岡支社公式サイトの運用公開ページを見て侍浜駅へ。今なお現役の腕木式場内信号をあしらって、ペンタ400のタテアングルとF4sに300oのヨコ構図をセットする。 間もなくエンジンを唸らせながら八戸行きが発車。原形非冷房の3連が出発現示の信号を横目に駅を後にする、国鉄時代そのままのような情景を切り取った。

ついこの間のように思える撮影も、はや20年近く前のこと。私自身も予備校講師兼教職履修の通信学生から中高の教員になった。 鉄道を取り巻く状況も当然大きく変わるわけで、国鉄色どころか国鉄キハ自体が絶滅危惧種になった。 あの頃はゴーニー、ゴッパ・ニッパが注目を集めヨンマルはまだまだ「普通の」気動車だったが、今やヨンマルも全国区のターゲット。 タラコ色を纏うとなればそれだけで遠征の対象である。というわけで、北海道か山陰か、とりあえず両面作戦を立案しながら冴えない週間予報と睨めっこを続ける今日この頃である。



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