【1月の表紙】
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2001・01・01 山陽本線 倉敷駅 (MamiyaM645Super SEKOR A150oF2.8 E100VS) | |
早いもので、21世紀に入って四半世紀が過ぎた。世の中が新世紀を迎える高揚感に沸いていたあの頃、まだ京都で自由気ままな学生生活を送っていた私は、何に縛られることもなく、大晦日の夜から記念の初詣列車を追い掛け倒していた。この日、JR西日本は伊勢神宮にキハ58・28、出雲大社にはDD重連に24系+マイテ49という超豪華編成の臨時列車を運転。夕刻の大阪駅で宮原から京都に向かうマイテ付き寝台を撮影し、高槻駅で回送待ちのゴッパ・ニッパをバルブして、終夜運転をしていた新快速で西に向かった。
深夜の倉敷駅では、チボリ公園での年越しカウントダウンのため「出雲大社初詣号」が長時間停車中。後追いのマイテ側を狙ったためか、思ったより他の鉄ちゃんは少なく、対面のホームから昭和を代表する伝説的展望客車をゆっくりとバルブ撮影することができた。翻って現在、こうした歴史と伝統を感じさせる名車たちはほとんどが鬼籍に入り、どこもかしこも大同小異の弁当箱のようなステンレス車両ばかりになってしまった。この1年は、これまで以上に新たな被写体探しに悩む日々となりそうである。 |
【2月の表紙】
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2021・02・09 江ノ島電鉄 峰ヶ原(信)−七里ガ浜 (NikonD5 AFDCNikkor135oF2 ISO200) | |
夏は海水浴客たちでごった返す湘南の海辺も、冷え込んだ冬の早朝は静かなものである。富士山を背に走る江ノ電を狙おうと、日の出前から七里ガ浜の海沿いに三脚を立てた。今日も冬型安定の快晴で、山はご機嫌な姿を見せている。あとは江ノ電を象徴する存在の300形305Fが鎌倉方の先頭で来てくれれば言うことなし!こればかりは運次第なので祈るしかないが、1本目の電車でピント構図を微調整して待つこと12分、峰ヶ原信号場からひょいと顔を出したのは期待通りの300形であった。
潮風に快調なモーター音を乗せて走り去る古豪を見送ると、次の移動先は引退間際の185系「踊り子号」。そのまま134号線を西進し、箱根を越えて三島に抜け、函南俯瞰で満願成就の富士山バックを極めた。この時期は関東平野のあちこちから冠雪した日本最高峰の姿が良く見える。雪国で食指の動く被写体がめっきり減ってしまったぶん、最近は富士山との組み合わせをあれこれと考えるようになった。テーマとしてはありふれているけれど、写ってさえいればよいレベルではなく、自分で納得できる構図で、好きな車両と銀嶺を合わせて絵にしてみたい。さて、次の休みはどこから名峰の頂を拝もうか。 |
【3月の表紙】
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2022・03・27 水郡線 磐城石井−磐城塙 (NikonD5 AF-SNikkor70-200oF2.8E FL ISO200) | |
2月の試運転では、本命のポイントだけまさかの直前曇りで極め損ねてしまった「水郡線復旧記念感謝号」。こうなれば本運転で借りを返すしかない。1ヵ月後、満を持して再び沿線に繰り出した。常陸大子以北は前回同様磐城石井付近をロケハン。すると、この前の立ち位置近くに梅の花が咲き誇っているのを発見した。前走りの列車で構図を確認すると、バランスは悪くない。今日の一発目は、季節感を重視してここで迎えることにした。12時半少し前、甲高いホイッスル一声、白梅を横目にDE10がファインダーに飛び込んできた。
毎年3月は別れの季節。これまで多くの列車や路線を見送ってきたが、カメラを握ってはや30年、そろそろ惜しむべき名優も尽きかけた感がある。ブルトレやヨンパーゴは言うに及ばず、いまや115系やキハ40ですら風前の灯火。廃止が噂にのぼるローカル線も新型気動車が細々走る線区ばかりである。もはやJR型の奇をてらった特急型電車や軽量ステンレス製の通勤電車が消えたところで感傷に浸る気にもならない。昨年は房総の255系や北陸の681系が知らないうちに引退していたが、今年に至っては何がなくなるかすら把握していないという始末。ここまできたら有象無象が集うような鉄ちゃん狂騒曲からは距離を置いて、身近なところで梅や菜の花に季節の移ろいを感じるしかないか…と妙に達観た気持ちになっている今日この頃である。 |
【4月の表紙】
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2020・04・19 東海道本線 根府川−真鶴 (NikonD800 AFDCNikkor105oF2 ISO200) | |
新型コロナが世間を騒がせ始めた5年前の春、せっかく新入学年の担任になったというのに生徒は登校しない、名簿は見えても顔もわからないという状況で毎日が手探りだった。職場に行っても、やることはひたすら書類仕事と事務作業、それに慣れない授業動画作成ばかり。半月も経たないうちに、早くもストレスがピークに達した。これは鉄でもしないとやってられない。巷では「三密」などという言葉が流行し自粛警察が我が物顔で闊歩していたが、人影まばらな屋外にピンで三脚を立てるくらいならバチも当たりはしないだろう。
やって来たのは根府川−真鶴の昔ながらの名撮影地、白糸川橋梁。防風壁ができても、辛うじてこの角度からは午後の下り列車を撮ることができた。しかも、見れば立ち位置の少し下には満開のツツジの花が彩を添えている。これはいい時にやって来た!ニンマリしながら185系の「踊り子17号」を待つ。が、世の中はそれほど甘くない。やはりバチが当たったか、「踊り子号」は寸前曇りにやられて背後が陰ってしまった。悪いことはできないものだと肩を落としていると、間もなく遠方にライトが光る。根府川駅を通過し檜舞台に現れたのは、PF牽引の遅れ貨物。しかもコンテナは満載である。前言撤回、品行方正な私にバチなど当たっていなかったようだ(笑)。 |
【5月の表紙】
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【6月の表紙】
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1998・06・28 山陰本線 馬路−仁万 (OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 RDPU(+1)) | |
何を思ったか、梅雨の真っただ中に授業を自主休講して山陰に向かった大学1回生の6月下旬。当然来る日も来る日も雨に祟られ、たまに日差しがあっても水蒸気多めのモヤッ晴れ。それでもめげずに毎日キハを撮り、浜田「出雲」を撮り、無人駅の待合室で夜を明かした。今なら打率の低いツアーにはさっさと見切りをつけて引き揚げてしまうところだが、当時は暇を持て余した学生時代、何より線路際でカメラを構え、名優たちを追うこと自体が無条件で楽しかった。横殴りの雨に耐えつつ馬路の俯瞰で見送った「出雲4号」も、撮った時はこれも風情がある漁村風景だと悦に入っていた記憶がある。
あれから四半世紀余り、撮影歴を重ねるにつれて晴天至上主義となり、陽の光の描き出す鉄道情景を追うようになった。当然毎年6〜7月は写真のストックが少なく、僅かなカットは梅雨の合間の貴重な晴れ写真か、ツアー中の外れ天気の日にひと捻りして絵づくりした1枚か。だが、近年は仕事も多忙でのんびり数日間にわたるツアーなどできようはずもなく、予報を睨みながら効率重視の撮影行ばかり繰り返し、しっとりした情景を味わう心の余裕も失われてしまっていた。執念をもって追い掛けたい被写体も僅かとなった今年の6月は、雨なら雨の季節の風情を味わうくらいの遊び心をもって、近場のローカル私鉄でも訪ねてみたいものである。 |
【7月の表紙】
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2023・07・04 小湊鐡道 高滝駅 (NikonD800 AF-SNikkor85oF1.8G ISO200) | |
例年6月上旬から海の日辺りまで1ヵ月余りは梅雨が続くものだと認識していたが、ここ数年7月上旬にはさっさと梅雨明けしてしまうようになった感がある。2年前も、期末試験の頃からジリジリと焼けるような日差しが届いていた。採点期間に入って少し仕事が落ち着くと我慢しきれなくなり、かねて狙っていた雷神下踏切のタラコ2連を仕留めようと小湊鐡道に足を運んだ。だが、一発合格がもらえるほど事はうまく運ばず、直前に太陽が雲隠れしてこの日は惨敗。すぐに帰るのももったいないので、あてもなく沿線を散策したのだった。
駅ネコのいる高滝駅に立ち寄ると、木造駅舎の入口に笹が立てられ、地元の人たちや近隣の小学校の児童のものであろう七夕の短冊が結び付けられていた。健康や学業、恋愛など思い思いに願いが書かれている中で、一つ目を引いた赤い短冊があった。曰く「小湊鉄道がいつまでも走り続けますように」。何と思いの籠った1枚だろうか。迷わず駅名標を配したカットを撮らせていただいた。今年はいつになく梅雨明けが早いらしい。以前ならそんな話題を聞いただけでワクワクしたものだが、悲しいかな、もはや遠征ネタが見当たらない。まずは近場の小湊に活路を見出し、いつまでも走ってくれるよう、私も願いを込めてシャッターを切りたいと思う。 |