【1月の表紙】 | |
2004・01・03 大村線 千綿−松原 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)) | |
年末年始の過ごし方も年とともに変わってきた。コロナ禍が始まるまでは海外鉄ちゃんのツアーで新疆ウイグル自治区に渡航し、闇夜の砂漠に炎を吐く建設型蒸機を追っていた。10年ほど前は、毎年のように身内の面々と宗谷本線でラッセル合宿。雪にまみれてDEを追い、初詣は稚内の北門神社で利尻の御開帳を祈願した。そして、20年前はブルトレを追って九州へ。到着の遅い「さくら」や「はやぶさ」、「彗星」は1年で最も陽の低い年末年始が絶好の撮影シーズンで、多良−里(信)の海バック、長洲−大野下のストレート、高鍋の鉄橋などでローズピンクに色褪せたナナロクを待ち構えた。
この日は、冬型の影響を受けやすい北九州も晴れエリアになるとのことで宮崎方面から必死に北上。日の出直後の現川コンクリ橋で「あかつき」を撮り、正午に通過する「さくら」までのインターバルで大村線にやって来た。3年前から筑豊の顔だったキハ66・67が長崎に転属し、大村湾沿いに117系のような美しいサイドビューを見せている。ミレニアム記念の国鉄色などという贅沢は言わないが、せめて青一色のシーサイドライナー色でない編成に来て欲しい。千綿−松原の定番アングルで待つことしばし、眼下に現れたのは白に青帯の4両編成!SNSも未発達だった頃は、こんな被写体との邂逅で1年の運を占ったものだった。 |
【2月の表紙】 | |
2004・02・10 米坂線 羽前沼沢−伊佐領 (NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8ED RVP100) | |
今から20年前の2月、初めて“特雪”と対峙した。舞台は米坂線。越後金丸付近から今泉まで、歩むような速度で投雪しながら進むDD14を必死に追い掛けた。初めは曇天だった天候も、宇津峠を過ぎることから晴れ間が出てきた。羽前沼沢の手前で、一面のクリスマスツリーをバックに白魔に覆われた築堤を狙う。雪壁に登って三脚を突き刺し、カメラをセットして間もなく、山間にバリバリとキャタピラ音が轟いてくると、高々と雪塊を投げ上げて朱い冬神が登場。後押しがシルフィード機のDEだっただけに、手前方向への投雪がかえって功を奏した。
翻って今日、今や特雪どころか雪レも片手で数えられるほど。除雪車の減少と入れ替わるように、少々の雪でも運休するのが当たり前になった。鉄道は、ただ無難に人や物を運べればそれでよいのか。安全は第一であるとともに大前提。その上で厳しい条件でも輸送を確保することに存在意義があるのではなかったか。そのために奮闘する鉄道マンの姿に我々は胸を熱くしていたはずである。しかし、何事もリスク回避の令和の世。事が起これば外野が無責任に声を上げ、それを拾ってマスコミがコタツ記事を量産する。人手不足に株価以外は経済もサッパリの衰退国家日本では、もはやこうした“心意気”を目にすることは難しいのかも知れない。 |
【3月の表紙】 | |
2023・03・28 伯備線 備中川面−木野山 (NikonD5 AF-SNikkor70-200oF2.8E FL ISO200) | |
2020年代に入ってからというもの、とみに桜の開花時期が早まった気がする。ちょっと前までは3月末に九州で満開、桜前線は4月いっぱいかけて本州を縦断し、GWに弘前城址が見頃を迎えるというパターンだったが、ここ数年は太平洋岸一帯で3月末に見頃を迎えてから各地で同時多発的に満開が報告され、北東北ですら4月後半に花見シーズンを迎えるような状況である。昨年も3月下旬の段階で伯備沿線の開花の知らせが入った。これはじっとしてはいられない!道南でキハ183系のラストランを撮ってから画像処理をする間もなく、年度末の有給を突っ込んで岡山入りすると、備中川面の一本桜は見事満開で咲き誇っていた。
早朝から川霧に包まれていた撮影地も、8時を過ぎると青空が広がってきた。鶯がさえずる中、間もなく国鉄色「やくも」と並ぶもう一つの主役がやって来る。踏切が鳴り、鉄橋に重低音を響かせて現れたのは、3082レの先頭に立つ原色のEF64-1000!絵に描いたような最高条件に、思わずレリーズを握る手に力が入った。近年、山岳路線の雄ロクヨンもかなり活躍の場が狭まってきた。次改正では、中央西線は2往復のうち1往復がカマ置換え、伯備もそう長くはないという。残り少ない春の情景と山男の組み合わせを今年も狙ってみたいものである。 |