Top Page GALLERY 2022


【1月の表紙】

2020・01・02 哈密三道嶺 八二−坑口 (NikonD850 AF-SNikkor85oF1.8G ISO16000)
「今日は八二站(駅)の通過で行きましょう!」隊長小竹氏の一声で、ツアー隊員が一斉に急斜面を降りてゆく。 岩場を越えて線路際に出ると、ちょうどバックは夕焼けに染まり、暗く沈んだ地平に構内のレールだけが空の茜色を映して輝いていた。 ガイドの王国軍氏によると、次の列車の機関士に“仕込み”をお願いしてあるという。 とはいえ機関車から綺麗に火柱が上がるか、そのタイミングが切り位置と重なるかは運次第。2020年の運試しと思って、135oタテと85oヨコで2台のカメラをセットした。

しばらくして、遠方から威勢のいいドラフト音が響いてきた。これか…レリーズを握る手に力が入る。間もなく建設型の牽く運炭列車が駅構内に侵入。 ファインダーにその姿を捉えると同時に、煙突からは猛烈な火の粉が噴出し始めた。これには一同大興奮! 心の中で言葉にならない雄叫びを上げながら、シャッターを切って切って切りまくる。 一息ついてモニターを確認。そこには残照の空に機関車が大輪の花火を咲かせる、終末観すら漂う神秘的な絵が描き出されていたのだった。 この最後の中国ツアーからもう3年。いい加減コロナ騒動も落ち着いてきたし、そろそろまだ見ぬ世界の鉄道情景を訪れる旅を再開したいものである。



【2月の表紙】

2010・02・07 山口線 長門峡−篠目 (NikonD700 AFNikkor50oF1.4 ISO200)
今年の春もD51が復帰できずにDL牽引となることが発表された「やまぐち号」。 これで3年目になるが、押さえたいアングルも多く、蒸機ファンの諸兄には申し訳ないが、またもチャンスを頂くことができたのはありがたい限りである。 ところで、この列車は昼前後に山口線を北上し、午後遅くから夕方にかけて新山口へと戻って来る。従って陽の高い季節は復路が本命となり、往路は秋冬シーズンがメインとなる。 これまで5月連休や夏休みを中心に訪れてていたため、狙いはいつも津和野−船平山間や渡川付近の俯瞰アングルだった。 今回の運転計画はGWまでとなっているが、夏以降がどうなるか、今後の運転計画に注目したい。

さて、今月の表紙は13年前に運転された“あすか”の団臨。早朝山陽本線を下り、「やまぐち号」のスジで津和野まで往復した。 送り込み回送を大畠−神代の俯瞰で撮影し、往路の定番長門峡へ。枯草色の田んぼストレートを撮っても仕方ないため、河原から鉄橋を見上げることにした。 厳冬期だけに陽の当らない立ち位置は凍える寒さだが、影った川面に機影が美しく反射するはずである。 12時丁度、扇のデザインが特徴的なサイドビューをペンタ90のタテ構図とD700に標準のヨコ構図で切り取った。



【3月の表紙】

2011・03・26 小湊鐡道 養老渓谷−上総大久保 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
今月で東日本大震災から干支が一回りする。震源地から距離のある関東一帯でも交通網が麻痺し、スーパーやコンビニから商品が消え、計画停電に悩まされた。 「震災と鉄道」で言えば、我々の間では磐西経由で被災地に燃料を運んだDD重連の臨時貨物が語り草になっている。 引退が既定路線となっていた老兵が全国から結集し、阿賀野川沿いから磐梯山麓へ、早春の会津路を駆け抜けた姿に胸を打たれた同志も少なくなかったはずだ。 その一方で、非日常を過ごす疲れから、心癒される情景に憧れたのもまた事実。この日はチバラギ氏に誘われて、菜の花が見頃を迎えた小湊鐡道に向かった。

養老渓谷近くの石神地区に観光向けの菜の花畑が整備されたのはいつ頃からだろう。 当時はまだそれほど人出も多くなく、1時間に1本程度のペースでやって来るツートンのキハを、光線に合わせて移動しながら撮影することができた。 放射線量の推移が毎日報道されるなど落ち着かない日々が続く中、全てを忘れて被写体と対峙する幸せな半日間を過ごしたのだった。 翻って今日、あらためてこの写真を見て、黄色の菜の花と青い空にウクライナ国旗(彼の国の黄色は小麦を指しているが)を想う。 国際情勢の安定と感染症の収束により、海外の鉄路を気軽に再訪できるようになる日が1日でも早く来ることを願う次第である。



【4月の表紙】

2019・04・28 津軽鉄道 芦野公園駅 (OLYMPUS PENF LEICA VARIO-ELMARIT8-18mmF2.8-4ASPH ISO200)
津軽鉄道芦野公園駅。本州最北端の桜の名所として、4月末の満開時期には毎年多くの観光客が訪れていた。 天気と休みと見頃の時期が見事にシンクロしたこの年は、桜臨目当ての鉄ちゃんまで加わって大混雑。 我々も桜並木とDL客レの組み合わせをものにしようと、朝からホーム端でスタンバイしていた。しかし、光線状態が良いのは2往復目の午後の下り列車。 午前1本目は逆光覚悟で試し切りした。さて、返しをどうしよう?そう、編成写真だけが鉄道写真ではない。せっかく北国の春の到来に盛り上がる観光地を訪れているのである。 スナップ用のPENFで、華やぐ駅の様子と列車の組み合わせを狙ってみようではないか。

間もなく、列車の入線を待ち受ける人々を横目にロッド式DLに牽かれた旧客がゆっくりホームに滑り込み、歓声が上がる。 手に手に掲げられたスマホを別にすれば、車両も花も浮かれる人の心も、郷里の文豪太宰の生きた時代から変わらぬ春の光景なのかも知れない。 コロナ禍もようやく明けようとしている2023年春、桜前線の北上は例年よりかなり早いようではあるが、こうした日常の賑わいが再び各地で見られることを期待したい。



【5月の表紙】

2022・05・04 山陰本線 鎧−香住 (NikonD850 AF-SNikkor50oF1.8G ISO200)
各地で山が笑うゴールデンウィークは、例年であれば天気も安定し絶好の撮影日和。この機会に向けて温めている撮影地も多くある。 その中の一つがここ、山陰本線の鎧の袖俯瞰だった。前日伯備線で国鉄色「やくも」を撮った後に移動し、始発から狙うべく山道を登った。 一番列車は線路に陽が当たらなかったが、7時を過ぎると谷間にも朝日が射し込んでくる。 鮮やかな若葉の色と静かに凪ぐ日本海、単調な波の音に心が洗われる。間もなくエンジン音が微かに響くと、タラコ色のキハ47が眼下にゆっくりと姿を現した。

緑輝き日も長くなる5月。ちょっと前までは道南ブルトレ、五能・津軽のタラコから長崎旧線・大村線のキハ66・67まで日本全国撮りたいものに目移りして仕方なかったが、 昨今は伯備の国鉄色と中国地方のローカル線に残るタラコキハに狙いが収斂してきた感がある。 特にタラコキハに関しては屋根と窓に魔改造が施されているとはいえ、遠景での存在感は抜群。山陰本線やSL撮影地の点在する山口線はもちろんのこと、 津山線・因美線など隠れた名舞台も多い。しばし彼らの楽園が平穏に続くことを祈りたい。



【6月の表紙】

2020・06・09 津軽線 大川平−今別 (NikonD850 AFNikkor180oF2.8ED ISO200)
コロナ禍が始まったばかりの2020年の初夏、世間は総自粛ムードで、楽しそうな顔をして県境を越えようものなら魔女狩りにでも遭いそうな異様な雰囲気だった。 さすがの鉄ちゃん仲間たちも、桜の季節以降は緊急事態宣言を受け、いつになく大人しく新緑のシーズンをやり過ごしていた。とはいえ、さすがにそろそろ我慢も限界。 6月に入り一斉休校も解除されたし、当時としては徐々に日常が戻りつつあった。カレンダーを見ると、次の休みは北東北に高気圧が直撃。 秋田のタラコも午後から津軽線に入るいい運用!これは行くしかないだろう。一人こっそり隠密行動で朝一の新幹線に乗り込んだ。

いざ現地に入ると思った以上に平穏で、新青森の駅員氏もレンタ屋のおねーさんも普段と変わらずにこやかに迎えてくれた。 かつて「北斗星」や「はまなす」を追った海辺の道を北上し、午前中は竜飛岬観光。 石川さゆりの歌碑が立つ展望台で眺望を堪能し、階段国道を1往復してから大川平の神社の丘に上がった。 昼まではやや白っぽかった空も青みを増し、津軽海峡の向こうにはっきりと北海道の島影が見える。 間もなく、水を張った本州最北の田園地帯の中を朱色5号のキハ48が軽やかに駆け抜けていった。 暗い世情の中でも、例年と変わらず梅雨入り直前の晴天はやはり気持ちの良いものだった。今や時効?となった3年前の1枚である。



【7月の表紙】

2022・07・31 越後トキめき鉄道 関山−二本木別 (NikonD850 AFDCNikkor135oF2 ISO200)
梅雨明け10日とよく言うが、例年7月20日前後に梅雨が明けると、月末までは太平洋高気圧に覆われて安定した晴れの日が続くとされている。 夏至から僅か1ヶ月、まだまだ陽は長く、田んぼは青々としている。 学生時代なら始まったばかりの夏休みに心躍らせ、青春18きっぷを手に品川駅の大垣夜行待ちの列に並んだものだった。 だが、近年は梅雨が8月初旬までずれ込んだり、せっかく明けても気象庁曰く「戻り梅雨」なる現象で不安定な空模様が続くことも多い。 今年の夏はどちらに転ぶのか。悪いなら悪いでもはや仕方がないのだが、せめて気象庁には誠意と正直さを求めたいものである。

さて、昨年は海の日連休からスパッと夏空が広がった。久しぶりに受験モードの夏期講習とは無縁の夏休み。 平日の雑務を終え、この日は青空に誘われるように旧信越本線の関山−二本木に車を走らせた。 初夏、晩秋、厳冬は押さえたものの、夏景色ではいまだ極めざる妙高バックを今度こそは仕留められるかと意気込んだが、残念山頂は今日も雲の中…。 仕方なく往路は築堤アウトカーブで撮影し、返しを高台からの見下ろしで構えてみることにした。一面芝生のように稲の生えそろった青い棚田が美しい。 間もなく、蝉の鳴き声をかき消すようにタイフォンが一声!甲高いモーター音を響かせて、急行色が下り勾配を駆け抜けていった。



【8月の表紙】

2020・08・29 成田線 下総神崎−大戸 (NikonD800 AF-SNikkor35oF1.8G ISO200)
先日愛知のロクヨンの更新色機2両が運用から落ち、ついに中央西線・伯備線の貨物は原色率100%になったという。 中には、更新機の方が貴重だから勿体ない!と呟くむきもあったようだが、個人的心情から言わせてもらえば、鉄道写真は珍しいから撮るのではない、カッコイイから撮るのである。 気合いを入れて迎え撃つなら、問答無用の原色一択! 蓼食う虫も好き好きとは言うけれど、国鉄至上主義の我々には、外れクジがなくなったというのは非常にありがたいことである。

そんなEF64-1000は、数年前まで身近な鹿島貨物でも見ることができた。最盛期には3往復ロクヨンという入れ食い状態だったが、 PFが入った後も早朝鹿島サッカースタジアムに向かい、午後早くに帰って来る1095〜1094レには“平地の山男”が健在だった。 夏休みも終わり近いこの日は久々に天気と原色の運用が重なり、満を持して出撃。 往路がカマ次位のコンテナの載りが悪くてイマイチだった分、返しに全てを賭けて下総神崎のストレートにやって来た。 1台は中望遠で無難に構え、もう1台は広角で広々と田んぼを入れて構図をセット。程よく陽が回り始めたところで踏切が鳴る。 ほぼ満載のコンテナを従えて、首を垂れた稲穂の海を掻き分けるように美しい原色機が駆け抜けていった。



【9月の表紙】

2008・09・14 米坂線 中郡−成島 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1))
9月は収穫の季節。各地の田んぼアングルが金色に染まり、落ち着いてきた光線と相まって山里は独特の煌めきを見せる。 一昔前まで、この時期はそんな景色に映える原色のキハ58・28や52を求めて各地を放浪したものだった。特に東北は米どころ。 奥羽山地の山並みを背景に黄金色の盆地を駆ける気動車たちは、ものごころついた頃には既に分割民営化されていた我々世代に、在りし日の国鉄の幻影を見せてくれた。

この日は、原色ゴッパ・ニッパのA1運用を明沢俯瞰で仕留めるべく出撃。午前中に課題をこなして日中は中郡付近の田園地帯にやってきた。 線路際の草刈り処理を終え、まずは広々と青空を入れて1枚。次の夕方のスジは俯瞰ポイントに上がることにした。 穂を吹き始めたススキの茂る斜面を登れる所まで登ってペンタ300をセット。 まだまだ水蒸気が多いせいか遠くの飯豊連峰は薄っすらと霞んでいるが、黄色の絨毯を敷き詰めたような田園地帯と散在する集落が初秋の置賜地方らしいいい雰囲気である。 やがて陽が傾き、日中の暑さも和らいできた。待つこと30分余り、夕日に照らされたクリームと赤のツートンが、軽やかなジョイント音とともに現れた。



【10月の表紙】

2014・10・14 函館本線 昆布−ニセコ (PENTAX67 smcPENTAX75oF2.8AL RVP50(+1))
10月は秋らしさを表現するのが難しい。多くの地域で稲刈りが終わり、以前のようにはさ掛けをするところも減ってしまった。 かといって、紅葉も本州では本格的に色づくのは11月に入ってから。この時期に錦に染まる山々を愛でるには、北海道に渡るしか手はない。 9年前の今頃は、錦秋の海線を行く終焉間近の道南ブルトレを追って最終便で千歳に入り、レンタを駆って噴火湾沿いを攻めていた。 下り「北斗星」から夕方の上り「トワイ」までの間合いは山線で「ニセコ号」。蘭越−倶知安間のDE牽引が我々にはハイライトだった。

この日は昆布のオーバークロスに三脚を立てた。3年前に訪れた時よりも1週遅い分、ニセコ・アンヌプリの裾に広がる高原はもう晩秋の風情。 時折冷たい風が吹き抜ける中、雛壇を組んで待つことしばし、カーブの先からDEの変則ジョイント音が響いてきた。 昔に比べて魅力的な被写体が激減し関心も薄れていたが、来年度の修学旅行に向けて下調べをしていたら、久しぶりに北の大地に興味が湧いてきた。 手付かずの自然が残る山線沿線など、線路脇から少し入れば野生動物が闊歩する『ゴールデンカムイ』の世界ではないか。 疼く煩悩を押さえ、カメラを置いて北海道の歴史と文化を楽しむ旅も悪くないかも知れない。



【11月の表紙】

2014・11・01 南部縦貫鉄道 旧七戸駅 (NikonD800 smcPENTAX75oF2.8AL ISO200)
日中から降り続けていた雨がやみ、16時半を回る頃には辺りはすっかり夜の帳に包まれた。南部縦貫鉄道旧七戸駅での夕暮れ撮影会はここからが本番である。 ホームに据え付けられたレールバスとホームの紅葉がライトアップされ、撮影者たちがめいめいシャッターを切る。 静まっり返った中に発電機の音とレールバスのアイドリング音、そして間断ないシャッター音だけが響き渡る。 現役時代、辛うじて廃止間際に一度だけ訪れることができたメルヘンチックな北東北のローカル鉄道の幻影を、僅かな時間ではあるが堪能することができた。

さて、11月ともなると紅葉前線が徐々に南下してきて行先の選定に悩んでしまう…というのが一昔前までのお約束だった。 それに合わせて「○○紅葉号」などのイベント列車が走るなど、皆ウキウキしたものである。 しかし、この10年で東北地方の非電化ローカルをはじめ錦秋の山中を行く路線からは悉く被写体が枯渇してしまった。 それに、今年は新生活が始まったばかりで、以前のように思い立ったら即出撃!というフットワークの軽さは押さえざるを得ない(笑)。 このままではイカン…東鹿越の紅葉戦線に参陣できなかった悔しさを晴らすべく、とりあえず地元小湊のタラコに小さな秋を見つけようと思う。



【12月の表紙】

2005・12・04 山陰本線 餘部−鎧 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1))
朝から酒臭い汗を流しつつ、足場の悪い尾根筋をひたすら登り続ける。麓から1時間弱、二股に分かれた大きな石が見えてくると撮影地まではあと少し。 8時半過ぎには無事に到着できそうだ。この日は下り「出雲」が福知山線を迂回するため、山陰本線内を通常より2時間余り遅いスジで走行する。 となれば、普段は光線状態の悪い餘部鉄橋を最高条件で通過するではないか! 周囲は俄かに色めき立ち、前夜は香住でカニ鍋をつつきながらの鉄忘年会、翌朝みんなで餘部スーパー俯瞰にアタックというツアーが企画されることになった。

とはいえ、冬の山陰は滅多に晴れない。ダメならダメで本場のカニに舌鼓を打とうと腹を括って現地入り。 だが、大宴会の末に目を覚ますと、窓からは想定外の眩しい朝日が射し込んでいた。 すわ一大事!これは寝坊している場合ではない。 慌てて浴衣から着替えてレンタに乗り込み、白山神社から山の斜面に取り付いたのであった。 メンバー揃って機材を並べ、談笑に耽ること小1時間。通過時刻が迫ると辺りに緊迫した空気が漂う。9時30分、低い光線を浴びた朱いカマがトレッスル橋に躍り出る。 大海原を背に、名所餘部を駆ける寝台特急「出雲」。白波とDDのキャブが重なった瞬間、万感の思いを込めてシャッターを切った。 しかし、奇跡の一瞬に歓喜したのも束の間だった。レンタを返して土産を買う頃には、香住の駅前は小雨に濡れていたのだった。
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