Top Page GALLERY 2021


【1月の表紙】

2019・01・27 東海道本線 早川−根府川 (NikonD850 AFDCNikkor105oF2 ISO200)
冬型固定の1月から2月前半にかけて、関東一円は風こそ冷たいものの穏やかな晴天が続く。この日も神奈川は文句なしの晴れ予報。 「踊り子」狙いで小田原に車を走らせた。 午後一の115号を根府川の白糸川橋梁で撮り、次は石橋鉄橋へ。 だが、ここ3年ほど冬になる度に訪れていれば、定番構図はほぼ押さえている。今日は季節ものをあしらって“らしい”1枚を頂戴しよう。 目を付けたのはミカンの実。 ご承知のように、この鉄橋界隈の山の斜面は、陽当たりの良さと水はけを活かしてミカン畑が広がっている。 湘南色の由来ともなったと言われる緑の葉とオレンジの果実を手前にボカして、相模路を颯爽と描けるストライプ模様を切り取った。

キリ番の年のオリンピック開催で“Tokyo2020”などと盛り上がっていた昨年。 コロナ禍で浮かれたムードに冷や水が浴びせられ、一転して自粛に不況と沈滞ムードの中で年が明けた。 感染症克服のビジョンも大してないままだし、IOCと大手企業の利権が蠢く商業オリンピックなどもうやらなくて結構だが、 少しは落ち着いて人と会い、撮影に出掛けられる1年になって欲しいものである。 ポストコロナはオンラインの時代だ!なんてまことしやかに言う意識高い系の人たちもいるけれど、仕事も鉄も「現場踏んでナンボ」でしょ!



【2月の表紙】

2020・02・08 いすみ鉄道 小谷松−大多喜 (NikonD850 AF-SNikkor85oF1.8G ISO200)
「梅花 凌寒独自開(梅花 寒を凌ぎて独り自ら開く)」。約四半世紀前、受験直前期に中国史の研究者でもあった予備校の恩師から用語集の片隅に頂いた言である。 北宋時代の王安石の作からの一節。受験は思い通りの結果ではなかったが、その後恩師の影響から予備校の教壇に立ち、最終的に高校の世界史教員になった。 人生の転機になった出会いであり、今も受験生を前にするとこの言葉が脳裏に浮かぶ。 この年は受験学年の担任だったこともあり無意識のうちにこの詩が頭を過ったのだろう、いすみ沿線で咲き誇る梅の花を見掛け、思わずこのアングルでカメラをセットした。

鉄道写真といえば基本は前面・側面ともに陽が当たるバリ順がベスト、印象的に撮るならば面潰れのサイドギラリ、側面陰りは万策尽きた悪手である。 長らくそう思ってきた。しかし、車両や路線に入れ込み、何かモチーフを交えて被写体を狙うようになると、そんな考え方は変わってきた。 季節の花や若葉・紅葉などを列車の“顔”と絡めるならば、かえって側面は陰っていた方が主題と副題がはっきりする。 そんなことを考えながら、定番築堤の逆光側で梅の花を手前にキハ52を待った。



【3月の表紙】

2018・03・25 大村線 千綿駅 (NikonD5 AF-SNikkor16-35oF4VR ISO400)
3月は年度末の有休消化を兼ねて、一足早い春の訪れを感じに九州を訪れることが多かった。 この年は少し早めに開花の便りが届いた大草−東園間、古川の桜並木とキハ66・67を求めて長崎旧線に飛んだ。PM2.5と杉花粉で視程は利かず、海アングルは全てダメ。 花と絡めて国鉄色を追い、夕刻大村線の千綿駅にやって来た。 大村湾に面した駅として観光客の注目を集め、構内で営業するカレー屋さんも人気を博すこの駅は、鉄ちゃん視点でも味わいのある木造駅舎が写欲をそそる。

時計を見ると間もなく19時。国鉄色の佐世保行きが来る頃だ。琥珀色の電球が照らす駅舎内から広角で絵を作り、これで発車していくキハをブラすつもりだった。 が、そこへ女子会帰りとおぼしき3人の女性がやってきた。2人は列車に乗り込み、残る1人が別れ際、窓越しに名残惜し気に手を振る。これだ! 咄嗟の判断で偶然の一瞬を切り取る。やがてエンジンの鼓動が高鳴り、2人を乗せた気動車がゆっくりと動き出す。 ホームの彼女は、去りゆくテールライトを寂しそうに見送っていた。こんな旅情を感じさせるのにぴったりだった国鉄型車両も風前の灯。 あと何度、このツートンカラーを西国の海辺に追うことができるだろうか。



【4月の表紙】

2011・04・15 磐越西線 咲花−東下条 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
4月も半ばとはいえ、阿賀野川流域の春の訪れは遅い。桜並木の名所として知られる咲花の界隈もいまだ蕾は固く閉じたまま。雪は消えたが、山々はいまだ冬の装いだった。 それでも、川面を右手に配して67に165oで構図をセット。 今日はキャブ窓にプロテクターが残る1027号機が先頭に立つとのこと。 順光でカマがわかるようにかつ磐西らしさを描けるポイントとしてここを選んだのだった。間もなくトンネルに2灯のライトが光る。 エンジン音も高らかに姿を現したのは、10両のタキを従えた耐寒仕様も厳ついDD重連のタンカートレインであった。

東日本大震災から10年が経った。東北が、いや日本という国が2011年3月11日を境に全く別の次元に入ったといっても過言ではないだろう。 「津波」という言葉や「福島」という地名が持つイメージは、あの日から全く変わってしまった。 三陸出身の友人は、 濁流に街が飲み込まれた当時の生々しい体験を今でも昨日のことのように語ってくれる。原発事故の影響で故郷を追われた人々は現在でもなお少なくない。 復興五輪などという商業主義にまみれた絵空事に狂喜乱舞するくらいなら、 私は総力を結集して東北に燃料を輸送したこのDD臨貨の記憶を辿ることで震災10年の節目に思いを致したい。



【5月の表紙】

2014・05・10 富山地鉄立山線 釜ヶ淵−沢中山 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
3月改正の185系「踊り子」の引退で、いよいよJR線上に旅客の魅力的な被写体を見つけるのが難しくなった。 関東日帰りエリアで見られる国鉄色の国鉄型と言えば、しな鉄115系にいすみのキハ52と、もはや三セクばかりではないか! というわけで、春からはすっかり地方私鉄に目が向くようになった。 大井川のズームカーに箱根登山の旧型車…そこには一時代の歴史を背負った古武士たちの息吹が今なおはっきりと感じられるのである。

そんな魅力的な地方私鉄の一つに富山地鉄がある。 のどかな田園風景の背後に立山連峰の銀嶺が聳えるロケーション、テレビカーやレッドアローといった大手私鉄の名優たちが原色を纏ったまま疾駆し、 その合間をときに白とグレーのオリジナルカラーの旧型電車がのんびりと走る。この日はそんな地鉄を愛する地元ファン主催の旧型車のチャーターに参加した。 好天に恵まれ、お気に入りの場所を巡る中で立山線の沢中山へ。田植え直後の水田が鏡のごとく青空を映す初夏の風景。 曲者だらけの3連を横がちに撮るには絶好の場所である。ペンタ165oで構図を整えると、間もなく勾配を登るモーターの音が響いてきた。



【6月の表紙】

2019・06・16 小湊鐡道 上総大久保−月崎 (NikonD850 AFNikkor180oF2.8ED ISO200)
年々梅雨が早期化・長期化していることもあり6月と言えばずーっと雨のイメージが強くなっているが、例年なら第1週くらいまでは五月晴れシーズンの延長戦。 梅雨入り後も時おり“中休み”が入って、早朝・夕方の撮影で成果を上げようと僅かなチャンスを虎視眈々と狙っていたものだった。 この日も前線が一時的に南に下がったのか、前日の豪雨が嘘のようにクリアーな青空が広がった。

ツートンに復活したいすみのキハ52が、前の日のお披露目撮影会に続き看板無しの姿で所定の運用に入ったと聞き、即出撃。 光線が硬い真昼のスジは捨てて、14時台の上りを小谷松の三本杉で、15時台の下りを上総東のカーブで迎え撃った。 塗り立てピカピカの国鉄色と文句ない青空、そして初夏の瑞々しい緑に大満足。だが、6月の日は長い。帰りがてら、久しぶりに小湊鐡道の上総大久保俯瞰に立ち寄ってみた。 稲も程よく伸びて緑のカーペットになった中、大築堤に列車が現れる。エンジン音を響かせながら五井に向かう、これまたツートンのキハ200をファインダー越しに見送った。 ブルトレ朝練の機会もなくなった今、この時期ならではの夕方の情景を1枚でも多く仕留めたいものである。



【7月の表紙】

2005・07・17 岩泉線 岩手刈屋駅 (NikonF4s AFNikkor20-35oF2.8D RVP100)
今から16年前の7月、海の日連休に好天と原色キハ58の臨時列車が重なって、山田線・岩泉線を訪れた。 初日は山田線宮古以西の山岳区間で撮影し、夕方岩泉運用に入った原色52を川代俯瞰で極めて岩手刈屋でマルヨ。 翌朝広々とした無人駅舎で目を覚ますと、線路際に初夏の花々が咲き乱れていることに気が付いた。 列車はまだ来ない。朝の鋭い光線に照らされたタチアオイを手前にあしらって駅名標を狙ってみた。

タチアオイの花が上まで全て咲き揃うと梅雨が明けるという。このときはまだ時期尚早で、上3割ほどは蕾のまま。 梅雨明けを待たずに仕事が忙しくなり、再び北東北を訪れたのは8月に入ってからだった。 二ツ井で「日本海」「あけぼの」を撮ってから道南ブルトレをターゲットに室蘭本線へ。 しかし連日の海霧大爆発で記録的不作の夏となった。 今年は一体どんな夏になるのか?2度目のコロナ禍の夏、無為無策のまま迎えるオリンピックの夏。 「安心・安全」の掛け声だけが空しく響く中、我々は一体どんなカットを残すことができるのだろう…。



【8月の表紙】

2016・08・07 南部縦貫鉄道 旧七戸駅 (FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200)
保護者面談と夏期講習を乗り切った。部活の合宿も、受験生向け学校説明会も無事終えた。諸々の業務から解放されて、意気揚々と朝一の東北新幹線に乗り込む。行くぜ東北! 狙いは津軽鉄道の立佞武多臨と五能線、そしてその行き掛けの南部縦貫のイベントである。 七戸十和田で途中下車し、タクシーで旧七戸駅へと向かう。 運転手氏曰く、今年の青森は例年以上に暑いとのこと。暑いのも辛いが、我々にとっては涼しくても曇天続きの夏が一番辛い。 酷暑上等!炎天下の線路際で懐かしのキハ101との再会を果たした。

細い線路に陽炎が揺らめく中、昭和の香り色濃いレールバスが構内を行ったり来たり。 1往復乗車して、高校生の頃以来20年ぶりにクラッチを切り替えながら、継ぎ目の振動をダイレクトに響かせて加速する感触も味わった。 そんなイベント中に何気なくスナップしたこの1枚。 後日、さるコンテストに出展しようと、被写体になっていただいたレールバス愛好会のスタッフの方にデータを添付してメールを出した。 すると、一緒に写っているのはお子様で、いい記念になりましたとのこと。心温まるシーンにこちらこそあらためて感謝申し上げた次第である。 ただ、コンテストは残念ながら選外に終わった…。なかなか難しいものである(苦笑)。



【9月の表紙】

2001・09・17 名鉄谷汲線 長瀬−赤石 (MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1))
名鉄谷汲線が廃止されてから今月で20年になる。日本屈指の大手私鉄の中で美濃の奥地にポツンと取り残されたローカル線。 昭和の時代から時が止まったような沿線風景に車齢70年余りのオールドタイマーが吊掛モーターの音を響かせる… それは21世紀初頭にしてすでにノスタルジー溢れる、地方私鉄フリークにとっての桃源郷であった。 この日は管瀬川橋梁のすぐ傍にある採石場の上段に、山の裏手からアプローチした。銀箱にハスキーを担いで木の幹に掴まりながら直登する。 苦闘1時間、眼下には箱庭のような光景が広がっていた。

ポジファイルを見返すと、この秋は天気にも恵まれ、休みごとに各地を放浪していたようである。 翌週は土曜に谷汲線を再訪し、日曜は金色田んぼの智頭急に転戦してキハ181系の「いなば」を撮った。 さらに次の週末は只見線に遠征。初めてのC11復活運転に先立つ試運転を追い掛けた。 翻って今日、名鉄600V線区はすでになく、キハ181はとうに引退。只見線は復活間近とはいえ長期の区間運休で車両も新型に置き換えられた。 20年といえば新生児が成人するくらいの時間が流れたわけで、あらためて過ぎた歳月の重みを実感させられた。



【10月の表紙】

2013・10・13 北陸本線 魚津−東滑川 (NikonD800 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO200)
この夏最大の鉄的トピックはもちろん「DLやまぐち号」だったが、それさえなければ間違いなくNo.1の注目株だったのが、えちごトキめき鉄道の413系であろう。 種車の都合上ホンモノの急行型は妙高高原側のクハ455のみとはいえ、立派に交直流急行色を着こなした3連の国鉄型が、妙高バックの田園地帯や日本海沿いの区間を駆ける姿はもう格別! 私もさっそく幾度か訪問し、何ヵ所かのお立ち台でシャッターを切ってきた。片貝の金色田んぼは先月末で見納めとなったが、秋の紅葉、そして冬の銀世界が今から楽しみである。

さて、こうして交直流カラーを求めて信越・北陸通いが続くと、思い出すのが金沢の475系の復活急行色。 今から8年前の体育の日連休には、A16+A19編成のリバイバル6連で「北陸本線100周年記念号」が運転された。 初日の往路は、 午前中に常磐線の485系「ひたち50周年記念号」を撮ってから延々磐越道〜北陸道経由で魚津に転戦し、夕方立山連峰バックのこのポイントに滑り込んだ。 季節は収穫以上紅葉未満の微妙な時期だが、幸い田んぼは二番穂が吹いていい感じ。 バックの山並みも程よく雲がかかりながら秋の高い空に稜線が抜けている。 カメラ2台を手早く構えると、間もなく遠方から懐かしいモーター音が響いてきた。



【11月の表紙】

2020・11・23 大井川鐵道 塩郷−地名 (NikonD850 AF-SNikkor300oF2.8VR ISO200)
斜光線の美しい季節になった。この日は線路沿いのススキが一斉に穂を吹いているのを見つけ、迷わず反逆光ギラリのこの場所に三脚を立てた。 本命は15時過ぎのマル普看板のズームカーだが、その前の「かわね路号」を後追いしてみるのも面白い。 復路は連続下り勾配で煙を吐かないが、その分後押しの電機メインで後ろから撮っても不自然感はないはずである。 穂の輝きが一層増してきた頃、C11の汽笛が聞こえてきた。ロッドの音も軽やかに、安全弁からの蒸気をたなびかせてカマが転がっていく。 後に続くのは茶色と青の旧客たち、そして最後尾にはE10 2。テールライトが目立ちはするが、秋らしい1枚を押さえることができた。

ススキに紅葉、そしてそれらを照らす低く柔らかい光線。いよいよ秋冬シーズンの開幕である。10年ほど前までは、リバイバル原色キハを追って盛岡だ米沢だと東北各地を巡っていた。 さて、今年はどこで秋色の景色を見つけようか。 ただ、「秋の日は釣瓶落とし」の言葉通り、想定以上に陽が短くなっているのには要注意。 この写真の後、本命のズームカーは太陽が寸前で山入端に隠れ、日没コールドで幻と消えてしまったのだった。



【12月の表紙】

2002・12・30 土讃線 角茂谷−繁藤 (NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8ED PKR)
10月から、いすみ鉄道で四国ディスティネーションキャンペーンに合わせた四国急行マーク祭りが始まった。 実際に旧国鉄時代に使用されていたものをJR四国から借りてきたという「いよ」や「うわじま」の円形看板は、 原色幌付き白Hのキハ28に実によく映える! ネットに踊る力作を見て参戦の機会を窺っていた。だが、その矢先にキハ28故障の報。 その後キハ52単行でキャンペーンは続行になったとはいえ、単コロの急行看板は絵にするのが難しい。1日も早いニッパの前線復帰を願うばかりである。

さて、今回はそんな経緯から四国のキハ58・28を出してみたい。社会人1年目だった19年前、年末進行の業務を終えて、少しでも天候の安定した四国・九州南部の遠征に出掛けた。 この日は朝方安和−土佐新荘のコンクリ橋でゴッパ・ニッパを仕留め、午後からは真昼間に土讃線を南下する243Dを狙いに角茂谷の鉄橋へ。 昼でも低い真冬の光線に照らされて、杉木立の中のレンガ積みのトンネルから白と水色の見慣れた顔が現れる。 爽やかな色合いに装いを改めた老兵は、堂々たる走りで短いガーター橋を駆け抜けていった。コーポレートカラーながら魅力的な被写体たち。 あの頃は、まだ各地に“自分だけのターゲット”が数多く残っていた。翻って海外出禁2度目の冬、狭い日本で今季は一体何を狙おうか…。



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