Top Page GALLERY 2020


【1月の表紙】

2012・01・08 宗谷本線 音威子府駅 (NikonD700 AFNikkor20-35oF2.8 ISO640)
国鉄時代の面影を残す無骨な鉄骨に支えられた大屋根がホームを覆う。天上から吊り下げられた駅名標には「おといねっぷ」の文字。 今日はこれをモチーフにしてみよう。この頃から夜戦を中心に実戦投入するようになったD700に広角ズームを付け、ワイド側一杯の20oでローアングルから呷り構図を組む。 深夜1時前、静寂を破るように遠方からエンジン音が響いてきた。いよいよ冬期限定、最果て路線の主役の登場である。 ナトリウム灯のオレンジの光に包まれてファインダーにDE15が滑り込んできた。

ラッセルはここ音威子府で約30分の長時間停車。その間に列車番号は雪361から371へと変わる。 駅名板と絡めて、はたまた跨線橋から望遠で…手際よく撮っていかないと発車時刻は瞬く間に迫って来る。乗務員が乗り込み、再びエンジンの鼓動が高まる。 間もなく、朱い守護神は闇の中へとゆっくりと走り去って行った。夢か現か、幻想的な雪レ劇場が終幕し、寒さでふと我に返る。 モニターで成果を確認してから一息ついて夜空を見上げると、真冬のこの地には珍しく無数の星が瞬いていた。さて、出発するか! このまま南稚内まで夜間仕業を追っ掛け、翌朝は抜海の丘に立つ。我々の過酷な雪レマラソンは、まだ往路の道半ばでなのであった。



【2月の表紙】

2010・02・14 大糸線 頸城大野−根知 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1))
あれから10年の時が流れた。バレンタインなどどこ吹く風、深夜の長岡で「北陸」をバルブして、日本海廻りで大糸線に入る。 昨日までの冬型が緩み、天気は快晴。そして沿線の木々という木々は、枝の先まで雪を載せて見事なまでのクリスマスツリーと化していた。 喜々として頸城大野の俯瞰でツートンを迎え撃ち、仲間一同で雄叫びを上げる。キハの引退が迫る中、鉄の神様は最後の冬に息を呑むほどの銀世界を用意してくれたのだった。 返しは線路際に降りて新雪の斜面にアタック。 雪帽子の林を背にツートンを捉えた。 光線状態が苦しい中で雪がレフ板の役割を果たし、存外シャドーが潰れず悪くない仕上がりになった。

例年なら雪国は一冬で最も深い雪に覆われているこの時期。だが、記録的暖冬の今年は、新潟などの豪雪地帯でも雪はさっぱりらしい。 いつもは気温以上に肌を刺すような冷たさを感じる東京の朝もすっかり腑抜けで、年末年始の哈密耐寒訓練はまったく意味をなしていない。 いくら被写体が減ったからと言って、冬景色までなくなっていいというものではない。 決して寒いのが好きなわけではないけれど、パンチの効いた冬将軍に一度も遭遇しない2月というのはやはり寂しいものである。



【3月の表紙】

2014・03・28 上毛電鉄 新里−膳 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1))
別れの季節といわれる3月は、鉄の世界においてもダイヤ改正毎の廃止列車・引退車両の惜別ブームに沸く。 かつてはそうしたラストランを追っ掛けていればそれなりに被写体があったのだが、撮りたいものがほぼ引退し尽くした昨今、 この冬以上春未満の半端な景色の絵づくりに頭を悩まされるようになった。 それでも世の若者たちは最後のヨンマルを求めて磐西・只見に足繁く通っているのだろうが、アラフォー世代の私は受験シーズンで職務多忙なうえ、 どうせ暖冬で雪も大して積もってないだろうし過去作を超えるものは撮れまい…と重い腰を上げぬまま春を迎えることになりそうである。

今月の表紙カットは6年前の1枚。3月も下旬になり、どこかに早春の気配はないかと上毛電鉄のデハ1形の臨時運行に出掛けた。 残雪の赤城バックが撮れればいいか、くらいの気持ちでロケハンをしていたら、狭い路地で曲がる角を一つ間違えてしまった。 ちょうど車検時期で代車だったこともあり、慣れないナビの画面を見ながら右往左往。が、偶然線路に突き当たると、築堤のバックに見事な梅林が広がっていた。 これぞ天祐!ペンタ300で構図を整え、東風に乗って聞こえてきた吊掛のヌシを切り取った。



【4月の表紙】

2018・03・31 小田急小田原線 座間−相武台前 (NikonD5 AFNikkor180oF2.8ED ISO200)
この年も春の訪れが早かった。東京では3月下旬に開花宣言が出され、年度替わりを待たず月末に満開となった。 となると、カメラを持って沿線に繰り出さないわけにはいかない。狙いは夏に引退が予告されていたLSE。場所は座間の桜並木の一択である。 現地でいつもの達人諸氏と合流し、午後の定番ポイントに場所取りを施してから、朝の1往復を仕留めに少し座間駅寄りの道路脇に三脚を立てた。 サイドは潰れるが両脇の桜の咲きぶりは申し分ない。顔を中心に切り取る構図だから、光線はこれで良しとすべきだろう。 9時半少し前、連接車独特のジョイント音を響かせてオレンジバーミリオンのロマンスカーが颯爽と姿を現した。

今年も暖冬の影響か、開花宣言は早かった。しかし新型コロナウィルス騒動でさっぱり意気は上がらない。それに加えてロマンスカーはすでに引退し、箱根登山は長期運休。 いすみのキハも入場中では関東一円で目ぼしい被写体が見つからず、月末の前線停滞も相まって、要請されるまでもなくお家で自粛モードである。 猫も杓子も浮かれ回っていた“2020”がまさかこんなスタートになるとは、一体誰が予想しただろう。 鉄だけでなく、新学年が始まる職場も当然大混乱。とにかく早期の収束を願うばかりである。



【5月の表紙】

2018・05・04 いすみ鉄道 上総中川−城見ヶ丘 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
長引く新型コロナウィルス騒動で、鉄ちゃん活動を本格的に開始して以来初めての巣籠りのゴールデンウィークである。 本来なら久しぶりに受験学年の担当から外れたし、ここは思い切って4連休で南ドイツ・アルゴイ迂回EC弾丸ツアーなんてどうだろうか? と密かに計画を立てていたのだが、海外どころか隣県に行くのも憚られる一億総自粛ムードの今日この頃。 まぁここ数日晴れても空は白いし、連休後半は安定の傘マークで、 これなら自粛など要請されなくても、遠征はこちらから願い下げである。

2年前の連休は近場のいすみ鉄道を中心に回っていた。新緑が進み、田植えが始まり、祝日扱いでキハにはマークが付かない。 条件としては最高である。ただ、13時台の大原行きをどうしよう?陽は高く、面には絶対光が回らない。 思案しながらハンドルを握るうち、いつも気になっていた山門が見えてきた。折よく隣には鯉幟が躍っている。 家や電柱をギリギリでかわし、山門・鯉幟・踏切の三要素で画面を整理。列車はちょいブラしくらいがいいだろう。 間もなく警報機が鳴り、聞き慣れたエンジンの音が耳に響いてきた。



【6月の表紙】

2016・06・04 津軽鉄道 芦野公園駅 (NikonD800 AF-SNikkor35oF1.8 ISO200)
小雨がそぼ降る中、芦野公園駅に車を走らせた。先程まで津軽中里駅で夜間撮影会を行っていた客レが五所川原に帰って行く。 それをどこでバルブしようか悩んだ末、編成的に手堅く撮れる金木よりも雰囲気重視でこちらを選んだのだった。 無人の改札を抜けると、1ヵ月余り前の花見客でごった返していたのが嘘のように、静まり返ったホームが雨に濡れ、 暗闇の中で白熱灯の真下だけがぼんやりとオレンジ色に浮かび上がっていた。イメージはすぐに湧き、広角35oを選んで構図を決める。 間もなく踏切が鳴り、カランコロンとロッドの音を響かせながら入線してきたDDが急制動。白熱灯の前には2色塗りの旧型客車が停車した。

夜の景色に、なぜ旧型客車はこうも似合うのだろう。そういえば、幼い頃に映画化された『銀河鉄道の夜』を観に行った。 主人公を猫に置き換えて描かれたアニメーションの世界は、幻想的であると同時にどこか不気味さを感じさせ、 ジョバンニとカンパネルラを分かつ生死の境界を子ども心に強く予見したことを覚えている。 この記事を書くために思い起こすまですっかり忘れてしまっていたが、幼少の頃の記憶は確かに今の心象風景に深く刻み込まれているようである。 エンジンの高鳴りで我に返った。汽笛一声、静かに動き出した客車が目の前を過ぎてゆく。2灯のテールライトを見送ると、いつしか雨はすっかり上がっていた。



【7月の表紙】

2019・07・07 箱根登山鉄道 大平台−上大平台(信) (NikonD5 AF-SNikkor70-200oF2.8E FL ISO16000)
未舗装の小道を叩く雨の音が止まないまま、辺りはすっかり夜の帳に包まれた。夏至を過ぎたばかりの薄暮の時間はかなり長く、完全な暗闇になった頃には時計の針は20時を指していた。 次は順番からして原色先頭の3色団子の旧型編成が山を下って来る。照明に照らされた紫陽花の花を手前に大きくボカして構図を再調整。 昼間と違って他に誰もいなくなった踏切で、傘を差しながらひたすら列車を待った。 間もなく山間に重厚なモーター音が響く。レールを軋ませながら、箱根のヌシがゆっくりとカーブを切ってファインダーに滑り込んできた。

機材を完全にデジタルに移行してから1年半。フィルムにはフィルムならではの風合いがあったし、何より67判独特のアスペクト比に救われたことも多かった。 だが、その一方でが逆立してもデジに敵わないのが、粒状性と高感度特性。 三道嶺の建設型大噴火も、箱根登山の紫陽花ライトアップも、絵にできたのは感度1万の世界を見せてくれたD5の存在あってこそだった。 これからは、機材の性能進化に自分のセンスを追い付かせていかないとなるまい。 梅雨も末期のこの季節、行動規制も緩和されたことだし、今年はどんなナイトショーを切り取ってみようか。 夜の街と違い感染リスクなど皆無に近い夜の線路際で、久々にカメラを構えてみたいものである。



【8月の表紙】

2018・08・19 DB Allgau bahn Oberstaufen−Rothenbach (NikonD5 AFNikkor300oF4ED ISO200)
17時半を回り、雲の下から鋭い斜光線が射し込んできた。今日はもうだめかと諦めかけていたが、これは一発逆転サヨナラの大チャンス。 オーバーシュタウフェンの丘の上からD850は広めに眼下の街並みを入れて、D5は長玉Sカーブ強調で18時過ぎのEC192を狙う。 定時、のどかにカウベルが鳴り響く中、大地を震わすDB218のエンジン唸りが響いてきた。 間もなく眼下の曲線に重連箱型DLの牽引する長編成の優等客車列車という日本のファンなら垂涎ものの被写体が登場! 最初諦め半分だっただけにサンニッパを車に置いてきてしまったことを悔やみながらも、サンヨンで美しいSカーブを切り取ることができた。

2016年のスイス・ゴッタルドツアー以来、 毎年夏になる度に欧米方面への鉄ちゃん遠征を重ねるようになった。 そんな中で2年前から気にかけているのが、南ドイツ・バイエルンのアルゴイ線を迂回するミュンヘン−チューリヒ間のEC。 その他にもこの区間にはアルプス山麓の保養地オーベルストドルフに向かうICや区間快速ALEXなど絵になる機関車牽引列車が多く存在していた。 しかし、ECは今年度中に北回り本線の電化工事が完成すると迂回が終了、ALEXも12月改正で廃止とのことで彼の地においても名列車の命運の儚さを痛感することとなった。 そして何より、ラストチャンスと意気込んでいた今夏のツアーがコロナ禍によりトケてしまったのが痛い。まだまだ撮りたかったあのアングル、この構図…全ては幻に終わってしまった。



【9月の表紙】

2014・09・23 吾妻線 祖母島−小野上 (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1))
初夏の水鏡に続き、秋の収穫の時期に再び同じ丘の上に立った。 この年は、八ッ場ダム建設に伴う岩島−長野原草津口間の新線切り替えを控え、機会あるごとに上州の盲腸線を訪れていた。 空の青を映すガラスのような水田が見渡せたあの日から3か月余り、田んぼはすっかり金色に染まり、一部では刈り取りが始まってはさ掛けが立てられていた。 当然日も短くなり、前回撮ったのよりも1本前、15時台の列車がターゲットになる。早くも影が伸びてくる中、祖母島駅に電車が滑り込んできた。 ピント・構図・露出の最終確認。聞き慣れたモーター音と鉄橋を渡る轟音をBGMに、そっと67のシャッターを切った。

思い返せば、秋分の日連休だったこの日が、新線切り替え前最後の撮影チャンスだった。 朝から不動大橋の俯瞰、川原湯温泉駅の見下ろしを撮り、山間部が陰るのを見届けてここに転戦した。 あれから6年、日本最短トンネルとして鳴らした樽沢トンネルは旧線と共に消え、主役だった115系も引退し、冬場の名物“吾妻カッター”のクモヤ145も鬼籍に入った。 もうよほどのことがない限り、上州の盲腸線を再訪することはないだろう。



【10月の表紙】

2010・10・17 長崎旧線 東園−喜々津 (Maimiya645PRO SEKOR A200oF2.8APO RVP100)
ここ最近長崎が熱いらしい。聞くところでは、筑豊を去った後もこの地で活躍を続けていたキハ66・67に引退が迫り、最後の姿を記録すべく多くの同好の士が訪問しているとのこと。 確かに春先に登場したばかりの新型ハイブリッド車が、この半年間で見る間に運用を拡大してきた。今や66・67に残されたのは僅か4運用のみ。 長崎旧線に大村線、穏やかな内海に沿って国鉄色が長閑に駆けるシーンが過去のものになるのは、そう遠くないことのようである。

実はこのエリアはずいぶん前から気になっていて、社会人1年目から年末年始の九州ブルトレツアーの一環でよく足を延ばしていた。 白地に青の九州色からSSLカラーへの過渡期に運よく白の4連を記録したこともある。だが、国鉄色には巡り合わせが悪く、撮影が叶わなかったポイントも少なくない。 長崎旧線の定番東園−喜々津のカーブもその一つ。 だが、キハでは撮れなかった代わりに、マヤ検は納得いく条件で極めることができた。 千綿−松原の棚田で一発仕留めて長崎道を飛ばし、20分ほど先行してアングル到着。さらなる高い足場を目指して斜面を登る。 カメラ2台を構えてしばし、築堤下にはさ掛けが並ぶ秋の情景の中、穏やかな大村湾を背に朱いDEが颯爽と姿を現した。 カマが醜い烏色になってしまった今では撮ることのできない1枚である。



【11月の表紙】

2002・11・14 中央本線 勝沼ぶどう郷−塩山 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
“ロクヨンの呪い”が解けない。先日の「カシオペア信州」では敢えて定番稲荷山を外し聖高原の青柳城址俯瞰に向かったが、現地は立ち位置ですら数メートル先が見えない深い霧。 結局眼下の雲海を眺めただけで撤収を余儀なくされた。 それで沿線に展開した一同玉砕ならまだ納得もいくが、あろうことか稲荷山界隈だけ通過直前に晴れて勝利の歓声が上がるという最悪のシナリオ。 ネットに流れる勝ち名乗りの数々を前にガックリ肩を落としたのだった。 ロクヨンの借りはロクヨンで返せ!と次の休みは原色登板の鹿島貨物にスクランブルを試みるも予報に反して雲が多く出撃ウヤ。 翌週は紅葉ピークの中央西線に出掛けたが、青空・錦秋の最高条件の下、現れたのはカマ差し替えで更新色の重連だった。もう、どーなってるの!?

18年前、そんなモヤモヤを感じるまでもなく中央本線には普通に原色ロクヨンの姿があった。 この日は引退間際の183系「あずさ」を狙いに紅葉前線真っ只中の勝沼ぶどう郷俯瞰を訪問。「あずさ」だけでなく合間のスカ色115系も撮影し、夕方にはお腹一杯になった。 が、日没寸前、遠方の塩山市街に貨物列車が確認できた。よし! 山影迫る中、丘陵地帯の築堤に躍り出た0番台のタンカートレインにこの日最後のシャッターを切った。



【12月の表紙】

2019・12・25 東海道本線 東京−品川 (NikonD850 AF-SNikkor35oF1.8G ISO12800)
コロナ禍に翻弄された2020年も最後の月を迎えた。 去年の今頃は4度目の三道嶺ツアーに心躍らせながら、密閉空間の貿易センタービル展望台に「踊り子」見物に出かけていたことを思うと、僅か1年とはいえ隔世の感がある。 振り返れば、人類は10年周期で歴史の転換点ともいえる大きな事象に直面してきた。30年前の1990年はドイツが東西統一し、翌91年にはソ連が崩壊した。 2001年には9・11テロが発生し、「テロとの戦い」に世界が振り回された。そして2011年は東日本大震災。あれから間もなく10年が経つが、未だに被災地の爪痕は深い。 今年の世界規模での感染症の大流行も、いずれこうした歴史的文脈の中で語られることになるのだろう。

我々の場合、そこに思わず鉄ちゃん暦を重ねてしまう。 ドイツ統一の頃はさすがに私はカメラを握っていなかったが、9・11の年は山陰西部の国鉄キハが引退、テロの20日後には名鉄揖斐・谷汲線が廃止となった。 震災の時は常磐貨物運用に充当された原色ED75が津波に飲まれて荒野の中に取り残された。過ぎ去ってみると、どれもつい昨日のことのようである。 185系「踊り子」のカウントダウンと共に過ごしたウィルス対策の日々も、早く思い出の1ページとして語れる日が来ることを心から祈っている。



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