Top Page GALLERY 2019


【1月の表紙】

2010・01・01 内房線 上総湊−竹岡 (NikonF5 AN-INikkor500oF4ED RVP100)
2000年代後半から10年代前半にかけて、仲間4〜5人で宗谷ラッセル合宿を張って年の瀬を迎えるのが恒例になっていた。 この年も仕事納めと共に北海道に渡り、航空券の安い大晦日に帰京。 荷解きをしながら人並みに格闘技を観て新年を迎えた。 明けて元旦は関東一円快晴予報。初日の出を拝むついでに鉄初めでもしようではないか。未明の館山道を南下し、上総湊の鉄橋を見下ろす丘に三脚を立てた。 予報通り対岸にはみなとみらいのビル群が良く見えている。7時に2010年最初の日差しがアングルに差し込む。 間もなく下り電車がやって来るはずだ。低い朝日に照らされた113系が東京湾に踊り出たところを、思い切って長玉で切り取ってみた。

あれから9年、国内の被写体は大きく減った。 ここ3年は俗化した宗谷ラッセルにも嫌気がさして、海を越え中国の新疆ウイグル自治区で露天鉱の粉塵にまみれながら年を越している。 平成最後の鉄初めも、夜明け前の酷寒の中で火柱を上げる建設型の流し撮りだった。だが、彼の地の蒸機ももうそう長くはもたないらしい。 果てさて次の正月は一体どこで迎えることになるのだろう。



【2月の表紙】

2000・02・19 石北本線 下白滝−旧白滝 (NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 KR)
2月といえば北海道!大学時代はそんな合言葉と共に仲間と常紋峠を訪れるのが毎年の恒例行事になっていた。 19年前の冬も、関西から新日本海フェリーで渡道し、夜行「オホーツク」で現地入り。北見で借りたレンタカーに機材一式と寝袋を詰め込んで、過酷な冬合宿が幕を開けた。 雪深い山間部とはいえ、昨今流行の宗谷ラッセルに比べると晴れに恵まれる機会も多かった。 この日も朝からピーカンの天気に誘われて追っ掛けを実践! 9559レの1発目を白滝発祥の地で狙う。 間もなく静寂を破ってカマの咆哮が聞こえてきた。 銀世界にシュプールを描くDD51重連の貨物列車は、氷点下の線路際でファインダーを覗く我々に一瞬で寒さを忘れさせた。

翻って現在、撮影者の視点から見た北海道の鉄路の衰退ぶりは目を覆いたくなるものがある。 数年前に江差線が廃止となり、海峡線も新幹線の開業と共に3セクに転換させられた。現役蒸機最後の舞台だった夕張支線も間もなく歴史に幕を下ろそうとしている。 あれだけ道内各地で客貨の先頭に立っていたDD51もすっかり姿を消し、特急列車の代名詞キハ183も大きく数を減らした。 残された数少ない魅力的被写体であるはずの宗谷のラッセルも、守護神の矜持はどこへやら、最近では些細なことで運休が相次いでいるという。 試される大地、北海道。大自然の中の鉄路の輝きを、もう一度取り戻すことはできないのだろうか。



【3月の表紙】

2006・03・15 東海道本線 早川−根府川 (Mamiya645PRO SEKOR A150oF2.8 RVPF)
12年前のこの時期は、「出雲」終焉と東京口の113系の引退が迫り、チャンスを見ては石橋界隈に繰り出していた。 ダイヤ改正は3月18日、「出雲」通過は6時少し前。日の出と重なるかどうか、ギリギリの攻防が続いた。 結局最終日まで日の出は列車に間に合わず、朝日を入れたシルエットは極まらなかったが、副産物として「湘南ライナー」回送の185系は理想的な条件で撮ることができた。 塗装こそ湘南ブロック色だが、影絵にしてしまえば問題ない。平らな屋根に置かれた集中型クーラーと一段上昇窓が“らしさ”を伝えてくれた。

あの時は“ついで”で撮ったに過ぎなかった被写体も、時とともに貴重な記録になってくる。 今なお東海道線東京口で第一線を張る斜めストライプの185系は、LSEなき後、間違いなく湘南地区で最も注目される存在の一つと言えるだろう。 小田原−根府川間と区間は限られるが、 かつてのブルトレアングルを早朝に駆け上がって来る「湘南ライナー」に鋭い朝日が射し込むようになるまであと少し。 JR某のCMのように京都まで行かずとも、相模灘を背に「春はあけぼの…」を感じてみるのも悪くない。



【4月の表紙】

2018・03・29 いすみ鉄道 上総東−西大原 (NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8VR RVP100)
桜の便りが聞こえ始めると、各地の鉄道情景を思い起こしてそわそわする日々が始まる。 天気は?開花状況は?仕事の都合は?三つの要素が揃って初めて撮りたい1枚をものにすることができる。 チャンスは年にたった一度。かれこれ数年越しの課題も少なくない。その中の一つがいすみ鉄道だった。 キハの復活以来、地の利を生かして足繁く通ってきたつもりではあるが、何しろ4月上旬は新年度がスタートしたばかりで職務多忙。 その上房総の山中と都心に近い千葉県西部では開花の状況が結構違う。毎度空振りを食らい、チャレンジすること7年目の春、ようやく条件が揃ったのだった。

この日は社長ブログで事前に試運転が告知されていた日。足早に列島を駆け上る今年の桜前線のペースからすれば、ドンピシャで満開になるだろう。 平日ならば人出も少なく平和に撮影できるはずだ。年度末ギリギリの有給を突っ込んで、朝から沿線に繰り出した。 案の定撮影地は空いていて、脳内に描いていた絵を1枚ずつフィルムに写し取ってゆく。 そして午後の部。上総東の直線では、今を盛りと咲き誇る桜が文字通りの花道を作ってキハの登場を待っている。 300oで切り取った構図に、タイフォン一声、タラコのゴーニーが左右に車体を揺らしながらゆっくりと姿を現した。 3月改正のキハ減便でこのシーンが見られなくなったのが残念でならない。



【5月の表紙】

2006・05・20 小坂鉄道 茂内駅 (NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100)
5月といえば新緑の山々や水を張ったばかりの田園地帯を行く列車をすぐ連想し、そのような写真で表紙を飾ってきたが、毎年類似のカットではマンネリ化も避けられまい。 今回は少し趣向を変えて、こんな1枚でいってみよう。13年前の初夏の週末は、花輪線にキハ58・52の原色コンビが入るというので終夜運転で盛岡地区を目指した。 狙い通りの淡い緑の景色の中で終日お目当ての列車を追い掛け回し、お腹一杯の大満足。夜は翌日のブルトレ撮影のために大館でマルヨすることにした。

風呂上がりにふと見上げると、漆黒の空には満天の星。思わずインスピレーションが浮かんだ。そうだ、茂内に行こう! 車で数分、小坂鉄道の茂内駅は夜闇の中に沈んでいた。車の停め位置を調整しハイビームで照らすと、目の前に思い描いたイメージが浮かび上がった。 小坂名物の腕木信号機と輝く無数の星々。あとは構えてシャッターを切るばかり。 北の方角に向けて広角ズームでアングルを決める。 天体写真の勘どころはよくわからないが、F5をバルブ設定にしてしばし天体観測を楽しんだ。1週間後、ドキドキしながらアガりのポジを確認する。 フィルムには、想像以上の鮮やかさで腕木と背後で円を描く星々が描き出されていた。



【6月の表紙】

2015・06・07 奥羽本線 八郎潟−鯉川 (PENTAX67TTL smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1))
列車通過時刻まであと僅か。山の上の俯瞰ポイントまでわき目も振らずに登り続ける。 麓から20分弱、視界が開けると、眼下には田植え直後の水田が青と緑のパッチワークのように河口まで続いていた。 日本最大の干拓地、八郎潟を一望できる高岳山からの俯瞰ポイント。 どこまでも広がる田園風景に、構図次第では寒風山まであしらうことができる、米どころ東北を象徴するような撮影地である。 だが、今は見とれている場合ではない。息を整えながら手早く三脚を立てる。 67とデジをセットし終えると、間もなく弘前から秋田に帰る団臨運用の583系が姿を現した。陽は高いながらも、念願のアングルで念願の被写体を押さえることができた。

いよいよ雨の季節だが、夜行列車を狙っていた頃は、梅雨入り前の6月上旬の晴れ間は絶好の撮影日和だった。 このときも本命は海峡線の「はまなす」。中小国のストレートを極め、弘前団臨の583系をシラジンの俯瞰で迎撃。 更にその返しを追っ掛けてここまで南下したのだった。しかし、令和の世になった今日、東北地方に定期の夜行列車はない。 かくなる上は7月末の急行「津軽」までに梅雨が明けてくれるのを願うばかりである。



【7月の表紙】

2018・07・28 磐越西線 馬下−猿和田 (NikonD850 AF-SNikkor300oF2.8VR ISO200)
七夕、海の日、山開き…言葉から連想されるイメージとは裏腹に、7月は意外なほどに天気に恵まれない。 それもそのはず、本州では中旬過ぎまで梅雨前線が停滞し、集中豪雨に見舞われることもしばしば。 その上学期末の処理業務に夏期講習が重なって、鉄ちゃんどころではない状況に追い込まれることも珍しくない(汗)。 というわけで、当サイトも毎年のように表紙写真のセレクトに苦慮している次第である。

昨年の7月は、広島が豪雨災害に見舞われ、関東関西では記録的な猛暑。通常とは逆コースで東から西へ台風が駆け抜けるという珍事まで起きた。 そんな月末の日曜日、新潟方面に晴れ予報を見つけて出撃した。ターゲットはカマ故障でDL代走になった「ばんえつ物語号」。 返しを山都−荻野のSカーブから始め、野沢の49号クロスを挟んで馬下まで追っ掛けて来た。 沿線の田んぼはどこも緑一色に染まり、盛夏の里山を絵に描いたようだった。18時過ぎ、強烈な夏の日差しもようやく地平線近くまで傾いてきた。 間もなく踏切が鳴り、蝉時雨を切り裂くようにエンジン音を響かせながら、西日を浴びたDEが近づいてきた。



【8月の表紙】

2017・08・20 五能線 八森−東八森 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
膝下まで蔓草に覆われた道なき道を、息を切らせながら登り詰める。今朝の天気予報では、この日の最高気温は35度を超えると言っていた。 汗止めに巻いた頭のタオルは全く役に立たず、目に入ったしずくがしきりに視界を遮る。登り口から約20分、電波塔の建物の脇に出ると、突然視界が開けた。 左を見れば、色づき始めた田んぼの中を一直線に貫く細い鉄路。右を見れば、弓なりに続く海岸線と遠くに霞む寒風山のシルエット。 八森の山上から見下ろすランドスケープは、思わず息をのむほど雄大だった。間もなく17時の時報とともに、タラコ2連の323Dが眼下の東八森駅を後にする。 35判300oで田園地帯を切り取ってから、おもむろに67をセット。車が並走しないことを祈りながら、海沿いのSカーブに差し掛かったところを165oで切り取った。

冬場の荒れた姿ももちろんだが、日本海は夏の穏やかな表情も魅力的。 山陰の五十猛や田儀界隈、信越線の米山俯瞰など、学生時代以来お盆休みには日本海岸を旅することが多かった。 そこには工業化にひた走る太平洋ベルトとは対照的に、時代に取り残されたような鄙びた街並みが広がり、 最新型のステンレス電車に比べるとかなりくたびれた国鉄型の老兵たちがなお矍鑠と生き続けていた。 それでも均質化の波が容赦なく襲う21世紀、山陰も日本海縦貫もJR型に侵食される中、北東北の五能線はもはや最後と言ってもいい聖地。 群青色の水平線を背に走るタラコ色のキハをフィルムに焼き付け、私は満ち足りた気持ちで山を下りた。



【9月の表紙】

2015・09・21 東北本線 越河−白石 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
まだまだ残暑が続くとはいえ、田んぼの色は緑から黄色へとゆっくりとだが確実に変化する。 収穫の季節を迎えた東北は、ちょっと前まで柔らかい光線で国鉄型の名優たちを追う恰好の舞台であった。 この日は「会津まつり号」で仙台の485系が会津若松まで入った。ヘッドマークは白幕「臨時」の可能性が高い。 ならばサイドがちで撮れる越河俯瞰の一択である。未明からの場所取り合戦を制してベストポジションにペンタ90を据えた。

田んぼは右から約半分が刈り取られていたが、代わってぽつりぽつりと稲架掛けが立ち始めていた。 一般的には長い横木に布団を干すように稲穂を掛けるが、 東北地方では1本の杭に互い違いの向きで穂を重ねる杭掛けをよく目にする。 その姿から、仲間内では“子泣きじじい”などと呼んでいたっけ。そんなみちのくの風物詩を横目に、6連の特急色が軽やかにファインダーを駆け抜けてゆく。 これぞ実りの秋。だが近年、乾燥機で効率的に作業をする農家が増え、稲穂を天日干しする光景はもはや風前の灯火になっているという。 消えてゆくのは車両や列車だけではないようだ。



【10月の表紙】

2001・10・06 気仙沼線 柳津−陸前横山 (Mamiya645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1))
今から18年前の10月、みやぎ国体に伴い石巻〜気仙沼線経由で柳津まで御召列車が運転された。 両毛御召を現役受験生として、 山田・釜石御召を浪人生として迎え、指を咥えてニュースで見る鉄でやり過ごすしかなかった悔しさを晴らす機会がついにやって来た。 当時は超氷河期の中どうにか就活を終えた大学4年生という暇を持て余していた時期だけあり、早々に現地入りしてロケハンをしながら貨物やキハにシャッターを切っていた。 快晴に恵まれたこの日は本番の返却回送の撮影地として目を付けていた柳津の鉄橋へ。杭掛けを横目に駆け抜けるヨンマル・ニッパの快速「南三陸」を捉えた。

先日、金色田んぼのDE貨物を撮りにこのエリアを訪れた。 前谷地−涌谷のトンネル抜けなど石巻線の有名ポイントが健在だった一方で、気仙沼線は柳津で分断され、そこから先は線路跡をバス専用道に転用したBRTへと姿を変えていた。 柳津の少し北に位置するこのアングルも、もう二度と見ることは叶わない。 岩手開発鉄道の撮影後に陸前高田を訪れたときもそうだったが、あらためて震災の爪痕の深さを痛感させられた。



【11月の表紙】

2016・11・16 上越線 水上−上牧 (PENTAX67TTL smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
機材をセットしてから約30分、2台の67のストラップが雲台に巻き付いては解け、また巻き付いて… を繰り返している。 晩秋の諏訪峡大橋には早くも冬の到来を告げるような冷たい風が吹き荒んでいた。 確かに、ここから北に見える谷川岳はじめ上越国境の山々はすでに雪雲を被っている。北関東が紅葉のピークを迎える頃、雪国ではもう冬支度に入る時期なのだ。 季節を追って撮影をしていると、関東在住の日々からはなかなか想像できない日本海側の厳しい冬の顔にもふと思いを馳せてしまう。11月、今年も秋が終わろうとしている。

この日の目的は、いよいよ終焉が迫った高崎の115系だった。 つい先ごろまで全国各地に見飽きるほど走っていて、本命前のピン電といえばコイツと相場が決まっていた直流近郊型電車のスタンダードも、 気付けば数を減らし、原色ともいえる湘南色を纏った仲間は数える程になっていた。 上越・信越・吾妻線などで活躍を続ける馴染みの電車と紅葉の最後の組み合わせを極めようと沿線に繰り出した。 1台は90oのタテ構図、もう1台は75oのヨコ構図で渓谷と色づく木々を多めに入れてみた。 秋の日は釣瓶落とし、瞬く間に陰った渓谷の先に、MT54のモーター音を響かせて、見慣れた電車が颯爽と姿を現した。



【12月の表紙】

2016・12・31 哈密三道嶺 北二砿−南站 (NikonD800 AF-SNikkor35oF1.8 ISO200)
広漠な大地に、2016年最後の陽が落ちようとしていた。靄った西の空は淡い紅に染まり、群青色の上空にかけて絶妙なグラデーションを描き出している。 もう露出はない。普通に撮るには苦しいとみて、線路の東側に陣取り、シルエットを狙うことにした。早く来い! 皆が願う中、遠方に煙が上がる。重量級の貨車を北二砿から引き出して、歩くほどの速さで建設型が近づいてきた。 喘ぐようなドラフト音を響かせながら、 目の前を鋼鉄の巨体がゆっくりゆっくりと過ぎてゆく。 このサミットを越せば、後はひたすら下り坂。白煙をたなびかせ、汽車は茜色の地平線へと去って行った。

あれから3年、いよいよ中国最後の大型蒸機の楽園に終焉が見えてきた。次の冬を迎える前に、西域に残された建設型に引退の時が訪れるという。 それに加え、最近盛んに報道されている中国政府による新疆ウイグル自治区への抑圧政策。 確かに、行く度に検問所が増え、街中には監視カメラが増設され、店主が拘束されて閉店に追い込まれた食堂なども目にするようになった。 我々外国人入境者に対する警戒も強くなっている実感がある。だが、そこに蒸機がある限り、行かないという選択肢はない。 この年末年始が我々にとって最後の三道嶺ツアー(推定)、無事に戦果を上げて帰還できることを心から祈る次第である。



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