Top Page GALLERY 2018


【1月の表紙】

2015・01・18 伊豆急行 川奈−富戸 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1))
国鉄型・国鉄色が次々と消えていく中で、逆に国鉄色に復活する名優もいる。 ただ、古くは九州の485系や475系、盛岡や新津のキハ58・52など、イベント的要素で数両もしくは数編成が伝統のカラーリングに返り咲いた例はよくあったが、 全編成が純粋にオリジナルカラーに蘇えるという例は極めて珍しい。 被写体の枯渇がいよいよ深刻になってきた今日、“ハズレ”なく斜めストライプがやってくる185系の「踊り子」は、にわかに鉄ちゃんたちの脚光を浴びるようになってきた。

この日は伊豆急100系のイベント運転をメインに伊豆半島を訪れた。 伊豆稲取の俯瞰と片瀬白田の海バックでベールブルーの単行電車を押さえた後は、ロクイチの牽く「サロンカー踊り子」以来の名所川奈の鉄橋で185系を迎え撃つ。 冬ならではの視程に恵まれ、ペンタ300で構えると、遥か伊豆大島から房総半島までが画面に入った。 まだ全てが原色には戻っていなかったため、1本目の「踊り子109号」は157系もどきのOM08編成、2本目の110号は湘南ブロック塗装だった。 次こそは!15時30分、「踊り子117号」がトラス橋に姿を現す。来た、オリジナル塗装!堂々10連の斜めストライプが、午後の低い日差しを浴びて檜舞台に躍り出た。



【2月の表紙】

2008・02・10 只見線 会津西方−会津桧原 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
この頃、鉄塔の袂に登る山道は全く整備などされていなかった。道の駅に車を停め、長靴にかんじきで足元の装備を固めて一歩一歩足跡を辿りながら斜面を上がる。 時に膝まで沈む登坂は楽ではないが、雪のない時期の朝露でぬかるんだ獣道よりははるかにアプローチは容易だった。 木立を抜けて周囲が開けると思わず息を呑んだ。空の青を除くと、川面から山並みまで一面モノトーンの世界。 時が止まったかのような景色の中、アーチ橋に朝日が射し込み始めたところだった。9時を回り、ようやく鉄橋の全体に光が回った。 間もなく2連のキハがステージに現れる。いまや日本のローカル線を代表する名シーン。静寂に支配された渓谷に、ゆっくりとジョイントを刻む音だけが響いてきた。

近年、しばらく雪国に撮影に出掛けていない。 凛とした空気、全てを覆い隠した白銀の大地、普段以上に濃く高い青空など、そのシチュエーションは現地に飛び込みさえすれば写欲をそそることは間違いない。 しかし、そこにどんな車両が登場するのか…を考えたときに二の足を踏んでしまうのもまた事実。 大糸・米坂・花輪線など豪雪地帯の山岳路線から国鉄型キハが消えて久しく、宗谷ラッセルも俗化著しくて思うようには撮らせてもらえない。 ならば、やはりこう呟かざるを得ないのか。「そうだ、只見行こう」



【3月の表紙】

1997・03・02 根室本線 新得駅 (OLYMPUS OM−1 ZUIKO50oF1.4 RDPU)
DE重連の貨物を追い掛けて釧網本線に籠っていた20年余り前、定宿は「おおぞら」の新得返しだった。 とはいえ上下の夜行列車を乗り換える、世に云う“新得ターン”は乗り換え時分が短いためリスクが高い。 昼行最終便の12号で新得に入り、暖房の効いた待合室で仮眠してから深夜の13号で釧路に戻っていた。 人気のない待合室は不気味でもあるが、そこは道東への大動脈根室本線、貨物のバルブには事欠かなかった。この晩もDDが牽くタキの専貨が入線。 小さい三脚と50oを付けたOM−1で、水銀灯に照らされたタンカートレインを記録する。しばしの休息の後、ベンガラ色の凸型DLは唸りを上げて漆黒の闇に消えていった。

春まだ浅き…とはいえ日中の日差しの角度がだいぶ“らしく”なってきた今日この頃。 北日本では今後も雪との戦いがしばらく続くだろうが、南九州や房総などでは菜の花が咲き始め、新たな季節の息吹が感じられるようになる。 桜・新緑・水鏡…これから数ヶ月は景色が彩を取り戻し、鉄道歳時記を狙う者にとっては多忙な時期となる。 魅力的な車両・列車が枯渇しきった感もある中で、今年はどうやって発想を転換していけばいいだろうか。



【4月の表紙】

2014・04・15 中央本線 新府−穴山 (PENTAX67 smcPENTAX200oF4 RVP50(+1))
今年の桜前線は例年になく速いペースで北上を続けている。新年度を迎える頃には東京近辺はすっかり桜吹雪も過ぎ去って、街路樹からは新芽が顔を出し始めている。 この早咲きに連日の晴天が重なったお蔭で、割合仕事に余裕がある3月末に桜カットを稼ぐことができたのは嬉しい限り。たまにはこんな春があっても悪くない。

普段は新年度準備もひと段落した4月半ばからでないとできない花巡業。 この年は山スカ115系に先が見えてきたということで、勤務先の創立記念日の休みに中央東線に出掛けた。 朝は甲斐大和の駅で切通しに咲き誇る桜並木との組み合わせを押さえ、昼前後に甲斐駒ヶ岳バックで有名な新府−穴山の桃源郷カーブに移動した。 このポイントでは桃の花が見事に満開。陽当たりのよい斜面に薄紅色の可憐な花をつけた木々が低く枝を伸ばしていた。 無理に編成を入れるより、山と花の組み合わせがこの場合の勘どころ。立ち位置を工夫してペンタ200で構図を決めた。 線間のタイガーロープを気にして、敢えて後追いの下りを狙う。鶯のさえずりの合間に響いてきたモーター音を聞きながら、ノーファインダーでシャッターを切った。



【5月の表紙】

2007・05・04 大糸線 頸城大野−根地 (NikonF5 AFNikkor50oF1.4 RVP100)
一昔前まで、5月の連休には迷うことなく中央道を西下していた。目指すは、新緑残雪の風景にツートン・タラコのキハ52が映える大糸線。 雪解け水で増水した姫川渓谷に国鉄色の老兵を追うだけで充実した日々を送ることができた。 この年も3年連続の大糸詣で。朝一のキハを頸城大野の俯瞰で撮った。さて、次の南小谷行きをどう切り取ろう。 山を下りると、麓の小さな田んぼではちょうど田植えの真っ最中。農家のおっちゃんに特別出演をお願いし、春の情景を絵に仕立ててみた。

毎年のように楽しませてもらった大糸のキハも2010年3月で引退。 その後は北近畿エリアの国鉄色特急、Do32編成の臨時「にちりん」、磐西の「あいづライナー」とGWの被写体は変遷したが、それらは全て鬼籍に入ってしまった。 最後の国鉄特急「踊り子」も、わざわざ水平線の霞むこの時期に狙う被写体ではない。残る目ぼしい被写体は津軽鉄道の桜臨客レくらいだろうか。 とはいえ今年は桜前線が駆け足で北上し、芦野公園は4月末でもう桜吹雪に花筏。 八方塞で打つ手もないまま間もなく始まる連休後半、とりあえず大糸の憧憬を求めて近場のいすみ鉄道に足を運ぶことになりそうだ。



【6月の表紙】

2014・06・14 吾妻線 祖母島−小野上 (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1))
日中、気温の上昇とともに雲が広がった。仲間3人とこの場所に立ったものの条件は良くない。「再履修かぁ…」とボヤくうちに日が傾いてきた。 時計の針が17時半を回る。と、突如眼下に劇的な光景が広がった。太陽が高度を下げ、雲の下から西日が射し込んだのである。 斜光に輝く鉄橋、河原に長く伸びる影。時刻表を見るとあと15分ほどで下り電車がやってくる。気合を入れてアングルを調整。 ペンタ400で構図を決めた。間もなく祖母島駅に電車が到着。4連の115系は水田地帯をゆっくり加速しながら、切り位置の鉄橋に差し掛かった。

EF81、キハ58、103系…この10年で、大いなる普遍と思われていた量産型国鉄車両が次々舞台を去ってきた。それでもまだまだ大丈夫だろう。 彼らが日常に溶け込んだ普遍であるがゆえに、その危機感を我々は忘れがちであった。 しかし、世代交代の波は確実に訪れ、ついに永遠なる115系の牙城と思われた高崎からも湘南色の姿が消えた。 八ッ場ダム工事に伴う新線切り替え以来幾度も訪問を重ねた上州の盲腸線も、これで冬場のカッター以外ほとんど行く機会がなくなってしまった。



【7月の表紙】

2008・07・13 米坂線 中郡−成島 (NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100)
青田を照らす太陽がようやく西に傾いてきた。1年で最も夕方が長い季節。17時を回っても日差しは肌を焼くようだった。 それでも、今日は夏にしてはヌケは上々。クッキリとまではいかないものの、遠く米沢盆地の向こうに飯豊の稜線が青く霞む。 67は広めにペンタ300で構えた。 ならば35判はサンニッパで切り取り構図にしてみよう。 緑のタイルを敷き詰めたような田園地帯に国鉄色のキハはよく映えるはずだ。 やがて、軽快なジョイント音を響かせながらツートン・タラコのコンビが登場。置賜の夕景を、2両の気動車はゆっくりと走り去って行った。

思い返すと、あの頃は梅雨明けが待ち遠しかった。深緑の山に青い空、早朝5時から夕方6時まで、この時期にしか撮れない被写体が各地に散らばっていた。 翻って今日…ローカル線に国鉄色キハはほとんどなく、夜行列車も壊滅状態。 今年は例年になく早々に梅雨明け宣言が出され晴れの日が続いたが、急に青空が広がっても被写体は思いつかないし、そもそも仕事が多忙で動くことさえままならない。 とりあえず、学期末業務に勤しみながら夏休みの計画でも練るとしよう。



【8月の表紙】

2015・08・08 福知山線 柏原−谷川 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
夏らしい絵を描くには、一面緑の田園風景、真上からの光線に青く煌めく大海原、大輪の花を咲かせる向日葵など思い浮かぶモチーフは事欠かないが、 なかなかどうしてお気に入りの車両と絡めて1枚の構図に収めるのはそう簡単ではない。 中でも難しいのが入道雲。列車が通過するずいぶん前から、刻々と姿を変え、高さを増すのを眺めつつアングルを微調整する。 ときに形が崩れ、ときに成長し過ぎて画面一杯雲だらけになり、ときに風に流され画角の外に消えていってしまう。ファイルを見返しても、入道雲の納得カットは数えるほどしかない。

北近畿エリアに国鉄特急型を追っていた3年前の夏。この日は程よい形と高さに期待して、柏原の通称“りぼんカーブ”で構えてみた。 レンズは標準。緑の田んぼから青い空まで広く入れて列車を待つ。雲塊は徐々に左に流れ始めた。早く来てくれ! 畦道に集まった十人余りの願いが通じたか、程よいバランスのタイミングで踏切が鳴った。蝉時雨をBGMに、懐かしいモーターの音が響いてくる。 間もなく、下り勾配の大カーブに特急色の381系が颯爽と姿を現した。



【9月の表紙】

2000・09・13 集通鉄路 上店ー六地溝 (MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1))
迂回貨物に向けたDD51試単で久々に山陰が盛り上がっているのを尻目に、この夏もまた海外に足を向けてしまった。 南ドイツバイエルン州のアルゴイ地方では、メミンゲン経由の本線の電化工事に伴い、ケンプテン回りでミュンヘンとチューリヒを結ぶ国際特急EC(ユーロシティ)が迂回運転中。 さらにオーストリアのアールベルグ線も工事中とのことで、貨物に夜行にと珍しい列車が目白押し。 一面緑の牧草に覆われた丘陵地帯を縫うように、複線非電化の堂々たる鉄路が幾重の弧を描く絶好のロケーション、そこを駆ける朱いDL牽引の長大編成を見て、 我々は“迂回列車”ここにあり!と歓喜の声を上げたのだった。

思い返せば、初めての海外旅行は中国だった。目的は、当時世界の蒸機マニアの注目を集めに集めていた内蒙古自治区の集通鉄路。 本線を退きつつあった前進型が新規開業した第三セクター鉄道に集結し、大興安嶺の難所経棚峠に挑む姿は、国境を越えて人々の心を揺さぶった。 厳冬期の白煙大爆発もいいけれど、まずは貧乏学生らしく航空券の値が落ちた9月に、まだ草原に緑の残る景色を求めて海を渡った。 初日の夕刻、サミットに大型蒸機が重連で現れる。この1枚が私の海外鉄ちゃんファーストショット。以来、鉄以外で渡航したことは仕事を含めても3度しかない…。



【10月の表紙】

2013・10・06 山陰本線 三見−玉江 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
この1ヵ月、私自身は参戦することはなかったが、ネットその他で山陰の海辺を走るDDの勇姿を目にする機会が多かった。 ふと感傷に浸って時刻表を繰れば、出雲市以西に田儀・五十猛・折居など懐かしい駅名が並び、学生時代にカブを転がして巡った撮影地の数々が思い浮かぶ。 群青色の大海原を背景に、潮風に乗って行き来する国鉄型車両たちの姿は、20年近く経った今でも脳裏に鮮明に焼き付いている鉄道原風景の一つである。

このときは、長門市の主催した団臨で大サロが走ると聞いて関西‐D.W先輩、コサカミ氏と久しぶりのサンタマに乗り込んだ。 が、かつての長閑な様子はどこへやら、滅多に入らない臨客目当てに猫も杓子も鉄という鉄が大集合。 海バックの定番の丘は早朝から殺伐とした雰囲気に包まれていた。 過去幾多の激パニックした撮影地にハスキーをねじ込んできたが、さすがにもうそういうお年頃でもなくなってきた。 第一天気は予想外に雲多め、カマにも残念なマークがついているという。 だったら敢えて人と趣向を変えて、こんな撮り方でどうだろう? 間もなく、渚を滑るように、サロンカーをエスコートしたデーデーがゆっくりとファインダーに現れた。



【11月の表紙】

2014・11・08 磐越西線 更科(信)−磐梯町 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1))
先月の鉄道各誌は、こぞって『ヨンサン・トオから50年』の特集を組んだ。 一部の超主要幹線のみに設定されていた「特別急行列車」が全国津々浦々に張り巡らされることになった国鉄史上もっともエポック・メイキングなダイヤ改正において、 その立役者となったのが特急型の普遍的スタイルを築いた485系であったのは言を待たないだろう。 そんな彼らが線路上を去って、早2年の歳月が経った。 北は青森から西は大分まで、各地に伝統の特急色を追ってきたが、最後の最後に残されたのは磐西に臨時運用を持つ仙台所属の車両だった。

かつて特急「あいづ」が駆けた磐梯山麓の地は、四季折々実に美しい沿線風景を見せてくれた。この日は昔の面影を残す快速「あいづライナー」を撮りに出撃。 朝一の上りを紅葉の中山宿俯瞰で撮ってから、狐塚のカーブに転戦した。 ペンタ300で均整の撮れた会津富士の姿を画面いっぱいに配し、列車は左下に控えめに置く。 主役の姿は小さいけれど、ベッタリ順光の晩秋の日差しが特急色を引き立ててくれるはずだ。間もなく、林の向こうからMT54の甲高い唸り声が響いてきた。



【12月の表紙】

2010・12・26 中国鉄路総公司図佳線 佳木斯站 (NikonCoolPixS510 35o相当 ISO400)
初めて海外で年を越したのは8年前のことだった。 黒竜江省に残る樺南森林鉄路のC2型をターゲットに、 関西-D.W.先輩・J-Bird氏と中国に渡った。 北京から国内線に乗り換えて哈爾浜へ。そこでガイドの王国軍氏と合流し、夜行列車で一晩の旅となる。 ビールを片手に情報交換するうちすっかり夜も更け、軟臥の3段ベッドに潜り込んだ。 途中幾度か寒さで目覚めてカーテンを開けると、窓の縁には冷凍庫のように氷がこびりつき、外は猛烈に吹雪いているようだった。 翌朝未明の佳木斯(ジャムス)で下車。ここから乗り換え、樺南まではさらに2時間の旅程となる。だが、この尋常ではない寒さは本物だったようだ。 沿線は67年ぶりという大雪に降り込められて林鉄は運休。鶏西に転戦してそれなりの戦果は挙げたものの、壮大な空振りツアーになったのだった。

期待の列車は撮れず仕舞いだったが、夜行列車の旅は楽しかった。夜のターミナルを静かに走り出す寝台客車の長編成。 車内で酒を酌み交わし、闇を流れる街の灯りを眺めながら行く先の情景に思いを馳せる…。国内でブルトレがなくなってから、海外の鉄路に目を向けることが多くなった。 我々が被写体として熱い眼差しを向ける“鉄道”の魅力は、単に「国鉄型だから…」とか「原色だから…」といった表面的なものではなく、 案外こうしたそこはかとなく漂ってくる旅の匂いにあるのかもしれない。



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