Top Page GALLERY 2017


【1月の表紙】

2011・01・01 鶏西鉄路 城子河北場 (NikonD700 AF-SNikkor24-70oF2.8 ISO200)
西の空に浮かぶ雲を茜色に染めて、大陸の北辺に冬の短い日が沈もうとしていた。ロシア国境にほど近い中国黒竜江省鶏西。 本命だった樺南森林鉄道が大雪で運休となり、炭鉱に今なお残る上游型を訪ねて彼の地に転戦した。 しかし、数年前まで郊外各地に広がる幾つもの路線に蒸機が闊歩していたというこの地にも無煙化の波は急速に押し寄せ、 相次ぐDLの導入や電化工事の進展によって、SLの姿が見られるのは城子河地区の専用線を残すのみとなっていた。 日没が迫る中、ガランとしたヤードに1両だけ機関車が佇んでいた。もう普通の光線は望めない。 真冬らしい鮮やかなグラデーションに染まる空を背に、シルエットを抜いてみよう。ローアングルからあおるように24oで煙をたなびかせる機関車を見上げてみる。 蒸気機関車は、確かに生きていた。

鉄ちゃんというやつは、常にあと10年早く生まれたかったと口にする。 私も例外ではなく、あと10年早く生まれていれば北海道のローカル線を堪能し、板谷峠に通い、碓氷のロクサンを満足いくまで撮ったはずである。 だが、叶わなかった夢が海の向こうで叶うこともある。間に合わなかったはずの現役の蒸気機関車の勇姿を、私は酷寒の中国東北地方でこの目に焼き付けることができた。



【2月の表紙】

2016・02・03 吾妻線 祖母島−小野上 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
遅れブルトレも特雪もなくなった冬、関東に残された数少ないターゲットの一つが吾妻線の霜取りクモヤだった。 他に撮るものもないし、ちょっと行ってみるか!軽い気持ちで祖母島界隈に出掛けたのが2年前のこと。 景色は冬枯れだが、日の出直後のギラギラの光線を浴びてやって来る単行電車は何とも魅力的だった。しかも1〜2月の渋川は全国でもトップクラスの晴天率。 なんだ、こんな美味しい被写体がまだあったではないか。それ以来、機会あるごとに未明の関越を下るようになり今年で3シーズン目になる。

2月上旬、南東方向に山があるため、線路に陽が入るのはまだ7時を回ってからと遅い。 列車のダイヤと見比べると、必然的に撮影ポイントは小野上以東に限られる。 おのこのトンネル飛び出しや祖母島駅先端のような顔面アップもカッコイイけれど、この区間で吾妻らしいといえば双耳型のピークを持つ榛名山の威容だろう。 山腹の小道から後追い気味の構図で狙えば、吾妻川を渡る鉄橋の背後に独特の山頂が顔を出す。 ペンタ165oでセット完了! 7時10分、ようやく切り位置から影が抜けた。間もなく眼下で踏切が鳴ると、上州名物の空っ風に乗って甲高いモーターの音が響いてきた。



【3月の表紙】

2014・03・16 いすみ鉄道 新田野−上総東 (NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100)
今年の2月はとにかく多忙で、撮影に出ることもほとんどないまま過ぎてしまった。 受験シーズンを乗り切って数日、卒業式が終わってふと外を見ると、いつのまにか陽光が強くなっていた。 空気はすっかり春、無彩色の景色に少しずつ彩りが戻ってくる。新たな季節の幕を開けるのは、線路際に群生する菜の花から。 バラストに沿って鮮やかな黄色い花道ができるのが今から待ち遠しい。

毎年のように春を感じに行く場所の一つがいすみ鉄道である。 レールバスが黄色基調のカラーリングなのは県花でもあり同線の名物でもある菜の花に由来するとのことで、 確かに3月中旬になるとあちこちの築堤が絨毯を敷いたかのように花の色に染まる。 そこを週末ごとに国鉄型気動車が走るのだから、本線系の被写体が枯渇しきった昨今では堪らない魅力を備えた路線といえるだろう。 この日もポカポカ陽気に恵まれて、小さな踏切脇に三脚を立てた。光線が中途半端な午後一番の列車は編成で撮っても仕方ない。 前景に花を配し、52・28の連結面を背後にブラして季節感を出してみた。



【4月の表紙】

1997・04・10 信越本線 横川駅 (OLYMPUSOM−1 ZUIKO135oF2.8 RDPU)
2017年は、長いスケールで見るとルターの宗教改革から500年、ロシア革命から100年、 短いスケールで見ると国鉄分割民営化から30年、碓氷峠廃止から20年、鹿島鉄道廃止から10年の節目の年である。 ついでに言うと当サイトも4月1日をもって開設から10年が経過した。 「撮影日記」が“DEATH NOTE”と化してしまうほど撮りたい被写体が消え、機材も急速にデジタル化が進む中で、 よくここまで国鉄型と銀塩写真にこだわって続けてきたものだと自分でも呆れてしまう。 とはいえ、これも偏に日々ご覧くださっている方々あってのことなので、今後とも海外に視野を広げたりしながらできる限り継続していければと考えている。

さて、そんな今月の表紙は碓氷峠のEF63である。 浪人生になったにもかかわらず、予備校生活が始まる前に18きっぷを消化するためと称して横川を訪れた。 丸山変電所付近はまだ咲き初めだったが、機関区脇の桜は見事な満開。1日の撮影の締めくくりに、薄暮の時間をバルブに充てた。 尾灯を1灯光らせて、ブルーモーメントに佇む15号機。静かな峠の麓にロクサン特有のブロワー音だけがただ鳴り響いていた。



【5月の表紙】

2016・05・22 津軽鉄道 川倉−深郷田 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
津軽半島を南北に延びる本州最北の私鉄、津軽鉄道。 定期列車こそレールバスのメロス号に置き換えられてしまったが、名物ストーブ列車のために今も凸型ロッド式DLのDD352と旧客が健在なのはご承知の通り。 鄙びた沿線風景と昭和40年代テイストの名優の組み合わせに惹かれて、カマの出番をチェックしては同線を訪れている。 この日は有志の工臨チャーターに参加して沿線を駆け回った。天気は快晴! 抜けるような青空の下、水を張った田んぼに挟まれて海の中道のようになった線路を、ブドウ色の古武士がへろへろとやって来た。

数年前まで、津軽の地は文字通り最果てだった。 東北道をほぼ無休で全線走破して約10時間、公共交通機関を使っても八戸乗り換えで「はやて」〜「白鳥」を乗り継ぎ5時間弱、そう気安く来れる場所ではなかった。 だが、東北新幹線の新青森延伸で状況が一変した。 「はやぶさ」で最速3時間余り、そこからレンタでひと山越えれば1時間もかからずに太宰治ゆかりの金木駅に到着することができる。 しかも、夏の立佞武多臨に秋の津軽まつり臨と、昔に比べてDL+旧客編成の出番は確実に増えつつある。そんな今だから、流行りのフレーズをここでも言わせてもらいたい。 「東北でよかった!」



【6月の表紙】

2008・06・01 大糸線 北小谷−中土 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
「五月晴れ」の「五月」というのは本来旧暦の5月のことを指し、従って梅雨の合間の晴れのことを意味するのだという。 梅雨の合間は難しいにしても、我が統計によると、6月上旬の梅雨入り直前は例年結構な確率で晴れに恵まれている。 前線以北の乾いた空気と早い日の出、夜行列車を撮るのにこれほどの好条件はない。 この日は北陸の朝三発、「北陸」「日本海」「能登」を撮りに高岡に出撃。無事目的を果たした後は、帰りがけの駄賃に当時のホームグラウンド大糸線に立ち寄った。 北小谷の定番で構えるも普通に撮るのでは面白くない。 見ると桐だろうか、眼下の木々が白い花を付けている。 いつもと違う立ち位置からペンタ165oで構図を練って、タラコ色のキハ52を切り取ってみた。

あれから約10年、夜行列車なるものはほとんど姿を消し、貨物牽引機も国鉄色が先頭に立つことはほとんどなくなった。 写欲を掻き立てる被写体もすっかりなくなった今日、せっかくの日の長い時期に我々は一体何をすればよいのだろう。 朝練スクランブル体制を敷き、晴れ予報に眠れぬ夜を過ごしたあの頃が懐かしい。



【7月の表紙】

2003・07・23 肥薩線 栗野−吉松 (PENTAX67U smcPENTAX300oF4ED RVP100)
静かな水面にハチロクが機影を映す球磨川沿い、春になると桜のトンネルができる西人吉、雄大なループとスイッチバックで蒸機時代から日本屈指の撮影名所だった“矢岳越え”…。 肥薩線は、撮影派ならずとも鉄道愛好者を惹きつけてやまない路線である。だが、峠を下った吉松以南は、嘉例川の木造駅舎以外はどうにもパッとしない。 九州色とはいえ国鉄キハが残っているのに、実に勿体ないことである。悪天候に辟易したこの日は、あまり期待はしないまま、旧山野線のループ跡を辿りながら栗野に出てみた。 と、栗野の近くに悪くないオーバークロスがあるではないか。手元の時刻表によれば、あと15分ほどで列車がやってくる。 ペンタ300で構えた構図にゆっくりと現れたのは、白地に青帯のキハ58・28だった。

国鉄解体から30年、各地でステンレス車体の味気ない軽快車両が幅を利かすようになり、被写体の枯渇に頭を抱える諸兄も多いことだろう。 そんな中、58・28は落ちたものの、気動車ではキハ40や66・67が今なお現役の九州は存外穴場のスポットかもしれない。 そろそろこの夏の行動計画を立てなければならない時期がやってきた。いつまで“鉄”が続けられるのかは不明だが、梅雨空を見上げつつも期待に胸膨らませる今日この頃である。



【8月の表紙】

2012・08・12 山陰本線 岡見−鎌手 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
夏になると、山陰の碧い海を思い出す。石州瓦の赤い屋根が続く集落、じりじりと焼けるような波打ち際の岩礁水平線の向こうの入道雲。 カメラを片手に藪をかき分けて丘に登り、獣道を伝って浜辺に下りた。 視界の先には本線というには頼りないレールが横切り、その上をキハ181や58・28、ときにツートンのキハ52 128 など幾多の国鉄型の名優が行き交った。 だが、そんな夢のような光景は21世紀も初頭で終焉を迎えた。 以後は特急からローカルまで大半の列車が新型ステンレス車両に置き換えられ、二度と本州の西の果てを訪れることはない…そう思っていた。

しかし、よくよく考えればまだまだ国鉄型のヒーローは残っているではないか!5年前の夏は、運転日と天気をチェックして、岡見貨物を狙いに山陰を目指した。 行きの列車を本俣賀のオーバークロスから岡見の展望台に追い掛け、益田への重連単機を岡見−鎌手の鉄橋S字で押さえた。 午後の部は、光線も程よく寝てきた16時前から。昔、特急「おき」や「石見ライナー」を狙った岩場から、今日はDD重単を迎え撃つ。 大学時代にスーパーカブでツーリングをしてから12年、 時が止まったかのようにあの頃のまま変わらない海辺の鉄橋に、2台のデーデーが轟音を響かせて躍り出る。 67のファインダーに青春が甦った。



【9月の表紙】

2014・09・29 函館本線 落部−野田生 (NikonF5 AFNikkor300oF4ED RVP100)
水平線の向こうから金色の太陽が顔を出した。噴火湾に光芒が伸びるにつれて、構図の中が鋭い光に染め上げられてゆく。 神秘的な光景にただ溜息をつきながらカメラ3台をセットした。ピンポイントの休みを狙ってのスクランブル発進。 仕事上がりに羽田に直行、最終便で千歳に入り、徹夜でレンタカーを飛ばしここまでやってきた。 普通の人から見れば酔狂も酔狂、常軌を逸した行動であろう。でも、人の目なんて気にしたって仕方ない、激Xカットはプライスレス。 終焉迫る「カシオペア」のギラリを極めるのは今日ここしかないのである。

手元の時計で6時10分を回った。列車はもういつ来てもおかしくない。67とD800は眼下に大きく弧を描く線路全体を入れて編成撮り。 F5はトンネル出口の一番車体が煌めく部分を300oで切り取る構図である。まずはF5のファインダーを注視。来た! 潮騒の間隙を縫って、2台のデーデーのエンジン音が耳に届く。青いはずの機関車はすっかり黄金色。 その後ろのステンレス・シルバーの客車が輝きを放った瞬間、左手のレリーズを強く握り締めた。勝負は勝つまで諦めなかった者の勝ち。 廃止間際の最後の賭けで、ついに勝利を手にすることができた。



【10月の表紙】

2010・10・02 八戸線 陸中八木−宿戸 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
目の前の細い線路のバックに、太平洋の大海原が広がった。秋の高い空の下、水平線が真一文字に横たわる。疲れた身体に波の音が心地よかった。 この日の朝は秋田の田園地帯にいた。二ツ井−富根のオーバークロスで金色田んぼの中を行く「あけぼの」を撮影。 8時過ぎにして今日のミッションを終えた我々は、次なるターゲットを探し、八戸線でタラコが運用に入ると知って北東北を大横断したのであった。 間もなく列車がやってくる。後追いになるが、キハは順光側が“面”!ペンタ90で構図をセット。 背後から迫るジョイント音を聞きながら、タイミングを計ってノーファインダーでシャッターを切った。

東北リバイバルキハ最後の雄、八戸・五能のタラコキハにもいよいよ置換えの話が出始めた。 今から16年前のキハ52・58以来、国鉄の面影を21世紀に伝え続けてきた名優たち。 八戸線は13年前の腕木信号機廃止の頃から幾度か訪問を重ねた。 一方で五能線は運用と休み、天気が合わず、未だ納得いくコマはあまり得られていない。 茫洋たる太平洋を背に、白波立つ日本海を横目に、季節の中を走り続けた朱色5号の気動車の雄姿を、今後も時間が許す限り目に焼き付けたいものである。



【11月の表紙】

2008・11・02 信越本線 古間−黒姫 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1))
国鉄時代からの北信エリアの名撮影地、黒姫山バックのオーバークロス。 前日の急行「妙高」は山が雲隠れして出なかったうえに夕方長野方面に向かうスジだったため、反逆光に輝くススキを絡めてペンタ400でアップ撮り構図にした。 一転、今日は長野市内こそ霧に覆われていたが、豊野以北はクリアーな快晴。山も稜線クッキリ最高の見え具合である。 列車は午前中に直江津方に走ることになっているが、そこは後追いでよしとしよう。 背後から懐かしいモーター音が響くと、ファインダーに往年のスター湘南色の169系が飛び込んできた。

短い期間ながら信州にて往年の夢を見させてくれたしなの鉄道の169系。 急行「赤倉」にギリギリで間に合わなかった世代としては、思い残していた忘れ物を取り戻させてくれた5年間であった。 翻って昨今、115系のリバイバルカラーが耳目を集めている。 往年の2つドアデッキ付き2段窓並びの急行型と比べると所詮3ドアセミクロスの近郊型…という残念感はあるものの、 それでもスカ色や湘南色、それに江ノ電カラー(?)の初代信州色までリバイバルカラーを揃えてくれたしなの鉄道にはただただ「感謝!」の一言である。 だがその一方で、長野まで遠征して、撮るのは115系か…と思うと、鉄の時代の終焉を感じなくもない。



【12月の表紙】

2016・12・31 哈密三道嶺 東剥離站 (NikonD800 AFNikkor50oF1.4 ISO200)
新疆ウイグル自治区哈密三道嶺。かつて世界最後の大型蒸機の楽園として注目された中国も、もはや現役の機関車はここを残すのみになったといわれる。 哈密は、タリム盆地の北端をなす天山山脈東麓に位置するオアシス都市で、古のシルク・ロードはこの街から山脈北側を回る天山北路と南側を西進する南路に分岐した。 漢代以来東西交易路の要衝として栄えたこの地域は、 清代に中国の版図に組み込まれ、現在中華人民共和国西部最大の露天掘り炭鉱を擁する産炭地となっている。 その積み出し用の専用線に、今も9機の建設型が生きているのである。

1日の行程は、未明の東剥離站から始まる。広いヤードで発車を待つ列車の先頭には、時折コンプレッサーを起動させつつ白煙を立ち上らせる建設型。 この日は砂漠地帯に珍しく雪が積もった。琥珀色のヤード灯の光とそれに照らされた雪化粧の線路、そしてブルーモーメントの濃紺の空のコントラストが美しい。 周囲が明るくなるまでの僅かな時間が勝負である。手早くカメラをセットして、現役蒸機の息吹を切り取った。この冬もまた、西域の聖地で絶景に出会えることを期待したい。



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