Top Page GALLERY 2016


【1月の表紙】

2006・01・10 米坂線 越後片貝−越後金丸 (NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100)
エルニーニョパワーで雪の少ない今冬と違い、10年前は06豪雪と言われるほどよく雪が降った。クリスマス前から信越山線では一発目の特雪が出て、DD53が奮闘を見せた。 年が明けると、大糸線は雪崩警戒のため定期列車が運休。連日DD15やDD16のラッセルが白昼堂々フォッサマグナを往復した。 そして特雪の聖地米坂線でも、成人の日を前にいよいよDD14が出動することになった。

いざ現地に入ると、雪の多さは想像以上。最初の撮影ポイントだった越後金丸のオーバークロスでは、線路は二条のレールの跡すらわからない氷河状態になっていた。 これは大変なことになりそうだ…。次のポイントでは雪壁の高さに驚く。 先行する鉄ちゃん諸氏が階段状に雪を削ってくれていたお蔭でどうにか這い上がることができ、投雪シーンをまずは1カット。 すかさず手持ちに切り替えて、ファインダーでキャブを追う。全てのシーンは一期一会、ピントはAFに任せてとにかくシャッターを切り続ける。 狙いは乗務員のアップ。そこには、氷塊に覆われた運転台から緊張の面持ちで前方を注視する、雪と戦う男たちの姿があった。



【2月の表紙】

2002・02・24 石北本線 上白滝−奥白滝 (MamiyaM645SUPER SEKOR300oF5.6N ULD RVP(+1))
私の決して長くはない経験に基づく鉄ちゃん暦によると、体育の日や文化の日以外にも「晴れの特異日」は確かに存在する。その一つが国公立大学前期入試の前日、2月24日。 振り返ると、自身の入試の時も現役・浪人両年ともに雪に覆われた広大なキャンパスが西日に照らされていたのを思い出す。 その後毎年のように続けた常紋詣ででも、C11のロケ列車を追った留萌ツアーでも、この日は外さず美味しいカットを頂戴することができた。 そんな経緯から、いつしか仲間内では「決戦の2・24」が合言葉のようになって いた。

この日も、期待通り上川〜北見一帯に広く晴れ予報が並んだ。前夜釧網本線から転戦してきて道の駅まるせっぷでマルヨ。 早朝寝袋から這い出すと、雲一つない空の下、放射冷却で凛と冷え切った空気が頬を刺した。さぁ行こう! 狙いは北見峠の高速俯瞰である。 だが、本州の締まった雪と違い、パウダースノーの斜面にかんじきなしの長靴はあまりに非力だった。 三歩進んで二歩沈む…の繰り返しで、まるで高度が稼げない。旭川紋別道の防音壁をかわすために登りたいあと数メートルに苦戦した。 時計の針はもういい時間を指している。もがくように這い上がってマミヤ300oで構図を決める。息つく間もなく、白銀の世界に重連のDDが姿を現した。



【3月の表紙】

2014・03・01 高崎線 上野駅 (NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO2500)
夜更けの上野駅は異様な盛り上がりを見せていた。2014年3月、「あけぼの」引退間際の土曜日。 13番ホームでは日ごとにラストランに向けてカウントダウンが進んでいるようだった。 鉄ちゃん仲間との飲み会帰りに半ば冷やかしで訪れた現場の賑わいに、思わず撮影本能のスイッチが入る。 本当ならマニアは入れずに撮りたいところだが、この時期にそんな絵など望むべくもない。 逆に、カメラを構える野次馬たちを入れて廃止直前の風情を出す方が賢明だろう。やや距離を置いて、ホーム端から望遠で発車直前の雄姿を切り取った。

撮影行脚を始めて約20年、毎年3月に色々な「別れ」を見て来た。 歴史ある名列車の廃止やオールドタイマーの引退、味わい深かったローカル線の廃線など、春の足音が聞こえてくるたび、我々を夢中にさせたシーンが目の前から消えていった。 次のターゲットはどうしよう…喪失感に襲われながら、それでも毎回新たな被写体を見つけ、それに熱中してきた。 しかし、今年の春はこれまでとは重みが違いそうだ。「カシオペア」「はまなす」の廃止は単に一列車の消滅に止まらない。 日本の線路上から20系「あさかぜ」以来連綿と続いてきた“ブルートレイン”の系譜が完全に消える。その衝撃は、3月初旬の今日現在、私には全く実感が湧いていない。



【4月の表紙】

2012・04・08 いすみ鉄道 久我原−総元 (NikonF5 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU RVP100)
一昔前なら、この時期は週末の天気予報を見ては普段以上に一喜一憂していた。季節限定物の桜との絡みが撮れる年に一度の貴重なチャンス。 3月下旬の九州から始まって5月初旬の青森まで、各地の桜アングルがピンクに染まる日を楽しみにしていた。 しかし、お気に入りだった車両たちの完全淘汰が見えてきた昨今、もはや桜と絡めてみたい場所に撮りたい被写体はなく、 撮りたい車両の走る所に桜をあしらうアングルなし…といった手の打ちようのない状態になりつつある。

今でも狙える数少ないターゲットの一つがいすみ鉄道。この年は、上手い具合に満開の時期に天気と休みが重なった。 しかも、午前中は団体の貸切列車ということで、マーク無しでの運転とのこと!喜び勇んで、仲間とともに久我原駅付近に集結した。 ローアングルから、カーブの先に咲き誇る桜を200oでグッと引き寄せる。よし、構図はバッチリ! 10時過ぎ、山間にタイフォンを響かせてツートンのキハ52がゆっくりファインダーに姿を現した。



【5月の表紙】

2015・05・03 磐越西線 中山宿−磐梯熱海 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
来月、日本の“The 特急電車”485系がいよいよ終焉を迎えるという。幼少の頃、絵本や図鑑のページが擦り切れるほど眺めた、全国津々浦々を縦横無尽に駆け巡る名優たち。 カメラを手にしてからは、四季折々の風景の中にクリームと赤のツートンカラーを追った。 本当のオリジナル塗装は「雷鳥」の置き換えによって消滅したが、それと前後して九州で、新潟で、仙台でリバイバルカラーが登場し、我々に夢の続きを見させてくれた。 しかし、先年T18をはじめとする上沼垂車が鬼籍に入り、臨時「にちりん」を持ち場としてきた大分のDo32も後継に仕業を明け渡した。 仙台のA1A2編成の活躍もあと僅か。間もなく、一つの時代が終わろうとしている。

昨年の今頃は、福島DCに合わせて臨時運行された「あいづ」を狙いに、時間をつくっては磐西へ足を運んでいた。 快晴に恵まれたこの日は、中山宿で山登り。若葉に包まれた獣道を進むこと約30分、左手に視界が開けてきた。 秋に撮った写真を参考に、ペンタは165oと200oの2台、デジも含めて3丁切り体制で主役を迎える。 がら空きの撮影地に拍子抜けしながら、鳥のさえずりに耳を傾け待つこと1時間弱、眩い新緑に包まれた築堤に見慣れた特急色が姿を現した。



【6月の表紙】

2001・06・02 山陰本線 田儀−波根 (MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1))
低い木立に覆われたトンネルのような獣道を登ること数分、右手の切れ間から丘の上に進むと、眼下に海辺を走る細い線路と真っ青な水平線が広がった。 梅雨入り前の乾いた風と、ただただ単調で穏やかな波の音が心地よい。 今なお国鉄王国の面影を残す山陰本線、美味しい被写体は数あるけれど、まずはゴッパ・ニッパの快速「石見ライナー」を狙ってみよう。 マミヤ645に銘玉200oで構図をセット。間もなく、潮騒の合間から聞き慣れたエンジンの音が聞こえ、ファインダーにいつもの国鉄急行色が飛び込んで来た。

いつまでも全国各地のスタンダードだと思っていた車両が、気づけば風前の灯火になっている。EF65やEF81、485系や113・115・415系の近郊型シリーズ…。 特にタイミングや場所を考えなくても、気軽に会える被写体たち。当然キハ58系列もそのような認識だった。 しかし、あらためて探してみると、この色この顔は全国広しといえどもいすみ鉄道のキハ28 2346が残るのみ。 九州から北海道まであれだけたくさんいた仲間は、全て過去の名車になってしまった。思えば自分がカメラを握ってからずいぶんの月日が経つ。 GWに看板を外したニッパの雄姿を見て、あらためて時の流れを痛感した。



【7月の表紙】

2011・07・15 久留里線 平山−上総松丘 (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1))
日の長い季節といえば、「朝練」! ブルトレが最後の輝きを放っていた頃は、誰しもが条件反射的にそう思い、午前4時台の高崎線や海峡線に幾度もトライしていた。 だが、よく考えれば、撮影可能時間が長くなるのは夕方だって同じこと。 そんな当たり前のことに思い至ったのは、この頃夕方限定の久留里線キハ30の増結運用を狙うようになっていたからだった。 日の出時刻が一番早いのは夏至前の6月上旬だが、日の入りが最も遅いのは7月に入ってすぐ。 ちょうど期末試験の採点も終わり、夏期講習まで少しの間仕事が落ち着いた頃を見計らって沿線に出撃した。

梅雨明け10日の強い日差しは、17時半を回っても少しも衰えることはない。じりじりと肌を刺し、線路に濃い陰影を刻み込む。 数日前に来たときには、立ち位置のツメが甘く、バックのガソリンスタンドの看板を隠し切れなかった。 今日はペンタ400とF5サンニッパの2台体制でアングルもバッチリである。間もなく遠くの踏切が鳴る。 林の影からツートンカラーの食パン顔がゆっくりと現れた。あれから6年、ブルトレもヨンパーゴも消えたこの夏は、日没間際の鋭い光線で一体何を狙うことになるのだろう?



【8月の表紙】

2006・08・09 小坂鉄道 茂内−大館 (NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8ED RVP100)
原色の景色がトップライトに強く照らし出される夏の盛り。この年は道南ブルトレを狙いに行く前に、数日間を北東北で過ごした。 お盆期間にはまだ早かったので、小坂鉄道では貨物が動いているという。5月の連休に軽く吟味してからというもの、押さえておきたいアングルは幾つもストックされていた。 行こう!花輪線で国鉄色のキハ58を撮ってから沿線に車を走らせた。 真紅の3重連を追尾しながら茂内駅に先回り。もはやここだけとなった腕木信号機をあしらって、紫煙を吹き上げ加速するカマの雄姿を切り取りたい。 が、ペンタ400のトランクを担いで立ち位置に登ったところで発車の音が聞こえた。タイムアップ!仕方ない、手早くF5と望遠ズームのみで構図をセット。 間もなく、唸りを上げるDDがファインダーに現れた。

毎年のように、8月は民族大移動とも揶揄される大渋滞に閉口しつつ、青い海・緑の山と国鉄色の組み合わせを求めて各地に遠征に出掛けていた。 お盆の前後は貨物がほぼ運休になるため、ターゲットは必然的に旅客列車に絞られる。 ブルトレや特急、それに多客期輸送の臨時列車を、全身汗まみれになりながら追い掛け回したものである。 撮りたい被写体も風前の灯火となった今、熱かったあの頃が懐かしい。



【9月の表紙】

2013・09・01 烏山線 小塙−滝 (NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100)
リバイバルとはいえ今なおタラコやツートンのキハ40が活躍する線区に毎夏広がる一面の向日葵畑は、撮るべき定期列車も皆無に等しくなった関東において、 写欲に飢えた愛好家たちの格好の被写体となっている。この年は花の盛りが遅く、8月末になっても見頃が続いていた。 折よく9月1日が日曜日で、実質的に夏休みが1日延長された。天気は、午前中一杯は高気圧に覆われ晴れるらしい。 目下話題のお立ち台を訪れてみるのもまた一興。ロクに運用も調べずにフラリと車で出掛けてみた。

月が替わっても夏はまだまだ続くと言わんばかりに、畑の一角には所狭しと黄色い花が太陽の方向に顔を向けて咲き誇っていた。 朝一のツートンはペンタ75oで普通に撮った。次の列車はもっと思い切った構図で狙うことにしよう。 広角ズームを付けたF5を持ち出して、ローアングルから20o相当であおってみる。間もなく、ファインダーにゆっくりとタラコを先頭にした2連が滑り込んできた。 向日葵の黄色、キハのオレンジ、そしていつの間にか秋の表情をした青い空が、見事なコントラストを描き出す。 いつまでも夏の装いを残しながら、秋の気配は確実に歩みを進めていたようだ。



【10月の表紙】

2002・10・13 飯田線 為栗−平岡 (MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8APO RVP(+1))
飯田線の沿線風景にはずっと心惹かれていた。 初めて全線を乗り通したのは、18きっぷデビューを果たした中学1年の夏。先輩たちに連れられて、94駅にちまちま停まりながら、ひたすら流れゆく景色を車窓から眺めた。 アルプスを仰ぎながら伊那谷の集落を結ぶように走る北部、天竜川の渓谷を縫うように走る南部、いずれもまだ駆け出しだった鉄道少年の心に深く刻み込まれたものだった。 それから10年余り後、カメラを手にした私は、その飯田線にゴハチ牽引のユーロライナーを追うことになった。 定番田切の大カーブ、七久保のサイド撃ちでアルプスバックを押さえてから長野−静岡県境の山峡へ。ダム湖の畔の鉄橋チラリアングルに三脚を立てた。

黄金に輝く稲穂は刈り取られ、かといって山々が錦に染まる紅葉にはまだ早い。 はさ掛けなどの稲穂の天日干しがめっきり少なくなった昨今、10月は季節の表現しにくさを痛感させられる月である。 敢えて言えば、まだ木々が緑を残しつつも低く柔らかい光線が降り注ぐ…この絶妙な空気感のみが、この時期らしさの象徴なのかも知れない。 間もなく、まだまだ深い緑色に包まれた湖畔に、穏やかな西日を浴びたブドウ色のオールドタイマーがゆっくりと姿を現した。



【11月の表紙】

2010・11・07 只見線 会津宮下−早戸 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
6年ほど前まで、10月下旬になると奥会津の紅葉の進み具合が無性に気になっていた。狙いは、この時期恒例の「磐西・只見ぐるり一周号」。 新津の国鉄型気動車が年毎に様々な組み合わせで登板し、見るものを楽しませてくれた。ハイライトは2009年のキハ52・52・58・28のオール国鉄色4連。 今は不通区間となっている会津蒲生の第8鉄橋の俯瞰で67を何枚も手巻き連写しながら見送り、仲間と雄叫びを上げたのを今も鮮明に覚えている。 翌2010年は、52・58・28が引退してしまったため、「ぐるり」はタラコ40系の3連での運転となった。 気動車らしい雑多な感じはなくなったが、それでも朱色5号の編成美は秋色の渓谷によく映えるに違いない。 第3鉄橋のサイド撃ちで、本来見ること叶わなかったはずの“国鉄”の幻影をフィルムに焼き付けた。

この次の年の夏、皮肉にもDE+旧客の「全線開通40周年記念号」が走って間もなく、只見線は災害で3つの橋梁が流失し、会津川口−只見間は長期の運休に追い込まれた。 阿賀野川〜只見川に沿って新潟県内を周る名物列車も姿を消して久しい。いつかまた、国鉄色が秋景色の中を駆け巡る日が来ることを祈るばかりである。



【12月の表紙】

2012・12・29 宗谷本線 北星−智東 (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1))
数年来、年末年始の休暇を使って通い詰めている宗谷本線のラッセル仕業。 冬型固定で終日降り込められることも珍しくない最果ての地にも、不思議なことに年の瀬に1度くらい穏やかな晴天に恵まれる日がある。 この日は朝から雲が多めの天気だったが、午前10時の幌延辺りから晴れ間が広がった。 急な好転のため俯瞰は間に合わず断念、パウダースノーを掻き散らすアップ撮りを繰り返しながら美深まで南下してきた。 すっかり日も西に傾き光線が赤みを帯びている。最後の1枚はここにしよう。北星−智東のカーブを見下ろす丘に三脚を立てた。

マゼンダ色の雪景色の中に、4灯ライト・ウィング全開のDE15を見送ってから4年。 暖冬傾向で年々積雪が減り、節電対策で深夜の音威子府駅は照明が消え、鉄対策なのか回雪状態で走ることも増えた。 近年は、この雪レ自体もモーターカーに取って代わられるのではないかという噂まで耳にするようになった。 それに追い打ちをかけるように、先日のJR北海道による「単独で維持が困難な路線」の発表。 新自由主義的価値観が蔓延る昨今、“効率”を錦の御旗に、最北の鉄路は非情に切り捨てられてしまうのか。 損得だけでは割り切れない「鉄道」の存在感に一縷の望みを託したい。



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