Top Page GALLERY 2015


【1月の表紙】

2014・01・24 信越本線 塚山−越後岩塚 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1))
二十四節気で大寒にあたる1月下旬は、1年で最も寒さが厳しい時期とされる。 日本海側からは連日の大雪と「あけぼの」遅延のニュースが届く一方、関東ではビルの間を吹き抜ける北風に身をすくめる日が続く。 撮影に行くにしても、荒天覚悟で雪国に突撃するか、晴れはするが色味のない太平洋側で妥協するかの二者択一。 よほど魅力的な被写体でないとどちらも億劫になって、結局出撃を見合わせてしまうことも多くなる。 そんな中、この日だけは移動性高気圧が日本海側をすっぽり覆い、新潟県に貴重な晴れマークが並んだ。

丘の上から見下ろすと、整然と区切られた水田が白銀のキャンパスに幾何学模様を浮かび上がらせていた。 とりあえずT13編成の「北越4号」を撮るが、それだけではどうも物足りない。隣の鉄ちゃんに聞くと、本番直前にEF81の貨物があるという。 編成は入るのか?という心配は杞憂だった。11時前、遠く山裾を回って僅かコキ3車の可愛らしい貨物列車が現れた。 485系「北越」最後の冬。こんな条件に恵まれる日はあと何回あるだろう。



【2月の表紙】

1999・02・26 石北本線 瀬戸瀬−新栄野(当時) (MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1))
足跡すらない急斜面は、高度を上げるにつれて岩肌の露出した崖へと変わった。最後は岩場の突端の小さな祠に張り付くようにして仲間3人で三脚を立てる。 そっと足を動かすと、踵から落ちた雪の欠片が遥か眼下にはらはらと散っていった。石北本線瀬戸瀬−新栄野、薬師山からの大俯瞰。 初めての常紋貨物ツアーに行く前に下調べをする中で、偶然この場所からの写真を見つけた。 湧別川ダムの前で雄大なSカーブを描く二条の鉄路。作例は初秋の風景だったが、真冬なら白銀の世界に朱いDDが映えるに違いない。 我々の中では、ここが常紋峠と並ぶ今回の遠征のメインアングルとなった。

実際現地に立ってみると、その風景は想像以上だった。後年気になるようになった手前の道路も完成前。 線路付近の大雪原には馬に牽かせたソリが行き交う長閑さである。マミヤ645に当時持っていた唯一の望遠レンズ150oを付けて構図をセット。 10時半を回る頃、遠方の瀬戸瀬駅を通過する9559レを確認した。 まずは狙いのS字で1カット、そのままカメラをパーンして真横で2カット、最後に遠くにかすむオホーツクの水平線を望みながら斜め後ろで1カットを切り大満足。 凍てつく頂上でがっちり握手を交わした我々は、ホクホク顔で山を下りた。この後も旅は続き、帰宅したのは3月の初旬。不肖私、二十歳の冬。あの頃は若かった…。



【3月の表紙】

2000・03・18 内房線 上総湊−竹岡 (MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1))
大学生の2・3月は暇そのもの。 不真面目な学生だった私は、2月早々バイトに励んで月の後半は常紋に籠り、月上旬はダイヤ改正関連の撮り納め…というパターンを毎年繰り返していた。 この年も、併結列車になる前の「あかつき」「彗星」を押さえるべく、せっせと山崎の天王山バックに通い、ラストランは新大阪の跨線橋で見送った。 一連のミッションを終えて帰省したのが3月半ば。温暖な房総では早くも菜の花が見頃を迎えていた。

晴れ予報に誘われて、18きっぷを片手に内房を巡る。 といっても、それほどアングルを知っているわけでもなく、乗り鉄しながらでも手軽に行ける上総湊の鉄橋にフラリと足を向けた。 夕方に海側から広めで見上げるのが定番だが、3月の半ばではサイドへの光の当たりはまだヌルい。何かモチーフはと探すと、立ち位置背後に菜の花が咲いていた。 だが、おあつらえ向きに群生しているわけではないから、それらしく撮るのに一苦労。ハスキーを一番低くしてエレベーターでカメラ位置を微調整。 ようやく構図が定まった頃には、川向こうの踏切が鳴り始めていた。次は特急「さざなみ20号」。独特の造形を見せる海辺の鉄橋に、堂々9連の特急色が輝いた。



【4月の表紙】

2014・04・15 中央本線 長坂−日野春 (PENTAX67TTL smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1))
花の命は短くて、撮りたいポイントの満開と天気と休みが重なるチャンスは年に一度あるかないか。 ゆえに、桜とお気に入りの被写体の組み合わせを仕留めるのは、下手をすれば数年がかりの一大プロジェクトである。 これまで消えゆく国鉄型を追う中で、幾度夢見ながら夢のままで終わってしまったシーンがあっただろう。

昨年はいい時期に晴れと休みがシンクロした。 目指すは山スカ115系の舞台、中央東線。仲間からの情報では一番の人気スポット勝沼ぶどう郷の桜並木は散りかけとのことだったが、 標高差から考えれば笹子峠や小淵沢付近はまだまだ今からが見頃のはずだ。 午前一杯を満開の花びらに包まれた甲斐大和駅で過ごし、新府の桃源郷を経由して、夕方長坂の八ヶ岳バックにやって来た。次の下りはスカ色の運用。 ペンタ165oで山と花のバランスを整えて待つ。間もなく、静かな山間に聞きなれたモーターの音が響いてきた。 それから約8カ月の後、豊田の115系が突然の引退。この春、もうこの場所にスカ色が行き来する姿を目にすることは叶わない。



【5月の表紙】

2011・05・15 磐越西線 磐梯町−更科(信) (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1))
風薫る五月、淡い緑に彩られた丘陵地帯に鶯のさえずりが響く。目の前の線路はファインダーの中で大きくS字を切り、後方の林の中へと消えてゆく。 ハイアングルで三脚を立て、いつものバケペンに400oを付けて構図を練る。 6両編成の被写体では列車がうねる姿を切り取るのは難しいが、画面左端にキュッと弧を描くレールを配せば十分雰囲気は出せるだろう。 パン棒を固く締めて画角を固定した。9時25分、タイフォン一声、新緑の合間を縫うように真紅のマークを掲げた583系が現れた。

今春のディスティネーションキャンペーンで何かとフィーチャーされている磐越西線。 看板付きのSLは正直どうでもいいが、我々にとっては、3月改正で終わったものと思っていた 485系の「あいづライナー」(改正後は「あいづ」)が週末毎に走ってくれるのがありがたい。 桜はベストのタイミングを逃したものの、菜の花・新緑・田んぼ水鏡で「北越」なきあと最後の国鉄特急色を追い掛けることができる。 さらに非電化区間では「ばん物」客車牽引とはいえDEの客レも運転される。4年前の迂回貨物以来、久しぶりに会津が熱く燃え上がりそうである。



【6月の表紙】

2008・06・01 大糸線 中土−北小谷 (PENTAX67 smcPENTAX200oF4 RVP50(+1))
雨の季節6月。紫陽花の季節6月。とかくしっとりした情景ばかりが脳裏に浮かぶ梅雨時だが、同時に1年で最も日が長い季節でもある。 ちょっと前までは、貴重なチャンスを逃すまいと、たまの晴れ間を見ては早朝のブルトレを狙いに行っていた。 この日も、ターゲットは北陸の“朝3発”。5時台に通過する「北陸」「日本海」「能登」をまとめて仕留めるべく、西高岡のオーバークロスに出撃していた。

「日本海」のトワガマトラップに掛かったとはいえ、ビギナーズラックで夜行列車を一通り押さえ、大糸線に転戦してきた。 空気の抜けも上々なので、中土の俯瞰に上がる。冬場はスノートレッキングで難儀した山道も、この時期なら車で直付けのドライブスルー。 三脚をもって斜面の突端に行くと、いつもの面々がのんびり機材を構えていた。 この時期は最も日が長い季節であるとともに、もっとも緑がみずみずしい季節でもある。 ペンタ200で構図を決めてしばらくすると、初夏の装いのフォッサマグナにタラコのキハ52がゆっくりと姿を現した。



【7月の表紙】

2000・07・22 山陽本線 上郡−三石 (MamiyaM645SUPER SEKOR300oF5.6ULD E100VS)
日の出の早い5月から7月はブルトレ強化月間。十数年前、東の“ハヤネブ”や“ジボシン”に匹敵する西の朝練名所が“ミツカミ”こと三石−上郡だった。 極まれば感涙ものだが、簡単には単位を貰えない鬼門であるのはいずこも同じ。ここも霧の名所として関西鉄ちゃんを悩ます高い壁になっていた。 この日は、センゴックの貨物もあるということで、未明から大築堤に乗り込んだ。霧もなく順当にいけば最大の難敵「彗星/あかつき」をものにすることができる! そんな予感がしていた。が、梅雨明けを待つうち、いつしか時機を逸していたようだ。日は辛うじて差したものの露出が上がらないままメインターゲットが通過。 20分後の貨物はどうにか撮れたが、ブルトレのカットは7時過ぎ通過の「はな」のみに終わった。

前日予報に一喜一憂、半徹夜の苦行に耐えては泣いて笑ってを繰り返したブルトレ朝練も、間もなく本当の最終章。 8月に「北斗星」が落ち、来春「カシオペア」が姿を消すと、たった1枚の写真のためにこんなに身を削ることもなくなるだろう。 安心して寝られるようになる喜びの反面、さみしさも禁じ得ない“最後の夏”である。



【8月の表紙】

2002・08・13 鹿児島本線 上田浦−肥後田浦 (PENTAX67 smcPENTAX105oF2.4 RVP(+1))
じりじりと肌を焼く西日に海面からの照り返しも加わって、暑さのあまりクラクラしながら線路沿いを進む。 防波堤脇の岩場に跨るようにしてハスキーをローアングルで立て、標準レンズで構図をセット。 次の下り普通列車は、運用通りなら国鉄色のGK-5編成のはずだ。 ピントと水平を確認すると、間もなく潮風に乗ってモーター音が近づいてきた。タイミングを計ってレリーズを押す。極まった! 機材の揃った今なら75oで海まで入れたい…と欲が湧くが、67初心者だった当時はこれが精一杯。それでもじゃじゃ馬105oでここまで極められたら十分だろう。 今でも思い出に残る、灼熱の九州の1カットである。

消えゆく列車を追い掛けて夏休みに遠征を重ねるようになって20年が経とうとしている。 古くはC62に深名線、九州の客レや山陰の国鉄型気動車、盛岡のリバイバルカラー、近年では新潟地区の485系や各地のブルトレ・貨物列車など、 ファインダーを通してその雄姿を見送った被写体は枚挙に暇がない。 だが、今年で道南ブルトレと北近畿エリアの381系が最後の夏を迎える。 いよいよ魅力ある被写体が枯渇するようになった。 野山を汗だくで駆け巡るような記憶に残る旅は、来年以降もう二度とないかもしれない…。



【9月の表紙】

2012・09・16 津軽鉄道 川倉−大沢内 (NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100)
見晴らしの良いお立ち台から眺めると、本州最北端に近い津軽平野の丘陵地帯に、波打つように金色の水田が続く様子が見渡せた。 澄んだ青空には綿雲が泳ぎ、ファインダーには原色の舞台が広がる。67とデジは正攻法で構えるが、せっかくだからF5に広角を付けて後撃ちも狙ってみよう。 バックショットが絵になるのは客車列車ならではである。定時、川倉駅を発車した小柄なロコは、2本のロッドをせわしく回転させながら速度を上げてきた。 2台のメインカメラを操り、振り向きざまにこのカット。 長閑な穀倉地帯にジョイント音を響かせて、汽車は軽やかに去っていった。

ストーブ列車の先頭に立ち、長年津鉄の顔として走り続けていたDD352も寄る年波には勝てないのか、昨冬からエンジン不調で長期戦線離脱中。 一説には、機関交換ができなければそのまま本線を去るとの情報もある。 一般の気動車が全てメロスに置き換わってしまった今、唯一昔日の地方私鉄の風情を伝える老兵の復帰を願わずにはいられない。 そして、元気な姿で今年も津軽祭り臨に登板してもらいたいものである。



【10月の表紙】

2014・10・19 室蘭本線 礼文−小幌 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
この日は朝から雲一つないド快晴。「トワイライト」を豊浦の俯瞰で撮ってから本命のここへ。意気揚々と斜面を上って木々の切れ間に三脚を立てた。 眼下には、秋の装いに彩られた大地に複線非電化の線路が雄大な弧を描く。何度来ても、内地では見られぬこのスケールの大きさに思わず息を飲んでしまう。 風景重視の165oで構図をセット。 夏からずっと思い描いてきた紅葉の礼文華カーブ大俯瞰を、いよいよ極めることができる。 8時45分、トンネルを抜けてDDが現れたのを現認! 間もなく、甲高いホイッスルを響かせながら「北斗星」がファインダーに飛び込んで来た。

「北斗星」なき後、孤軍奮闘を続ける「カシオペア」も来春の廃止が発表され、道南ブルトレもついに最終章。 ブルトレどころか山線のSLすら運転がなくなり、撮影効率が悪いことこの上ないが、旧「北斗星」スジに振り替えられた「カシオペア」は魅力的である。 撮りたいアングルは数あれど、僅かな期間であと何度津軽海峡を渡ることができるだろう。 気象サイトで紅葉の進み具合をチェックしながら、手帳を眺めて虎視眈々と計画を練る今日この頃である。



【11月の表紙】

2009・11・23 肥薩線 葉木−鎌瀬 (PENTAX67 smcPENTAX75oF2.8AL RVP50(+1))
1年を春夏秋冬に分けて「四季」と一言で言うけれど、季節の移ろいはたった4つの区分では語れない。 春は菜の花から桜、新緑、水鏡へと進んでいくし、秋も金色田んぼに彼岸花、はさ掛け、紅葉と深まってゆく。 そして早朝一面の霜が大地を覆う頃になると、残り柿が木枯らしに揺れて冬がやって来る。週に一度の休みの度に、少しずつ、だが確実に景色は装いを変えてゆく。 写真にのめり込むようになり、目に映るものを無意識のうちにファインダーを通すかのように見るようになった。 きっと普通の人よりも、季節の足音にはちょっとだけ敏感になったはずである。

南国九州では常緑樹が多く、錦のような紅葉はあまり見られない。ここ肥薩線も、球磨川沿いの自然豊かな中を走るが、秋らしいモチーフを探すのには苦労した。 メインのキハ66・67を待つ間、葉木の俯瞰付近を右往左往していると、たわわに実った柿の木を発見した。一面の濃い緑に映える朱い果実、これぞ南の国の小さな秋! ペンタ75oで広めに構え、列車を待つ。下から次第に影が伸びて来た。 気持ちアングルを上に振り、早く来い!と念じることしばし、渓谷にタイフォンを響かせて、白いキハ40が滑るように姿を現した。



【12月の表紙】

2002・12・30 土讃線 安和−土佐新荘 (PENTAX67U smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
海辺のみかん山を彷徨うことしばし、木々の切れ間から波打ち際のアーチ橋を見下ろすポイントに辿り着いた。 今朝のターゲット、土讃線732Dは、当時すでに貴重だった高知運転所の58・28が充当されるスジ。 11月に「リバイバル南風」ツアーで撮影はしたものの、構図に納得できず再訪を誓っていた被写体である。 2002年の借りは2002年のうちに返したいと、年末休暇で四国の南端までやって来たのであった。

黒潮流れる温暖な地とはいえ、師走の早朝の冷え込みは厳しい。 かじかむ手でピントを合わせ、ファインダーを外して画面の四隅を確認するうち、オレンジの光がアーチ橋を淡く染め始めた。 日陰になったままの立ち位置からでは、露出は勘に頼るのみ。もう少し日が上ることを考えて、500の4半で腹を括った。 間もなく、単調な潮騒を切り裂くようにタイフォンが一声。低い朝日に照らされた舞台に、車齢を感じさせない明るい衣装を身にまとった名優が躍り出た。 国鉄色じゃなくてもいいじゃない♪ 色にさえこだわらなければ国鉄型がまだまだ各地で健在だったあの頃…。どこへ行っても充実していた年末年始が懐かしい。



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