Top Page GALLERY 2009


【1月の表紙】

2000・01・29 氷見線 雨晴−越中国分 (MamiyaM645 1000S SEKOR210oF4N RVP(+1))
真昼でも低く柔らかい光線に澄んだ空気、そして全てを白く染め上げる雪国の銀世界。冬の鉄道情景は確かに魅力的だ。 しかし一方、他の季節よりもはるかに気象条件が厳しいのも間違いない。 特に非電化ローカルの主戦場が多く点在する日本海側は、冬型が強まると荒れ模様の天気が続き、なかなか思い描いた絵をフィルムに刻ませてくれない。 が、この日は珍しく日本海側でも晴れ予報が出た。午後に高山本線で団臨があると知って前夜「きたぐに」の客になり、まずは未明の高岡でコサカミ氏と合流。 氷見線の雨晴海岸で日の出を迎えた。

午前7時過ぎ、屏風の如く背後に連なる立山連峰から御来光。ゆっくりと昇る朝日が富山湾に一筋の光芒を映し出す。目の前はオレンジと黒の2色に染め上げられた。 そこへ上りの高岡行きがやって来た。車体側面の肩の部分を光らせて、海沿いの鉄路に轍を響かせる。何と神々しい情景だろう。 日の出にここまで心動かされたことは、後にも先にも他にない。2009年のスタートは、とっておきのこのカットで飾ろうと思う。今年が素晴らしい1年になりますように!



【2月の表紙】

1999・02・06 小浜線 十村−大鳥羽 (MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1))
非電化時代の小浜線は、京都の鉄ちゃんにとって最も身近な“ローカル線”であった。 海あり山ありのロケーション、夏の青田から冬の雪景色まで四季折々の季節感、それに主役はキハ58・28や虎の子キハ53などの国鉄型気動車。 色こそ青地に白帯の福井鉄道色だったが、急行「わかさ」には金沢の国鉄色58が立ち、車両的な興味も尽きることはなかった。 スーパーカブに機材一式を積み込んで幾度となく鯖街道を往復したものである。

この日は、西舞鶴高校の修学旅行輸送で京都の58・28が6連で全線を1往復した。天候は真冬の日本海側にしては珍しいバリ晴れ! 行きの定番加斗−勢浜は冬枯れ模様だったが、返しを狙うべくやって来た十村−大鳥羽の一帯は見事なまでの銀世界だった。 嫌が上にも期待に胸が高まる。雪を掻き分けながら獣道を辿り、有名な俯瞰場所に三脚を立てた。溜息が出るほどの絶景。 間もなく、今日の主役が全力でエンジンを吹かしながら大築堤に現れた。一面の雪原に長編成の急行色。 その姿は、本の中でしか知らない国鉄時代の最北急行のようであった。



【3月の表紙】

2001・03・02 東海道本線 大阪駅 (NikonF4s AFNikkor50oF1.4 E100VS)
3月は別れの季節。これは鉄の世界も例外ではない。毎年この時期に行われるダイヤ改正で、これまで多くの名列車が鉄路の上から去って行った。 今年一番の注目は“東京発最後のブルートレイン”「富士・はやぶさ」であろう。熱心な撮り鉄はもとより、いまや一般の週刊誌でも話題になる過熱ぶり。 始発の東京駅は言うまでもなく、首都圏近辺では横浜駅などもきれいに駅撮りできるポイントとして大いに賑わっていると聞く。 別離を悲しむ一方で、事故無く無事有終の美を飾ってもらいたいとも思う。

8年前の3月5日、この日は“日本海縦貫の女王”「白鳥」の最後の日。悪天候のため日中の下りは捨て、夕方の上り大阪到着を冷やかしに出掛けた。 ラスト・ランともなると、もはやまともな撮影は不可能。敢えて周囲のパニック状態を入れて最終日らしさを演出することにする。 18時35分、二度と戻らぬ旅路を終えて「白鳥」が滑り込んできた。周囲の人々は我先にと身を乗り出して怒涛のフラッシュ撮影。 ホームは一瞬にして騒然となった。そんな光景を一歩引いてハイアングルから眺めつつシャッターを切る。私は、静かに女王に別れを告げた。



【4月の表紙】

2006・04・06 小湊鐵道 上総大久保駅 (NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100)
春になると毎年のように足を向ける小湊鐵道。3年前、この年の桜は特に見事だった。 いつもはチラホラとしか咲かない上総大久保付近が一面ピンクの雲海に覆われたようになっていた。これはスゴイ! 好天にも誘われて午前一杯この駅に張り付くことになった。 昼どき、ちょうど今日が始業式だったらしく、駅裏の小学校から子どもたちが三々五々ホームにやって来た。 見たところ3・4年生といったところだろうか、解放感に溢れて無邪気にはしゃぐ彼らの姿に心が和む。 間もなくタイフォン一声、そんな子どもたちを家路に運ぶ単行のディーゼルカーが、春爛漫の小駅にゆっくりと滑り込んできた。

今年もそろそろ花の季節。各地の天気と開花状況が気になって仕方ない。次の週末はどこでカメラを構えようか。 “清水の桜”と「雷鳥」、相武台前の桜並木でロマンスカー、船岡城址俯瞰からの583…桜前線と共に旅をしたい地はまだまだ数知れず。 今度はどんな春の景色とめぐり会えるのだろう。一期一会の鉄道情景を追う日々が、また始まろうとしている。



【5月の表紙】

2007・05・13 島原鉄道 加津佐−白浜海水浴場前 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
夜半から降り続いていた雨はいつの間にか止んでいた。それでも宿から見上げた空は白い。今日はダメか…。皆で食堂でのんびり朝食。 が、コーヒーをすすっていると、上空に雲の割れ目ができ、急速に青空が広がってきた。“!” 出動要請を受けた消防士のように、出撃命令を受けた兵士のように、一同目の色が変わり臨戦態勢へ。 さっきまで浴衣姿でダラダラしていたのが嘘のように、僅か数分でスクランブル発進! 山頂の国民宿舎から次々とレンタが坂道を駆け下って行く。目指すは朝のメインポイント、加津佐の斎場裏アングルである。

斎場には事前に許可を取っておいた。背後の斜面から海バックの築堤を見下ろす。 総勢20数名で三脚を並べる頃にはすっかり初夏の空気は澄み渡り、彼方に水平線がクッキリと見えるようになっていた。 9時半、首都圏色のキハ20 08がゆっくりファインダーに登場し、ベスト位置に一時停車。潮騒の音をBGMにシャッター音が間断なく響く。 激X!! 南国九州の濃い緑と真っ青な天草灘、そして鮮やかなタラコ色の組み合わせは、この年一番の忘れられない思い出になった。



【6月の表紙】

2003・06・21 吾妻線 祖母島−小野上 (PENTAX67U smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
水田あるところに四季の移ろいあり。この時期になると、遅いところでも田植えが始まり、早いところでは稲が生長して一面の青田が広がるようになる。 梅雨前線が停滞し空模様の優れない日々が続くのにうんざりもするが運よく移動性高気圧がやって来ると、早朝・夕方の鋭い光線が瑞々しい大地を美しく照らし出す。 強い日差しとすっかり濃くなった山々の緑が、早くも画面に夏の気配を映し出す瞬間だ。絶好の鉄日和と休みが重なることを祈りつつ、今日も仕事に精を出すことにしよう。

6年前の今頃、上沼垂と新前橋に残された東日本最後の165系が湘南色に戻されて、引退間際の惜別行脚に管内各地を回っていた。 この日は新前橋車6連で「さよなら165系吾妻号」が運転された。実家の車で祖母島の俯瞰へ。 さすがに10時を過ぎると遠景の榛名山は霞んでくるが、田植えが終わったばかりの手前の田んぼが画面に初夏の風情を描き出す。 間もなく、緑一色のファインダーに抜群の存在感で湘南色の編成が収まった。



【7月の表紙】

2003・07・28 東海道本線 根府川駅 (PENTAX67 smcPENTAX200oF4 RVP(+1))
一足早い夏休みを貰って九州に遠征した帰り道、この日の関東地方には久しぶりの青空が広がっていた。 「ムーンライト九州」から東海道本線という鈍行乗り継ぎの旅にも飽きてきて、根府川駅で途中下車。暑い中にも相模湾からの潮風が心地よい。 午後2時過ぎ、上りホームから東京方を見るとちょうど順光時間帯だった。ひとつシャッター切ってくか!ハスキーを広げてペンタ200でセット完了。 何本か211系をやり過ごすと、ようやくお目当ての湘南カラーがファインダーに現れた。

この日から6年。九州ではブルトレが全廃され、東海道から湘南色が消滅した。時代は回る。だが、消え去った鉄路の主役たちへの憧憬は変わらないようだ。 この夏、九州では復活ブルトレの運転が盛んに行われる。千葉ではスカ色113系を1本湘南色に塗り替えるという。 山田・岩泉、米坂などのキハが落ちて寂しい反面ホッとしたのも束の間、我々の活動はまだまだ終わりを知ることはない。 今年もいい夏になりますように!



【8月の表紙】

2006・08・08 小坂鉄道 茂内駅 (NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100)
中学生の頃、ある番組で八高のタブキャッチを見た。 キャブから身を乗り出す機関助士、螺旋状の受器をクルクルと回るタブレットキャリア、そして一瞬にして次なるタブレットを受け取り再加速するDLの唸り…全てがカッコよかった。 早速、高校進学の春に18きっぷで明覚を訪れた。貨物列車が通る度に繰り返される刹那のドラマをファインダーを通して様々な角度から切り取った。 だが、今からすれば当時の撮影技術はあまりに稚拙に過ぎた。タブキャッチの勇姿が昔語りとなると、大人になった私の記憶には後悔ばかりが残ることになった。

しかし日本は狭いようで広い。21世紀になっても、よ〜く探すと今なおタブキャッチが残る聖地が存在していた。秋田県は小坂鉄道茂内駅。 DD13が牽く硫酸輸送の貨物列車が、1日2回この駅で通票の通過授受を行う。これだ! 狙いは夕方4時の53列車。抜けるような青空の今日は、授器に寄って広角で見上げてみよう。やがて背後からエンジンの鼓動。 ファインダーの中に真紅のカマが飛び込んで来ると同時に、丸い輪っかが機関士の手に握られた。 12年ぶりに見たプロの業。少年時代の忘れ物を取り戻した気がした夏のひと時であった。



【9月の表紙】

2005・09・08 大糸線 南小谷−中土 (MamiyaM645SUPER smcPENTAX300oF4ED RVPF)
山腹に続く集落の一端から、西日に光る鉄路を見下ろした。日中の残暑はまだまだ厳しいが、もう秋の入口、頬を撫でる夕方の風が肌に心地よい。 見れば、線路脇の田んぼもすっかり黄金色に色付いている。気付かぬうちに季節はその歩みを進めていたようだ。 間もなく、カーブの先に見える南小谷駅から小さなヘッドライトが動き出した。 川沿いにゆっくりとエンジンの音を響かせながら、穂を吹くススキを掻き分けながら、タラコ色のキハ52が糸魚川へと向かってゆく。 斜光に浮かび上がった谷間に、国鉄色はやっぱりよく映えた。

4年前の9月、あの頃は収穫前の金色田んぼを狙って毎週末のように大糸線を目指していた。 訪れる度に色を深める稲穂を眺めて、季節の移ろいを感じていた。 伝え聞くところでは、長野県北部から新潟県上越地方へと抜けるこのフォッサマグナの路からも、そう遠くないうちに国鉄型が姿を消すという。 少年時代の憧憬を体現する路線は、一体あといくつ残されているのだろう。あと何回、原風景の中に秋の情景を追うことができるのだろう。 “一期一会”。その言葉を胸に、我々は今年も実りの季節のフィールドへ出かけてゆく。



【10月の表紙】

1999・10・09 花輪線 安比高原−松尾八幡平 (MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1))
遠い昔に“ハチロクの三重連”で賑わったという龍ヶ森。伝説に刻まれたその名は安比高原と変わったが、岩手山に見守られた雄大な高原風景に変化はない。 走る列車も、さすがに蒸機の三重連とはいかないが、キハ52や58と魅力的。関西在住の頃から、花輪線は一度は訪れてみたい魅惑の路線であった。 初訪問のきっかけは10年前の秋臨。時刻表に小さく「トロッコ安比」という列車名が載った。列番は9927レ。 客レだ!体育の日の連休は、迷わず北東北を目指すことにした。

京都から東海道〜東北と新幹線を乗り継いで、最終列車で盛岡着。その夜はコンコースで寝袋に包まり、翌朝始発で安比高原の駅に降り立った。 天気はド快晴!花輪線といえばここしかないという龍ヶ森スキー場俯瞰に、背丈ほどのススキを掻き分けながら登頂した。 眼下には針葉樹林の間に弧を描く線路、その背後には岩手山の威容が聳えている。来て良かった! 高原にそよぐ乾いた風に吹かれながら、カメラ2台をセッティング。キハを撮りつつ待つこと数時間、やがて山間に甲高いホイッスルが聞こえた。



【11月の表紙】

2001・11・10 只見線 会津西方−会津桧原 (PENTAX67 smcPENTAX105oF2.4 RVP(+1))
早朝から空を覆っていた雲が切れてきた。荷物を整え濡れた斜面を上がる。季節はもう晩秋、吐く息が白い。 鉄塔の袂のもっと上、撮影地の最上段に三脚を立てた。蛇行する只見川と波打つように続く山々の稜線。 超有名撮影地ゆえに、この風景自体は見慣れたものである。だが、今日目を引くのは視界を一面彩る見事な紅葉。 過去幾度も訪れ、またポスターなどで目にした景色も、季節のいたずらだけでこんなにも違って見えるのか!“秋の魔力”に心の底から感服した。 レンズは広めの105oを選択、鮮やかな渓谷を入れられるだけ入れて、9時台のキハを切り取った。

この時期は、山岳路線に紅葉を追うのがここ数年の常。今年の色付きはいつもより早いようで、先月末の只見線からすでに山は赤くなり始めていた。 今月は新津最後?のキハ祭りが佳境を迎える。下旬にはしばしご無沙汰していた大糸線にも行って見たい。 錦の山並みを背景に、国鉄色をどう仕留めるか…。木々の葉が燃え上がる一瞬を求めて楽しくも悩ましいひと月を過ごすうち、季節は確実に冬へと近づいてゆく。



【12月の表紙】

2004・12・17 総武本線 物井−佐倉 (NikonF4s AFNikkor50oF1.4 RVP100)
冬が始まるこの季節には、夜の景色がよく似合う。都会なら街のネオン、年の瀬の雑踏。田舎なら頬に触れる冷気と澄んだ星空…。 1年で一番長い夜がそういう気分にさせるのだろうか、手元のポジファイルを見返すと、残照のグラデーションや漆黒の闇を背に光を流す作品は、例年この時期に集中している。 夕方の列車をドラマチックな光線で見送って間もなく、辺りは夜の帳に包まれた。今日も幻想的なスローシャッターの世界の幕開けだ。

5年前の今頃は、「わかしお」「さざなみ」なき後 183系の去就が注目されていた房総特急を被写体に、近場の総武本線をよく訪れていた。 撮影地は成東の前後と酒々井近辺、それにド定番の“モノサク”こと物井−佐倉。この日はモノサク一の名所亀崎踏切で日没まで粘っていた。 さて撤収かと機材を仕舞いかけてふとインスピレーションが湧く。琥珀色の照明で闇に浮かび上がる踏切に特急色の光線流しが映えるのではないか。 あと30分も待てば「しおさい14号」がある。再度三脚を立ててカメラをセット。“午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった…” 当時よく聴いていたBUMP OF CHICKENの「天体観測」を口ずさみながら、独り列車を待った。



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