Top Page GALLERY 2008


【1月の表紙】

2004・01・15 東海道本線 函南駅 (MamiyaM645SUPER smcPENTAX300oF4ED RVP100)
仕事がら毎年12月・1月は忙しい。年明けは三が日のうちから業務再開で十数連勤は当たり前、気付けば成人式も過ぎにけり…というのが例年のパターンである。 特にこの年は大晦日&元旦も出勤で、前年最後に見たのが生徒の顔、新年最初に見たのも生徒の顔という多忙ぶりであった。 さすがにこれでは発狂寸前。ならばと午後出勤シフトの日を狙って函南駅に出撃した。狙いは「富士」。 「さくら」と「はやぶさ」が併結されて以降、ロクロク牽引では唯一となった単独マークは、是非押さえておきたい被写体だった。

「さくら」廃止の1年前、他に鉄ちゃんの姿はなかった。据えたい所に脚を据え、構えたいように構えて列車を待つ。 やがてホームに案内放送が流れ、トンネルの出口が光った。さぁ来い! 列車番号2レ、エースナンバーを背負った九州特急の雄は、関ヶ原越え辺りで着けて来たのだろうか、自慢のヘッドマークを雪で白く染めて私の前を駆け抜けていった。 単独「富士」をXで極めたのは、実はこれが最後だった。



【2月の表紙】

2002・02・23 釧網本線 細岡−塘路 (MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1))
釧路湿原で随一の大パノラマが広がる、通称夢が丘展望台。 この週末は国鉄色のキハ183団臨が網走から釧路へ抜けるというビッグなネタがあり、常紋組も併せてかなりの鉄ちゃんが道東に集結していた。 流氷シーズンということもあって多くの達人諸氏は北浜のオホーツク海バックに行ったらしい。 この丘に登ったのは、我々のグループ以外ほんの数人だけだった。天気は猫の目で晴れたり曇ったり。 前走りのSLは完全曇天で見る鉄だったが、本番のキハは直前に突如雲が割れて御来光! 背後はやや翳ったものの、見事蛇行する釧路河畔に国鉄特急色が輝いた。静かな雪原に、狂喜乱舞する漢たちの雄叫びが響き渡ったのは言うまでもない。

思えば、ここを初めて訪れたのは、DE重連貨物の廃止が間近に迫った97年の2月のことだった。 何を隠そう、この年の私は受験生!第一志望の大学が北海道にあったのをよいことに札幌まで機材を持ち込み、受験後すぐに「オホーツク9号」の客になったのであった。 その後数日間は解放感に浸りながら夜行連泊で貨物撮影に熱中し、帰宅したのは3月1日。当然結果は「桜散る」で予備校直行と相成った(泣)。 そんな私も今や受験生を叱咤激励する立場。昔日のアホ学生を反面教師に、受験生諸君には是非合格を勝ち取ってもらいたい。



【3月の表紙】

2006・03・15 東海道本線 根府川−真鶴 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1))
ここ数年、春が訪れる度に当たり前だった光景が過去のものになってゆく。 相模路を毎朝駆け上るブルトレ群とともに東海道東京口を象徴する存在だった長編成の113系もその一つだ。 96年に急行「東海」が落ちて以来、遠目で撮っても目立つ電車はコイツだけ。 オレンジと緑の湘南色、グリーン車込み最大15両という堂々たる編成は「東海」末期に石橋や米神など有名撮影地に足の伸ばせなかった悔しさを晴らすには格好の被写体だった。 とはいえ、引退の噂が聞こえてきた頃にはステンレス電車が幅を利かせるようになり、日中の運用は昼前後の2往復のみ。光線を考えると撮れる場所も限られてきていた。

この日は以前から目をつけていた江の浦の俯瞰へ。ちょうど立ち位置の下はみかん畑になっており、黄色く熟した大きな実が深緑の葉と絶妙なコントラストを見せていた。 そういえば“湘南色”はこのみかんの色に由来しているとどこかで聞いたことがある。ならばこれを絡めて撮るのが引退への餞というものだろう。 ペンタ90oで下のガードレールと上の電線をカツくかわし、広めの画角でいざ勝負。 今日の主役は、いつもと変わらぬMT54主電動機の快音を響かせて、軽やかに海辺を駆け抜けて行った。



【4月の表紙】

2000・04・29 山陰本線 泊−松崎 (MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1))
僅か50tのスーパーカブで、まだ冷え込みの厳しい春の夜闇に飛び込んだ。丹波の山間では、峠を一つ越す度に周囲は夜霧に包まれる。 寒さに震えながらも手綱を緩めず、3速フルスロットルの巡航運転で国道9号をひたすら西へ。目指すは定番泊−松崎。 ここで迎え撃つ「出雲」がこのGWのオープニングショットになるはずだ。 未明に鳥取駅に到着し、コンコースで数時間の仮眠。夜明けと共に起き出してアングルを目指した。

人によってはなかなか晴れないという泊−松崎だが、この日はビギナーズ・ラックであっさりX。 「出雲」を編成撮りで極めた後は、少し変わった撮り方をしてみようと線路脇に降りてみた。標準よりやや広めのレンズでローアングルから煽り気味に構える。 ファインダーには、薄紫のカーペットを敷き詰めたかのようなレンゲ畑と、抜けるような青空が広がった。 今と違って来る列車来る列車みんな国鉄型だった8年前、シャッターを切るのに被写体を選ぶ必要はなかった。 間もなく、爽やかな春の風に乗ってキハ58の「とっとりライナー」が走り去って行った。



【5月の表紙】

2005・05・25 大糸線 北小谷−平岩 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
大糸線にてマヤ検あり!そんな一報を聞いたらいてもたってもいられない。ちょうどこの日は変則日程で仕事が休み。 飯山線のDD16ハンドル訓練も掛け持って早速北信の地に向かった。 アングルは色々ありすぎて悩んでしまうが、午後遅いスジ、そしてDD16が糸魚川方に付くP.P.ということで、北小谷の川沿い区間をやや後追い気味で俯瞰することに決定。 ペンタ165ミリで構えると、ファインダーには蛇行する姫川と李平の棚田の中を行く線路が納まった。 画面は川と空の青以外は一面の緑・緑・緑…。やがて鮮烈な色彩の世界に、朱いカマに挟まれた蒼いマヤ34が現れた。

翌年のマヤ検はGW最終日に設定されたが、大雨のため出撃を断念。 そのまま検測は新型キヤに取って代わられ、2度と大糸マヤを拝むことはできなくなってしまった。 しかし、鉄の醍醐味は車両だけではない。5月の楽しみは、何といっても山々を彩る新緑の輝き。 この写真は5月も下旬だったのでかなり色が濃くなっているが、それでも夏場に比べればみずみずしさは文句なし! さて、今年は一体どんな新緑の旅路が待っているのだろう。まずは連休後半の激X天気を願いたいものである。



【6月の表紙】

2002・06・27 小湊鐵道 月崎駅 (OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 RVP(+1))
毎月表紙を更新しようとすると、ネックになるのが6・7月。 ジットリベタベタの梅雨シーズンは、たまの晴れ間を縫うように出撃するブルトレ朝練を除いて鉄と縁遠い生活に我々を追いやってしまう。 手元のポジファイルを開いても、この時期のストックというのは大変少なく、各コンテンツともネタに事欠く今日この頃である。 だが、思い切って出撃すれば、雨模様ならではのしっとりした絵作りもできるかも知れない。 この年の梅雨時は、そんな新しい可能性を試そうと近場の小湊鐵道に出掛けてみた。

小湊で有名なのは何といっても4月上旬の桜だが、各駅に植えられた紫陽花も捨てたものではない。 月崎の駅では、半分砂利に埋もれたようなホーム端で、雫を湛えた緑の葉と薄紫の花弁が静かに雨に打たれていた。 ガランとした駅舎で時刻を確認すると、五井行きの到着まであと僅か。ここは花ピンでイメージカットを狙おう。 久しぶりに昔の相棒OM−1を取り出してセッティング。露出は意外に当たる指針式メーターで測って1/60sec f5.6〜8。 珍しくヘッドライトを点けて現れた気動車を画面左にあしらって、そっとシャッターを切った。



【7月の表紙】

1998・07・05 高松琴平電鉄志度線 房前−塩屋 (OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 RVP(+1))
七夕に海の日、そして夏休み…。7月と聞くとはや夏全開のイメージがあるが、巷に溢れる気象予報士よりよほど正確?な鉄ちゃん暦によると、例年7月はまだ梅雨の中。 しかも後半とあって前線も活発で、大荒れの天候に見舞われることも珍しくない。 そのうえ学生時代は試験期間、仕事に就いてからは講習前の繁忙期と野暮用に阻まれ、出撃すらままならぬ鉄ちゃん受難の時期である。 だが、この日は「瀬戸」が“サンライズ”に置き換えられる前の最後の日曜日。 試験前にもかかわらず、梅雨の合間の貴重な晴れ予報を聞き、後先考えないで四国に乗り込んだ。 翌日は予報通りの晴れ!朝方国分の陸橋で無事に「瀬戸」を撮り、日中は旧型車の楽園だった琴電へ移動した。

海沿いの名所、房前−塩屋で潮騒をBGMに三脚をセット。やって来るのは多くが元京急の吊り掛け車たちだが時には元山形交通の古豪230形なる珍車も姿を見せる。 彼らは小柄ながらも重低音を響かせて、急カーブに車輪を軋ませながら次々とファインダーを走り去って行った。 真上から照りつける太陽の下、時代から取り残されたようなローカル私鉄を追ったあの日から間もなく10年…。 今年は一体どんな夏になるのだろう。梅雨明けまではもうすぐだ。



【8月の表紙】

2002・08・16 鹿児島本線 西方−薩摩大川 (PENTAX67 smcPENTAX105oF2.4 RVP(+1))
今年も夏がやって来た。茹だるような熱気に日中のトップライト。山に登れば滝のように汗を掻き、海沿いで構えれば容赦ない日差しが肌を刺す。 でも、いいじゃないか、鉄ちゃんはスポーツだ!何より苦行を乗り越えてファインダーを覗けば、そこには深緑の山々が、真っ青な水平線が待っている。 日中の日が高くても、朝夕の強い日差しが視界を鮮やかに染め上げる。九州・山陰・東北・北海道…過去10年、振り返ると8月のツアーはどれも印象深いものだった。

2002年のお盆休みは、終焉迫る鹿児島南線に「なは」を追った。早朝から上田浦や西方といった名所を回り、昼間はミレニアム国鉄色の475系、通称GK-5を狙う。 1日1本のブルトレには手を焼いたが、八代−川内を日中数往復するGK-5には色々と楽しませてもらった。中でも一番のXカットが西方逆アングルのこの1枚。 ツアー中もっとも天候に恵まれたこの日は、半逆光ながらバックの水平線もバッチリ。67標準での接近戦はリスクもあったが、開き直って勝負したのが功を奏した。 中判の画面に刻まれた急行色の勇姿を見返すと、6年経った今でも、海辺の鉄路に響くモーター音が脳裏に鮮明に甦ってくる。



【9月の表紙】

2007・09・09 茨城交通湊線 中根−金上 (NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100)
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がある。 楽天の野村監督の座右の銘として知られるが、もとは肥前平戸の殿様の剣術における格言なのだとか。 鉄道写真の世界では、バリ晴れなるもゲリラ雲で撃沈…という“不思議の負け”は多々経験したが、“不思議の勝ち”というありがたい勝利にはついぞ縁がなかった。 というより、意図せずXに「なっちゃった」なんてのは“鉄”道にもとる不純の勝利であり、そのようなX写真はXとは呼ばねぇ!と思っていた。

ところが…昨年の今頃のある日曜のこと。朝目覚めると、曇り予報に反して突発の晴れ!取るものも取り合えず、手近なところで茨交へ進路をとった。 沿線は収穫間近で、単調な田園風景とはいえ稲穂の金色と国鉄色ツートンのコントラストが美しい。昼からの数往復を俯瞰で、また地べたで稲穂と絡めて切り取った。 夕方、地元鉄ちゃんわいえす氏と中根の駐車場ポイントで合流。17時半を回り、夕方の太陽は地平線の雲に隠れた。 露出も無いが、フィルム残数あと2枚。適当に切るか〜と手持ち&カメラ任せでヤル気なく数カット。 が、上がってみると、残照に鈍く輝くキハが良かった!!こうなれば私のチンケなポリシーなぞどこへやら。ノムさん、不思議の勝ちってあるんですね! そんな私の今年の座右の銘は、「オトコは30から」である(笑)。



【10月の表紙】

2000・10・10 石北本線 奥白滝−上越(信) (OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 E100VS)
10月、秋の彩りは北海道に端を発して徐々に南下を始める。今月末には北東北へ、来月には甲信越へ。 山々を錦に染め上げながら、それは約2ヶ月かけて南北に長い日本列島をゆっくりと縦断してゆく。 毎年繰り返される秋の撮影行脚はそんな紅葉前線との追いかけっこである。 彼らの旅は長いようだが、週末鉄ちゃんの我々にとっては1アングルは1チャンス。 今年もまた天気と木々の色づき具合を気にしながら土日を楽しみに待つ日々が幕を開けた。

8年前の体育の日連休、ブームに乗ってDD重連が熱かった常紋峠を訪れた。晴れの特異日10月10日は例年通りのド快晴。 当時ニューアングルとして話題になっていた北見峠越えの通称“高速俯瞰”に三脚を立てた。 立ち位置となる建設中の旭川−紋別道の法面からは、針葉樹の緑と広葉樹の黄色のコントラストが山肌に沿って波打つように遥か遠景まで続く。 錦秋の谷にはくの字を描く線路がチラリ。想像以上の絶景に気合が入り、マミヤ・F4にOM−1まで引っ張り出して3丁切り体制で列車を待った。 9時半過ぎ、微かなエンジンの唸りが聞こえると、更新機を先頭にした9559レが静かに峠を下って来た。



【11月の表紙】

2005・11・17 長野電鉄長野線 上条−夜間瀬 (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1))
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり…」。 清少納言も言うように、晩秋の夕暮れは1年で最も美しく、もの哀しい。 夜の帳が下りるまでの僅かの間、全てを紅に染める一瞬に、きっと我々は千年の時を越えて“もののあはれ”を共感するのだろう。 とはいえ、この情景をフィルムに収めるのは実に至難の業である。少しでもタイミングが遅ければ、アングルは全て陰の中。 本当に日没寸前のベストライティングでお目当ての列車を捉えることができたのは、十余年の鉄活動で数える程しかない。

3年前の秋、紅葉とリンゴを目当てに長野電鉄を訪問した。当日はこの秋一番の冷え込みとかで、山間部の峠道では初の積雪を記録したという。 どおりで頬を差す風が冷たいわけだ。夕刻、行きつけの上条ストレートにペンタ400を構えた。 列車を待つ間にも黄昏の光線は見る見る妖しさを増し、線路の影が長くなる。 早く来い、早く来い…祈るような気持ちでレリーズを握っていると、ギリギリのところで踏切が鳴った。 16時25分、ファインダーに艶やかな光を浴びたリンゴ特急が姿を現した。



【12月の表紙】

1998・12・19 小海線 小淵沢−甲斐小泉 (MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1))
夜明とともに、天を突くような甲斐駒ケ岳のシルエットが澄んだ空に浮かび上がってきた。 小海線の、いや、日本屈指の撮影名所“小淵沢の大カーブ”に、この日は日の出前から数十名が大集結。 週末に好天、それにDD16マヤ検…これほどの条件が重なれば、人が集まらないわけがない。 私も人混みのやや後方に三脚をセットし、マミヤ&OMの2丁体勢で列車を待った。 静かに、静かに遅い朝日がレールを金色に染め始める。 やがて、その静寂を破るように汽笛が一声。左手の木陰から現れたチビロクは、ゆっくりと桧舞台に歩を進め、 観衆の拍手喝采を浴びながら我々の前を通り過ぎて行った。

毎年、師走の声を聞く頃から巷はクリスマスムード一色に包まれる。 イルミネーションもコンサートも結構だが、♥素敵な♥クリスマスに縁遠い我々には、このときはマヤ検こそが一足早い鉄の神様からのプレゼント! う〜ん、寂しいねぇ…。そして10年後。手帳を見ると、今年も聖夜は侘しく職場で過ごすことになりそうだ(泣)。



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