Top Page GALLERY 2007


【4月の表紙】

2006・04・01 小湊鐵道 高滝−里見 (NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100)
この日は夜から同僚の結婚式に呼ばれていた。空を見上げれば若干霞がかってはいるものの、新年度のスタートを飾るに相応しい晴れ模様。 ならば日中だけでも近場で桜を愛でるかと小湊鐵道にハンドルを向けた。 冬が厳しかっただけあり今年は桜の開花がやや遅いようで、 温暖な房総半島といえど里見・月崎・上総大久保などの桜で有名な駅はどこも三分咲き程度。 写欲をそそるにはいま一つ…そう思いながら沿線を流していると、高滝の踏切を過ぎたところで見事な枝振りの桜が目に入った。 日当たりの関係かはたまた風向きの加減なのか他よりも一歩早く淡いピンクの花弁が青空に向けてはじけている。 これはと思い新兵器F5に広角ズーム20ミリでフレーミング。 やがて踏切が鳴ると、軽快なジョイント音を残して一陣の風がファインダーを駆け抜けた。

あれから一年が経つ。同僚は幸せに暮らしているようだ。それに引き換え…
「吾輩は鉄である。嫁はまだない。」



【5月の表紙】

2002・04・29 只見線 会津西方−会津桧原 (PENTAX67 smcPENTAX105oF2.4 RVP(+1))
前年の10月に初めてこの場所に登った。本命は初のSL運転に先立つC11+旧客の訓練だった。11月に2度目の登頂。 マヤ検狙いで田子倉まで行くついでに、普Dを1本撮った。燃えるような紅葉だった。 以来、このポイントの新緑を想像し、一面淡い緑に彩られたアーチ橋を眼下に見下ろす日を待ち焦がれた。

GW前夜、飲み会を企画していた上司が風邪をひいたとのことで宴会はトケ! 渡りに船とばかりに横浜西口の24時間レンタで車を借り、寮で機材を詰め込んで即出発。 眠い目をこすりながら国道400号で未明の峠を越え、7時に所定の鉄塔の麓に立った。 予想通り、視界に入る山並はどこまでも新緑。うぐいすのさえずりを聞きながら、初任給で購入したばかりの105oを付けて67を構える。 遥か向こうでタイフォンが鳴った。只見線最高のステージにキハが登場。たまにはナマの鉄道情景を味わおう。 ファインダーから目を離し、川面に車体が写った瞬間を見計らってレリーズに力を込めた。



【6月の表紙】

1999・06・09 湖西線 志賀−蓬莱 (OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 RVP(+1))
ジメジメうっとうしいイメージの6月だが、上旬は入梅前で好天に恵まれることも多く、絶好の鉄ちゃんシーズンである。 学生時代のある日、教授の都合で午後からの授業が休講になった。空は紺碧にして一点の雲もなし!これはどこか行かねば!! 友人からのメシの誘いを断り、下宿から1時間圏内の志賀−蓬莱の琵琶湖バックに向かった。空気は年に何回あるかというくらいの抜けっぷり。 海バック・湖バックなど気象条件に左右される“水もの”アングルでも文句なしだろう。琵琶湖の眺望に期待が高まる。現地についてニヤリ。 普段は立ち上る水蒸気のせいか、春から秋口にかけてなかなか綺麗に見えない対岸が、今日は目と鼻の先のようだ。獲物は何でもよし。 当時の湖西線は485系「雷鳥」、湘南色113系、ローピンEF81貨物と何を撮っても激Xだった。 135o・180oとレンズを付け替えながら、来る列車来る列車、片っ端からシャッターを切った。

思い返すと学生の頃はこんな日々の繰り返しだった。鉄だけはよくやった。 しかし20代も最後を迎え、その分人生の必修漏れも多かったことに気付き始めた。ちょっと後悔しないでもない今日この頃である。



【7月の表紙】

2004・07・11 江ノ島電鉄 腰越−江ノ島 (NikonF4s AFNikkor20-35oF2.8 RVP100)
5月下旬から7月中旬までは、鉄ちゃん世界で言うところの朝練シーズン。 天気の安定しない中、漢たちは週末毎に、時には平日出勤前に、今日は早川、明日は根府川、今度の休みは神保原…と各地へブルトレ狩りに赴くのである。 かく申す私も例外ではなく、この日は前回寸曇りを食らった「あさかぜ」のリベンジで早川のSカーブへ出撃した。7時前には撮影を終え撤収。 しかし、そのまま帰宅するのも惜しいので、帰り際に江ノ電に立ち寄ってみた。ちょうど腰越の神社のお祭りが今くらいの時期にあったはずだ。

併用軌道で有名な腰越−江ノ島間では、すでに地元の人々が神輿を肩に所狭しと通りを練り歩いていた。 彼らが一足踏み出す度に、神輿の鈴がシャンシャンと涼しげな音を立てる。そこへそろりそろりと電車が接近。 担ぎ手の若者たちは「せーの!」の掛け声で一歩下がって電車を見送り、電車からは車掌が身を乗り出して若者たちと視線を交わす。 見事に息の合ったやりとり。ここ腰越通りでは、今も祭りと「江ノ電」が生活の中に自然に調和していた。こんな鉄道情景もいいなぁ! ブルトレ撮影の勝負の世界とはまた違う、もう一つの鉄道の魅力を感じた1日だった。



【8月の表紙】

1999・08・09 山口線 地福駅 (MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1))
いつまでも続くかのように思われた夏も、 お盆の頃を境にセミの合唱の音色が変わり、いつの間にか日が傾くのが早くなってくる。 それでも変わらぬ暑さにはワクワク感よりも気だるさを感じ、はや小さな秋の気配を身の回りに探り始めるようになる。 被爆・終戦ムードを差し引いても、8月は明るいようでいながらどこか物憂さを感じる季節である。毎年この時期に旅に出る。 地方に行くほどこうした思いをふとした瞬間に感じてしまうのは、帰省先の田舎で終わりゆく夏休みに焦燥感を抱いた、子どもの頃の記憶が脳裏に焼きついているからだろうか。

無人の改札をくぐると、コスモスの咲く鄙びた島式ホームにカランカランと聞き慣れたアイドリング音が響いていた。 あと数分で「おき」が通過する。マミヤ1丁、標準やや広めの70oで特急待避を狙おう。 遠くで踏切が鳴り、独特のターボサウンドがこだましてきた。シャッター速度1/30sec 絞りf 22。さぁ来い! 原色52の向こうにキハ181の先頭部が見えた瞬間、レリーズを深く押し込んだ。消えゆく老兵同士の顔合わせは一瞬で終わった。



【9月の表紙】

2001・09・24 姫新線 播磨徳久−三日月 (OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 RDPU)
名鉄谷汲線が終焉を迎えようとしていた頃、お名残鉄ちゃんの集団に食傷気味になった私は、ふと気分転換に播磨路を訪問した。 朝のターゲットは上郡Sカーブで「なは」。日中はそこから北上して智頭急でキハ181。 この日は「いなば」に加えて臨時の「はくと90・91号」があり、懐かしの白兎マークを拝むことができた。 沿線はどこも収穫シーズン真っ只中。ド快晴の青空の下、金色田んぼやはさ掛けをあしらった絵作りを堪能した。 仕上げは帰り道の姫新線。 播磨徳久−三日月の定番踏切で夕方エロエロ光線のキハ40を狙う。 見ると刈り入れの終わった田んぼの畦には、見事な彼岸花の回廊ができていた。 紅い花弁にピントを合わせ、赤銅に染まるキハをアウトフォーカスでバックに配す。ファインダーにはちょっと切ない秋色の光景が展開した。

今年のGW、久し振りにこの界隈を訪れて被写体の激減に驚愕した。 「なは」は「あかつき」と併結のうえ早朝スジにシフトされ、「いなば」は全て新型化、姫新線までもスーパーキハ40の大増殖で撮影対象とは言い難くなっていた。 鉄が鉄でいられる日は、一体いつまで続くのだろうか…。



【10月の表紙】

2003・10・05 山陰本線 小田−田儀 (MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP100)
予報に反してその日は朝から厚い雲に覆われていた。 事前に場所取りはしたものの尋常ならざる激パニックに不安を覚え、未明から携帯のバックライトを頼りに段々畑に陣取る。 夜明とともに各所から機材を担いだ面々が終結し、明るくなった頃には見事なまでの雛壇が丘の上を覆っていた。 だが、我々の期待とは裏腹に露出は上がらず、1/250sec f2.8 でまったり安定。職員輸送のキハ181系はヤル気なく見送った。

一縷の希望が見えたのは9時近くなってから。 灰褐色のどん雲に切れ間が現れ青空と太陽が時折姿を見せ始めると、小田−田儀一帯数百人の撮り鉄集団の心の叫びに呼応するように、 分厚い雲は次第に南へ追いやられ、通過20分前、撮影地は遂に青空に包まれた! バックの日本海は紺碧に染まり、ファインダー内は急速に色味を帯びてゆく。 そして9時29分、早朝から騒がしかった段々畑もすっかり静まり返り緊張で凍りつかんばかりとなった中、朱い重連がたなびく日章旗も凛々しく海辺の舞台に踊り出た。 後に続くは御召仕様の大サロ5連。モータードライブが一斉に唸りを上げ、中判の豪快なミラー音がこだまする。周囲のボルテージは最高潮!! 軽やかな轍の響きが遠ざかり、ビデオスイッチがOFFになったのが確認されると、どこからともなく拍手と雄叫びが沸きあがる。 我々の“なにわ御召プロジェクト”は最高の結末を迎えたのであった。



【11月の表紙】

2002・11・14 中央本線 甲斐大和−勝沼ぶどう郷 (OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 E100VS)
中央東線から183「あずさ」が消える頃、RM誌お決まりの煽りに乗せられて幾度か甲斐路を訪れた。 特に11月半ばの紅葉シーズン、E100VSで切り取った絵はまさに一面の錦模様! 「あずさ」だけでなくスカ色115系やロクヨン貨物をターゲットにして有名撮影地を渡り歩いたものだった。

この日は前日の仕事が長引き浦安まで帰り着けなかったため、寮で徹夜して初電で実家へ入区。そのまま車を借りて中央道を目指した。 しかし出撃時間が悪く、首都高で通勤渋滞に突入。中央環状線外回りで進んでは止まり進んでは止まりを繰り返すうちに、脳内にお約束の睡魔の囁きが聞こえてきた。 「あ〜」だ「う〜」だと呻き声を上げ、意識が飛ぶのを必死にこらえながらハンドルを握るうち、約1時間でようやく渋滞解消。 が…ふと見ると目の前の標識には「←東関東道・浦安方面」の文字。ん?(汗)。無意味に首都高を2周して、やっと中央道に乗ることができた。 甲斐大和の俯瞰に到着したのは9時過ぎ。抜けるような青空と色づく山々のコントラストに眠気は一気に吹っ飛んだ。 バケは165oで、OMは標準でセッティング。眼下にジョイントを響かせる模型のような列車にひたすらシャッターを切った。 その後数年で昼の貨物はほとんどがEHに置き換えられてしまった。ロクヨンと紅葉のコラボがここまで鮮やかに極まったのは、これが最初で最後だった。



【12月の表紙】

2006・12・30 宗谷本線 日進駅 (NikonF5 AFNikkor50oF1.4 RVP100)
北辺の路に夜の帳が下りようとしていた。空気はしんしんと冷え込み、長靴の先、手袋の先から徐々に感覚が失われていく。 冬の宗谷本線参りは、ここ数年我々の間で恒例行事となってきた。狙いはもちろんDE15の定期排雪。 留萌本線のラッセルが夜間スジに変更されて以来、道内で日中定期の雪レが設定されているのは宗谷だけとなり、 本州とは一味違うパウダースノーを蹴散らしながら最果て路線を南下する勇姿が注目を集めるようになったのであった。 しかし、残念なことに、今シーズンから雪レの時刻が大幅に変更されるという。 これまでの夜間北上・日中南下のパターンが逆転し、撮影時間帯に北へ向かうスジになるのだとか。 場所がら天候に恵まれず、苦い思い出だけが残った撮影地も少なくない。 雄信内の利尻富士、筬島鉄塔の大俯瞰、雪煙の豊清水シルエット…脳内のXカットがフィルムに刻まれることは、もうないだろう。

背後の空が紫のグラデーションに染まる中、単行のキハ54が小さな駅に滑り込んだ。 朝礼台のようなホームに僅かな客を降ろすと、列車はすぐに動き出す。 去り行くテールランプが彼方に消えると、周囲は闇に包まれた。今年も、はや1年が終わろうとしている。



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