Top Page GALLERY 2010


【1月の表紙】

2006・01・21 宗谷本線 音威子府駅 (NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100)
素手で握った三脚から指先が離れない。カメラのストラップやケーブルレリーズは捻じれたまま固くなっている。 「さ、寒ぃ…」口に出した言葉までもがそのまま氷結してしまいそうだ。氷点下15度、全てが凍りつく世界。そこへ今宵も白魔と戦う守護神がやって来た。 ラッセルヘッドはもちろんのこと、ボンネットからキャブにまでこびりついた雪塊が苦闘の様を無言のうちに物語る。 切り拓かれた二条の路は、彼の停まった所で途切れていた。

宗谷本線 雪361〜371レは、全国でも数少ない定期排雪列車である。片道200qにも及ぶ名寄−南稚内間を冬の間毎日1往復。 荒れ狂うブリザードから最果ての鉄路を守るため、日々彼らの奮闘は続く。特にこの年は全国で記録的な大雪となった。 4連休を取って現地に乗り込むも、日中は猛烈な地吹雪で撮影どころではなく、夜な夜な音威子府の駅で寝袋に包まってひたすらバルブに没頭した。 深夜1時過ぎ、エンジンの鼓動が高まり、ラッセルは再び漆黒の戦場へと動き出す。テールランプが闇に消えるまで、私はその後姿を見送った。



【2月の表紙】

2007・02・11 内房線 浜金谷−保田 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
地元千葉で久々にD51が走ったのは、今から3年前のこと。区間は内房線木更津−館山。普段は架線下のSLには興味すら抱かないのだが、今回は海が絡む分ちと勝手が違う。 電化っぽくないところで、看板が目立たないように、かつ内房線らしく撮れる所は…。矛盾だらけの条件を並べて悩んだ末に、鋸山からの大俯瞰を試みた。 暖冬の影響か富士山が靄って全然出ないといわれた年だったが、対岸久里浜の工場群や浦賀水道を行き交う船は切り立った断崖からよく見えた。 定時、ここまで響く汽笛を一声轟かせ、デゴイチはゆっくりと浜金谷駅を発車。ギャラリーに見送られながら手前のカーブに差し掛かったところを、中判の一発勝負で切り取った。

定期の国鉄型が次々と消えてゆく一方、JR東日本は今度C61を復活させるらしい。 21世紀ももう10年目、これからはデジカメでSLを追うのが最も“ナウ(笑)”な鉄の姿になるのだろうか。 トレンドの荒波に揉まれながら、それでも前向きに生きるサーティーズ鉄ちゃんは、さて、一体何を撮ろうかな…。



【3月の表紙】

2008・03・22 小田急小田原線 渋沢−新松田 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
花といえば桜。いにしえの都人たちからそう言い伝えられてはや千年、21世紀の鉄の世界でも春の風物詩は桜と相場が決まっている。 が、その陰で不遇を託っているのが梅である。 確かに桜の名撮影地は数え上げればキリがないが、梅の名所は偕楽園(臨)とかつての可部線水内の鉄橋(03年廃止)くらいしか思い浮かばない。 それは花は小さく地味だけど、桜の前の3月のモチーフとしてもう少し注目されてもいいのではないだろうか。

この日は天竜川でブルトレ朝練に励んだ帰り道、陽気に誘われて小田急に立ち寄ってみた。事前調査はしていないが、運が良ければ昼前後のスジに原色LSEが入るはず。 名所菖蒲の築堤で周囲に聞くと、次の「はこね」で上っていくとのことだった。後追いかぁ…。そこで一考、立ち位置の脇にあった梅に目を付ける。 華やかさはないけれど可憐な花は、少しアップ気味ならいい感じ。バックにはアウトフォーカスでロマンスカラーを配す。よし、これで「相模路早春賦」の出来上がり!



【4月の表紙】

2007・04・30 因美線 因幡社−智頭 (Mamiya645PRO SEKOR 210oF4N RVP100)
追っ掛けでやって来たこの場所こそが、この列車を捉える大本命。草生した林道を息を切らせながら速足で上がり、あらかじめセットしておいた三脚にペンタとマミヤを据え付ける。 もうすぐカーブの奥からタラコ47が姿を現すはずだ。日の長い時期の因美線名物、朝の47運用に今日は未更新の原形車が入った。 昨夜の終列車で充当を確認してからというもの、気分が高揚してしまって我々も夜明け前からフル稼働。 欲張って土師で田んぼの水鏡を極めてから、事前に場所取りしておいたメインポイントに転戦してきたのだった。 ほどなく、静寂を破るようにエンジンの唸り。新緑と山桜に包まれた渓谷に、国鉄時代と何ら変わらぬタラコの2連が現れた。

先月の国鉄型激減のダイヤ改正が終わってからというもの、新たな目標探しに窮していた感のある我々だったが、朗報も入って来た。 キハ58・28・52の次は40系の時代とばかりに、各地でタラコの復活が続く。 西日本エリアでは経費節減でキハの単色塗装化が進み、北海道ではリバイバルとして釧路のヨンマルが朱色5号に甦る。 鉄の世界は滅びそうで滅びない。さぁ、今年も頑張るか!



【5月の表紙】

2006・05・04 只見線 上条−越後須原 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
驚くほど季節の進みが遅い今年の春。GWも近くなってようやく奥会津で桜が咲いたという話を聞き、4年前の記憶が甦った。 あの冬は稀に見る厳しい寒さに見舞われ、日本海側を中心に記録的な豪雪が続いた。 冬将軍の爪痕は春になっても生々しく、もう5月と言うのに魚沼平野では各所にまだ雪が残っていた。当然木々は冬枯れで新緑の芽吹きにはまだ遠い。 それなのに、連休中に新津の国鉄色3連で運転された列車は、「只見新緑号」。「只見残雪号」の間違いだろう!と笑いながらアングルを探した。

六十里の冬季閉鎖区間で1カット撮ってから、大白川の停を挟んで2発目を撮るべく国道を流す。 色味のない沿線に閉口して万策尽きたかに思われたその時、左手に満開の桜並木が見えた。ここだ!瞬時に決断を下して撮影準備。 5月というのに、新潟というのに、周囲は雪が残るというのに咲き誇るソメイヨシノというのもいとをかし。 背後の高圧鉄塔を薄紅色の花で隠せるピンポイントの立ち位置を探り、列車が来るのを待った。



【6月の表紙】

2001・06・01 山陰本線 田儀−波根 (OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 RVP(+1))
鋭い初夏の日差しがようやく西に傾き始めた。瑞々しい緑に覆われた海岸線の崖の上を、か細い線路が一筋に走る。 冬の荒れた姿が嘘のように日本海はどこまでも穏やかな表情を見せ、 遠く水平線の上に蒼く島根半島の山並みが浮かんでいた。 山陰本線出雲市以西、特に小田〜田儀〜波根にかけては、 “偉大なるローカル線”の異名を持つ同線でも屈指の車窓風景が続く。 カメラ片手の旅人にとっても、この地はハイライトの連続。マミヤは中望遠でセットした。OMはワイドに標準で構えてみようか。 ファインダーには緑と青の原色の世界が広がる。17時過ぎ、キハ58の「石見ライナー」が登場。夕日を浴びた海辺の鉄路に国鉄色の風が吹き抜けた。

実は、この年は出雲市以西の国鉄型キハの最終年だった。焦ってはいたものの、就職活動に阻まれ思ったように撮影には出られない。 すでに7月改正での「おき」や「石見ライナー」の置き換えが発表済みで、残された日数は本当にあと僅かとなっていた。これから数日後、中国地方に梅雨入りの宣言。 あ〜ぁ…ぐずつく天気に悶々としながら過ごすこと約1ヶ月、そのまま梅雨明けを待つことなく、七夕の日を最後に老兵たちは静かに姿を消したのであった。



【7月の表紙】

2008・07・13 米坂線 手ノ子−羽前沼沢 (Mamiya645PRO SEKOR A200oF2.8 RVP100)
蝉の声を聞きながら獣道を登ると、眼下に緑一色の峠路を下る大カーブが見えてきた。米坂線と言えばここ!と言われる定番中の定番“手ノ子の俯瞰”。 運用通りなら今日はタラコ&ツートンがバリ順のA3スジに入るはずだ。 まぁ、そうでもなければ従妹の結婚式の後酔いを醒まして予備校で授業をこなし、そのまま終夜運転で米坂入りなんていう、それこそ「酔狂な」マネはしやしない。 ところが、アングルにはチバラギ氏と私の2人だけ。「本当に次は国鉄色なのか?」そんな心配をあざ笑うかのように、8時半、カーブの先からタラコ色のキハ40が顔を出す。 5月の訪問から約2ヶ月、すっかり深みを増した緑の中に鮮やかな2連がピタリと収まった。

今年も曇天続きの梅雨時にぐずぐずしているうち、見る間に緑が濃くなってきた。山は新緑から深緑へ。あとはお天道様の出現を待つばかりである。 何しろ西目の「あけぼの」や中小国の「はまなす」など朝練シーズンの課題がまだまだ山積み状態。これらを片付けずして8月の声を聞くわけにはいかない。 夏期前の雑務に忙殺されながら、一瞬の晴れ間を待ち望む今日この頃である。



【8月の表紙】

2000・08・15 山陰本線 岡見−鎌手 (MamiyaM645 1000S SEKOR A150oF2.8 E100VS)
やっと8月というべきか、もう8月というべきか、今年もいよいよ夏本番。 照りつける日差しが、青い空と白い雲のコントラストが、群青色の水平線が、深い緑の山々が写欲をそそる。 毎年恒例の夏遠征、今年はどこへ行くとしようか。ブルトレ狙いで北東北?タラコ40で道東?それともリバイバル100系で岡山・広島? 撮るものが減ったとはいえ、こうして地図を片手に悩むひとときがまた楽しい。

10年前は、国鉄型気動車最後の夏!と聞いて、スーパーカブで山陰を巡った。 キハ181系の「おき」「いそかぜ」58・28の「石見ライナー」と名優が行き交う中、彼らと並んで益田界隈で格好の被写体となったのが、今なお現役のDD重連、通称“岡見貨物”だった。 この日も早朝の山口線内から追っ掛けて、最後の重単回送を狙いに青浦鉄橋にやって来た。 ここ数日の晴れ続きで今日は遠景のヌケが悪い。定番構図ならカマ2両と水平線を入れて標準で極めるところだが、ここは思い切って中望遠で切り取ろう。 潮風に吹かれて待つことしばし、甲高い汽笛が一声響くと、真っ青なキャンバスに朱いカマが颯爽と現れた。



【9月の表紙】

2007・09・23 室蘭本線 豊浦−大岸 (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1))
ブルトレの撮影を終えてから、海沿いの展望台に登ってみた。見渡せるのは、眼前に広がる噴火湾と、切り立った断崖の裾を縫うように海岸線に沿って走る複線非電化の二条の鉄路。 穏やかに晴れ渡ったこの日、駒が岳を対岸に望む内海はどこまでも静かだった。 対照的に、振り子気動車の「スーパー北斗」・単行のキハ40など結構な頻度で列車が行き交う北辺の動脈はなかなかの賑わいを見せる。 これらを撮りながら待つことしばし、トンネルの奥に2灯のライト。今や貴重なDD51牽引の4091レが、長編成のコキを従えて現れた。

猛暑猛暑と騒がれたこの夏も、ようやく終わりが近づいてきた。気付けば夕暮れはずいぶんと早まり、日が沈むと乾いた風が心地よい。 これからの1ヶ月で季節は見る間に進んでゆく。 空は高くなり、金色に染まった水田が輝きを増す。 しかし、昨年まで只見や米坂、飯山などで我々を楽しませてくれた新津のキハはもういない。 この秋は、一体どんな鉄道情景を切り取ることができるのだろう。



【10月の表紙】

2003・10・16 烏山線 大金駅 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1))
昨今流行りの国鉄色リバイバルが始まったのは一体いつ頃からだっただろう? 確か嚆矢は盛岡のキハだったから、かれこれもう10年ほど前になろうか。 その後米坂や大糸でも懐かしい塗装が甦り、我々を熱くしたのは周知の通りである。そんな中、関東近郊でひっそりとタラコ色に装いを変えたキハ40がいた。 烏山線の運用に就く宇都宮所属の1両である。2003年に烏山線開業80周年を記念し、春から秋までの限定で運行された。

烏山線…はて、アングルなんてあったかな? 唯一有名なのが、その名も滝駅近くの滝アングル。でも、どうも構図が不自然で好みではない。 考えた末、交換駅の大金へ。大金−烏山間はスタフ閉塞なので、キャリアの受け渡しが見られるはずだ。間もなく小学生の一団が待つ2番線に列車が到着。 スタフ授受の前に、喜んでポーズをとってくれる小さなお客さんたちに、こちらも笑顔で手を振りながらカメラを向けた。 あれから7年、この子どもたちも立派な高校生になっている頃だろう。 もしまたこの地に国鉄色が走るなら、今度は大きくなった彼らを入れて、もう一度こんなスナップを狙ってみたいものである。



【11月の表紙】

1999・11・21 紀勢本線 藤並−紀伊宮原 (MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1))
11月といえば紅葉!そう言って線路際をさまよい始めてからずいぶん時間が経つ。 盛岡ローカルから米坂、磐西・只見の「ぐるり」、大糸線…各地で国鉄キハと錦秋の山並みとの組み合わせを堪能してきた。 しかし、晩秋の風物詩は紅葉だけではない。クリアーな大気、低く柔らかい西日、冬のようでいてまだ葉を残す木々などなど、こうした雰囲気でどれくらい“秋”が表現できるのか。 ちょっと大袈裟ではあるけれど、今月はそんな挑戦を兼ねて南国和歌山のカットを表紙に持ってきた。

この日は滅多に動かない有田鉄道のキハ58がイベントで走るという話を聞きつけ、朝一の電車で藤並に向かった。 すっかり色褪せた両運転台の特注ゴッパを下津野付近の小さな鉄橋で撮り、金屋口の車庫を冷やかして午後には早くも撮影終了。 だが、せっかくのバリ晴れ、このまま帰るのも勿体ない。持参した資料によると、午後に2本165系の運用がある。 アングルは、行きの車内で見当をつけた藤並手前のコンクリ橋でどうだろう。ぶっつけ本番で国道沿いのみかん山に登ると、予想以上の絶景が広がった。 15時過ぎ、6連の 368M が和歌山へ行く。 温暖な紀州路らしく山はまだまだ緑だったが、景色を照らす晩秋の光線がそうさせるのか、耳慣れたはずのMT54主電動機の音が、今日はどことなく郷愁を帯びて感じられた。



【12月の表紙】

2000・12・02 山陰本線 餘部−鎧 (MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N E100VS)
秋の風情を求めて週末毎に全国行脚を重ねるうち、気付けば暦は12月を指していた。 関東地方ではまだまだ紅葉の名残が残り晩秋の気分が抜け切らないが、そういえば巷に流れるBGMはいつしかクリスマス・ソング一色になっている。 期末試験に冬期講習、年賀状に雪山合宿…今年もいよいよ文字通りの「師走」到来である。

社会人となった今から振り返れば、学生時代は年末とはいえ暇なものだった。 どうせ大学の試験なんぞ年明けから。何も早いうちから焦って勉強する必要はない。 というわけで、この日は真昼間に山陰本線を下る“旅路”を迎え撃つべく、F31氏・さささ先輩と組んで餘部のお立ち台に向かった。 移動性高気圧に覆われた当日は、冬の日本海側とは思えぬスカッ晴れ。深紅のトレッスル橋が柔らかな光線を浴びて佇んでいた。 まだ伐採前のお立ち台は、木の枝をかわして撮れるポジションは実にピンポイント。 身内同士固まって待つことしばし、轟音と共にトンネルから“クリスマス・カラー”の編成が飛び出してきた。あぁ懐かしき10年前…。 2010年の締め括りとなる今回は、この8月に使命を終えた旧余部橋梁へのオマージュを込めて、この写真を出してみた。



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