Top Page GALLERY 2011


【1月の表紙】

2002・01・12 伯備線 岸本−伯耆大山 (MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1))
一昔前なら、1月の風物詩といえば各地で運転されていた初詣臨だった。 関東では八高線で低い朝日にパシニのキャブが照らされる高尾臨やロクイチ・パックなどエースガマが木下の築堤を続々下る成田臨、 関西ではワカ座・サワ座が加太を越える伊勢臨に伯耆大山バックの大サロ・岡サロが撮れる大社臨…と東西問わず撮影ネタに事欠くことはなかった。 この年は就職で京都を離れる前の最後の冬、珍しい日本海側の晴れ予報に誘われて伯備線にやって来た。狙いはロクヨン牽引の岡サロ。 左右に美しく裾を引く名峰大山を背にしたアングルに、ブロワー音を響かせながら一般型の9号機が現れた。

翻って今日、カマも無ければ客車も無く、暖冬でラッセルも絵にならない場合には完全な八方塞がりに陥ることも多くなった。 この冬は一体何を狙おうか?幸い3月改正での大きな動きはないようだ。こんな時こそ自分独自の視点で新たな被写体を探すチャンスかも知れない。 EF510 ブルトレ?久留里の夜間タブレット?それとも…。魅惑の鉄道情景を探す旅はまだまだ続きそうである。



【2月の表紙】

2004・02・08 石北本線 金華−常紋(信) (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
石北本線、常紋峠。この名を聞いて胸が熱くなる同士もきっと多くいることだろう。 かつてはデゴイチ・キューロクの変則重連が爆煙を上げ、現在では2台のデーデーがスーパーチャージャーの唸りも高らかに羊腸の道に挑む日本屈指の撮影名所。 重量級の貨物列車が急勾配に喘ぎ、鋼鉄の機械に生命が宿る伝説の舞台。 今から十数年前にDD51を特集した雑誌でブームに火が付き、その流れに乗せられるように私も白銀の峠を目指した。 以来、学生時代を通じて「2月と言えば北海道!2月といえば常紋峠!」という冬が続くことになった。

この年は社会人になってから最初の常紋参り。67初参戦のツアーだった。受験生を送り出した後のしばしの休暇で白滝〜留辺蘂を東奔西走。 最終日の朝はド快晴に恵まれ、8557レのハイライト、150KPの逆俯瞰にアタックした。パウダースノーをラッセルしながら高度を稼ぐ。 最高条件の今日だからこそ妥協はしたくない。一番高い所までよじ登って165oをセット。 一面の銀世界に現れた原色先頭の重連に手応えを感じながらシャッターを切った。 あれから7年、機関車はプッシュ・プルに代わり、更新機が増え、スジが削減された。そして、ついに石北本線の貨物列車は今シーズン限りで運転終了になるという。 剥き出しの鉄道の魅力を肌で感じられる 「聖地」が、また一つ我々の前から消えようとしている。



【3月の表紙】

2008・03・02 島原鉄道 阿母崎−愛野 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1))
春3月、暦の上では新たな季節の到来ではあるけれど、野も山もいまだ枯れ木に覆われて花の季節の実感には程遠い。 長崎本線で廃止間際の「あかつき」を撮った後、これまた区間廃止間際の島原鉄道の沿線を流しながら頭をひねる。どこかに春らしさの欠片はないものか? 間もなく、阿母崎−愛野の国道並走区間で僅か数メートルではあるが黄色のカーペットを発見。おぉっこれは!早速車をターンして現場に直行。 見ると、歩道とレールの間に菜の花が咲いていた。 あれこれ考えている時間はない。 手前の菜の花にピントを合わせ、バックでキハをブラす。軽やかなジョイント音と共に一陣の春風が吹き抜けた。

例年この時期はダイヤ改正に追われながらの撮影が続く。ブルトレ・ローカル私鉄・国鉄型車両…。 幸い今年は路線の消滅のような大きな変化はないが、それでも来春廃止となるであろう列車は今日この日からがラストシーズンの幕開けである。 今年のターゲットは何にしよう? 桜や新緑に彩られた撮影のオンシーズンまでもう少し。 移りゆく景色を眺めながらゆっくり考えるとしようかな。



【4月の表紙】

2004・04・24 磐越東線 三春−要田 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1))
2003年から3年間、毎年GWの前週に磐越東線では高崎の旧客を使った「あぶくま新緑号」が設定されていた。 牽引するカマは年ごとに変わり、初年度は御召機DD51 842、翌年は茶色のDE10 1705、最後の年は原色のDE10 1651がぶどう色の客車をエスコート。 被写体としてはデーデーや朱色のデットーがベストだが、沿線の新緑が最も鮮やかだったのは茶釜が登板した2004年だった。 定番三春−要田のオーバークロスには早朝から三脚が林立し大入り満員の気配。早々とベストポジションを確保してペンタ300でアングルを決める。 待つこと2時間、石積みのトンネルを抜け、淡い緑に包まれた築堤にレトロ編成が現れた。

今回の震災で東日本の交通網は各地で寸断された。高速道路は開通し始めたものの、磐越東線はいまだ大部分で運転見合わせが続いている。 被災地の現状を伝えるニュースを見る度に、復興への道のりの険しさを痛感する。だが、燃料輸送の貨物列車が走り始めるなど少しずつではあるが東北は立ち上がり始めた。 この撮影地からほど近い三春は、梅・桃・桜が一時に咲くことからその名が付いたという。今でも滝桜は南東北に春を告げる桜の名所として名高い。 1日も早く、みちのくの地に花咲き木々芽吹く季節が来ることを願いたい。



【5月の表紙】

2008・05・04 大糸線 中土−北小谷 (PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1))
数年前まで、G.W.の前夜は何も計画を立てずにとにかく中央道を爆走し、新緑がピークを迎える大糸線に進路をとっていた。 アングルは多彩で、巡り合わせが良ければ1日中国鉄色が運用に就く。アップよし、俯瞰よし、毎年のように通っても決して飽きることはなかった。 この日は高気圧直撃のド快晴!朝一の南小谷往復を終点近くの眺望の里で押さえてから末期にブームとなったこの場所へ。 次は青ツートンだからちょっとヤル気は削がれるが、それでも美しい木々の芽吹きは心を清々しくしてくれる。 早々にカメラをセットして、鶯のさえずりを聞きながらのんびり列車を待った。

そんなフォッサマグナの楽園から老兵キハ52が引退して1年余り。もう彼らに会うことは叶わない…そう思っていた。 しかし!その中の1両が我が地元千葉で復活の狼煙を上げた。もうご存知の方も多いだろう、いすみ鉄道が集客の起爆剤にとキハ52 125を購入し、イベント運転を開始したのである。 以前は風景に映えないと避けられがちだった青ツートンの塗装も、美しい国鉄一般色へとお色直しを済ませた。 菜の花の里で第二の人生を歩む古武士に、これからも熱い視線を送り続けていきたいものである。



【6月の表紙】

2001・06・02 山陰本線 梁瀬−上夜久野 (MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1))
この春西日本で一番の注目列車だった「こうのとり」。人気に火をつけた381系は5月一杯で運転終了となったが今後も残る3灯ライトの183系だって実はなかなかカッコイイ。 昔は「あぁ、1本アンダーラインが入っているヨンパーゴね…」という認識しかされていなかったが、今や全国唯一の定期運用を持つ国鉄色特急車両である。 しかも鉄の頭を悩ませていた“]”マークが外されてイケメン指数は3割増し! 5月に2度訪問してある程度アングルもわかったし、今度は183系だけでも狙いに北近畿エリアを訪れたいものである。

そんなことを考えながらストックを漁っていたら、10年前に撮ったこんなカットが出てきた。 好天に誘われて山陰西部に遠征した帰り道、日曜夕方に9号線を走っていると、右手にエロ光線に照らされた築堤が見えてきた。 とりあえず何か撮りたい…時刻表をめくると、もうすぐ「北近畿11号」がやって来るようだ。急いで立ち位置を探してセッティング。 正直、見上げのアングルは好みではないが、ウロウロしている時間はない。マミヤ150oで構図を整えると、程なく西日を浴びた特急色が現れた。 今年は例年になく梅雨入りが早かった。6月初旬の瑞々しい緑と朝夕の鮮烈な光線が恋しい今日この頃である。



【7月の表紙】

2000・07・22 智頭急行 河野原円心−苔縄 (MamiyaM645SUPER SEKOR 80oF1.9N E100VS)
ようやく梅雨明けの気配が見えてきたのか、この日は文句なしのド快晴だった。 未明から上郡−三石に乗り込んでブルトレとセンゴック貨物を撮り、国道373号を北上する。 次のターゲットは智頭急行を走る特急「いなば」。山陰特急が健在だった当時は影が薄かったが、実は近畿圏から最も近くで見られるキハ181であった。 しかし、地味だったがゆえに撮影地があまり開拓されていない。有名な河野原円心俯瞰も午後アングル。 う〜む…。だがここで逆転の発想。定番を裏側から撮ったらどうなるだろう?果たして、千種川の河原からは、緑濃い山を背に延々続く大築堤を見上げることができた。 導入直後だったマミヤの大口径標準80oF1.9Nで広めにセット。9時半前、「いなば2号」は清流に影を映して高速で走り去って行った。

大空振りの中国ツアーで幕を開け、震災の影響で鉄どころではない春を過ごし、例年にない早い梅雨入りで家で腐り続けているうちに、はや2011年も前半戦が終了。 振り返るとこの半年、ロクな写真が撮れていない(汗)。だが、それでも夏はやってくる。 我慢の夏、節電の夏、色々言われてはいるけれど、鉄ちゃんとしては少々暑くてもガッツリ晴れる夏らしい夏であって欲しい。



【8月の表紙】

2010・08・13 八戸線 陸中中野−侍浜 (NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100)
真上から照りつける強烈な日差しに恐ろしささえ感じながら三脚をセットする。 雲一つない快晴に恵まれた今日は、北東北といえども何の容赦もない35度オーバーの真夏日である。遮る物のない国道の大橋からペンタ400とサンニッパで峠越えの線路を見下ろす。 猛烈な生命力で生い茂る草木と微かに線路沿いを彩る黄色い花のコントラストが、今日のターゲット、タラコ色の気動車を引き立ててくれるはずだ。 間もなく列車が侍浜を出る時刻。時計の針と木々の合間を代わる代わる凝視する。来た! 車の往来が途切れた合間を縫うように、一瞬静まった山間に昔懐かしいエンジン音を響かせて、タラコ3連が舞台に登場した。

震災の影響が大きかった八戸線は、現在も階上−久慈間が運休中となっている。 この峠越えのポイントも、名所陸中八木−有家の海バックも、遠く首都圏に住む私には現況が全くつかめないままである。 腕木やタブレットが消えて運行システムこそ自動化されたものの、昔ながらの沿線風景に原形非冷房のキハ40たちが活躍し、国鉄時代の雰囲気がいまだ色濃く残っていた八戸線。 今はただ沿線の街が少しでも早く復興し、鉄道の運行が再開されることを願うばかりである。



【9月の表紙】

2001・09・22 名鉄谷汲線 長瀬−赤石 (MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1))
今からちょうど10年前の9月末、西美濃の地から2本のローカル線が消えた。 一つは名鉄揖斐線 黒野−本揖斐間、もう一つが同谷汲線 黒野−谷汲間である。 いずれも大手私鉄の雄名鉄の一路線とは信じがたい長閑な沿線風景が広がる路線であった。 中でも、昭和の時代で時が止まってしまったかのような谷汲線は大学1回生の頃からのお気に入り。 暇さえあればぶらりと出掛け、通い倒すこと十数回。 RM誌に撮影地ガイドを発表するなど、ずいぶん楽しませてもらったものだった。

廃止まで1ヶ月を切ると、谷汲詣でに猛ラッシュを掛けるようになった。現地で先達から俯瞰場所もご教示いただき、9月中旬は1日おきに根尾川沿いで山登り。 京都にはほとんどバイトのためだけに帰るという状態になっていた。秋分の日の連休には、今も変わらぬ“さよならブーム”というやつで、沿線はありえないほどの鉄だかり(汗)。 車内も当然エラいことになっているらしく、輸送力増強のため古豪モ510も登板し、上下合わせて15分ヘッドの運転が続いていた。 思えば、この大正生まれの丸窓電車も幼き日々の憧れだった。だからこそ、たまにはきっちりアップで撮ろう。 定番カーブで構えると間もなく、カツン・カツン…という乾いた踏切の鐘の音とともに、懐かしい吊り掛け駆動の唸りが響いてきた。



【10月の表紙】

2003・10・04 美祢線 厚保−四郎ヶ原 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP100)
8年前の秋、島根で行われる豊かな海づくり大会に合わせて、山陰本線〜山口線で“なにわ”の御召が走った。 前の日の晩には現地入りしようと朝一の飛行機で山口宇部空港に飛び、行き掛けの駄賃に美祢線の石灰貨物を狙う。 曇りベースの空模様にどこで撮ろうかしばし逡巡の後、黒セキを追っていた頃の記憶を頼りに厚保−四郎ヶ原の棚田の俯瞰に落ち着いた。 数年のうちに栗林の枝が伸び、ベストポジションは極僅か。 ならば無理に広めのレンズで編成を入れるよりは、ペンタ 300で曇り空をカットして黄金色の田んぼを大きめに切り取ろうではないか。 どうせ曇天、ダメで元々である。攻めの構図でも後悔はない。ところが遠くでDDの甲高いホイッスルが鳴ると同時に雲が割れた。 見る間にアングルに朝日が差し込む。「晴れたぁ!」 画面内だけ見事な全開露出で赤ホキが通過。 翌日のXを予感させるような劇的な逆転勝利であった。

間もなく、昨年の台風で美祢線が寸断されて以来、実に1年数か月ぶりに岡見貨物が運転を再開する。 今や全国唯一となった100%原色DDの花形列車。 季節の彩りの中に朱いデーデーを追い掛ける日々を、私たちは今から心待ちにしている。



【11月の表紙】

2002・11・04 土讃線 土佐穴内−大杉 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1))
この日は風の強い日だった。谷を渡る強風が容赦なく顔を打つ。ここ土佐穴内−大杉は、古くはDF50がズルツァーサウンドを響かせていた頃からの土讃線きってのお立ち台である。 さすがに21世紀にもなって多度津の保存車 DF50 1号機がお出ましすることはないけれど、今日は西日本から車両を借りて、かつての四国のエース、キハ181の「南風」がリバイバル! 午前中に高松に上って行った列車が、もうすぐ高知に向けて下って来るのである。ペンタ67は300o、F4sは80-200oで2台切り。 間もなく、愛称とは裏腹に、梢を揺らす北風に乗ってターボエンジンの唸りが響いてきた。幼き日々に絵本で眺めた椿のマークも誇らしげに、国鉄色のキハ181が色づき始めた渓谷を行く。 夢のような光景に、自然とシャッターを切る指が震えた。

あれから9度目の秋が来た。例年この時期は錦秋に染まるローカル線にキハを追うのが恒例になっていた。しかし、各地で次々と国鉄型車両が引退。 最後まで我々を楽しませてくれていた新津のタラコも、今年は磐西・只見の水害で運転なし。はてさて、一体どこで何を撮ればいいのやら? 悩んでいるうちに、ニュースでは東北からの紅葉の便りが流れ始めた。季節は私たちを待ってはくれないようである。



【12月の表紙】

2010・12・21 常磐線 広野−末続 (PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1))
穏やかに広がる水平線が紅に染まり、冬の遅い朝日がゆっくりと顔を出す。大海原には一筋の光芒。午前7時ちょっと前、間もなくED75牽引の下り 97レの時刻である。 1年で最も日の短いこの時期ならドラマチックな日の出をバックにシルエットができるのではないか?今日はそんな当たりをつけて未明の常磐道を走って来た。狙いはピタリ。 刻一刻と上がっていく露出に悩んでいると、すぐに甲高いホイッスルが聞こえてきた。小柄なナナゴに似合わぬ大きなパンタが波間に抜けた瞬間を、一発勝負の67で切り取った。

それから約3カ月後のことである。ここ福島県浜通りは震災と原発事故で甚大な被害を受けた。人も、街も、鉄道も大きなダメージを受けた。 海沿いを走る常磐線は各地で路盤が流失し、現在も不通。92レを牽引中だった1039号機が津波に飲まれて線路に取り残された姿を覚えている方も多いだろう。 2011年は、誰にとっても忘れられない年となった。 正直、まだ被災地に生々しい傷跡が残っていることを考えると、今回このカットを表紙にしてよいものなのか悩んだのも事実である。 でも、敢えて出そうと決めた。「明けない夜が来ることはない」。この言葉を胸に新たな年が迎えられるように。



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