Top Page GALLERY 2012


【1月の表紙】

2000・01・29 高山本線 東八尾−笹津 (MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1))
冬場は天気に恵まれない日本海側も、この日だけは週間予報でずっと「晴れ」の一点張りだった。若干の疑念を感じつつも、そこまで言われれば信じざるを得ない。 当日は折よく高山本線で“サワ座”の団臨もある。よし行こう!京都から「きたぐに」の客となり北陸を目指した。 朝は氷見線に寄り、午後から今日の本命、東八尾の鉄橋俯瞰へ。雪の積もった高台を突端まで歩いて行くと、目の前に荘厳な風景が広がった。 神通川を渡るアンダートラスの背後には、立山連峰の銀嶺が長城のごとく連なり、白く染まった平野を見下ろしている。 やがて最高条件に狂喜乱舞するギャラリーを横目に、DDにエスコートされた展望客車がゆっくりと鉄橋に現れた。

2000年代に入って今年ではや干支が一回り。振り返ればブルトレは櫛の歯が抜けるように消えていき、ジョイトレ団臨などは年に数えるほどしかなくなった。 近年我々を楽しませてくれた国鉄色リバイバル車両たちも今や第一線から退きつつある。さて、次は何を撮ろうかな? そんなことを考えているうち、間もなく業界には受験シーズンが到来。今年も仕事に追われる新年である。



【2月の表紙】

2006・02・18 大糸線 北小谷−平岩 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1))
06豪雪以来の大雪と言われる今シーズン。確かに6年前の冬は寒かった。 その頃行きつけだった大糸線は、あまりの積雪に1月中旬から不通となり、下旬になってようやく除雪作業が始まった。 だが、線路は開けたものの雪崩の危険から定期列車は走らせられず、その後も半月近く警戒ラッセルが走るだけとなった。しかし、例年ならば大糸の雪レスジは未明から早朝。 まだまだデジも発展途上だった当時、憧れながらも撮影困難だったDD16が、白昼堂々見られることになったのである。これは行くしかないだろう!

2月中旬、冬型が緩んだ頃合いを見計らっていざ出撃。どうせ大糸はラッセルしか走っていないのだからと、朝一は長電に立ち寄ってから北小谷の大俯瞰にやって来た。 いつもの登り口は雪に埋もれて取っ掛かりを見いだせず、別の斜面からアプローチして崖の上によじ登る。眼下には、白銀の谷間を走る二条の鉄路が広がった。 天候が落ち着いたこともあり、木々の着雪が少ないのが物足りないが、まぁそれは仕方ない。晴れに勝るXはなし。 ペンタ300で切り取ったアングルに、今日も朱い守護神がウィングを広げながら現れた。



【3月の表紙】

2007・03・01 飯田線 田切−伊那福岡 (PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1))
ちょっと前までは各地で当たり前のように走っていた近郊形の電車もずいぶん数を減らしてきた。 あまりにもありふれていて、お目当ての列車の“ピン電”と言われ、ついででしかシャッターを切ってもらえなかった電車たち。 確かに過去のポジを見ても、東海道の113系はブルトレの前走り、房総のスカ色も183系の特急と同じ構図の写真ばかりだった。 だが、この空気のような存在が彼らの持ち味であり、各地の日常風景を見る者に伝えてくれていた。 大事なものに気付くのは、いつもなくなる寸前と決まっている。今度の改正で飯田線から湘南色の運用が消えるらしい。そんな話を聞いて伊那谷に車を走らせた。

冬の飯田線沿線はよく晴れる。この日も日の出から雲一つないド快晴!朝一でお立ち台の七久保カーブを極めた後、返しを狙いに有名な松川の鉄橋にやって来た。 かつてアルプスバックの旧国やED62 貨物の写真を見て憧れた撮影名所。あの頃と変わらぬ銀嶺が今日も小さな鉄橋の背後に聳えていた。 この絶壁をググッと引き寄せようとペンタ300を選び、天地一杯で構図を決める。 間もなく、聞きなれたモーター音を響かせて本日の主役が登場すると、ファインダーには在りし日の“国鉄的風景”が現れた。



【4月の表紙】

2011・04・06 磐越西線 馬下−猿和田 (Mamiya645PRO smcPENTAX300oF4ED RVP100)
震災に怯えた春から1年。去年の今頃は磐越西線に燃料輸送の臨貨を追っていた。DD重連という車両的魅力もさることながら、 「立ち上がろう東北」の合言葉の下、復興支援のために多くの人が力を合わせてイレギュラーな列車を走らせるというドラマが我々を惹きつけた。 快晴に恵まれたこの日は行きを尾登の温泉場俯瞰で撮り、返しを電化区間の磐梯山バックから始めて、定番川吉Sカーブ、津川の手前のカーブと追っ掛け、 最後に皆が集まる馬下発車にやって来た。

時間に余裕がないまま三脚を立てる。ベルビア100で赤を強調したかったのでマミヤ645にペンタ300の組み合わせでセッティング。 間もなく踏切が鳴り、エンジンの唸りとともに2台のDDがゆっくりと目の前を走り去っていく。 被災地に“希望”を運んだ貨物列車は、この10日後、東北本線の開通を機に運転を終了した。 だが、あれから季節が一巡りした今も、三陸に残る瓦礫の山や福島の原発問題など被災地の傷跡は癒えていない。 これまで東北に足繁く通ってきた者として、1日も早く本当の復興の日が来ることを願わずにはいられない。



【5月の表紙】

2002・05・05 岩泉線 岩手和井内−押角 (Mamiya645SUPER SEKOR210oF4N RVP(+1))
G.W.最終日のこの日は、花輪線で国鉄色3連が走ることになっていた。が、我々は敢えて動かず岩泉に残留した。 岩手内陸のピンポイント予報がやや怪しかったのもあるが、何より新緑ピークの“エビス俯瞰”を極めたいという思いが勝ったのである。 例年東北北部が芽吹きを迎えるのは5月も半ば以降。だが、この年は季節の進みが早く連休中には山が見事な萌黄色に染まった。 こんなチャンスは滅多にないだろう。この際色は関係なく、キハ52をここで撮ってみたかった。

雑誌では前から見掛けていたものの、実際にロケハンしたのはつい前日のこと。 全面萌えるような若葉に彩られたアングルに思わず息を飲む。 8時半過ぎ、カーブを切って赤鬼色のゴーニーが現れた。ほんの一瞬のチャンスを見計らって、そっとシャッターを切る。 みちのくの大山塊の中、トコトコと単行の気動車が走る姿は“最後のローカル線”の名にふさわしい絶景であった。 そんな岩泉線も2010年に発生した土砂崩れで不通となって1年半余り、この3月についに復旧断念が発表された。 もうこの大自然をけなげに切り裂く二条の鉄路を再び目にすることは叶わない。



【6月の表紙】

2011・06・22 久留里線 横田駅 (PENTAX67 smcPENTAX55oF4 RVP(+1))
昨年は梅雨入りが早かった。ブルトレシーズンに何もせぬまま天気がぐずつくようになり、ならば雨の情景でも狙うかと思っても曇りばかりで絵にならず…。 週末ごとにこの有様ではさすがにストレスも溜まってくる。久々に晴れ予報が出たのは水曜日のことだった。 平日の晴天は嫌がらせ以外の何物でもないが、せっかくの青空、出勤前の朝練だけでもこなしていくか! 高崎線のブルトレはもう卒業したし、あと時間的距離的に手頃なのは…で、思いついたのが久留里線のタブレットだった。

すでに35判では押さえていたこのシーンだが、ぜひ中判でも撮ってみたい。撮影許可をとってペンタ55ミリで下からあおる。 上り列車が行って間もなく、足取りも軽やかに駅員氏が駆けてきた。キャリアを渡す瞬間を1発切り。 安全確認をして旗を振るところをもう1カット。 鉄道員の真摯な眼差しに見送られて、老兵キハ30は紫煙を吹き上げ発車して行った。 日々繰り返されていたこの光景も3月改正でなくなり、秋には車両も置き換えられるという久留里線。国鉄の残像が、また一つ過去のものになってゆく…。



【7月の表紙】

2003・07・22 鹿児島本線 八代−肥後高田 (PENTAX67U smcPENTAX300oF4ED RVP100)
十年ひと昔というけれど、あっという間に思える歳月も、振り返れば長い時間が過ぎているものである。 撮り溜めた写真を眺めていると、消えていった路線・車両の多さに胸が締め付けられることもしばしば。 特に近年は新幹線の開業に伴う在来線の切り捨てで三セク化された路線に郷愁を誘われる。 しなの鉄道・青い森鉄道・いわて銀河鉄道・肥薩おれんじ鉄道…単編成の電車や気動車がわずかに行き交うだけとなってしまったかつての幹線に、今やその面影を感じることは難しい。

梅雨も明けぬうちから夏休みを“強制的に”割り当てられた9年前の7月。とりあえずラストシーズンの「なは」を狙いに九州へ向かった。 晴れる望みは薄いと見て、久々に青春18きっぷで鈍行を乗り継ぐ貧乏旅行。横浜から半日かけて京都まで行き、そこから「ムーンライト九州」で関門海峡を越えた。 午後に熊本入りすると、意外や意外、天気は晴れベースになっているではないか!レンタは今日の夕方八代で借りることになっている。 それまで派手な行動はできないが、確か八代を出てすぐの球磨川の鉄橋が夏場午後順光の撮影地だったはず。路線バスのお世話になって河川敷を目指した。 工事用の青シートを被された手前のスパンをカットして、ペンタ300でトラスを切り取る。間もなく、ミレニアム急行色のGK-5編成が轟音を立ててやって来た。



【8月の表紙】

2007・08・12 山田線 陸中川井−腹帯 (MamiyaM645PRO SEKOR A150oF2.8 RVP100)
二駆の軽では登り切れないほどの急勾配の先、九十九折りのダートの突き当たりから、さらに獣道を進むと、突然右手に視界が開けた。 山塊の合間を縫うように、閉伊川の流れに沿って細いレールがS字を描く。 先達の諸兄に連れてきていただいた、山田線は陸中川井の大俯瞰。 これくらいの距離と角度で眺めると、80年余り前の人々が、どのようにこの地形を切り拓いていったかがよくわかる。 さて、今日のターゲットは原色キハ58のA47運用快速「リアス」。この夏一番の猛暑日ではあるが、空は青く雲一つない。 普段雲の通り道になるというここも、この天気なら大丈夫だろう。ペンタ300とマミヤ150oの2台をセット。間もなく、はるか遠くからエンジンの音が響いてきた。

もうすぐ世間は夏休み。 今年はスッキリと梅雨も明け、職場から見上げる青い空と白い雲はすっかり盛夏の風情になっている。 年々撮りたいものは減ってきているが、蝉の声を聞きながら、海辺で潮風に吹かれながら、朝夕の鮮烈な光線を背中に受けながら、お目当ての列車を待つ楽しい時間まであと少し! この夏は、一体どんなシーンとの出会いが待っているのだろう。



【9月の表紙】

2010・09・18 磐越西線 広田−会津若松 (NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100)
初秋の夕日は、今まさに稜線に隠れようとしていた。9月半ばの磐越西線。会津盆地から東を向くと、田園地帯を貫く単線の線路の背後に、秀峰磐悌の威容が迫る。 あと数分で「あいづライナー6号」 が現れるはずだ。しかし、淡いオレンジの光線は刻一刻と弱くなってゆく。 もう中判での撮影は諦めた。ベルビア100を詰めたF5に70-200oで最後の勝負。早く、早く来い!念じながらレリーズを握る。 間もなく、軽やかなモーターの唸りとともに、茜に照らされた583系が現れた。

今年もはや実りの秋。秋雨前線や台風に見舞われながらも、色づく田んぼに写欲をそそられる季節がやってきた。 しかし、全国を広く見回しても、被写体となる列車・車両はすっかり激減してしまった。 磐西にゴッパーサンの姿はすでにない。 数年前まであれほど追い掛け回した原色キハも東北・九州に僅かに残るのみ。我らがヒーロー、ブルートレインだって風前の灯である。 天高い青空と黄金色の田園のコントラストを求めて、さて、今年はどこに足を運ぼうか…。



【10月の表紙】

2011・10・02 小海線 馬流−高岩 (PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1))
いよいよ10月、秋も深まり、あと2週間もすれば北から紅葉前線が南下してくる季節となる。 だが、関東近辺で定期モノを狙おうとすると、10月らしい風物詩というのが意外と乏しいことに気付く。 金色の稲穂も刈り取られて田んぼは宴の後のごとく丸裸。木々は紅葉にはまだ早い。仕方なく、関心は各地で走るイベント列車に向けられることになる。 ちょうど中旬には鉄道の日もあり、ネタの数には困らない。

この日は小海線にDD16牽引の“風っこ”を追った。行きは俯瞰に登ったので、返しは秋らしいカットを押さえようと、高岩−馬流の名前通りの岩の下に当たりを付けた。 田んぼはすでに刈られていたが、稲を干すはさ掛けがズラリと並んでいる。こいつをどうにか上手く絡めよう。 プロ4全開、銀箱タテ乗りで精一杯のハイアングルにしてペンタ90で構図を決める。 待つこと小1時間、踏切が鳴ると、カーブの奥から2エンド前のチビロクに牽かれたトロッコが現れた。



【11月の表紙】

1999・11・05 木次線 出雲坂根−三井野原 (MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1))
思わず身震いするほどの冷たい空気が山間を包んでいた。まだ日の当たらない国道のおろちループから、色づき始めた山の中腹を見上げてカメラをセットする。 毎年恒例、山陰地方の秋の風物詩が木次線のラッセル試運転。 地元の地方紙、日本海新聞に必ず運転日が掲載されるとのことで、地元鉄ちゃんの御大からお誘いを受け中国山地の山懐にやって来た。 間もなく、稜線から徐々に当たり始めた朝日が、小さなコンクリ橋を山肌に浮かび上がらせた。もう列車はいつ来てもおかしくない。 構図とピントを最終確認し、強気の露出で待ち構える。 「来た!」山間に響くディーゼルサウンドとともに、赤い守護神が錦の舞台に躍り出た。

あの日から10年以上の時が流れ、豪雪路線として名を馳せた鉄路から次々と特雪やラッセルが消えて行った。 それでも、今年ももうすぐ各地から試雪の便りが届く季節。 日常の雑事に追われている間に、来るべき冬に向けて、小さい秋は一歩、また一歩と目の前を足早に過ぎ去ろうとしている。



【12月の表紙】

2001・12・31 紀勢本線 岩代−南部 (MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1))
21世紀最初の年の瀬も押し迫った大晦日、部屋の整理もせずに18きっぷで紀勢東線を目指した。 当時の黒潮街道は、原色381系こそ定期運用から離脱していたものの、ローカル運用の主力は青帯の113系、そして日中僅か2往復ながらも165系の列車も残っていた。 だが、そろそろ南国の湘南色にも雑誌による煽りが入り始めた。 行くならば今か。冬場の安定した晴れと低い光線で名優たちを捉えるべく、始発で京都を発ったのであった。

今日のポイントは南部−岩代の通称“高磯”。本当は周参見、古座、紀伊浦神など南部の名所を訪れたいところだったが、今日は白浜止めの臨時「くろしお」に原色381系が入る。 撮影効率とアングルのレベルを考えると、ここしか選択肢はなかった。その名の通り磯に突き出した岩の上からは上下両方向が見渡せる。 昼前から延々この場で、来る列車来る列車、レンズと立ち位置を変えながら撮影に没頭した。 そして夕刻、日没間際の時間に165系が南へ下る。 オレンジの光を浴びて、潮騒をかき消すようにMT54の音が響いてきた。X!銀箱に機材をしまい終えると、2001年最後の夕日は水平線にすっかり沈んでしまっていた。



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