| 2026.10.23 |
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1999.10.23 敦賀港駅 MamiyaM645 1000S SEKOR210�oF4N RVP(+1)
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今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」はなかなかに酷い。脚本グダグダ時代考証メチャメチャであまりに強引で安っぽい展開に呆れ果て、早々に離脱してアマプラで10年前の「真田丸」を全編鑑賞してしまった。やはり戦国大河は権謀術数渦巻く駆け引きの妙が見せ場。草刈正雄の真田昌幸は存在感抜群だった。織田家周辺を描いた作品なら、最近だと「麒麟が来る」が印象的。本能寺の変という誰もが知る結末に、光秀視点からどう迫るかが興味深かった。
ところで、信長・秀吉・光秀あたりを描くときに、意外とカギになるのが朝倉・浅井との戦いの端緒となる金ヶ崎城の攻防。朝倉攻めを前に敦賀付近の金ヶ崎城を攻めている最中に浅井の背信がわかり、信長の撤退に際して光秀・秀吉が殿を務めるという展開である。この金ヶ崎城があったのが、ちょうどかつての敦賀港線(北陸本線支線)敦賀港駅の裏手の山の上だった。27年前の今日、当時はそんな歴史を知る由もなく、小浜線〜敦賀港線のマヤ検があるということでコサカミ氏らとこの界隈に出掛けていた。午前中は十村−大鳥羽の築堤で小浜線の検測を撮影し、そのまま敦賀港駅に先回り。山上からは駅を俯瞰することもできたようだが、我々は敦賀港駅舎を配した構図でマヤ検を出迎えた。 信長の時代から300年余り、この地は近代においてもウラジオストクへの客船への連絡口として重要な役割を果たしていた。このマヤ検の3か月ほど前には、そんな歴史を偲んでスーパーエクスプレス・レインボーによる「敦賀港開港100周年記念号」も運転された。翻って現在、敦賀港への貨物輸送は使命を終え、路線が廃止されて17年が経つ。「雷鳥」も「日本海」もなくなってすっかり足が遠のいた嶺南の地、新幹線も開業して往時の姿はすっかり変貌を遂げているのだろう。 |