Memorial GALLERY


 2025.04.24

2011.04.24 久我原−総元 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)

先日いすみ鉄道のキハ52 125の引退の報が流れた。あれは今から約15年前、大糸線での活躍を終えたキハ52のうち1両が、いすみ鉄道に移って赤ツートンで走るらしい…そんな話を鉄宴会で耳にした。酔っ払っていることもあり、どうせ酒の席の与太話だろうと思っていたら、あれよあれよという間に噂は現実のものとなり、4月には試運転という情報も入ってきた。折しも東日本大震災で関東一円も自粛ムードに計画停電と先行き不透明だった時期だけに、明るい話題に胸が躍ったのを覚えている。さっそく試運転のスジを仕入れ、好天にも誘われて、初めてのいすみ鉄道に足を踏み入れた。

ざっと沿線を流してみると、大多喜から上総中野にかけては山間部を走るなかなか好ましいロケーション。いくつか撮れそうな場所を検討して、久我原の築堤に三脚を立てた。だいたい皆さん同じことを考えるのか、見知った顔が大集合。果たして千葉で再会するゴーニーはどんな顔で現れるのか、期待半分不安半分でその時を待つ。9時半少し前、ゆっくりとファインダーに現れたのは、紛れもなく国鉄一般色を纏ったキハ52 125だった。きれいにおめかしした姿に一安心、その一方で無粋なマークにややガッカリというのが、シャッターを切った後の一同の感想。それでもこのロケーションに惹かれ、大糸詣での続編を楽しむように、以後10数年にわたって奥房総の第三セクターに足繁く通うことになったのだった。

だが、キハの運転を目玉にしてきた鳥塚社長が辞めて以降、減便に運転日数の減少と、いすみ鉄道から目に見えて国鉄型気動車への熱意が薄れるようになってきた。また、運行が広く知られるようになるにつれ、利己的言動が目に余る自警団やカルト的信者などミステリアスな有象無象が跋扈するようになってきた。挙句例の事故での長期運休。名車キハ52最後の1両のラストとしては寂しさも残るが、これでもう潮時か…という諦念も抱かざるを得ない今日この頃である。



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