2025.03.29 |
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1998.03.29 軍畑−沢井 OLYMPUSOM−1 ZUIKO135oF2.8 RVP(+1)
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先の3月改正で中央西線の重連運用がなくなり、いよいよ最終章を迎えた感のあるEF64-1000。国鉄型最後の直流型機関車ですらこのような状況なのだから、カメラを握って以来国鉄型車両をメインのターゲットとしてきた我々にとってはまさに“おまんまの食い上げ”、被写体の枯渇ここに極まれりである。思えば「北陸」や「あけぼの」など花形のブルトレ運用で活躍していたのも、はや10年以上前のこと。カマも我々も歳をとるわけである。
そんなロクヨン1000番台も、私が大学に進学する直前までは都心にほど近い所にホームグラウンドを持っていた。それが青梅線の貨物列車。奥多摩の石灰石を浜川崎の第一セメントまで輸送する列車で、1日6往復もの赤ホキがオレンジの201系に混ざって東京北西部の山間地帯を走っていた。とはいえ旧型電機の名車ED16の姿はとうの昔になく、EF64が単機でホキを牽くだけの姿というのは、当時各地に存在した名物カモレに比べると大変地味な存在だったように思う。だが、そんな列車も1998年3月一杯でトラック輸送に転換されることになり、俄かに雑誌等で注目を浴びるようになった。折しも受験を終えたばかりの18歳は、東京を離れる前に爪痕を残そうと、18きっぷで日帰り多摩の旅に出たのだった。 RM誌のガイドを頼りに軍畑の駅を降りて、まずは定番の鉄橋で1枚。その後は林道をてくてく歩いて俯瞰ポイントにやって来た。OM−1に135oで構えると、手前の築堤にカマとホキがチラリ。そして背後には先程撮った軍畑の赤い鉄橋が見える。編成全部は抜けないけれど、青梅線らしいポイントである。当時はカメラ1台に三脚1本。一球入魂ならぬ一台入魂で、ファインダーに現れたロクヨンを注視して1枚こっきりのシャッターを切った。 |
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