Memorial GALLERY


     2025.07.31

1994.07.31 小沢−銀山
 OLYMPUSOM−1 ZUIKO75-150oF4 SuperHG400

初めてポジフィルムを手に撮影を主目的として北海道に渡ってから30年が過ぎた。OM−1に75-150oと写真部から借りた35-70o、Tokina70-210oというラインナップ、それに5000円のホームビデオ用へなちょこ三脚と今から思えば装備は貧弱極まりないが、それでもファインダーの向こうには「C62ニセコ」がいて、深名線があって、札幌から毎夜各方面に夜行列車が出発していた。機材はショボくとも曲がりなりにもポジで記録したので、きちんと保管した原版には現在もクッキリと画像が刻まれている。

だが、その前年に初めて渡道したときはポジを使いこなす勇気がなくISO400のネガフィルムしか持参しなかった。しかも同行者を引き連れて、半分以上は乗り鉄の旅。それでもこの日は単独で山線に乗り込み、往路を白樺バックのSカーブ216.7kp付近で撮影。手持ちゆえ煙は入らず、編成も2両目以降が巻いてしまって見えないというお粗末極まりない構図ではあったが、生まれて初めて日本最大の旅客用蒸機が走っている姿を生で見て、足が震えるほどの感動を覚えた。

返しはそのまま続行のキハに1駅乗って小沢駅付近で構えた。記録的な猛暑に見舞われたこの年は、北海道でも連日40度近い気温が続き、徒歩鉄ではもはや駅発車が限界。ちょうどRM誌117号「蒸機こそすべて」で、DT200A氏が復活後最初のシロクニを小沢発車で見送ったという記事を読んだこともあり、駅外れの首カックンで待つことにしたのだった。とはいえ、これも今思えば謎な選択で、なぜ客車の入らない角度から狙ったのか、せっかくの木造跨線橋を入れなかったのか、アングルに入る鉄ちゃんの人だかりは気にならなかったのか…など疑問は尽きない。けれど、31年の月日を経た今となっては、全ては若気の至りということで納得するしかない。腕前は仕方ないとして、平成初期の北海道にこの足で立てた幸運に感謝したい。



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