撮 影 機 材 紹 介 〜Nikon Digital システム〜


Nikon D5  D800導入以来デジも併用するようになったが、それでもD一桁機に手を出す勇気は持てていなかった。 というのもD3Sは高速連写と100%ファインダー以外すでに持っていたD700を超えるメリットが見出せず、後継機のD4も1623万画素では60万円を叩きつける決断はできなかった。 D5の噂が出た時に、自分の中で2000万画素オーバーを一つの基準とした。 果たして、2016年3月に発売されたD5は2082万画素。超えてしまったか…。 嬉しさの反面、それは夏ボーナスの大半が我が口座を素通りして行くことを意味していた。
 だが、清水の舞台から飛び降りる選択は間違っていなかった。高速連写とグイグイ食いつく動体予測、 素早いレスポンスは人為的ミスを極限まで減らしてくれる。 それに加えてISO102400までの超高感度特性は、三道嶺で暗闇の中を驀進する“炎を吐く蒸機”を描き出すことを可能にしてくれた。 コイツを手にしたことで、12年間使い続けてきたF5から卒業する決心がついた。
 2020年5月、次なるフラッグシップD6がリリースされる。だが、画素数は2082万画素止まり。 連写やAF性能の向上が謳われているが、鉄道を撮るのに現状困っていることは機材の面では特にない。 F6がデジタルへの移行を前提としていたように、D6もミラーレスへの移行を見据えたプロ機であると見た。 私の心の中ではもうしばらくD5がニコンの旗艦機であり続けそうである。
Nikon D850  「それ、早く言ってよ〜」という恨み節が全国のニコン党員から聞こえてきそうだったのが、このD850のプレスリリースだった。 何しろ過去最高の4575万画素に単体で秒7コマの連写、 それでいてお値段30万円台とくれば、前年D5に飛びついたユーザーとしては心中穏やかではない。 かく言う私もそのクチだったが、かくなる上は腹を括るしかない。必要なものは手に入れるしかないのである! といっても決断には2ヶ月を要した。で、我慢しきれず11月に量販店に出向いたところ、 何と注文殺到につき工場のラインが追い付かず入荷待ちとの知らせ。 結局手元に届いたのは12月初旬のことだった。
 紅葉シーズン終盤の小田急LSE撮影で試運転し、D5と併せてその冬の三道嶺ツアーで本格的実戦デビュー。 実際に使うと、超高画素機ながら動きはサクサク軽快で連写も俯瞰中心に使うなら十分、いや無駄撃ちを減らすにはむしろ丁度良いくらいの速さである。 さらに、画素数が多いからこそ、ニコンの秘儀×1.2クロップを堂々と使うことができる。 あまりに使い心地が良すぎてD5の存在意義が脅かされるというツッコんではいけない事実に直面したが、 現在ではアップ撮りと夜間撮影はD5、日中の風景的アングルではD850と棲み分けを図っている。 ま、無人島に1台だけカメラを持っていくなら…という質問があるとしたら、間違いなく本機を挙げることになるだろう。
Nikon D800  D700でデジデビューを果たしたものの、銀塩からの移行に踏ん切りがつかないままでいた2012年、このカメラの登場は私の考え方を大きく揺るがせることになった。 当時としては規格外の3635万画素フルサイズ!連写こそ秒5コマと速くはないがバケの一発切りに慣れた身にはこれで充分。 迷っている暇はない、これは“買い”である。話題沸騰で在庫品薄だったが運良くすぐに入手することができ、GWの「こうのとり」ツアーから67との併用が始まった。
 忘れもしない、ファーストショットは70−200oVRUとの組み合わせで撮った川代渓谷俯瞰の183系。 背面モニターに映し出された像は等倍まで拡大しても、破綻せずにキレキレであった。色調もD700に比べてかなり落ち着いた仕上がり。 これならデジを本格的に実戦投入しても良いと決断を下すことができた。 以来、メインはペンタ67ではありつつも常に傍らにはコイツを構え、デジタルデータも蓄積するよう心掛けてきた。
 しかし、そんなD800とキャラの重複を引き起こしたのがD850であった。D810は買わずにやり過ごした私だが、D850は手に入れないわけにはいかない。 ついに引退の二文字が横切ったが、どっこいD800は今なお現役。俯瞰でアングルにバリエーションが欲しいときは、迷わず2台目としてコイツを据えている。 もうしばらく俯瞰用高画素機として現役を続行してもらいたいと考えている。
Nikon Z7U  俯瞰用サブ機のD800が使い始めて10年になり、メインのD850との画質や色味の差が気になり始めていた。 10年使えば減価償却は済んだだろう。そろそろもう1台高画素機を入れようかと考えたとき、1眼レフを継続するか、ミラーレスに手を出すのかの選択を迫られた。
 基本流行とは距離を置くタチなうえ、使い勝手に関しては慣れ親しんだ1眼の方が良いに決まっている。 そもそもファインダーに映し出された電子画像を見ながらカメラを操るなんて、車でいえばバックモニターを見ながら運転するようなもの。 構図を確認するだけでどんどんバッテリーが減っていくなどあり得ない!と思っていた。 しかし時代の流れには逆らえない。量販店のニコンコーナーで華々しく新製品として並んでいるのは、カメラもレンズもZシリーズばかりである。 恐らく今後1眼機材の新開発は期待できないだろう。そこへ「ミラーがない分、後玉とセンサー面が近く設計出来て、特に広角では周辺部の画像の流れが劇的に改善されてます!」 とか言われると、冬ボーナスで暖まった財布の紐が緩んでしまうではないか!
 でも、ヨ●バシ新宿西口店の店員氏に感謝である。ここで誘惑に負けたおかげで、年末年始のZ9狂騒曲に踊らされることなく、Z7Uで大人しく手を打つことができたのであった。 ちなみにZレンズはまだ1本も所有していない。



 
AF-SNikkor20oF1.8G  広角域については、昔からズームレンズで対応していた。望遠と異なり焦点 距離僅か数oで画角が大きく変化する。だからこそ焦点距離を隙間なく埋め たいし、 使用頻度が高くないのに単玉を何本も揃えるのは非効率と考えてい た。古くはAFNikkor20-35oF2.8、その後デジ導入に伴いAF-SNikkor16-35o F4VRに代替わりした。だが、デジ機を使う機会が増えると、等倍に拡大した際 の画質のアラが目立つようになってきた。とかく広目のレンズは周辺の像が流 れる。それは手前味噌なカタログの解説や提灯持ちのカメラ雑誌の記事では 決して書かれないが、高い金を払って掴まされた者だけが知る事実である。
 そんなことから始まった広角単玉化計画の一環として手に入れたのがこの 20oであった。正直20oはズームのワイド端だったから遊びで使ってみる程 度であり、今後単焦点で揃える程の需要があるかと問われると微妙な所だっ た。が、現れてしまったのである、20oで撮りたいアングルが…。大井川鐡道 で銀杏の大木を入れて撮る構図、前に16-35oで撮るには撮ったが、やはり 像の流れが気になって、コイツを仕込んで再履修に出掛けた。空は青く、葉は 黄金色。最高条件で極まった!しかし、片付けようとして気が付いた。前玉に 虫が止まっている…。 慌ててモニターをチェックすると、車両の前に黒い点が 大きくボケていたのであった。次こそこのレンズでリベンジしたいものである。
AF-SNikkor28oF1.8G  デジカメどころかAE・AFもズームレンズもまだ実用化される前、 NikonF2と CanonF−1が覇を競っていた頃、 人々の定番レンズラインナップは28o・50 o・85o・135oだったという。35oより広角らしく、24oよりクセの少ない28o は広めのレンズのスタンダードだったようである。ところが、ズームが一般的に なると、初めは20-35oなどの広角ズームで、のちにはワイド端を24oまで広 げた標準ズームでもカバーできるようになった。私も16-35oに加えて大三元 の24-70oもあるし、それで賄うかと考えていた。しかし、人間目が肥えてくる と気が付いてしまうものである。広角と望遠双方の特性を1本で賄わなければ いけない標準ズームにはどうしても描写に限界がある。というわけで、35oに 次ぐ広角単玉化計画第2弾としてこの28oを導入したのであった。
 デビュー戦は初のヨーロッパ鉄ちゃん行となったゴッタルドツアー。ヴァッセン 上段は、編成撮りなら標準がベストだが、バックの山の稜線を入れるなら28o がバランスよくまとまった。本命VSOEを50oで仕留め、続行の貨物をコイツで 撮った。画面の隅々までカチッとキレのある画像は気持ちよい。編成撮りでは 出番がないが、 ここぞという時にパフォーマンスを発揮してくれる28oがある のは実に心強いものである。
AF-SNikkor35oF1.8G  広角単玉化計画の記念すべき1本目となったのがこの35oだった。きっかけ は定期的に新宿で開かれている鉄ちゃん飲み会。各地に国鉄色を追っ掛けて いた頃からの仲間でワイワイやっているときに、ニコン使いのSケン氏が35o F1.8の素晴らしさを力説していた。それまでAF-SNikkor24-70oF2.8に疑問を 抱き、中判用レンズなら外さないだろうとネットオークションでマミヤ645の35o F2.8を手に入れるも片ボケでこれもダメ…。八方塞がりだった私は、迷わず導 入を決意した。中古美品で3万円台、悩む必要はない。
 初陣は2016年5月の津軽鉄道バラスト散布。夕方の嘉瀬の築堤で水を張っ たばかりの田んぼを広く入れるため、D800には50oよりもこの35oを選んだ。 エンジン音全開でロッドを忙しなく回しながらやってきたDD352を一発で仕留め る。等倍まで拡大したモニターには、画面隅々まで破綻の無いシャープな絵が 刻まれていた。描写性は文句なし!以来、風景などを多めに入れる標準やや 広めのアングルでは必ずいい仕事をしてくれている。
ニコンの単焦点レンズには、高級志向のF1.4シリーズと一般向けF1.8シリーズ があるが、大口径ズームを凌ぐこの写りなら価格と携帯性のバランスからして 後者で十分。以後、我が単玉化計画はF1.8を軸に進められることになった。
SIGMA40mmF1.4DG HSM(Art)  2021年のゴールデンウィークに「DLやまぐち号」狙いで白井のアンテナ山に登った。小1時間かけて 急斜面を登坂した甲斐あり、遠景まできれいに抜ける最高の条件。ただ、ヨコ構図だと50oではバックの 青野山が入らず、35oだと列車が小さすぎるという難しい場所。結局50oと中望遠タテで山を入れた構図 と2枚撮ったが、かつてのペンタ90oよろしく“標準ちょい広”のレンズの必要性を痛感したのだった。
 というわけで、夏のDE重連「DLやまぐち号」のために導入したのがシグマの40o。真面目に稼ぐ社会 人になってからはサードパーティー製レンズには見向きもしなかったが、シグマのArtシリーズはスゴイら しい。そんな評判を耳にしてMapの中古で新同品を手に入れた。実際使うと、確かに描写はキレキレで純正 50oを凌ぐほど。夏休みを楽しみに待った。が、皆さんご存知のようにあの夏は記録的な悪天候。辛うじ て唯一晴れた月末に現地に立ったが、青野山までは抜けず思い描いた場所で使うことは叶わなかった。
 それでも、えちトキの片貝妙高バックで、氷見線の雨晴海岸で、広々と景色 を入れて撮りたいときにいつも満点解答の絵を描くこのレンズは使い応え十 分。標準域の割にバカでかいのが玉に瑕だが、性能相応のサイズと思えば、 このボリュームも愛おしく思えるのである。
AF-SNikkor50oF1.8G  1999年秋にニコン党員になってから、長らく標準レンズはAFNikkor50oF1.4 を使い続けてきた。設計は古いが、性能には特に不満はなかった。敢えて物 足りないと言えば、 プラスチック仕上げのツルツルで安っぽい外装くらいのも の。だが、さすがにデビュー17年目に入り、そろそろ世代交代も必要かと考え 始めた。 35oもF1.8を選んだし、50oもF1.8でいいから現行品で揃えようと値 段を見て驚いた。何と新品で2万5千円ポッキリ!ニコンDfとセット発売された Special Editionに至っては、人気がないのかさらに千円安い投げ売り状態。あ りがたく、デザイン的にツボなSpecial Editionを格安で調達することができた。
 私の感覚では、中判はマミヤ645、ペンタ67とも標準レンズの描写には悩ま されてきたが、35判なら「50oに悪玉無し」。かつて使っていたZUIKO50oF1.4 も、一時伯父から借りていたFD50oF1.4も、鉄ちゃん写真でよく使うf4〜5.6域 ではカリカリにシャープ。もちろん先代AFNikkor50oF1.4も例外ではない。ゆえ に、このレンズで撮った仕上がりを見ても、感想は「普通にいい!」。開放値が 1/3段落ちても特段困ることもない。開放値にこだわる闇鉄なら、僅か1/3段に 固執するより、高感度特性の強いカメラを用意した方がはるかに効果的。実に 良い買い物をさせてもらった。
AF-SNikkor85oF1.8G  信頼していた機材が時代の変化についていけなくなることもある。以前使っ ていたAFNikkor85oF1.4は、フィルムでは抜群のキレ味を見せていたがデジ 機に付けてみるとどうもエッジが甘く見える。 そろそろニコン機材を新仕様に 切り替えていく時期だと考えていたので、35oで味をしめたF1.8シリーズに下 取り交換することにした。小型軽量で財布の負担も軽いF1.8シリーズは、85o でもF1.4の重量で6割、お値段3割強と圧倒的なコストパフォーマンス。これな ら開放F値1/3段くらいどうということはない。こうして新宿のマップカメラから3 万8千円也の美品が我が家にお輿入れしたのであった。
 使ってみると、当時旗艦レンズだった70-200oF2.8VRUに勝るとも劣らない キレの良さ。これをきっかけに望遠側も単玉化を検討するようになったといっ ても過言ではない。それに加えて、開放F1.8のスペックは三道嶺の噴火撮影 でも威力を発揮してくれた。2018年元旦の満月と大噴火のカットはこのレンズ なくして極めることはできなかっただろう。
 フィルム時代、メイン機だったペンタ67の165oF2.8は長らく神レンズとの誉 れ高い銘玉とされてきた。その67が引退した今、このレンズが中望遠アング ルでここぞの1カットを切り取ってくれるに違いない。
AFDCNikkor105oF2  105oはニコン特有の焦点距離である。 前にも書いたが、他社が100oを設 定しているのに対し、ニコンはMF時代からF2.5・F1.8の2本立て。AF化され てからもDCレンズのF2が長く生産され、 さらに近年超大口径のF1.4が追加された。 ニッコール千夜一夜物語によると、中望遠レンズには85o派と105o派が いて、前者は35・85・135oというラインナップを好み、後者は50・105・180oと いう組み合わせを良しとするのだとか。だが、欲張りな鉄ちゃんに二者択一は 無理、私は「どっちも」派である。というわけで、以前F3に合わせたいとMFの F1.8を持っていたので、デジ移行に伴いAFのF2を導入することにした。
 F4時代のAF第一世代レンズは、 ザラついた縮緬仕上げが高性能レンズの 証。フィルム時代のレンズが軒並みデジ対応できずに性能の限界を晒す中、 この玉は収差補正にこだわった設計のお蔭か全く破綻がない。超高画素機の D850につけてもバリバリにシャープな像を描き出してくれる。ニコン自慢のF1.4 も憧れはするけれど、このサイズ感とコストパフォーマンスには敵うまい。
 ところで、このレンズの“DC”というのはDefocus Controlの略で、収差補正量 の変化により前ボケ・ 後ボケの味を自在に操れる機能が付いていることを示 すが、バリピン重視の鉄写真では、当然一度も使ったことがない。
AFDCNikkor135oF2  中望遠の定番135o。 ペンタ67でも300oEDが一番のお気に入りだった私 にとって、 程よい圧縮効果と周囲の風景を写し込める135oはまず最初に大 口径の単焦点で揃えておきたいレンズだった。しかもこの焦点距離には銘玉 が多い。キヤノンもFD・EFとも評判がよく、昔使っていたZUIKOの135oF2.8も よく写った。 当然ニコンも…というわけで、10年ほど前に開放F2のコイツを入 手。その頃お遊びで買ってしまったF3とのマッチングを考えるとMFの方がよ かったが、当時の35判メイン機F5で本気撮りすることも視野に入れて、AF仕 様に手を出したのだった。
 同じDC機能付きの105oとは兄弟のようなもので、外装はほぼ相似形。写り もよく似ていて、こちらも令和の時代になお通用するシャープな描写である。 導入当初はペンタ300と70-200oF2.8VRUの狭間で影が薄かったが、67を置 いて単玉構成のデジをメインに据えると俄然存在感がアップ! 今では国内か ら海外までworld wide にXカットを極めてくれている。
 70-200oクラスの望遠ズームが主流の昨今、確かに焦点距離を自在に変え られるのは便利だが、67時代を思い出してお気に入りの単焦点で足を使って ベストポジションを探すのも楽しいものである。
AFNikkor180oF2.8ED  10年ほど前に出来心でF3を手にしてからしばらく、レンズ沼にハマって中古 の単焦点レンズを集めていた。その時に手にしたのがAiNikkor180oF2.8ED。 AFよりもデザイン的にカッコイイという理由で、3万円台の個体を手に入れた。 確かに角ばったマニュアル機には太いゴムローレットと金帯を巻いた姿がよく 似合った。D700でもかつて神レンズと称された描写は生きていた。しかし!い すみ鉄道西大原のチーズ工房大俯瞰でD800と合わせた時に気づいてしまっ た。高画素機で見ると、さすがに昭和のレンズはアラが見える。令和とは言わ ないが、せめて平成のレンズでないと勝負にならない。今後のデジ化を見据え て単焦点のラインナップを揃える時に選択肢に入ったのは、見た目はややア レではあるがAF化された180oだったのであった。
 いつもの新宿マップカメラで美品6万円弱。実際使ってみると、D800でもD850 でもキレキレで俯瞰から接近戦まで難なくこなす。最初は間延びした感があっ た見た目も、慣れてくると縮緬仕上げが愛おしく感じられてしまうから不思議で ある。コンパクトにして高性能な180oはもう手放せない。
 それにしても、180oという焦点距離も珍しい。まぁオリンパスOM−1時代に ZUIKO180oF2.8を愛用していた私としてはありがたいのだが…。
MamiyaSEKOR200oF2.8APO  学生時代、マミヤ645を主力にしていた頃に本命レンズとして月のバイト代を 全て突っ込んで中古で購入した白い200o。さすがボディはヤワだがレンズは 一流のマミヤが誇るAPOレンズ、そのキレのあるクリアーな描写にほれぼれし たものだった。時は流れ、メインは67になり、デジを併用するようになった。も はやマミヤは休車状態で出番は皆無になったが、このレンズを活かさない手 はないと、マミヤ→ニコンアダプターを購入。テレ側の描写に物足りなさを感じ ていたAFNikkor80-200oF2.8の押さえとしてバッグに潜ませ続けた。
 実際、使ってみると写りの良さはデジ化された今でも健在。中判用レンズは イメージサークルの中心部だけを使うのでキレはいいと言われていたがD800 との組み合わせで、吾妻線小野上のグライダー場俯瞰から切り取った日没寸 前の115系は極上の仕上がりだった。ただ、反射防止などのコーティングが最 新でない影響なのか、少し大きめに列車を捉えるアングルでは、ヘッドライト の周囲に微妙な色の滲みが見えなくもない。でも、それは70-200oでカバー すればよい話。 俯瞰などで今後も神レンズの真骨頂を発揮させたいものであ る。ちなみに、某C社に対抗して、絶対黒鏡筒のレンズしか買わなかった私に とって、ペンタ400を別とすれば、これが人生唯一の白レンズである。
AF-SNikkor70-200oF2.8E FL  バケペンを置いた寂しさを紛らわすように、デジの単玉化が進む我が機材庫 だが、そうはいいつつ微妙な焦点距離が必要な場面もないわけではない。縦 横比の近い67はタテ構図にしてごまかすこともできたが、35判では無理があ る。やはり望遠ズームは鉄ちゃんをやるには必要不可欠なのであった。
 というわけで、2010年にAFNikkor80-200oF2.8に替えてAF-SNikkor70-200o F2.8VRUを導入して使っていた。長年ニコンの望遠ズームの弱点と言われ 続けていた周辺光量落ちをついに克服して絶賛されたレンズである。 これで 向こう10年は安泰…と思ってから7年目、後継のレンズが発売された。 さして 性能は変わるまいとタカを括っていたが、周囲が新型に置き換えてゆくにつれ 負けてはいられない気持ちが湧いてきた。2018年8月、我慢しきれずついにこのズームを 手に入れてしまったのだった。
 使ってみての印象は、性能面で特に変わるところはない(ように見える)。ただ 何を思ったかズームリングとピントリングの位置が逆になった。これにより収納 時に逆付けしているフードをきちんと嵌めないとズーミングができなくなった。 さらに、慣れるまでは画角を変えようとしてピントがずれる事案が頻発。とにか く導入してしばらくは、操作面で戸惑うことが多かった。
AFNikkor300oF4ED  ついに我が機材庫最古参になってしまった初代のサンヨン。F4シリーズと同 じ世代のレンズなので、実に30年近く前のモデルである。購入したのも世紀が 代わったばかりの2003年。社会人2年目にして、ようやく最長焦点距離200o の世界から抜け出して、超望遠の視覚を垣間見れるようになった。
 とはいえ、RVP(+1)やRVP100を常用フィルムとしていた当時、開放F4は朝 夕のギリギリの戦いではいつも苦戦を強いられていた。その上徐々にデジ化 が進行し始めると400o・500oの顔面撃ちがトレンドになってきた。最低でも テレコンを噛まして×1.4しないと流れに取り残されてしまう…そんな焦りから 2006年にサンニッパを導入。 このレンズは一時一軍から外れ、下取りに出し てもどうせ二束三文だからと休車状態に追い込まれていた。
 だが、 押し寄せるデジ化の波がこのレンズに再度活躍の場を与えることに なった。フィルムとの併用に際し、300oアングルではF5+サンニッパとD800 +サンヨンを並べ構えるというスタイルが定着したのである。蟹田の「北斗星」 「はまなす」などブルトレ最末期の“海峡線の奇蹟”はみんなこの組み合わせ で記録した。 以来、軽量コンパクトでザックの隙間にすっぽり突っ込めるサン ヨンは今でも外せない主力の1本。EDガラスの描写は今なお現役である。
AF-SNikkor300oF2.8VR  これで3代目となる我がサンニッパ。初代は20代の頃、金が無いなりにF2.8 の300oに手を出そうと、今はなき新橋の大庭商会で背伸びして買ったAF-I Nikkor300oF2.8。レンズ内モーターに切り替わったばかりの時代の年代モノ だけに外装は多少くたびれていたが、AFは快調で色ノリも良かった。 ただ、 ある日出来心から新宿MapCameraで下取り査定をしてもらうと、何と購入価格 マイナス1万円。それなら僅かな上乗せでもう1世代新しいAF-SNikkorのサン ニッパにアップデートできるではないか! こうして入手した2代目は当時の主 力機F5と組んで、 各地で顔面撃ちからロングの俯瞰まで八面六臂の活躍を 見せてくれた。 そして時代は流れ、機材もデジにシフトしてくると、やはりサン ニッパもデジ対応のモデルが欲しくなる。 愛着ある2代目を中野のフジヤカメ ラに嫁に出し、新宿Mapで美品のVR付きを手に入れたのだった。
 写りに関しては、歴代モデルと変わらぬキレの良さ。 AFの食いつきもよく信 頼度は高い。一度レンズ内モーターが動かなくなって焦ったが、部品払底直前 に部品交換してもらったのでもう心配は無用。ニコンは新たにコンパクトなサン ヨンを出したが、フレネルレンズでフレアが出るとのこと。 私としては今後も重 さに耐えてこのサンニッパにいい絵を生み出してくれることを期待したい。
AF-SNikkor500oF4ED  こちらも2代目に生まれ変わった500o。初代導入は2009年のこと。周りが次 次デジに乗り換えてゆくにつれ、APS-Cフォーマットの長玉アングルが流行す るようになってきた。鋭い朝日を浴びたブルトレのアップ撮りなど見てしまうと、 自分でも新たな世界を除きたくなってしまうのは鉄の性である。 とはいえ安易 にDXフォーマットに魂を売るのは我が流儀ではない。サンニッパで学んだ「安 く買うならAF-I」の法則に則り、中古でAF-I500oF4を手に入れて超望遠の世 界に足を踏みこんだのだった。 90年代半ばのモデルとはいえ、このレンズは 良く写った。AFはスムーズで動体予測もグイグイくる。神保原の「あけぼの」や 南今庄の「雷鳥」などここから生み出されたXカットは枚挙に暇がない。
 だが、ガッチリしていてつくりが良い反面、とにかく重いのが玉に瑕。また、デ ジ化が進むとD5との相性がイマイチであることに気が付き始めた。銀塩・デジ の2丁切りならゴーヨンが2本あってもいいのでは?酔狂な考えが頭をもたげ 気付くと我が家には中古美品のこのレンズがお輿入れしていたのだった。
 それからしばらくは大艦巨砲主義を地でいく500o2本体制が続いたが、F5 を置いた時点で初代はフジヤカメラに放出。現在はVRも効き、AF駆動も静か な2代目が各地のアップ撮りで活躍を見せている。



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