鉄路百景 GALLERY14. 追憶・紅の古武士たち

GALLERY14 追憶・紅の古武士たち

2.谷汲線の四季

幼い頃から、なぜかかまぼこ屋根の旧型電車が好きだった。江ノ電の300形(302Fや冷改前の303F)や箱根登山のモハ1形2形が好みという“通”な小学生 は、中学に上がると鶴見線のクモハ12を生で見て感激し、旧国時代の飯田線に思いを馳せた。しかし、平成の世にそんな夢のような世界が残っていようはず もなく、やがて興味は北海道の雄大な自然の中を行く鉄道へとシフトしていった。

大学受験を終えてようやく自由を得た私の前からは、C62も深名線も南部縦貫も碓氷峠もなくなっていた。さて、どうしよう?一連のブームが去った後の鉄 ちゃん界にトレンドを探そうとしたとき、頭に浮かんだのは旧型電車をリサーチしていた中学時代、保育社の私鉄シリーズ『名古屋鉄道』で見た揖斐・谷汲 線のモ510形や750形だった。かまぼこ屋根に1灯ライト、シル・ヘッダー付きの車体に吊り掛けモーター…と少年時代の志向は完璧なまでに満たしている。 大学入学直前の春休み、大垣夜行で出発する鉄再開の旅の最初のターゲットは、揖斐線の旧型電車に定まった。

98・03・19 尻毛−旦ノ島 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 RDPU
宮脇俊三『終着駅へ行ってきます』に谷汲駅を訪れる件がある。奇妙な駅名の具体例として尻毛・又丸が挙げられていて、子供心に「尻毛」という駅名は何と なく心に刻まれていた。 いざ撮影する段になって調べてみると、尻毛−旦ノ島間に架かる伊自良川鉄橋はなかなかのお立ち台であるらしい。大垣夜行を下車 した後、岐阜市内線に乗り換えた私は、そのまま忠節から揖斐線に乗り継ぎ、この撮影名所を訪ねた。

ほぼ東西に走る線路は、午前9時を回ってようやくサイドに安定して光線が当たるようになった。順光となる東側の河原に三脚を立てる。鉄橋の長さの割に編 成が短いため、意外に構図を決めづらい。やや長めの135oで、敢えて鉄橋全景を入れて列車を待つ。間もなくファインダーに現れたのは、モ700形の2連だった。

当時はまだ各地にこうした旧型車の残滓を探すことが出来た。 岐阜エリアに固執することなく、この夏には琴電の雑多な旧型車たちを押さえ、秋には一畑電鉄 にデハ1を追った。だが、時代の変わり目は確実に近づいていた。間もなく琴電では世代交代が進み、一畑でもデハ1が現役を引退した。もっと撮りたいとい う欲求を抱えながら結局アリバイ程度にしか彼らの姿を収められなかったことを後悔し、今度こそ地方私鉄の旧型車をきちんと撮りきろう、最低でも四季の姿 を写し取ろうと決意した。そして、再び西美濃の地に照準を定め、選んだのが名鉄谷汲線であった。



前日からの雪は関西地方一帯を白銀の世界へと変えた。暇を持て余した冬休み中の学生にとっては、これは迷うことなきフィールドへのGoサイン!昼から晴 れという予報を信じて、京都から谷汲線を目指した。

大垣から樽見鉄道に乗り換えて約30分、濃尾平野の末端まで来ると、単行のレールバスはにわかに山間に分け入った。ゆったりとした根尾川の流れが左車窓を 支配するようになる。やがて、川向うに細い木製ポールと古びた踏切が見えるようになり、木知原という小さな駅で下車。ここから川を渡れば、10分ほどで名 鉄谷汲線の赤石駅である。雪雲が去った後の根尾谷には、荘厳な白と青の景色が広がっていた。

99・02・04 赤石−北野畑 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 KR
初訪問で右も左もわからず、とにかく撮れそうな場所に三脚を立てて列車を待つ。しばらくして、踏切が鳴り始めた。カツン・カツン…という古めかしい鐘の 音が無音の世界にリズムを刻む。高らかなモーター音が響いてくると、ファインダーには厳つい大型スノープロウを引っ提げたモ750形が颯爽と現れた。尻毛 の鉄橋で出会ってから約1年、久しぶりに見た真紅の古武士に心を奪われ、あらためて今後この被写体と向き合っていくことを確信した。

99・02・04 赤石−長瀬 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
谷間を走る細い鉄路に影が伸びてゆくのを、短い冬の午後は待ってくれない。次の電車が来る頃にはだいぶ日が傾いてきた。赤石から長瀬に行く途中の管瀬川 橋梁で、斜光を浴びたシーンを狙うべくアングルを決める。やがて、道床にもこもこに積もった雪の上を、モ750形がシュプールを描くようにやって来た。

 
左右とも:99・02・04 谷汲駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 KR
90年代のRM誌では、イモムシ3400系と並ぶ名鉄の至宝モ510形がたびたび取り上げられていた。中学生の頃に友人と飽きるほど眺めた同誌120号「総括!今な お現役'93 Part2」は、堂々たる木造の谷汲駅を背景に佇むモ514の写真が表紙を飾り、これがいつしか私にとっての谷汲線の原風景になっていた。

99・02・24 谷汲駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 KR
しかし、初めて訪れた谷汲駅は往年のイメージとがらりと変わり、昆虫館を併設した瀟洒な駅舎へと変わっていた。駅名標にも近代的な“MEITETSU”のロゴが 入り、どことなく場違いな感じが否めない。でも、贅沢は言うまい。世紀末の今日まで戦前の半鋼製車に起源を持つオールドタイマーが走り続けていること自 体が一つの奇跡なのだから。

99・02・04 谷汲駅 MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1)
山入端に陽が隠れると、気温が急激に下がって来た。日中は気にならなかった指先の冷たさが身に染みる。夜の帳が下りるまでのブルーモーメントと呼ばれる ひと時、雪が積もった今日は色温度も高く、いつも以上に景色はすみれ色に染まった。静寂が支配する中、時折ゴトゴトとコンプレッサーの音を響かせるモ755 に、私はそっとシャッターを切った。

99・02・06 長瀬−赤石 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
2日後、再びの晴れ予報にまたも谷汲線を訪問した。今回はある程度撮影ポイントも光線状態も把握している。まずは管瀬川の鉄橋を西側から狙う。雪はすっ かり減ってしまったが、まだまだ冬らしさの残る中、モ754がやって来た。先日のモ755のようなスノープロウはもう付いていなかった。

99・02・06 長瀬−赤石 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 KR
同じ場所から振り返ると、長瀬駅を出てから鉄橋に向かい急カーブを切る線路が見渡せる。線路の両側の田畑は一面の雪原、遠くの民家も屋根の上は雪帽子。 絵に描いたような里山の冬景色。間もなく長瀬駅に電車が滑り込んだ。乗降客はゼロ。吊掛けモーターの音が聞こえてくると同時に、目の前の踏切の鐘が鳴り だした。

99・02・06 長瀬−赤石 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 KR
長瀬の駅を過ぎて谷汲方向に歩を進めると、杉林を背景に一直線に勾配を駆け上る築堤が現れる。かつてこの先に結城という駅があったことから、勝手に“結 城の築堤”と呼んでいた見事なストレート。国道から田んぼを数枚はさむ、程よい引きがあったのも撮影には好都合だった。降雪から2日も経った晴天の午後 ということでクリスマスツリーでも何でもなかったが、とりあえずここで構えることにした。

99・02・06 長瀬−赤石 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 KR
立春まであと僅か。冬至に比べてだいぶ日が長くなったとはいえ、16時近くなると日照はリミットぎりぎり。次の返しが撮影可能な最後の列車になるだろう。ロ ーアングルで築堤を見上げると、斜光に架線が輝き始めた。よし、ギラリでいこう!標準レンズで線路に寄って、夕日の反射する場所を計算しながら電車の登場 を待った。

日没とともに、頬を刺す風が急激に冷たさを増してきた。終点谷汲まで歩くも、華厳寺への参道途中にある小さな商店が1軒開いているのみ。ロクに暖をとるこ ともできず、缶コーヒーを1本買って黒野行きに乗り込んだ。



谷汲線が最も谷汲線らしい姿を見せる季節が、花々に彩られる春だった。里の家々の軒先や小さなホームの傍らには必ずと言っていいほど桜が咲き誇り、畑の片 隅は黄色い菜の花に、休耕田は薄紫の蓮華に染められる。天然色のキャンバスに、いつもと変わらぬ調子で赤い電車は淡々と轍を刻んだ。文字通り華やかな舞台 に、それでもマイペースを貫く燻銀の古武士たちの姿は、本線系の団臨に食傷気味でローカル私鉄に足を踏み入れた旅人にとってまさに“癒し”そのものだった。

99・04・09 赤石−北野畑 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
大学2回生の春、キャンパスが新歓で華やぐ頃、サークル活動に意義を見いだせなかった私は、一人谷汲線沿線を歩き回っていた。私にとって鉄道は少年時代に感 じた旅への憧れの象徴であり、決して数値データを並べて経常収支を計算し赤字路線を断罪する「研究ごっこ」の対象ではなかったのである。

中央東線の御召列車を押さえてから大垣夜行でとんぼ返りすると、沿線は桜にはまだ早いものの、黄色い菜の花が畑の片隅を彩るようになっていた。赤石付近で小 さな黄色い絨毯を見つけ、ローアングルでカメラをセット。黒野行きの単行をまずは1枚手堅く押さえた。

99・04・04 谷汲−長瀬 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 KR
根尾川の右岸を15分ほど歩くと、砕石工場の手前に北野畑駅がある。谷汲線で唯一の交換設備を持つ駅で、増発時にはここで旧型同士の顔合わせとスタフ交換を見 ることができた。この日は花見シーズンの週末だからか、2連のモ510形が増発で運用に就いていた。島式ホームに並ぶ両古豪を、OM180oで1カット。

99・04・04 赤石−長瀬 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 KR
谷汲方向に進んでいくと、管瀬川の鉄橋のほとりで1本の桜が見頃を迎えていた。日当たりの関係なのか、枯れ草色の景色の中に凛として咲き誇る花を付けた姿に 思わず立ち止まってレンズを向ける。道路脇のコンクリ法面に上がって、標準レンズで構図を決定。白い薄雲が上空に広がって来たのが気になるが、とりあえず目の 前のチャンスは頂戴しないと漢がすたる。間もなく甲高いモーター音を響かせて、モ750形が短い鉄橋を渡って来た。

99・04・04 長瀬−赤石 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 KR
2月にも撮った長瀬のカーブで、今日はモ510形を極めてやろう。前回とほぼ同じ立ち位置から同じ135oで狙いを定める。田んぼはまだ水も入っておらず、木々の芽 吹きにもまだ早い。色味はないが、被写体の魅力で勝負である。今や懐かしい「英会話NOVA」の広告を2枚も引っ提げた2連の510を切り取った。

99・04・09 谷汲駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 KR
杉林を抜けると、満開の桜に出迎えられるように終点谷汲駅に着く。かつての1面2線を擁した堂々たる終着駅は、現在片方のレールが撤去され、Y字ポイントの分岐 の跡が不自然なS字を描いて昔日の面影を伝えるのみ。踏切の真ん中から、停車中のモ750形を狙ってみた。

99・04・04 谷汲−長瀬 MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1)
構内を見渡せる踏切の脇には、駐車場にでもするのか不自然な空き地が広がっていた。空き地自体には何の変哲もないが、背後の民家の庭先には見事なモクレンが咲い ている。花の季節でなければ気づかなかったポイント。適度に引きもあるし、標準レンズで構図はピタリと決まるはず。マミヤに70oを付けて、次にやって来るモ510形 を待った。

99・04・04 谷汲−長瀬 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 KR
夕刻、西から低く鋭く差し込む斜光が杉林の奥を照らし出した。180oを装着してファインダーを覗くと、鬱蒼とした木立を貫いて勾配を登って来る2条のレールが絵 に描いたようにキレイに収まる。今と違い300o以上の長玉を持たなかった当時、滅多にやらないタテ顔面に緊張感を覚えながら慎重に置きピン。動態予測やモードラ などという文明の利器はない。失敗の許されぬオトコのマニュアル1発切り。16時半、唸りを上げる吊掛けサウンドをバックに真紅の古豪が現れた。顔面を覆う厳つい リベットがクッキリと結像した瞬間、レリーズを押し込む。小さなカメラはカシャン…と布幕シャッターの静かな音を立てた。



翌年の同じ時期にも谷汲線を訪れた。季節ものを絡めた撮影は1シーズンで総なめにできるほど甘くはない。それに、今年はマミヤのレンズが増え、35判もNikonF4 にバージョンアップ。大幅に戦闘力を上げて、桜の中を行くオールドタイマーたちと再度対峙したかった。

00・04・16 北野畑駅 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 KR
まずは満開を迎えた北野畑周辺へ。OM時代、最長180oであと少し届かなかったスタフ交換のアップを、新兵器Nikkorの80-200oで切り取る。ブレーキを軋ませて入 線してきたモ750形は、コンプレッサーを作動させながらしばしの休息。そこへ臨時に配置された駅員氏がやって来て、ここまでのスタフをキャッチ。そして、間もな く到着した谷汲行きの運転士にこれを渡し、代わりに受け取ったここまでのタマが黒野行きに届けられる。鉄道界のもっとも基本的な安全確保の所作が、岐阜の山間の 小さな駅で今日も黙々と行われていた。

00・04・16 北野畑−更地 MamiyaM645 1000S SEKOR210oF4N RVP(+1)
駅から更地方向に数百メートル進むと、桜と菜の花をあしらってアウトカーブを正面撃ちで狙える場所がある。被写界深度が浅いうえに1発切りの中判でこの構図は ややリスキーではあるが、つい前年まで35判もマニュアル連写なしのOM−1だった私に怖いものはない。マミヤ210oで慎重にピントを合わす。遠くで踏切の鐘が鳴 り始めた。一瞬の緊張感。すぐに、ファインダーに半面光線を浴びたモ754が飛び込んできた。

00・04・16 北野畑−更地 MamiyaM645 1000S SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
普段は赤石から谷汲方向に向かって歩きながら撮影して行くことが多く、黒野寄りは来ても交換駅の北野畑まで。従って更地方の撮影地には全くと言っていいほど疎か った。この日は桜を求めて黒野方向に進んだ。と、根尾川の渓谷から離れて濃尾平野の末端に出たあたりで見事な光景を目にした。来振神社の鎮座する小高い丘の斜面 に山桜が咲き乱れ、杉の緑の中に美しい斑模様を描き出していた。これだ!手前に桑の木を配して、マミヤ150oヨコ位置で構図を決めた。

00・04・16 更地駅 MamiyaM645 1000S SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
揖斐線の清水と並ぶ谷汲線の“桜駅”代表が更地。こじんまりとしたホームの端に立つ見事な枝ぶりの老木が、繰り返す季節と単調な電車の往来を見守り続けている。 夕刻北側の踏切から狙うと、暗く沈んだ背後の林に薄紅色の花弁が半逆光で浮かび上がる。北野畑から歩いてきて、そのままここに居座ることにした。さて、レンズは 何ミリがベストかな?構図はタテ?ヨコ?試行錯誤の末、16時台の下りをこのアングルで切り取った。

00・04・16 更地−稲冨 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 KR
西日が山際に隠れようとしていた。撮れてあと1本。いつまでも同じ立ち位置では芸がない。駅の南側を探ってみると、カーブの突端から桜を背にした駅発車が望め そうだった。中判ではレンズの長さが足りないが、35判なら十分射程距離圏内だろう。早速ファインダーを覗いて構図を調整。さぁ、これでどうだろう。間もなく、 低い斜光線を受けて、モ754がやって来た。

00・04・17 谷汲駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 EBX
花咲き若葉芽吹く4月は撮影強化月間。講座選択も履修登録もどこ吹く風。だって明日は晴れるんだもの!というわけで、この日も快晴予報と関ヶ原を下る165系団臨の 運転情報に誘われて西美濃の地へやって来た。近江長岡の伊吹山バックでメインの急行型電車を頂戴した後は、昨日に続いてふらりと谷汲線を訪れる。狙いは、前日撮 り損ねた谷汲駅の桜アングル。こうして花を手前に入れて撮ってみたかったのだった。



桜が散ると、今度は若葉の季節。みずみずしい緑が山を覆い、真紅の主役たちと鮮烈なコントラストを描き出す。水ぬるむ田んぼに影を映しながら、薫風にモーター音を 乗せて、今日もモ750が根尾川沿いの谷を行く。

99・04・29 赤石−北野畑 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
せっかくの連休に妙な飛び石でバイトのシフトを入れられてしまったため、この年は遠征を諦めて近場鉄。今日は、前日深夜まで勤務で朝一からしか動けず、アクセスの いい谷汲線へ。抜けのいいクリアーな青空にテンションが上がる。

まずは以前目を付けておいた赤石駅を見下ろす栗畑へ。根尾川に沿って箱庭のような里を行くこの辺りは、どこか足場があれば上から撮ってみたい場所だった。まだまだ 高度は足りないが、ここならある程度思い描いた絵が撮れるのではないか。ファインダーを覗くと、立体感は弱いものの、蛇行する川と線路を遠望することができた。目 障りな踏切は木々の若葉で隠してセット完了。心地よい風に吹かれて電車を待った。

99・04・29 赤石−北野畑 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
栗畑で三脚の雲台を左にパンすると、赤石駅が望める。1面のみの簡素なホームの前の田んぼは、今年は休耕田のようだが、地力回復のためだろうか、一面蓮華が咲き誇り、 薄紫のカーペットを敷いたかのようになっていた。電車は車輪を軋ませながら小さなホームに滑り込み、誰も乗り降りがないまますぐに発車していった。

99・04・29 赤石駅 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
同じ赤石駅前のレンゲ畑を地べたから。今思えば、もっとローアングルにして道路を完全に隠し、より長めのタマで手間の地面が見えているところはカット…などもう少し 構図に工夫の余地もありそうだが、当時の経験と感性、持てる機材ではこれが限界だった。

99・04・29 北野畑駅 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
太陽が南側に回った頃を見計らって北野畑駅へ。前回来た時はまだ背後の山が枯れ木色だった。今日は予想通りの若葉色!鮮やかなグリーンを背に2両の“赤い電車”が 並ぶ姿は絵的に申し分ない。これをベルビアパワーでさらに3割増しの彩度にして切り取った。

余談だが、この時下り方の運転士氏がサービス?でヘッドライトを点灯してくださった。というわけで、ポジファイルの中には、黒野行きの2両横並びに見えるカットも あるのだが、不自然なので今回は割愛。当時は現場もまだのんびりしていた時代であった。

 
左:99・04・29 北野畑駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 KR
右:99・04・29 北野畑駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 KR
昼を回り上り電車の側面に光が当たり出したのを見て、ホームでのタブレット(正確にはスタフ)交換狙いに切り替えた。 車輪を軋ませながらホームに滑り込む電車に増便 の日だけ駐在する駅員氏が駆け寄って谷汲−北野畑間のスタフを受け取る。 間もなく反対側のホームに入って来た下り電車にそれを渡すと、代わって黒野−北野畑の票券 が下りの運転士に手渡されるという仕組みである。

さすがに、この一連の動きを中判で追い掛けるのは無理。とはいえ、今のように全自動のデジカメがあるわけではない。それどころか、機動性がウリの35判すらAF化して いなかった当時の我が機材群では、KRを詰めたOM−1で必死にピントリングを繰りながらシャッターを切るしかなかった。

99・04・29 長瀬−赤石 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
この日は午後になっても春霞も黄砂もなく、空気はクリアーなままだった。てくてく歩いて、定番長瀬のカーブで斜光線を浴びる黒野行きを待つ。背後の空は太陽の周りま でド真っ青。一点の曇りもないバリ露出で、モ755を切り取った。

99・04・29 長瀬−赤石 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 KR
昔の●M誌には“なぜか気になる1枚”というのがよくあったものだった。ここ、管瀬川の鉄橋を北西側から望遠タテ構図で撮った写真もその一つ。新緑に囲まれたシンプル なガーター橋を行く単行の紅い電車の姿は、多感な時期の少年の心になぜか深く刻まれていた。千葉の中学生の脳内地図にその立ち位置などインプットされていたはずもない が、この日長瀬駅まで歩く途中にふと振り返ってこの景色を発見してしまったのだった。次の電車は当然ここで待ち構える。17時過ぎ、踏切の鐘が気だるい音を打ち鳴らす中、 真紅の電車がカーブを切って現れた。



学生時代の夏は長期遠征に出ることが多く、意外に近場の谷汲線にはカメラを向けていなかった。数少ない夏景色のカットは2000年の7月。大学生なのに試験というものを全 く恐れていなかった私は、梅雨明け間近の晴れ予報に胸を高鳴らせ、根尾川に足を運んだ。

00・07・09 長瀬−谷汲 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
梅雨を経て、山々の緑は一気に深みを増していた。強い日差しとモスグリーンの背景に紅い車体がよく映える。まずは手堅く結城の築堤から撮影を開始。稲が成長し、緑の絨毯 のようになった青田を手前にあしらって構図を整える。間もなく、甲高いモーター音を響かせて、電車が築堤を下って来た。

00・07・09 赤石−長瀬 NikonF4s AFNikkor50oF1.4 KR
日中は、うだるような暑さとカタい光線になかなかイマジネーションも湧いてこない。それでも電車は来てしまうので、とりあえず赤石駅近くでお手軽に狙うことにした。ベル ビアだとコントラストが高過ぎると見て、コダクロームを詰めたF4s1丁で構える。真下に伸びる影、蝉の声、田んぼを渡る熱い風…夏色の舞台に、窓を全開にした非冷房の 老兵がゆっくりと滑り込んできた。

 
左:00・07・09 赤石−北野畑 MamiyaM645 1000S SEKOR210oF4N E100VS
右:00・07・09 赤石−北野畑 MamiyaM645 1000S  SEKOR70oF2.8 E100VS
15時を回ってようやく光線が低くなってきた。日の長い季節は朝夕が勝負の時間帯、さぁどこで撮ってみよう?赤石駅の目の前に根尾川を跨ぐ赤石大橋がある。袂から川面を眺め ると、鮎が解禁されたのか太公望が釣糸を垂れていた。車両や列車のみを被写体とする昨今と違い、路線そのものを撮ることに主眼を置いていた当時は、こうした沿線の歳時記全 てが撮影の対象である。よし、どうにか赤い電車と絡めてみようではないか!

河原に近づくと、川遊びに興じる親子の姿が目に入った。何か小さな生き物でも発見したのだろうか、小さな子どもが父親にその正体を訪ねる。自身の幼少期を思い出しながら眺 めていると、遠くに踏切の鐘の音が響いた。とっさにマミヤ645を取り出し、手持ちで背後を行くモ750と重ね合わせてシャッターを切った。



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