鉄路百景 GALLERY14. 追憶・紅の古武士たち

GALLERY14 追憶・紅の古武士たち

1.美濃町線 新関〜美濃

かつて、岐阜市から郊外へ延びる行く筋もの細き鉄路があった。あるものは併用軌道で街中を進み、あるものは里山に吊り掛けモーターの音を響かせた。 総称して“名鉄600X”と呼ばれたそれらの路線は、郷愁を誘う沿線風景と、何より平成の世に今なおかくしゃくと生き続けるオールドタイマーの活躍で 多くのファンの耳目を集めていた。だが、ひたひたと押し寄せるモータリゼーションの波は、彼らをそのままにはしておかなかった。 今からちょうど10 年前の3月末、岐阜市内線・揖斐線および美濃町線の廃止をもって、西美濃の「ローカル私鉄」たちはその歴史に幕を下ろしたのであった。



時の流れから取り残されたようでありながら、いつまでも走り続けると思っていた600X区間に最初のメスが入れられたのは、1999年3月のことだった。 ありがちな話ではあるが、利用客の減少、それに加えて長良川鉄道が並行しているという理由で新関−美濃間が廃止されることになったのである。これま であまり関心を向けていなかった美濃町線だが、雑誌に載ったレポートを見るとなかなか良さげなロケーションが広がっているようだ。主力のモ590形も 渋いスタイルで写欲をそそる。中央東線のお召運転でバタバタしている頃だったが、合間を縫ってこの末端区間に足を向けた。

99・03・23 新関−下有知 
OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 KR
新関で乗り換えたモ590形は、向かい合った客の膝どうしが触れ合いそうな狭い車内に数人の客を乗せたのみで、道路に並行するへろへろの線路を走り始め た。沿線の景色に色味はないが、車内に差し込む明るい日差しが春の気配を教えてくれる。さて、一発目はどこで降りようか…。

99・03・23 下有知−神光寺 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 KR
幟の立ち並ぶ稲荷社に誘われるように、下有知で下車。ホーム端から長めの玉で狙えば午前側順光でまずは1カット頂戴できそうだ。下車したその足で道路 を渡り、イチかバチかの手持ち撮影。ここまで乗ってきた下り電車をファインダーを通して見送った。

99・03・23 下有知−神光寺 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 KR
返しの電車は正面から。祠と車両の間に木製ポールが入るのは致し方ない。なるべく目立たないように工夫して、今度はハスキーを立て、OM180oでスタン バイ。電車はほどなくして戻ってきた。動体予測も連写もないフルマニュアル機しか持っていなかった時代、気合いの一丁切りでたった1枚のバリピンカット をものにした。

ここからは沿線を歩いて撮影地を回る。ハイライトの当たりは事前につけてある。マミヤ1台にセコールレンズ2本、OM1台にズイコーレンズ4本という身 軽な装備の強みで、足取りも軽く下有知駅を後にした。



坂道を登りきると、左手の視界が開けた。手前に小さな畑、風情ある民家の脇を走る線路の遠景には、美濃と飛騨を分かつ山々が聳える。下調べをしておいた 美濃町線のメインポイントは、まさにこの箱庭のような風景だった。レンズをつけて覗けば、標準ちょっと広めのマミヤ70oが実にしっくりくるではないか。

99・03・23 神光寺−松森 MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1)
左右をどこまで振るか悩んだが、迷ったら2発切ればいいかと、まずは左手に湖東の銀嶺をちらりと配してアングルを決める。カツン・カツン…と鄙びた踏切 の鐘が鳴り、間もなくモーター音を目一杯響かせてモ590形が現れた。

次の電車は、画面を右に振って1カット。さらに返しは、手前のほころびかけの梅の花にピントを合わせてもう1カット。考えつく限りのバリエーションを押 さえ、納得して次に歩を進めた。



国道沿いをてくてく歩き、大型のショッピングセンターを過ぎると、そんな近代的風景とは正反対の古めかしい木造駅舎が現れる。美濃町線の終点、美濃駅で ある。入場券を買って構内に入ると、路面電車ならではの低いホームながら堂々たる2面の頭端式ホームにモ590形が佇んでいた。

99・03・23 美濃駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 KR
時間は正午を少し過ぎたところ。光線状態はあまりよくなかったが、午後になるほど正面に屋根の影が伸びてくる。撮るなら今のうち…とホーム端に三脚を立 てた。レンズは135oでピッタリ。終着駅の雰囲気を入れて手堅く切り取った。

 
左右とも:99・03・23 美濃駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 KR
昨今と異なり、廃止報道が流れたにもかかわらず私以外にカメラを構えるものは誰もいなかった。お蔭で駅名標もサボも撮り放題。買い物帰りと思しき老婆が 窓口で切符を買い求めているだけで、終着駅は昼でもひっそりとしていた。



新関行きを見送って、再び来た道を徒歩で戻る。今度は事前に調べた場所だけではなく、自分の足でポイントを探しながら行こう。線路沿いにしらみつぶしに 見ていけば、知られざるポイントも発見できるかもしれない。

 
左右とも:99・03・23 松森−神光寺 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 KR
松森駅近くの踏切で、作業服を着た数人が何かを取り付けているのを見かけた。近づいてみると、来る4月1日より踏切が廃止されることを知らせる看板であっ た。これも廃止間際の様子を伝える点景か。取り付け作業を遠巻きに眺めた後、廃止を知らせる文言の背景に、赤い電車をシュールに流してみた。



美濃町線末端は、線路と道路が境界不明瞭のまま並走していて、併用軌道なんだか専用軌道なんだか区別がつかないような区間が多かった。これを道路側から撮 ろうとすると、車併走のリスクが高い。山手線級ならいざ知らず、時間1本のネットダイヤでは1カットの損失は手痛過ぎる。だが、幸いなことにほぼ全線で線 路は道路の西側に敷かれている。午後なら安心してカブらない側から構えられるはずである。

99・03・23 神光寺−下有知 OLYMPUS OM-1 ZUIKO180oF2.8 KR
神光寺−下有知の中間地点にS字カーブを発見。走行シーンに変化をつけるには格好のアングル。早速OM−1に180oでファインダーを覗くと、いい感じの圧 縮具合である。あと少しすれば、美濃からの折り返しがやって来る時間。構図を整えて待つうちに、甲高いモーターの唸りが聞こえてきた。

99・03・23 下有知駅 MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1)
もうしばらく歩くと、最初に下車した下有知駅に着く。この時間なら稲荷社の祠の側から日が当たる。ならば、こんな撮り方はどうだろう。広角というものを 持っていなかった当時、最も広いマミヤ70oで鳥居を絡めて精一杯あおってみた。

99・03・23 神光寺−松森 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 KR
午後も遅くなり、いい具合に光線が寝てきた。再び走りを狙うべく、美濃方向に歩き始める。神光寺を過ぎたあたりで上りが来る時間になった。早春の日はまだ 短く、すでに線路には家々の影が落ち始めている。辛うじて影が抜けている場所を見つけ、タテ位置でセッティング。水平を出すとすぐに、半面当たりの渋い光 線を受けて、デカパンタを振りかざしたモ590が現れた。

99・03・23 神光寺−松森 
OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 KR
民家の密集する道路併走区間では、次の列車はもう無理だろう。開けた場所を求めて松森駅の近くの畑が広がる場所に目を付けた。といっても、コダクロームで は露出はギリギリ。色もコントラストも出ないため、普通に撮っても面白くない。何かないかと見回すうちに、一体の石仏が目に入った。柔らかな夕日に照らさ れる顔を見て、思わずローアングルでしゃがみこんだ。



日もとっぷり暮れた頃、再び美濃駅まで戻って来た。西の空にはまだ明るさが残っている。バルブをするにはちょうどいい雰囲気の時間帯である。帰りの切符を 買って中に入ると、程して電車が入線してきた。

99・03・23 美濃駅 MamiyaM645 1000S SEKOR70oF2.8 RVP(+1)
狭い構内を画面に配すには、35判の50oでは少々長い。空のトーンを入れるには天地のある中判のフォーマットが有利である。さらにバルブは地味な発色のKRより 色味鮮やかなベルビアの方が断然美しい。というわけで、マミヤ70oを三脚にセット。腕時計の秒針を睨みながらレリーズを握った。

デジ全盛の今と違い、フィルム時代のバルブ撮影は現像が上がってくるまで結果が分からない。露出計なんて35判の最新機ならまだしも、旧態依然のディスコン中判 カメラでは目安にすらならないし、そこは勘と経験がモノを言う完全なる職人の技であった。我が脳内スポットメーターの値を信じて、8秒を中心に前後2段ずつの 段階露出に賭ける。京都のプロラボで絶妙な露出ワークに我ながら悦に入ったのは、この区間が廃止された数日後のことだった。

99・03・23 美濃駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 KR
この訪問から約1週間後、鄙びた街道沿いを往き来していた紅い路面電車は姿を消した。大正の香りを残す木造駅舎も役目を終え、のちに記念館へと衣替えしたという。 ただ、まだこの頃の私の中では、これはそれほど大きな変化ではなかった。モ590形自体は新岐阜−関間で依然活躍の場があるし、美濃町線だってメインの区間は存続す る。今回の廃止は、これまで幾度か目にしてきた、極度の赤字ローカル線が消えていくのと同じ類のものだと認識していた。これが「終わりの始まり」であることなど 露も知らないままで。



GALLERY 14トップへ 次ページへ