鉄路百景 GALLERY13. 上総の里に残された「国鉄時代」

GALLERY13 上総の里に残された「国鉄時代」

2.タブレットのある情景

幼き日の記憶に残る名車たちと並んで“国鉄的情景”に欠かせない要素が、革製の丸い輪っかに入れられた通票を受け渡しするシーン。いわゆるタブレット交換というやつである。 だが、私が旅を始めた頃にはかなりの線区で自動閉塞が進み、キャリアの授受は貴重な光景になりつつあった。当時人気を集めていたのが、西ではゴッパ・ニッパの急行「砂丘」 がタブキャッチを繰り返しながら陰陽を結ぶ因美線、東ではDD重連貨物が通過授受を行う八高線だった。

といっても、中学生の私が八高線を訪れるのは決まって大回り乗車による“120円(当時)の旅”のとき。乗り鉄メインだったあの頃の私に、わざわざ貨物列車の通過授受を撮ると いう発想は出て来なかった。八高のタブレットを初めてマジメに撮影したのは高校1年に上がる春休みのことである。広島県の祖母の家まで遊びに行った後、余った18きっぷの消 化のためにフラリと明覚駅を訪ねたのだった。

94・04・02 明覚駅 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO75-150oF4 HG400
メインはDDのタブキャッチだったが、合間を縫って普通のキハも撮った。タラコ色のキハ30に助役が駆け寄りキャリアを渡す、本当に当たり前だった日常の光景。20年近く経 った今では貴重な1カットとなった。あの頃にしてはよくやったが、フィルムがネガカラーだったのがつくづく悔やまれる。

これから2カ月後、八高線高麗川−群馬藤岡間は特殊自動閉塞となってタブレット交換は廃止され、さらに2年後の1996年3月をもってタラコ色のキハ30も新鋭キハ110に置き換 えられてしまった。我が青春の八高線像は、私の受験生生活突入とともに姿を消したのであった。



しかし、灯台もと暗しというやつで、キハ30にタブレットという組み合わせは意外に身近なところに残っていた。我が地元、千葉県下の久留里線では、3両のキハ30が「今なお現 役」で、横田・久留里の両駅でキャリアの授受も見ることができた。ただ、惜しむらくはせっかくのキハ30の色が珍妙極まりない新塗装だったこと。ゆえに、週に1度は仕事で木 更津に出講しながらも、まったくカメラを向けようという気は起きなかった。

そんな状況も、2009年の国鉄色復活で一変する。私の世代に馴染みのあるタラコではなかったのが残念だが、ツートンカラーを纏った気動車にタブ交換は十分魅力的な被写体とな った。雑誌で取り上げられて人気が出ると、自然に運用も明らかになってくる。基本は混結の久留里の気動車たちだが、両運転台のキハ30は必ず朝夕の増結運用で上総亀山方の先 頭に立つことが分かった。

ホームが東西に位置する横田駅では、朝の下りと午後の上りの光線がいい。周囲の開けたロケーションと人の少なさから、この静かな田園地帯の駅をよく訪れた。

10・07・17 横田駅 NikonF5 AF-SNikkor28-80oF2.8ED RVP100
ホームの先端にはこのようなアイテムが残っていた。人の手によって安全確認が一つ一つ行われている様子が伝わってくる。機械はどんどん便利になれど、最後に安全輸送を守るの は人の力。そんな当たり前のことをいま一度再認識させられる。

 
2枚とも 11・07・18 横田駅 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED×1.4 RVP100
日の長い季節には、早朝の下りホームにきれいに光が回る。G.W.にはホームから接近戦でキャリアを渡すシーンを撮影した。今度は駅外れの踏切から超望遠で切り取ってみよう。 プロ4を立てて500o×1.4テレコン、700o相当で構図を決める。間もなくキハ30を先頭にした下り列車が入線してきた。

2枚とも:11・06・22 横田駅 PENTAX67 smcPENTAX55oF4 RVP(+1)
今日は梅雨の中休みで、絶好の朝練日和。出勤が間に合う範囲で行けるネタは…と考えて横田駅を訪れた。ホームからのタブ交換を、今度は67で撮ってみたい。ボディと55o1本 だけ持って入場し、邪魔にならないようセッティング。定時、キハ30は今日もキャリアを受け取り、旗を振る助役氏に見送られて発車して行った。

 
3枚とも 11・02・05 横田駅 NikonF3Limited AiINikkor105oF1.8 TOREBI100
レギュラーでは朝夕の上総亀山方に増結されるキハ30だが、時折運用の妙で逆側に入ることもある。この年は1月下旬から木更津方に30をつないだ編成が現れた。土曜とはいえ入試 直前期の2月初頭、木更津校舎の生徒様の添削に出向くことになったこの日は、出勤途上に横田駅に寄り道することにした。遊び半分で NikonF3Limited に普段使わないトレビを 詰め、大口径の105oF1.8で手持ち撮り。構図の不安定さを嫌い滅多に手持ちなどしない私だが、モードラ付きのF3は実に手にしっくりきた。スーツ姿で流れるような一連の作業 を切り取って、何事もなかったように職場に向けて車を走らせた。



久留里線の中核が久留里駅。家康の関東入封以来の松平氏の由緒正しき城下町である。だが、房総半島の内陸という場所がら近代化からは程遠く、駅周辺には一昔前の昭和テイスト が色濃く漂っている。改札口のラッチに木製の集札箱、そしてタブレットの確認を促す標識。いいじゃないか、これこそ国鉄型気動車にふさわしい舞台である。

 
左 09・07・14 久留里駅 NikonF5 AF-SNikkor28-80oF2.8ED RVP100
右 09・07・14 久留里駅 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
初めて復活国鉄色を目にした日の帰り道、久留里駅に立ち寄ってみた。子どもの頃、青春18きっぷで乗り鉄した地方ローカル線の情景が、ここには今なお現役で残されていた。もう キハ30は行ってしまったが、目についたストラクチャーに、気の向くままにシャッターを切った。

10・12・05 久留里駅 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8ED ISO200
ふと思い立って、午後から久留里線にやって来た。季節は初冬、最も日の入りの早いこの季節では夕方の増結運用は日が当らない。だが、逆にバルブをやるには好都合である。茜色 の夕焼け空との組み合わせだって狙えるかもしれない。まずは夜の帳が下りる前、久留里折り返しの列車でスナップを1枚撮ってみた。



1枚の写真に衝撃を受けた。RM327号のギャラリー「昭和憧景〜久留里線、国鉄の残照〜」に載った夜間のタブレット交換。オレンジ色の光に照らされて、闇夜に浮かぶツートンの キハに、今タブレットが手渡されようとしている。何とも幻想的なシーン。宮崎敬氏のカメラアイに脱帽した。

デジカメが普及してから、我々の作品作りのフィールドは大幅に広がった。特に高感度性能が向上するにつれ、これまで目の当たりにしながら映像として定着できなかった瞬間が、ど んどん作品化できるようになってきた。多くのフォトグラファーが言うように、デジカメでしか撮れない世界が出現したのである。メインは銀塩!と言い切って憚らない私も、さすが にその事実は認めざるを得ない。早速D700を手に、日没後の久留里を訪れるようになった。

10・12・05 上総亀山駅 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8ED ISO1250
終点上総亀山で、キャリアを肩にかけて佇む車掌。師走の夜、この奥房総の山間に降り立つ客は皆無だった。静寂の中に、アイドリング音だけが単調に響く。

11・06・19 横田駅 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8ED ISO4000
出動回数の激減する梅雨時は、バルブでカット数を稼ぐしかない。この日も夕方家を出て、日没頃に沿線に入った。横田駅で辺りが暗くなるのを待つ。18時50分の下り列車は、先頭に キハ30をつないでいるはずだ。頃合いを見計らって構内に入り、邪魔にならないところに三脚を立てる。19時50分、列車が入線。 200oで乗務員扉にピントを合わせて待つ。露出は ISO4000で1/50sec f3.2。構内踏切を渡って助役が現れた。手持ちのキャリアを渡し、運転士からここまでのタマを受け取る。瞬時の「儀式」を、デジの恩恵で切り取ることができた。

3枚とも:11・01・23 横田駅 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8ED ISO2500
冬将軍が南下して全国的にこの冬一番の冷え込みとなったこの日、朝は神保原で大幅遅延の「あけぼの」を撮った。日中はキューゴーが入ったという安中貨物を冷やかしに常磐線へ。 最後の〆で、国鉄色3連が実現したという久留里線のバルブに転戦してきた。上総亀山でバルブ撮影した後は、横田駅に先回り。前回は下りのタブレット授受を撮ったが、本当は横田 は上り方の方が撮りやすい。

入場券を購入して中に入ると、間もなく踏切が鳴った。ブレーキを軋ませながら列車が停まり、闇の中にエンジンの鼓動だけが響く。しばらくして反対のホームに上総亀山行きが入線。 下り列車からタマを受け取った助役が、キハ30の運転台に駆け寄る。タブレットキャリアを手渡しして準備は完了。安全確認の青いカンテラが頭上に掲げられた。車掌の吹く笛の音が 静けさを切り裂き、計9枚の外吊りドアが重々しく閉まると、俄かにエンジン音が高まる。ゆっくりと国鉄色3両が動き出した。1両、2両…と助役氏の眼前をツートンカラーが加速し て行く。助役と車掌が一瞬のアイコンタクト、互いに敬礼をかわし、列車は漆黒の世界へと旅立って行ったのだった。



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