鉄路百景 GALLERY13. 上総の里に残された「国鉄時代」

GALLERY13 上総の里に残された「国鉄時代」

3.キハ30を追った日々

“パー線”。久留里線は地元の人々から愛着を込めて?こう呼ばれている。以前木更津に勤務していたときには、下校の遅くなった生徒が「今日は10時パーで帰るね」と家に電話している姿をよく目にした。だいたい時間1本ペースの“パー線”では、「●時パー」で話が通じるのだそうだ。また、内房地域の生徒の間でも、非電化区間のパー線沿線住民は「別格」とされていた。確かに、久留里以遠では地元志向がいまだに異常に強いらしい。上総亀山在住だった優秀な卒業生は、県下トップの県立千葉高に進学する際、近所の婆ちゃんから「なんで木更津高校に行かないの?」と言われ、京都大学に進学する際には「なんで千葉大に行かないの?」と問い詰められたという(笑)。そう、都心から車で1時間半圏内に、いまだこのようなローカルな世界が残っていたのである。

山田・岩泉、米坂、そして大糸と国鉄キハの聖地が次々と終焉を迎える中で、久留里線の国鉄色復活は大きな福音となった。これぞまさに「最後のローカル線」!運用把握が難しくはあったが、マメに通うことでそれを乗り越えようと、季節ごとに上総の奥地に車を走らせることになった。

10・05・08 上総松丘−上総亀山 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
2010年G.Wのイベントの直後、ペンタ400のピント精度が落ちていることに気が付いた。レンズはサービスセンターに即入院させたが、撮った写真が心配である。現像の仕上がりを待てず、次の週末にペンタ300でこのアングルの再履修に出掛けた。

上総松丘−上総亀山の切り通し俯瞰。周りの緑が濃くなる前が勝負である。幸い土曜朝一の下り先頭には、必ず増結運用のキハ30が付く。どうせ面と屋根しか写らないアングルである。後は37だろうと38だろうと構いはしない。小鳥のさえずりを聞きながら、三脚をセット。1週間前のパニックが嘘のように、今日は誰一人来ていない。じっくり考えて構図を作り、列車を待つ。間もなく、静寂を破ってキハのエンジン音が響いてきた。



せっかくの海の日連休も、予備校講師時代は夏期講習が入って連休にならないことがほとんどだった。どうせ遠征できないなら…と講師仲間で1学期の打ち上げをやるのも恒例行事。この年もそんな約束を入れていたが、当日は梅雨の末期にはあり得ないほどのド快晴だった。さて、近場で朝だけのネタはないものか?すぐにピンと来たのが久留里のキハ30だった。

 
左 10・07・18 久留里駅 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
右 10・07・18 久留里駅 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED  RVP100
すでに学校が休暇期間に入っているため増結はなかったが、幸いサンマルは普通の運用に充当されていた。横田でタブレット交換を撮ってから即追っ掛け。久留里の交換停で列車を追い抜き、前から気になっていた上総松丘−上総亀山のオーバークロスに先行した。トンネルを抜けてくるところをサンニッパで迎え撃つ。最後は上総亀山駅の停で締めた。朝練は極まると気持ちいい!

11・07・13 平山−上総松丘 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
その約1年後、いすみのキハ52を撮影した足で久留里に転戦した。この時期なら、木更津16時29分発の午後の増結運用を久留里以遠で撮れるはずだ。だが、それまで梅雨と仕事で1ヵ月近く出撃していなかったブランクが響いた。画面の四隅に気が回らず、列車通過の直前になってからバックにガソリンスタンドの看板が入っていることに気が付いた。時すでに遅し。無理矢理立ち位置を変えるも、アングルを整え直す前に2灯のライトが見えてきてしまった。残念…何とも後味の悪い敗戦である。こうなったらリベンジマッチは少しでも早く!期末試験の採点のピッチを上げ、数日後に午後半休を取った。

同じ場所に同じレンズ、同じ露出でセット完了。今日は看板を林で隠し、構図も満点である。さぁ来い!間もなく踏切が鳴り、奥のカーブから夕日を浴びたツートンカラーが現れた。



久留里線のキハの運用を把握するのは本当に難しかった。増結運用は確実にキハ30だが、基本編成については完全に共通化されていて何が来るのかは行ってみないとわからない。しいて言えば、キハ37・38が検査入場しているときがややチャンス…という程度だった。

秋も深まり関東にまで紅葉前線が南下してきた11月下旬、久留里で国鉄色2連が実現した。このときも小湊から転戦して、現地で初めて知ったという次第。お陰で朝のイイ光線の時間帯を撮り逃してしまった。

10・11・28 平山−上総松丘 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
コンクリ法面の突端に、恐る恐る三脚を据える。強風に木の枝が大きく揺れ、時おり木の葉が吹雪のように舞い散る。絶壁の眼下には、蛇行する小櫃川と久留里線の鉄橋が見下ろせた。場所は見つけたものの、なかなか撮影の機会がなかった平山の俯瞰。久々の国鉄色2連でようやくチャンスが巡ってきた。陽の長い時期の早朝なら正面にも日が回ったのだが、今さらそんな贅沢を言っても始まらない。ペンタ165oのタテ構図で主役が現れるのを待った。

10・11・28 平山−上総松丘 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
亀山行きの後追いを俯瞰で撮り、返しを平山−上総松丘のオーバークロスでまた後追いで撮る。光線重視とはいえ、何とも巡り合わせが悪い。それでも「キハは順光側が面!」という格言をかつてベテランの先輩から吹き込まれた身としては納得の撮影地選定。バックの紅葉も温暖で色付きの冴えない房総半島にしてはまずまずではないか。あとは一発勝負の67でシャッターの切り遅れだけは要注意である。間もなく、手前のジョイントを過ぎた辺りという狙い通りにレリーズを押し込んだ。

10・11・28 上総亀山駅 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
午後は撮る場所も思い浮かばず上総亀山の駅へ。周囲は木々が程よく色づいており、晩秋の終端駅のもの悲しい雰囲気が何とも言えない。それでも、撮影者にとっては目の前に国鉄色のサンマル2連がいれば胸も高鳴るというものである。斜光に照らされたツートンカラーをじっくり観察しながらシャッターを切った。



房総半島の冬は雪も降らず色味がなくて、絵にするのになかなか苦労させられる。だが、毎日のように続く晴れ予報と、低い朝夕の光線の美しさだけは裏切らない。日本一平均標高の低い千葉県は、冬至の日でも朝日・夕日が稜線に遮られることが日本一少ない(はず)なのである。

キハ37や38と共通運用であるキハ30の動きを読むのは難しい。ただ、ハズレがないのは日祝日以外の朝一下り方の増結運用。通学用の3連を組むために、単行で動けるキハ30に限定が掛かっているようである。その他運用でもう1両が下り方に入っていれば、国鉄色同士の交換も撮れるのではないか!?

10・12・04 横田駅 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
この日は、そんな期待をもって上京中の関西-D.W先輩と出撃。横田駅の外れにある根形踏切からサンニッパで交換を狙う。事前に情報を得ていた通り、下り先頭は共通運用ながらキハ30が登板。間もなく入線する上りは増結運用の返しだから間違いなくサンマルである。踏切が鳴り、列車が到着。予想通りのツートンの並びに喜び勇んでシャッターを切った。

 
左 11・12・10 上総松丘−平山 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP100
右 12・02・11 上総松丘−平山 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP100
冬場の楽しみは、低い朝日を浴びる朝一の増結3連。列車は上総松丘を出た辺りで日の出を迎える。銀色の霜に覆われた線路に陽が射し込むと、バラストと枕木がキラキラと黄金色に輝き始める。普段なら数分で溶けてしまうところだが、この時期だとすぐに踏切が鳴る。来た!鋭い光線に照らされて、花道をキハ30がやって来た。500o正面撃ちの画角で動体予測を効かせ、F5をひたすら連写。房総の冬も捨てたものではないと感じた。

11・12・18 上総亀山駅 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
朝練を終えて上総亀山の駅に行くと、折り返し待ちのサンマルをじっくり観察することができる。デビュー当初は味気なかったであろう食パン顔も、幾年もの風雪に耐え、前面強化のプロテクターが付き、排気煙にまみれると不思議と男前に見えてくる。歳を重ねて魅力を増すベテラン俳優の赴きである。たかが停の写真とはいえ手抜きは失礼だろう。ハスキーを据えてペンタ400でじっくりと向き合うことにした。

 
10・12・04 久留里駅 NikonF5 AF-SNikkor70-200oF2.8EDVRU RVP100
冬枯れ色で殺風景な季節はスナップ撮りが向いている。特に車体のパーツ撮りなどは、斜光線に照らされるこの時期ならではの輝きが得られる。デビュー当初は味気ない通勤用気動車として生を受けたキハ30も、こうしてみると凸凹の効いたスタイルが何とも武骨で絵になるではないか!タブレットキャリアーをあしらった「久留里線」の表示幕など秀逸なデザインである。どうにも食えない混色編成も、こうやって切り取ると楽しいものだった。

11・01・23 上総亀山駅 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8EDVRU ISO200
冬場のもう一つの楽しみが、暗くなってからのバルブ撮影。日の入りが早い分、夏場だと撮れない時間帯から夜の部がスタートする。日の入り直前の光線で見送った列車を追い掛けて上総亀山まで行くと、行き止まりの終端駅に聞き慣れたアイドリング音がガラガラと響いていた。

11・01・30 横田駅 NikonF3Limited AF-SNikkor300oF2.8ED TOREBI100
今度は復路を追走しながら帰途に就く。上総亀山の発車を見送っても、久留里の停車などを挟むと余裕で横田には先行できる。駅外れの踏切で、上り列車の後追いを狙う。光量のないローカル線で夜間撮影をするときは、ヘッドライトを消されたりハイビームのままにされたりするリスクを避けて、後から構えるのが賢明である。日中だと妥協している感が漂うが、日没後なら夜闇に溶けるテールライトもまた美しきかな…である。



1997年に新塗装になったキハ30が国鉄色ツートンに復活したのが2009年。その姿で3年間活躍し、2012年春に現役の線路上から姿を消した。あれからすでに12年の時が経つ。新塗装時代の12年間は関心すらなく長い空白期間だったように感じるが、はやそれと同等の時が経ってしまったことに驚きを禁じ得ない。そして今年2024年12月に久留里線末端区間廃止の報が流れた。

11・12・18 小櫃−俵田 PENTAX67 smcPENTAX55oF4 RVP(+1)
小櫃−俵田間は、高校卒業直後、高崎から転属してきたタラコ色のキハ30を狙いに来た区間である。青春18きっぷと徒歩で沿線を回ってから10年以上、今となってはどこで撮ったかも覚えていないが、記憶を辿りながら沿線を流していると、線路脇に残り柿を見つけた。師走も半ばを過ぎたというのに、鳥に啄まれることもなく赤く熟した実が無事なのは珍しい。あと少ししたらサンマルを併結した1番列車の返しがやって来る。バタバタと広角を付けたペンタをセットし、柿にピントを置く。白いキハ37と38をやり過ごし、ツートンカラーの外吊りドアを絶妙にブラすタイミングで1枚こっきりのシャッターを切った。

12・11・25 久留里−平山 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
キハ30の引退が目前に迫った最後の日曜日、前から狙っていた久留里城址の俯瞰に登ってみた。ペンタ400を担いで登山道を上がり、眼下に線路を望む。ベストシーズンは田植えの頃だったのだろうが、秋も深まったこの日でも、辛うじて二番穂に染まった田んぼのお蔭で殺風景にならずに済んでいた。小高い山の稜線まで入れて、箱庭のような景色を構図にまとめる。間もなく、背後からの後追いで国鉄色サンマルの2連がゆっくりとやって来た。

12・11・25 平山駅 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1)
ホームの銀杏が色付いていたので、返しの列車は平山駅の発車へ。どうということはないアングルだが、屋根もない無人の棒線ホームに古木が一本。いかにも国鉄時代からのローカル線の“停車場”らしい雰囲気が良かった。駅外れの踏切付近からペンタ90oで構図はピッタリ。狙いの列車は、乗降客ゼロのままエンジンを震わせて動き出した。同行のLIBERTY氏と私以外、他に見送る人はいない。これが私にとってのキハ30ラストカットとなった。

薄情なもので、今や新型ハイブリッドキハしか走らぬ同線に撮影者としてはあまり魅力は感じないのだが、それにしても、平成初期に各地で見られたローカル線の転落を、約30年の時を経て令和の世に久しぶりに見せつけられた気がする。確かに、この10年ほどでも姿を消した路線はいくつもあった。しかし、それらはたとえ口実であったにせよ、災害などでの運行休止をきっかけとしたものだった。純然たる収支の面から引導を渡される路線を見たのはいつ以来になるだろう。しかも、それが首都圏の一角で現実のものとなるとは…。

市場の無謬性を無邪気に信奉し、不採算なるものは即廃止!と断罪したがる浅はかな新自由主義的風潮や、それに則った安易な鉄道廃止論について考えることは色々あるけれど、ここでそれを述べるのは野暮というものだろう。ただ一つ言えるのは、我々は幼少期の憧れを追って「国鉄」の幻影を探し続けてきたが、もはや時代は国鉄どころか、鉄道そのものの存在すら保証されないところまで来てしまったのかも知れない、ということである。上総の里に残された「鉄道」の今後が気になる。

−完−



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