鉄路百景 GALLERY11.山陰海岸、国鉄の残像02

GALLERY11 山陰海岸、国鉄の残像

2.潮風を切って〜山陰ツーリングツアー GW編〜

ミレニアム、ミレニアムと騒がれた20世紀最後の年からはや10年が経つ。十年ひと昔というけれど、確かに自分の置かれた環境も、鉄の世界の様相もこの間に大きく変貌した。 当時は毎夏のように出掛けていた久大本線の客レが廃止され、新たなターゲットとして、今さらながら…という感もあるものの、山陰の国鉄型気動車をじっくり撮ってみようか と考え始めていた。幸い、京都からなら国道9号を下れば鳥取・島根へはダイレクト。気候が温暖な時期なら、愛車スーパーカブ号で“ツーリング撮影行”なんて洒落込むの も悪くない。

さっそく手元の鉄道誌を紐解いて撮影地の検討に入った。まず、カブ号だと一晩での移動は 200km前後が限界。ということは、初日の朝は泊−松崎辺りで「出雲」をやって、 日中さらに西下し夕方は名和−大山口で大山バックを極める。その晩には出雲市に入って…。次第に計画が現実味を帯びてきた。そしてG.W.前夜、ダークグリーンの我がカ ブ号は、エンジンをひと吹かしさせて京都のボロ下宿を後にし、夜の堀川五条から9号線を西に進んだのであった。

しかし、日中は暑いくらいになったとはいえ季節はまだ春。意気揚々とスロットルを握ったのはよかったが、亀岡を過ぎた辺りから体が冷えてきた。幾重に連なる山を越える 度に夜霧が周囲を静かに包む。重く湿った空気を切り裂くだけで服はジットリと水分を含み、そんな状態で風を受けているのだから、それは寒いわけである。堪らず合羽を着 込んで先を急ぐ。八鹿からは線路も離れ、ただただ闇の中を単騎行。前方を照らす一筋の光芒以外は全てが漆黒の世界。たまに現れる信号はほとんどが点滅状態で不気味なこ とこの上ない。最大の難所県境のループもどうにか越えた。桜の名所として知られる大岩駅前のポプラでやっとひと休み。少しずつ空が白んできた。

2000・04・29 泊−松崎 MamiyaM645 1000S SEKOR 70oF2.8 RVP(+1)
鳥取駅のコンコースで2時間弱仮眠をとり、再び9号を西へ。 アップダウンの続く青谷海岸を快調に飛ばし、泊のポプラを目印に左に入れば山陰東部のメジャーアングル、 泊−松崎の築堤は間もなくである。ここで迎えるは朱きDD牽引の「出雲」!雲の通り道でなかなか晴れないとも言われるこのポイントだが、さすが晴れの特異日あっさり Xを頂戴することができた。あまりの晴れにその後もしばし残留。趣向を変え、線路際の休耕田に植えられたレンゲの花で季節感を出しつつ行き交うキハを捉えてみた。

2000・04・29 下北条−由良 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 KR
午後は西への移動中にフラッと「おき5号」を撮影。下北条−由良は「撮れるらしい」という話は聞いていたが、詳しい立ち位置などは知らないまま。線路に併走する県道を 流し、適当な踏切で三脚を広げた。伯耆の名峰大山の裾野を走るこの区間では、線路は田園の中をひたすら真っ直ぐに伸びる。やがて、このストレートを紫煙を吹き上げなが らキハ181が豪快に走り抜けて行った。カッコイイ!んだけど、マークがなぁ…。

2000・04・29 名和−大山口 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 KR
夕方は予定通りに名和−大山口の大山バックへ。やや空気は霞んできたが、鉄橋のバックには堂々たる大山の北壁が聳え立っていた。そんな檜舞台に「くにびき1号」・「とっと りライナー」・タラコ47…と今なら垂涎ものの被写体が次から次に現れる。まさに山陰は国鉄王国。ただ、どの列車もかなり速い。特に特急・快速はトップスピードでカッ飛ん でくる。長閑な情景を想像していただけに、これには驚いた。ド真横アングルということもあり、結局ブレずに撮れたのはタラコ47くらいであった。



翌4月30日は雨。いきなりのロングランで疲れた体にはちょうどよい。小田のいちじく温泉で休養し、次の日からの撮影ラッシュに備えた。何を隠そう、出雲市以西は白砂青松の 日本海をバックに国鉄型気動車を飽きるほど撮り倒せる世紀末国鉄キハ巡礼の聖地。小田−田儀−波根の3駅間だけでも有名アングルは枚挙にいとまがない。何時の列車をどこで 迎えるかを決めておかないと、撮りたいアングルを全て回り切れないのである。携帯サイトで翌日の晴れ予報を確認しながら撮影計画を練った。

記憶では、その日は小田駅でマルヨした気がする。趣のある木造駅舎で大型のベンチを向かい合わせにして寝袋で一夜を明かす。早朝の空気が美味しかった。ちゃちゃっと身支度 を整えてエンジンを一吹かし。今日もカブ号は機嫌よく唸りを上げた。

2000・05・01 小田−田儀 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO100oF2.8 E100VS
小田−田儀の段々畑は普通に撮っても素晴らしいが、やや遠方が霞みがかっている今日は島根半島の抜け具合もイマイチ。そこで趣向を変え、水平線バックの切り取りに徹してみ た。海沿いの一本松と海面の岩礁がなかなかお洒落なアクセント。ちなみに、こういうお遊びアングル用に、このツアーには普段控えのOM−1も持参した。ZUIKOレンズの切れ味 が泣かせてくれる。

2000・05・01 田儀−波根 MamiyaM645 1000S SEKOR 300oF5.6ULD RVP(+1)
午後は、2年前の初夏に小雨そぼ降る中「出雲」を待った田儀−波根のストレートへ。気温の低い日が続いたせいか、海岸縁の草木はまだまだ冬枯れ模様だった。色味がねぇなぁ…。 だがそれ以上に、この時使っていたマミヤの300oF5.6がダメダメ。周辺光量は落ちるし、全体に青みがかった発色をする。特殊ガラスを用いた高性能レンズという触れ込みだったが、 所詮開放ゴロクのレンズはこんなものなのか。今回はフォトショップのビネット修正でどうにか救済した次第である。

再び天気の崩れた5月2日はロケハンに充てた。今回の長期ツアーに備えて●M誌はじめ各種鉄道雑誌のバックナンバーを漁って資料写真をまとめてきたのだが、まだまだ立ち位 置不明のXポイントも数多い。地図と睨めっこして見当をつけ、場所を確認しておくことが必要であった。それにしても、今から振り返ると90年代末期の●M誌はとにかくレベル が高かった。毎号刺激的なグラビアが競い合うように誌面を飾り、我々を魅了し続けていた。毎月21日に本屋でページをめくる度にアドレナリン全開。これが鉄活動の大いなる原 動力であったのは間違いない。

2000・05・03 小田−田儀 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 KR
3日は待ちに待ったドバリ晴れ!早速ロケハンしておいた小田−田儀のSカーブ俯瞰に向かった。200oタテで国道をかわすと、水平線を背にうねる線路がファインダーに収まる。 欲を言えばもう一押しして300oがベストか。でも、何かあるとサンニッパやゴーヨンの鞘を抜く現在からは信じられないが、当時我が機材の最長レンズは望遠ズームの200o。無い 袖は振れぬ(泣)。潮風に乗って切り通しから顔を出したキハ181の「くにびき4号」を、精一杯の長玉で切り取った。

2000・05・03 田儀−波根 MamiyaM645 1000S SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
2000・05・03 田儀−波根 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 E100VS
続いては、これまた下調べしておいた田儀−波根のド真横俯瞰へ。棚田の間を縫うように山中に続く小路を登ると、藪の切れ間から3両分ほどのレールが見下ろせる。「瀬戸」 「出雲」の廃止を伝えるR●誌の巻頭見開きを飾ったあのアングルが、実際に目の前に広がった。マミヤは性能的にも信頼できる150oを選択し、手堅い構図で勝負。でも、思い 切って広めで攻めると水平線も入るんだよなぁ…。よし、欲張れるときは欲張るべし!OM−1にも50oを付けて2丁切り体制をとった。

2000・05・03 五十猛−仁万 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO135oF2.8 E100VS
昼の「おき3号」のポイントとして目を付けていたのが五十猛の丘。白波打ち寄せる浜辺を入れて長編成の列車を見下ろす、古くからの石見路のハイライトである。かつて浜田 「出雲」末期のG.W.に一度ここを訪れた。天気は快晴。激パニックの中身内4人で立ち位置を固め、バッチリXを頂戴した…はずだった。が、マミヤとOMの慣れない2台切 りが祟って両者共に早切り(汗)。そのまま再戦の機会もなく、DD牽引の寝台車は幻の彼方へと去ってしまったのであった。

ま、過ぎたことは仕方がない。でも、屈辱の日から2年になろうとする今日は、被写体は違えどこのアングルを再履修する絶好のコンディションである。青い海、白い砂浜、遠く に島根半島の島影が浮かぶ!しかも今日の「おき3号」は繁忙期の増結で5両編成!! これでテンションが上がらない方がおかしいだろう。パニックを警戒し、ポールポジション を押さえるため本命通過の1時間前からスタンバイ。手前の草を完全にかわすため丘のてっぺんに三脚を立て、自分は銀箱の上からアクロバティックな姿勢でカメラを覗く。機 材は本命のマミヤに押さえのF4、それに別アングルのOM−1と3台をセットした。五十猛駅を通過し、ゆっくりとステージにさしかかったキハ181を、まずはOM135oで迎 え撃つ!

2000・05・03 五十猛−仁万 MamiyaM645 1000S SEKOR 70oF2.8 RVP(+1)
すぐにレリーズを持ち替え、手前に引いてマミヤとF4で標準アングルを切り取る。今度こそ早切りしないように、ファインダーを注視して指先に力を込める。箱庭のような山陰 の風景の中に、伝統の特急型がピタリと納まった。屋上にラジエーターが並ぶ5連のキハ181系は、いつも以上にカッコイイ!

2000・05・03 田儀−波根 MamiyaM645 1000S SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
とんでもない急坂に、カブのギヤを1速まで落とす。歩くような速度で登り詰めると、突如左手に大パノラマが広がった。前日ロケハン済みの田儀大俯瞰。鯉のぼり泳ぐ漁港に石 州瓦の集落、海の向こうには島根半島をバックに小さく出雲ドームが霞む。これまで雑誌等では目にしたことがないニューアングル。どうも周囲の様子から察するに、近年の公園 整備か何かでこの立ち位置が出現したようである。マミヤの150oで構えてみると、狙った構図がピタリと決まった。被写体はキハ120を除く全列車。5連増結の「おき4号」をメ インに、日が沈むまでここでシャッターを切り続けた。

その夜は、今日から出撃してきたさささ先輩と合流し、浜田駅前の養老の瀧で祝宴。いい感じで出来上がり、そのまま駅構内で暖を取りながらマルヨした。



4日からは浜田−益田間に歩を進める。岡見−鎌手や折居−三保三隅などこちらも有名ポイント目白押しの絶景区間だが、これまではネタついでの通りすがり撮影ばかりで、落ち 着いてアングルを回ったことはなかった。今日こそはキハ181や58・28で日本海バックを堪能してやろう。満を持してカブ号のスロットルを握った。

2000・05・04 岡見−鎌手 MamiyaM645 1000S SEKOR 70oF2.8 RVP(+1)
朝一でやって来たのは定番中の定番、青浦鉄橋。造成地の藪を掻き分けると、すぐ目の前に幾度も雑誌の表紙を飾ったお馴染みの光景が広がる。手前の断崖から水平線までを入れ るのには、標準やや広めのマミヤ70oがちょうど良かった。貨物の運転がないからか、今日は珍しく他に鉄ちゃんがいない。打ち寄せる波の音に身を任せ、列車の登場を待った。

2000・05・04 折居−三保三隅 MamiyaM645 1000S SEKOR 210oF4N RVP(+1)
日中は一度撮ってみたかったオリミホのコンクリ斜面へ。夕日パークから撮る上り方は何度か行ったが、トンネルを抜けて磯を横目にカーブを描く下り方はいまだ未踏のポイント だった。九十九折りの鉄ちゃん道を登ると、コンクリ法面の最上段に出る。おぉ!海の色、抜け具合ともによし。マミヤに210oを付け、奥の海岸線まで広めに入れて構えてみた。

これから数年後、山陰大サロ御召で激パしたのを機にこの場所は立入禁止にされてしまった。聞いた話では、さらに狙ったかのように築堤直下に一戸建てが新築され、もはや往時 の面影はないという。しかし、その前に撮るべき被写体がなくなった。もはや頼まれてもここを訪れることはないだろう。

2000・05・05 三見−玉江 MamiyaM645 1000S SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
次の日からはさらに西を攻める。益田を過ぎるとキハ58・28の運用はなくなり、特急も「いそかぜ」1往復だけとなる。ローカル運用の主役は広島支社のキハ23。色は白と黄色の ツートンだが、キハ23というのがまた渋い。アングルも宇田郷や三見−玉江など見所は充分。さぁ、いざ出撃!

メインディッシュの「いそかぜ」は、三見−玉江、通称サンタマで迎えることにした。県道64号の標識を目印に、松の茂る急斜面に分け入る。枝を引っ掴むようにしてよじ登ると、 浜辺に弧を描く線路が見下ろせた。浅瀬の続くこの付近は、ハワイを思わせる?ライトブルーの海の色が特徴的。遠景がやや霞んでいるため、中望遠で構図を作り、踏切が鳴るの を待つ。今日は絵入りマークの編成が上り列車でやって来た。

午後からは宇田郷のコンクリ橋に行くものの春霞で海の色が出ず。春に3日の晴れなしというけれど、そろそろ高気圧の勢力も尽きてきたようだ。翌日も宇田郷・サンタマ界隈を 彷徨うが成果はなし。昼過ぎには山陰を後にし、小野田支線でクモハ42の夕方運用を撮ってから新門司港に向かったのだった。



2000・05・04 折居−三保三隅 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO100oF2.8 E100VS
京都を出てから1週間、僅か50tのスーパーカブで本州の西端まで走り切ってしまった。寒風に体が縮みそうになった終夜運転、2速でも喘ぐような峠越え。でも、そこにはいつ もまだ見ぬアングルへの期待感と期待に応え得る国鉄色の主役たちがいた。願わくば、また来らん国鉄色の路。3ヵ月後の再訪を誓い、私は大阪南港行フェリーの客になった。



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