鉄路百景 GALLERY11.山陰海岸、国鉄の残像03

GALLERY11 山陰海岸、国鉄の残像

3.潮風を切って〜山陰ツーリングツアー 夏休み編〜

毎年、夏が来るたびに思い出す。真上から照りつける日差しと、陽炎立ち上るアスファルトの国道。潮風を浴びてバイクを転がし、来る日も来る日も国鉄型気動車を 追い掛けた日々。斜面を這い上がり、浜辺を彷徨った。暑く、熱かった14日間。それは、ドラマでお約束の甘酸っぱいストーリーとはかけ離れていたけれど、私にと っては間違いなく「青春」というヤツだった。

あれから10年余り、キハ23が落ち、キハ181系も引退した。そして、かつてあれほどの大勢力を誇っていたキハ58も、この春の改正をもってJRの本線上から姿を消し た。時は流れ、時代は変わる。でも、たまには昔のことを思い出そう。記憶が薄れてしまう前に。

梅雨時の休鉄シーズンは夏の計画を立てるのに絶好の時期。出撃頻度も落ちるためマジメに大学に行き、大教室での講義の時間は、話を聞くフリをしながら頭の中ではど こに行こうかという算段が渦巻いていた(笑)。この年は、行き先が山陰というのは既定路線だったが、どうやって現地入りするかが考えどころ。5月と同じく陸送で入る と、田儀〜五十猛くらいで満腹になってしまう恐れがある。今度は岡見貨物も絡めて西部を重点的に攻めたい…となると、往路がフェリーか。新門司上陸→美祢線を中心 に岡見貨物→サンタマ・宇田郷で「いそかぜ」…。だんだんプランが煮詰まってきた。

7月末から試験の傍らバイトを入れまくって軍資金を調達し、8月6日に出発。午後早くに家を出て、のんびり大阪南港に向かう。交通量の多い1号線は避けて京阪電車 沿いに南下すること約3時間、夕方出航の名門大洋フェリー1便に乗り込んだ。船内食堂は高いので、夕食は乗船前に買い込んだコンビニ弁当。それでも、夕闇迫る明石の 街明かりを眺めながらビール片手に食べると、これがウマい!食欲が満たされてしまえば、雑魚寝の2等船室ではやることもない。カーペットに大の字になってあとは目 を閉じるだけ。気づけば、薄明るくなった空の下、瀬戸内の島々が船窓をゆっくりと流れていた。

2000・08・07 厚保−湯ノ峠 MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N E100VS
5時半、新門司着。まずは2号線を上って厚狭−小野田でブルトレを撮る。「富士」は間に合わないが「さくら・はやぶさ」ならいけるだろう。 が、何と「さく・ぶさ」 は1時間近い遅延で面に日が回らず!かつ、掛け持ち可能だったはずの美祢線の赤ホキも間に合わず!何てこったい(泣)。せっかく初日から晴れたのにガックリである。 結局、昨夏から狙っていた厚保駅俯瞰で撮れたのは、白地に緑帯の快速「北長門」だけであった。

2000・08・07 須佐−宇田郷 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS
この後は、美祢線沿いに国道316号を北上して山陰に抜ける。普段は貨物を撮るだけなので重安までしか用がなかった美祢線だが、道は走りやすいし長門市までの距離も大し たことはない。原付レベルの陰陽連絡ではここがベストのルートといえそうだった。しかも、長門市まで出てしまえば、山陰西部の名所 “サンタマ”こと三見−玉江も近く、 もう少し足を延ばせば宇田郷のコンクリ橋だって見えてくる。この日は「いそかぜ」の上りはもう間に合わないため、下りにターゲットを絞って宇田郷まで走った。肌にジリ ジリくるような強烈な日差しの中、破損したブイやハングル文字のラベルが貼られた瓶が転がる砂浜を歩いて海側アングルに三脚をセット。マミヤの150oで無難に構図をま とめてみた。

日が沈んでから来た道を引き返し、厚狭の近くの秘密基地でマルヨ。今も遠征先で滅多に宿など泊まらない私だが、車を持っていなかった学生時代は今以上にハードなマルヨ を繰り返していた。この夜の宿も人には言えないポイントである。事件は未明に起こった。夜も明けきらぬうちから外がずいぶん騒がしい。外にはズンドコズンドコ喧しいア ホそうな車が停まっているようだ。と、人が降りてくる気配。そして我が寝室の戸を激しく揺さぶってくるではないか!女「ねぇ、ここのドア、開かないよぉ」 男「ちょっ と待て、いつもはすぐに開きよるんじゃがの〜」…ってオイオイ!心地よいまどろみもどこへやら、必死の形相で中から扉を押さえ込む。てか、オマエら早朝からナニしよん ねん、ここは●×▲★だぞー!しばしの格闘の後、「おかしいのぉ」と言い残し、件のヤンキーカップルは消えていった。10年経った今だから言える、全く笑えないマルヨの 話である(汗)。あ〜やだやだ。

  
                                  左:00・08・08 湯ノ峠駅 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 RVP(+1)
                                  右:00・08・09 厚保駅  OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 RVP(+1)
この日は一応晴れベースながら雲が多め。時おり飛んでくるゲリラ雲に太陽が遮られる。厚狭−小野田の「富士」は辛うじて撮れたものの、以後はサッパリ。こんなときはガ ツガツしたって仕方ない。旅の思い出に記撮でもするか。デジが普及した今からは考えられない贅沢?だが、場所取り用三脚を立てて湯ノ峠駅前で愛車スーパーカブとパチリ。 使用機材はOM−1にベルビア(+1)であった。

翌日も、不安定な天気の中一瞬の日差しに期待して四郎ケ原のカーブでフライアッシュ貨物を待ち受ける。しかし、直前露出急降下で敢え無く撃沈し、ガックリ…。意気消沈し てフラフラとバイクを転がし、厚保駅に行くと、部活のためか高校生数人が制服を着て駅に集まってきていた。間もなく上り厚狭行きが到着するようで、列車接近を知らせる 改札上のベルがけたたましく鳴り響く。おもむろにホームに向かう少年を1枚シルエット撮りしてみた。その後は少しでも雲が切れている日本海岸へ。 三見−玉江でキハ23を 狙ったが、ツイてない日はこんなもの、やって来たのはことごとく40系であった。



その晩はコサカミ氏御一行と合流してファミレスで前夜祭と洒落込み、奈古駅近くの道の駅阿武町でマルヨ。翌朝はG.W.からの課題にしていた須佐−宇田郷のコンクリ橋俯 瞰にアタックする予定である。夏にしては乾いた空気、漆黒の空に星が輝いている。クリアーな晴れに期待して寝袋に包まった。

2000・08・10 須佐−宇田郷 MamiyaM645SUPER SEKOR 210oF4N E100VS
翌朝は期待を裏切らないドバリ晴れ。 水平線付近にすら雲一つなく、日の出直後の金色の光線に我が愛車が輝いている。 始発のキハから仕留めるべくそそくさと準備を整え て、いざ出陣。コサカミ氏のミラ号と連隊を組んで宇田郷を目指す。見慣れたコンクリ橋の東側の山を直登し、木々の切れ間が撮影ポイントである。が、三脚をセットしてか ら重大なことに気がついた。橋の直下にキャンパーらしきテントが一つ。それはまぁいいとして、そのすぐ横に銀色の1ボックスが1台。 う〜ん、これはなぁ…。せめてあと 10メートルでもずれていればアングルに干渉しないのだが、さすがに早朝からテントの主を起こしてまで移動を頼むのも気が引ける。と、間もなくテントの入口がゴソゴソと 動き、件のヌシが起き出してきた。列車まではまだ時間はタップリある。イチかバチかお願いに行くか!

だが、手ぶらで下山した我々は、そこで驚愕の光景を目にすることになる。テントから出てきたのはヒゲにロン毛の中年の大男。 例えればまさに、我々の世代なら「尊師」と 呼んではばかることなきキョーレツな風貌の怪人だったのである!とはいえ、ここで恐れてはイケナイ。 ええぃ、ダメ元でアタック。恐る恐る車の移動をお願いすると、怪人 「尊師」は意外なまでにあっさりと交渉に応じて下さり、すんなり事なきを得たのであった。ただ、1発目のキハの写真には朝餉の支度にいそしむ師の姿が、早朝の低い光線、 長い影とともにばっちりフレーム・インしてしまったのではあったが。

2000・08・10 須佐−宇田郷 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS
早朝は橋の右側から山影が抜けずマミヤ210oでアップ気味に切り取ったが、全景を入れた広め構図も素晴らしい。今日は朝鮮半島まで見えるのではないかという抜けの良さ。 どこまでも青い日本海に、飛び石のように点在する島々の影が遥か遠くまで見渡せた。絶好のビューポイントを単行のキハ23が行く。

2000・08・10 三見−玉江 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N E100VS
レンズを変えたりアングルを変えたりしながら大海原に映えるレモンイエローのキハ23をしばし堪能した後は、前日に引き続きサンタマの海岸線へ。細い県道をタラタラと走り、 「64号線」の看板の真裏から丘の上へと直登する。箱庭のようにこじんまりとしながらも遠浅で透明度の高い浜辺は、旅行パンフで見るハワイのビーチを思わせた。標準レンズ で構図を整えると、間もなく益田以西唯一の優等列車「いそかぜ」が後ろからやって来た。

2000・08・10 三見−玉江 NikonF4s AFNikkor50oF1.4 KR
夕方の下り「いそかぜ」は、同じ区間の違う足場から狙う。線路の真上の崖の上に三脚をセットし、マミヤとF4をセットして木陰に待機。日が傾いてきたとはいえ、とにかく 暑い!バックには「竜の巣」を思わせる入道雲が湧いてきた。画面の中も夏らしさ満点!やがて、踏切の音とともにキハ181が現れた。

ケータイがネットにつながるなんて夢のようだった当時のこと、天気の確認は 177 である。全国共通のおねーさんの声によると、明日は山口・島根ともに高気圧に覆われて安 定した晴れになるという。だとすると、こなし損ねてきた課題を片付けに美祢線まで戻らねばならない。再び長門市から国道を南下。途中湯本温泉の公共浴場で汗を流し、その夜 は湯ノ峠ステーションホテルに投宿した。



美祢線の課題、すなわち岡見貨物のポイントとして2日前にチェックしたのが、四郎ケ原駅手前のカーブ。夏のこの時期なら、緑一色のアウトカーブに朱いカマが浮かび上がるは ずである。前回曇ったリベンジを、いざ!

2000・08・11 四郎ケ原−厚保 MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N RVP(+1)
現地ではすでに先客が1名。当時は軽い面識くらいしかなかったが、この頃から各地のXポイントでお見掛けするようになったこの猛者こそ、現在もここぞというところで必ず遭 遇するboss氏その人であった。氏の現れる所、よく晴れる。この日も朝から安定した青空。不安材料だった山間部の霧雲もなく、間もなく線路に光が当たり始めた。7時過ぎ、斜光 線を浴びて原色DDが登場。バックの林との明暗のコントラストがいいねぇ!2度目のチャレンジにして描いていた絵が撮れた。現在長期運休中の岡見貨物。山口線の重連に比べ ると地味ではあるが、ロケーションに恵まれた美祢線内で狙うのも悪くない。秋には復活するという同列車が今から楽しみである。

この後は、手元の記録によると今ツアー3度目の厚保俯瞰で赤ホキを撮影。だが、ポジファイルには肝心の写真がないし、そういえばXに極めた記憶もない。不思議に思い、夏休み の暇に飽かして捨てポジ段ボールを漁ると、出てきたのは救いようもないマンダ〜ラに沈んだ非Xカットであった。人は、辛い記憶は脳が削除するように作られているらしい。以後、 ここで貨物を頂戴することなく、重安の石灰輸送は終焉を迎えてしまったのだった…。

2000・08・11 三見−玉江 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N RVP(+1)
赤ホキと上り「いそかぜ」は両立しない。少なくともスーパーカブでは無理である。仕方ない、次のターゲットを下り「いそかぜ」として宇田郷に向かった。その行き掛けに、 今日もサンタマでキハ23を1枚。前日「いそかぜ」の前走りで撮った時には後の踏切に軽トラが引っ掛かってしまった。別にそこまで気にはしないが、無ければ無いほうがあり がたい。さぁ再挑戦!ところが、今日も踏切が鳴るタイミングで同じサンバートラックが出現、そして列車待ち。 こうも毎日1時間に1本の列車に狙ったように引っ掛かると は…。結局、ファイルには全く同じポジが2枚残されることになった。ただ、昨日までがE100VSだったのに対し、今日は気分転換にベルビア(+1)を装填。フィルムの選択一つ で違った雰囲気になるのも銀塩の面白いところではある。

2000・08・11 須佐−宇田郷 MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N RVP(+1)
今日のメインカットはここ、宇田郷コンクリ橋の海側アングルである。奥まった入江を渡る惣郷橋梁は西側にも幾つかの足場がある。 まずは岬の突端を回る県道から、手前に奇岩 をあしらって「いそかぜ」を撃つ。本命のマミヤは210o、押さえのF4も135o相当でやや列車を大きめに、お遊びのOM−1は思い切って標準で海と空をガッツリ入れて構図を 整えた。当時穴が開くほど読み返していたRM145号『国鉄王国山陰は今が旬』には、手前に白波が立つ絶妙のタイミングで極めたエ●団長氏の激Xカットが載っていた。当然私も 豪快な一波を期待したが、夏の山陰海岸はどこまでもただ穏やかなのであった…。

ちなみに、件の145号は写真のクオリティの高さやガイドの充実度などから、90年代をリアルタイムに体験した多くの鉄ちゃん諸氏に現在もなお“RM史上最高の1冊”と称えられ る伝説の号である。ただ、丁装がマズいのかよくバラけるのが玉に疵。一部には保存用と閲覧用、わざわざ2冊揃えたという猛者もいたっけなぁ(笑)。

2000・08・11 須佐−宇田郷 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N RVP(+1)
夕方からは入り江を挟んだ反対側の浜辺に移動。一番突端まで行って岩場を直登し、崖の上で涼みながら列車を待つ。波の音に身を任せながら待つこと小1時間、18時を回って 光線が赤みを帯びてくる中、2連のキハ23が現れた。左上に月を配して標準で1枚。

2000・08・11 須佐−宇田郷 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N RVP(+1)
もうこれで今日は打ち止めだろう。行きは夢中で上った岩場を、今度は銀箱を抱えて恐る恐る降りる。さぁ、バイクのところに戻ろうか。だが、オレンジ色の太陽はまだ水平線 の上に輝いている。コンクリ橋も絶妙な茜色に染まっている。時刻表を繰ると、18時50分のキハがあった。イチかバチか構えるか!普通に撮ってもツマラナイ。ギリギリの夕日 に照らされた磯の小石を入れて最後の1本を待った。



西部のキハ23エリアはだいたい押さえた。今日からは国鉄色の往来する益田以東を攻めることにする。G.W.に訪問した撮影地も多いが、夏の山陰海岸は海の色の深みが違う。 コバルトブルーの大海原と国鉄色の組み合わせを目一杯堪能したかった。

2000・08・12 折居−三保三隅 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N RVP(+1)
益田−浜田間で最もメジャーなポイントといえば、ここオリミホの夕日パークであろう。当然私も過去数度訪れていたが、2年前の春は天気がイマイチ、昨年夏はド快晴だった もののマミヤ70oの周辺減光にやられた。今度こそ、マミヤの80oでリターンマッチ!朝一のキハ58・28から撮り始め、メインの5連「おき2号」、そして昼頃の「いそかぜ」 まで、ひたすら同じ場所でシャッターを切り続けた。

午後は、これまた定番の岡見−鎌手は青浦の鉄橋へ。岩場に張り付く短いガーター橋を海側の岩礁から狙う。だが、この日は夕方から頻繁に雲が流れた。太陽こそ遮らなかった が、バックの空は真っ白け。というわけで後日撮り直しの課題となってしまったのだった。



13日は一度雨天で休鉄したが、翌14日は再びドバリ晴れ。マルヨしていた岡見の駅には、昨夜までの雨が嘘のように、早朝から鋭い光線が差し込んでいた。よしよし、アングル まではすぐ近い。始発の時間から岡見−鎌手のアングルに張り付いた。

2000・08・14 岡見−鎌手 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS
ケーブルが手前になるが、アウトカーブを見下ろせるポイントに機材をセット。当時はまだ岡見貨物が走り出して2年ほど。アングル開拓は現在のようには進んでおらず、事前 研究をしてきた私も、ここと青浦、それに鎌手−石見津田の海沿いSカーブくらいしか撮影地を知らなかった。間もなくboss氏も到着。時おり上空を通過するちぎれ雲に冷や冷 やするも、それは杞憂に終わり、今日もバッチリ勝利を収めることができた。

2000・08・14 岡見−鎌手 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N E100VS
さすが雨上がりの晴れはタダの晴れではない。青浦鉄橋から望む日本海はどこまでも青かった。大陸の島影まで見えそうなほど抜けの良い空気に、水平線がくっきりと真一文字 を結ぶ。お盆休み中の好条件とあって、多くの鉄ちゃん諸氏がこの場に集結した。狭い岩場に雛段ができる。狙いは貨物の後益田まで引き上げるDDの重連単回である。

と、直前になって一人のおっちゃんが「すいませ〜ん」とやって来た。手持ちでひょこひょこ現れたおっちゃん、前に入れてもらって良いかと言うので、立ち上がらないように と丁重にお願いする。これで何事もなくXが頂戴できる…はずだった。が!甲高い汽笛とともにDDが見えると、手持ちオヤジは興奮したのか力いっぱい両足を踏ん張り、直立不 動で微動だにしない。( ̄ロ ̄|||)! 結果わがアングルの片隅にはオヤジの帽子が大きくボヤけて写り込んでしまったのであった。唖然とする私の前を件のオヤジはさっさと撤 収。私は空いた口がふさがらず、ただただ去りゆくオヤジの背中を見送るしかなかった…。

貨物が行ってしまうと立ち位置は一気に空いた。挙動の怪しい手持ち鉄ももういない。もう一度アングルを整えて「おき2号」を待った。

2000・08・14 鎌手−石見津田 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 RVP(+1)
気を取り直して、次は鎌手−石見津田の大浜漁港へ。ところが、夏ということで懸念はしていたのだが不安は的中、船着き場から見上げると足回りが隠れるくらいに線路際の草が 伸び放題に伸びていた。一人で処置をしようにも、ハサミも持たない徒手空拳ではさすがにムリ。ならば高い立ち位置がないかと付近を徘徊し、国道沿いの釣具屋の脇から標準レ ンズで構えてみた。漁港と線路がやや離れてしまうが、これはこれで悪くない。

2000・08・14 石見津田−益田 MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N E100VS
夕方は、5月のツアー以来目を付けていた石見津田のSカーブを仕留めに行く。朝の貨物の写真が時おり誌面を飾るこのアングルだが、ベストの光線は夏場の午後遅く。海辺のカー ブに斜光線を浴びた列車の側面がギラリと輝くはずである。ただし、反逆光で海の色もきちんと出すには相当空気がクリアーでないといけない。春は結局条件に恵まれなかった。し かし、今日は遥か益田の市街の方まで弓なりに続く海岸線が手に取るようにはっきり見通せる。今年の太平洋高気圧のパワーは伊達じゃない。今度こそは最高のコンディションで極 めさせてくれるだろう。17時半過ぎ、増結5連の「おき6号」が波打ち際に颯爽と登場した。

2000・08・14 石見津田−益田 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS
17時半とはいえ、夏の西日本ではまだまだ宵には程遠い。日没寸前のエロ光線は18時台も後半からである。「おき」撮影後も機材は据えたまま放置して、列車が来ればシャッター を切る。何しろ11年前の山陰は、キハ120を除けば全ての列車が国鉄型国鉄色の第一級の被写体である。時を忘れてキハの往来を見送った。やがて水平線に真っ赤な太陽が沈む頃、 ローカル運用の58・28が益田に下る。ちょっと広めの150oに付け替えて、影絵のような景色を行く気動車をそっと1枚切り取った。



翌日は、お盆休みを利用して遠征して来られた稲継・さささ両先輩に連れられて早朝の津和野に遠征。津和野−船平山のアウトカーブでDD重連貨物を頂戴しようという目論見だ った。が、盆地ゆえの朝霧にやられて日は差さず。敢えなく撃沈して山陰まで撤退してきた。

2000・08・15 岡見−鎌手 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS
さすがに8時を回れば太陽はバッチリ。露出は有り余るほどに上がってきた。ただ、晴天2日目ということもあり、抜けは昨日ほどではない。手持ちオヤジにやられた青浦のリベ ンジに立つも、再履修には無理があった。こうなったら、ボヤけた水平線を入れても意味はない。ガツンとブチ抜きで行ってやれ!同じ立ち位置から中望遠で海の青い部分だけを 切り取る。開け放った窓から覗く、機関士氏の姿が印象的だった。意外にX!

2000・08・15 岡見−鎌手 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS
午後からは先輩方のご一行と別れ、3日前のやり直しで青浦鉄橋の海側へ。鉄板のように熱くなった岩場を伝い、波打ち際に三脚を立てる。時々飛沫が足元を濡らす中、マミヤの 150oを縦にしてセットした。被写体は何でもあり。まずはゴッパ&ニッパ2連の「石見ライナー」を1枚!

2000・08・15 岡見−鎌手 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 E100VS
夕方には、「おき5号」と「6号」が立て続けにやって来る。5号は3連、6号は増結5連である。さて、どう仕留めよう?最後尾まで入りそうで入らないのはカッコ悪いから、5 号は縦アングルで。 逆に6号はラジエーターの載った屋根が延々続くように見えるだろうと横アングルで、いざ勝負!結果は御覧の通り。長編成で日本海岸を行き来した往年の名特 急の残像が、夕映えの鉄橋に鮮やかに甦った。



浜田−益田間もとりあえずこれでよし。次はいよいよ超一級のポイントが連続する出雲市−浜田間である。とはいえ、浜田「出雲」の廃止直前以来何度か訪れているこの区間、Xな カットは無いわけではない。今回はメジャーポイントよりも、未だ極まらざるアングルを中心に回ろう。 とりあえずは田儀辺りまで移動すべく、夜の帳の下りた9号線を東に進路を とった。

道の駅キララ多伎は1998年にオープンしたばかりの新しい道の駅である。当然トイレをはじめ各施設はピカピカ、しかも休息室が24時間空いているというのがライダー鉄にはありが たい。近くのいちじく温泉で汗を流し、コンビニで酒と弁当を買い込んでマルヨ体制に入った。

2000・08・16 田儀−波根 MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N E100VS
晴天も3日続くと鮮度が落ちる。今日は露出はあるものの、水平線はボンヤリでモッサリ。これでは海を入れたアングルは撮っても再履修必至である。こんな時はなるべく近景 でアップ気味がよい。というわけでこの場所に。田儀−波根定番のド真横俯瞰を地べたから狙う。普段ならあまり目にも留めないが、車両中心で…と考えると、夏らしい緑一色 の景色がなかなかグッド♪ここでキハ181系の「くにびき4号」を待ってみた。

この後は、予感した通り午後から天気が崩れた。僅か半日で鉄活動は終了。翌日も空模様はパッとせず、暇つぶしに出雲大社まで足を伸ばしてみた。 出雲市の市街から大社線の 跡を辿りながら北へ。島根半島の深い山並みが近付いてくると、保存されている旧大社駅舎が現れる。もう20系「だいせん」がはるばるやって来ることはないけれど、威風堂々の 木造駅舎は現役さながらに健在であった。セルフで記撮だけして撤収。しかし、『徒然草』で有名な仁和寺の坊主ではないが、ここまで来てなぜ出雲大社を詣でなかったのか…。 十数年の後も未だに人生ソロ活動を貫いている我が身は、今更ながらあの頃の自分を恨むのであった(苦笑)。

2000・08・18 田儀−小田 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 KR
次の朝は、雲は少ないものの全体的に空気がぼんやり。多少光線がピリッとしてきた8時頃からのんびりと線路際に向かう。遠景は無理なため今日もアップ撮り勝負である。行き先 は2年前、大学1回生の春に曇天で訪れた小田−田儀のカーブ。その名も“ドライブインD51”の下を曲がってくるところを国道の歩道から狙う。バックは竹林でスッキリ。だが、 200o級のアングルのため、開放F5.6のマミヤ300oでは1/500sec しか切れずブレブレ。F4でしかXに極めることはできなかった。

2000・08・18 田儀−小田 MamiyaM645SUPER SEKOR80oF1.9N E100VS
昼を過ぎると、島根半島がクッキリ…というほどではないものの、少しばかり遠景が抜けるようになってきた。ならば、ジャスコの看板と歩道橋がやや目立つが、●M誌で見た田儀 のアウトカーブ見下ろしに行ってみよう。ターゲットは14時ちょっと前に通過する「いそかぜ」。斜面を登って標準レンズで構図をセットする。山陰の数あるアングルの中ではいま 一つ美しさ・スケールに欠けるが、バリエーションの一環としては悪くない。待つことしばし、渚の畔を3連のキハ181が滑るようにやって来た。



次の日までもう1日粘ったが、霞んだ空気は回復せず。そろそろバイトのシフトも待っているし、帰路に就かねばならない。翌朝小田−田儀で 「くにびき4号」を撮ってから、一 気に進路を東にとった。アングルを9時に出発して、国道9号をひたすら進む。斐伊川を渡り、宍道湖の脇を走り、大山山麓を快走した。青谷海岸のアップダウンを過ぎると間もな く鳥取。ここからは走り慣れた道である。大岩で山陰本線と別れると、あとは幾重に続く峠越え。上り勾配では2速に落としてエンジンフル回転でも 20q/h がせいぜいになる。反 対に、往路は苦労する村岡ループも帰り道はスイスイである。福知山の手前で日没。最後は1年前の急行「だいせん」バルブで通い詰めたルートを2時間ちょっとで駆け抜けて、出 発から12時間、21時に堀川五条の交差点を左折した。

2000・08・15 岡見−鎌手 NikonF4s AFNikkor50oF1.4 KR
この年は、これまでの鉄ちゃん生活の中でも屈指の豊作の夏だった。連日の猛暑、抜けるような青空に群青色の大海原、白砂青松の海岸を吹き抜ける潮風の香りが忘れられない。そ して、視界の先には常に国鉄色の気動車たちがいた。車齢30年を裕に超えた彼らは、軽快さでは新型のキハ120に劣るものの圧倒的な存在感は健在で、なおかくしゃくと海辺の主の 座を守り続けていた。

11年経った今でも、あの夏のヒット曲、サザンの「HOTELPACIFIC」を聴くと、海辺のアングルを必死で駆けずり回った日々が脳裏に鮮明によみがえる。きっと将来歳をとっても、「青 春の思い出を一つ…」と問われたら、私は迷わずこの夏の旅を挙げるだろう。最後の輝きを放つ「国鉄」の残像を山陰海岸に追った、暑く熱かったあの日々のことを。



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