GALLERY10 姫川渓谷に国鉄色を追って 〜秋〜 2.珍客入線 数年に一度の臨客は、秋に入ることが多かった。今から12年前、サワ座が糸魚川−平岩を2往復したのも11月のこと。京都在住だった私は「きたぐに」の客になり、富山からコサカ ミ氏・O氏に合流させていただいて現地に向かった。当時の大糸線は姫川の災害から復興したばかり。随所に災害の爪痕が生々しく残る中を、白に緑のストライプを描いたご当地カ ラーのキハ52が行き来するだけの路線だった。昨今のようなブームとは程遠く、当然撮影地も大して開拓されていない。今なら迷わずサファリ俯瞰で極めていたであろう1本目は、 平岩駅近くの鉄橋で何となく撮ってしまった。 返しも特にアテはなし。列車の時間を気にしながら沿線を車で流す。もうタイムアップ!背後からヘッドライトが近付いてくるのを確認しつつ、根知の国道オーバークロスで即セッ ティング。レンズは何も考えず100oを選択し、適当な所にピントを置いて構図を決めて水平を出したらもう列車はファインダーに入ってきていた。ATS地上子のちょい手前で1枚 切り。とりあえずお持ち帰りできるコマを押さえることはできた。
この後は、午後に再び平岩まで1往復。行きはベタだが小滝の鉄橋で極めてやろう!たまたま現地を訪れていたさささ先輩とも合流し、脳内激X妄想にウットリしながら列車を待つ。 しかし、我々は「秋の日は釣瓶落とし」という言葉をうっかり失念していた。鉄塔下のお立ち台で脚を据えるも、通過時刻が近づくと徐々に河原に影が伸びてきた(汗)。間もなく橋 脚1本目が黒い魔手にかかり陥落。まだ通過までは暫くある。う〜ん…頭を抱えるうちに、あれよあれよとファインダー内は全て影に沈んでしまった。数分後、すっかり閉店した撮 影地にゆっくりとサワ座が登場。周囲の誰一人としてシャッターを押した者はいなかった(泣)。 嫌なことはさっさと忘れようと、続いて頸城大野の雨飾山バックへ。バリ晴れの今日は見事な山容が背後に鎮座し、夕方の斜光線に輝いている。返しこそは!が、その意気込みも空 しかった。列車通過の5分前、線路に魔の手が忍び寄る。そして…今度もまた、踏切の鳴る直前に、まるで蛍の光でも流れるかのような一抹の寂しさと共に、アングルは影に飲み込 まれていったのであった。 国鉄色復活後は日々HPで運用を公開してくれるなどファンサービス旺盛な糸魚川地域鉄道部。以前は11月下旬になるとラッセル試運転の日程とスジもアップされており、2001年は その情報を頼りに「きたぐに」で大糸を目指した。 大糸のラッセルはご存知の通りDD16とDD15。いずれもJR屈指の希少車種である。できることならラッセルヘッドが独立しているDD16の方が存在感があって良かったが、バイ トその他の都合により出撃できたのはDD15の運転日だけだった。糸魚川から始発のキハに乗る。初日から絶好の秋晴れ!だが、悲しいかな今日は終日キハ移動の歩き鉄。効率はよ ろしくない。まずは行きを中土の交換停で一発。
「シュプール」が運転されなくなって久しく、すっかり鉄の話題から取り残されていた当時の大糸線。ビギナーの私にはアングルなどとんとわからず、返しは3年前のサワ座で日没 コールド負けを食らった頸城大野の踏切くらいしかアテがなかった。午後一番のキハで移動し、のんびり三脚を据える。白いキハ52を何カットか撮った。X。国鉄色復活前は、贅沢 は言わずゴーニーがゴーニーであるだけで良かった。 やがて日は傾き、赤みがかった光が雨飾山に陰影を刻むようになる。いよいよDD15の登場。セオリー通りなら85o相当が推奨されるこの場所だが、山を大きく見せようとマミヤ200 oを選んだ。左手の鬼ヶ面山の異容と左右になだらかな稜線を持つ雨飾のピークの部分を画面パンパンにレイアウト。山裾の紅葉も鮮やかさを増す16時頃、静かにヤツはやって来た。
この日は糸魚川で寝袋マルヨ。未明にミラ・エクスプレスで登場したコサカミ氏と合流して、2日目はカー鉄でのラッセル狩りを堪能した。朝一は前日乗り鉄車中から目を付けてい た南小谷のツインピーク。現在なら「宮本橋の踏切」といった方が通りの良い、定番ポイントである。ここで日の出直後のエロ光線&霜バリバリの好条件で白52を頂戴した。あの頃 の我々にとってはキハ52が最高条件で撮れるだけで嬉しく、確か翌年の年賀状の絵柄にもした気がする。赤ツートンやタラコを撮り倒した今となってはXもすっかり霞んでしまった が…。 ラッセルの行きは昼近いため、南北に走る大糸線ではサイドを利かせるのが難しい。線路が東西に寝る所は…と目星を付けたのが平岩のコンクリ橋。コサカミ氏は昔ここで災害復旧 後のオヤ検を撮ったという。しかし、復旧から4年、立ち位置付近には大きなホテル?ができ、公園が整備されていた。アングル内が全体に人工的だなぁ…そんな感を抱きながらD Dを待った。
北小谷のバカ停で抜いて、これまた今や定番の逆コの字カーブへ。昨今と違い大糸非電化の詳細なガイドなど皆無に等しかった当時、数少ない資料としてコサカミ氏が持参していた ●M誌別冊『キハ58と仲間たち』を頼りに立ち位置を割り出した。枯れ草だらけの斜面を下ってセッティング。今なら迷わずバケ4で打ち抜くところだが残念ながらようやくボディ を手に入れたばかりの我が67シリーズにまだレンズは1本もなかった(汗)。素直にマミヤで撮ってもいいけれど、時間もあるしせっかくだから試運転をしよう。コサカミ氏に165o をお借りしてラッセルを迎え撃った。
返しはこれまたベタベタな北小谷の直線俯瞰。河原にはまだ姫川の大氾濫の爪痕が生々しく残されていた。というわけで、なるべく左右はカットして、残り少ない紅葉をなるべく取り 込むように縦アングルで構図をとる。DD15はウィングを開いてやってきた。本番の作業シーンが撮れたらカッコいいんだろうなぁ…。
ラストはやっぱり頸城大野。ややガスってはいるものの、今日も雨飾山は綺麗に見えていた。『日本百名山』によると、深田久弥が三度目の登山にして雨飾山に登頂を果たしたのも秋 の夕刻だったという。「つに私は久恋の頂に立った。しかも天は隈なく晴れて、秋の午後三時の太陽は、見渡す山々の上に静かな光をおいていた」(深田久弥『日本百名山』新潮文庫よ り)。こうして下界で撮り鉄が三脚を据えている間にも、かの山頂では登山者が絶景に心打たれているかも知れない。 そういえば、10年ほど前にR●誌上で『名峰へのプロローグ−撮影地から見たあの山この山−』なる連載があった。登る者、撮る者、揺さぶられ方は人それぞれなれど、やはり山は人 々の心を揺さぶる存在であるらしい。
天気は明日も晴れ予報。さて、次はどこで撮ろうかな…。思案している我々の元に急報が入った。明日は山陰でイベントがあり、「鳥取ライナー」が6連に増結されるとのこと。何だ とー!よし、多少心残りではあるが、ラッセルは今日でお腹一杯。今から山陰に大移動や!! 頸城大野のセブンで腹ごしらえだけして、すぐさま糸魚川ICから北陸道へ。我々は夕焼 けに染まる日本海岸を横目に、ひたすら西へ向けて進路を採ったのであった。 大糸線に国鉄色が復活した翌年、紅葉シーズンにサワ座の入線が発表された。前年は11月に肝心のキハ52 115 が入場していて秋のカットは撮れずじまい。錦の渓谷と国鉄色それにス ペシャルゲストのサワ座も絡めて一網打尽に仕留めるチャンスが到来した。前日17時ジャッジで小谷村の予報は晴れ!鉄ちゃん仲間諸氏と連絡を取り合いながら、愛車ゴン太のハンド ルを握った。 一発目は中土の鉄橋へ。この付近は例年紅葉が最も早く、かつ美しい。当時はまだここの大俯瞰を知らず、除雪車留置場?の脇から撮影。朝一の南小谷行きは影の中だったが、返しの 時間になって辛うじて御天道様が御開帳、左隅に影が残るもエロ光線で赤ツートンを頂いた。2本目は、フツーに撮っても面白くない。河原に降りて、逆三角形の岩肌を入れる。色付 いた木々と青い空、それにタラコとのコントラストが秀逸だった。
次はいよいよ本命のサワ座。さて、一体どこで迎えよう?普段単行ばかりの大糸では、長編成の入るアングルは限られている。頸城大野の前後?サファリ?宮本橋付近?それとも…。 頸城大野は行きはただの直線だから却下。サファリは手前の木々の影が抜けていない危険性がある。宮本橋付近のシェッド抜けは雄大さが足りない。悩んだ末に、大糸らしいロケー ションと紅葉の具合を勘案して、北小谷のロープ俯瞰に向かった。 岩場の上に三脚をセット。遥か眼下に「く」の字の鉄路。紅葉は残念ながらあまり美しくないものの、それでもファインダーは秋の色だった。ペンタ300でアップ気味にするか、165く らいで広めに行くか?ここにくるといつも迷うが、今日は線路の近くにユンボが留置されているためアップは×。必然的に鎌倉山のてっぺんまで入れる構図に落ち着いた。タラコを 1枚撮って、さぁ主役登場!
かつては「シュプール号」で20系“ホリデーパル”やキハ181の長編成が行き交ったフォッサマグナの路。しかし、スキーブームの退潮や相次ぐ客車ジョイトレの引退、地味なところ では検測車の置き換えなどで、この風光明媚な舞台に珍客が訪れることも滅多になくなってしまった。そして、最後の名優サワ座も翌年冬に運用を離脱し、引退。気になるのは、彼 の地のDE10たちの去就である。ネグラとしていたレンガ庫も取り壊されることになった彼らに居場所は残されているのだろうか。できることなら、今度の秋にでも錦に染まる渓谷を “あすか”を従えて走る雄姿を見てみたいものである。
|