鉄路百景 GALLERY08.ブルートレイン★Collection 06

GALLERY08 ブルートレイン★Collection

6.ブルートレイン★Collection〜さらば「富士・はやぶさ」〜

日曜毎に少年野球の鬼コーチにドヤされ恐れおののいていた小学生の頃、千ちゃん少年には恐怖の練習前に小さな楽しみがあった。 親から借 りたコンパクトカメラを持って、友人と朝の東京・上野駅を巡るプチ旅行。当時既にいわゆる“ブルトレブーム”は過ぎ去っており、ブルト レが到着するホームに潜伏していてもカメラ片手に駆け回る鉄道少年の姿を見かけることはほとんどなかった。とはいえ、ブームが去って もブルトレはブルトレ。雪を載せた機関車が薄暗い地平ホームに滑り込む上野駅も趣があったが、何といっても早朝の「出雲」「銀河」 「瀬戸」のPF3兄弟からトリを勤めるエースナンバー2レ「さくら」まで、長距離の寝台特急を次々と迎え入れる東京駅9・10番ホームは、 都会の子どもにとって未知なる世界に想いを馳せるに充分な、まさに“聖域”と呼べる場所であった。

しかし時が経つにつれ、“聖域”から発着していた寝台特急は1本、また1本と数を減らしていった。皮切りは、1994年12月改正。この改 正で「みずほ」と博多「あさかぜ」が廃止され、以後、98年7月には「瀬戸」「出雲2・3号」がサンライズに転換、翌99年には「さくら」 が佐世保便の廃止に伴い「はやぶさ」との併結列車となった。その「さくら」も2005年3月改正で廃止されて「はやぶさ」は「富士」と組 むことになり、同時に1往復残っていた「あさかぜ」も姿を消した。さらに06年3月には「出雲」もサンライズのみとなり、昨年春には 「銀河」が消えた。いよいよ東京駅発着のブルトレは「富士・はやぶさ」が唯一の存在となったのであった。

その「富士ぶさ」も、2009年3月改正で記憶の彼方に走り去るらしい…。廃止の報は約1年前から風の噂に聞いていた。こうなれば、やれ るだけやるしかない。九州ブルトレのラストイヤーとなった08年は、機会ある毎に東海道、九州へと精力的に走り回ることになった。

06・03・18 三島−函南 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
我がポジファイルを繰ってみると、「富士ぶさ」のファーストショットはこれだった。単独「富士」の三角マークがお気に入りだっただけ に、数年前の私は「はやぶさ」との合併マークにしばらくは食指が動かず、東海道ブルトレの王道1レ・2レには真面目にレンズを向けて いなかったようだ。

このカットも06年の春改正翌日、最終の上り「出雲」を石橋でシルエット撮影した後、ついでに箱根を越えて撮りに行ったもの。時期的に 藪の影が抜ける頃かと踏んで定番竹倉の踏切にバケヨンを構えた。読みは見事に的中。8時を回り、切り位置付近にピンポイントで陽が入 った。勝負は一瞬である。気合いでシャッターを切る。秀峰富士を背に、狙い通りの絵が撮れた。

07・05・27 早川−根府川 NikonF5 AF-INikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
「明日、ネブハヤのクネクネに行こう!」大糸沿線を走行中、突如チバラギ氏から召集命令が来た。その日の新潟県上越地方は、天気晴朗 なれども黄砂で抜けが悪く、どうにも万策尽きて困っていた。帰るか!早々と大糸から撤退し、下道で夜には千葉に帰着。未明に氏と合流 して定番根ノ上踏切にやって来た。まだ廃止の噂も流れる前の07年の初夏、この踏切で長玉を構えているのは我々だけだった。

この年は梅雨時でも晴れの日が多く、我々ブルトレゲッターにとっては嬉しくも忙しい日々が続くことになった。翌日は出勤前に神保原で 朝練に励み、「能登」「北陸」「あけぼの」を撮影。6月には東北に「日本海」「あけぼの」を追った。しかし、こうして早朝ネタに力を 入れた分、8〜9時台にのんびり上って来る「富士ぶさ」からはしばらく足が遠のくことになってしまった。

08・01・03 函南駅 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
ところが、こうして油断している隙に秋頃から一部の新聞で「富士・はやぶさ」廃止の報が流れ始めた。タイムリミットはあと1年余り。 今年は「富士ぶさ」強化年間になりそうだ。正月休みは3月改正で消える「なは・あかつき」や07年度限りで廃止となる島原鉄道の南目線 も兼ねて九州に狙いを定めた。が、大晦日から爆弾低気圧が日本列島に大接近して連休中は全国的に大荒れの予想。壊滅的な週間予報に打 ちのめされて九州遠征は“トケ”になってしまった。

仕方なく、08年鉄初めは近場で函南駅先端に出掛けた。信号柱がやや目障りではあるが、タイガーロープもなく、冬場でも影落ちしない貴 重なポイント。ペンタ400で切り取ると、彫りの深いロクロクの顔が低い斜光線に立体的に浮かび上がった。

08・03・22 天竜川−豊田町 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
3月に入って、我々が熱く燃えたのが天竜川のトラス橋。常紋倶楽部管理人のんべい氏の力作に触発されたチバラギ氏に誘われて(拉致られ て?)、何度も深夜の東名高速をカッ飛んだ。列車の通過は6時40分。日の出直後のオレンジ光線で撮れるのは春分・秋分前後の年数日、し かも晴れで定通という条件付き。おまけにエロ光線は影との戦い。ビームの影を当てずに切れるシャッターチャンスはほんの一瞬だけで ある。光線が薄かったり、顔面に影がヒットしたりと数度の失敗の末、どうにか見られるコマを手にすることができた。

08・09・23 掛川−菊川 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
夏場の東海道は光線が良くないためパス。九州に渡り、単独看板のナナロク・ブルトレに力を入れた。再び本州で2レを迎え撃ったのは、 9月も下旬になってからだった。3月・9月は掛川−菊川のS字ポイントがバックの山が黒く沈んでカッコイイと聞いていたので、LIBERTY 氏&へっぽこ軍団長と出撃。しかし、タイミングが一歩遅かった!通過15分前になっても、背後の山だけでなく線路まで真っ暗な陰の中…。 仕方ない、S字にはならないが、日の当たる所まで下がってセッティング。当たり障りないカマのアップを撮ってみた。

09・02・21 三島−沼津 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
富士山バックの定番撮影地の一つ、黄瀬川。真横からのアングルのためマークが写らないのが物足りないが、1月以来、二宮−国府津・二 宮−大磯など神奈川県下で構えてことごとく長い影にやられてきたため、この日は絶対に日が当たるここへやって来た。幸い今日も富士山 はクッキリ。風も穏やかで水鏡もバッチリ。改正まで1月を切っているため当然アングルは激パニックだが、現地で遭遇したLIBERTY氏・ロ マンスカー氏の隣にハスキー全開でどうにかポジションを確保した。

だが…問屋はそう簡単には卸さない。通過20分ほど前から川面を渡る風が勢いを増し、気付けばせっかくの鏡写しが台無しに…。この まま奇跡の逆転勝利に賭けるか、安全策で水鏡を諦めるか。悩んだ結果、チャンスはあと僅かしかないので冒険は避けて安全策へ。立ち位 置を移動し、水面反射をカットして構図を上に振った(泣)。

  
左右とも:09・03・05 三島−函南 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
改正直前の3月初旬、この日学校は行事のために授業なし。お、これは休みが取れる!天気予報は晴れ!もう行動は決まったも同然、未明 に家を出て一路東名を西下、富士バックの定番竹倉の直線を目指した。が、現地は既に末期症状。立ち位置はパニっているし、警備は厳し いしでサッパリ思い通りに構えられない。ウムム…。

悩んでいるとチバラギ氏から電話が来た。「もしかしてブルトレ撮りに来てない?途中で“らしい”車を見かけたよ!」氏もバリ晴れと聞 いてはジッとしていられず、半休取ってトンネル1つ三島寄りの長玉アングルに出撃しているのだとか。皆考えることは同じである。せっ かくなので竹倉から撤退し、チバラギ氏と合流。こちらは他に鉄はなくガラガラであった。サンニッパ&テレコンでカマが首を振ったとこ ろに照準を定める。定時、トンネルの向こうにライトが光った。長編成の客車を従え、唸りを上げてカマが迫る。ヘッドマークも凛々しい ロクロクの正面を秒8コマの高速連写で切り取った。



2008年は九州強化年間となった。3月には「なはつき」と島鉄南目線廃止、4月には日田彦山線でハネ団臨と春先にイベントが相次いだ。 夏場は日豊本線に上り「富士」を追い、秋冬には鹿児島本線で下り「はやぶさ」を迎え撃った。通算訪問回数は09年3月現在までで計10回 。費用計算など恐ろしくてできたものではない(汗)。

九州で嬉しいのは、真紅の交流機ED76の先頭を飾るヘッドマーク。本州内は合併列車の「富士ぶさ」も、門司から先は分割されて単独の 「富士」「はやぶさ」となる。当然マークもそれぞれのオリジナルが奢られ、編成は短くなるものの、ファインダーにかつての栄光が甦る。 季節毎の美しい沿線風景とも相まって、「激X写真はプライスレス!」の掛け声の下、北九州へ、福岡へ、幾度も羽田空港から飛び立った。

08・04・03 杵築−大神 NikonF5 AFNikkor50oF1.4 RVP100
恒例の春期講習を終えて、4月の初めは仕事も小休止。早速、桜・菜の花を求めて北九州空港にテイク・オフ。日豊本線で菜の花の名所と いえば、言わずと知れた杵築の鉄橋。春になると、前後に続く大築堤は一面黄色の花で埋め尽くされる。晴天に恵まれた今日は、インカー ブから標準レンズで青・赤・黄色のコントラストを活かしてみよう!ベストポジションに三脚を張ること2時間半、九州の長い午後の日も ようやく傾いてきた16時半前、満を持して寝台特急「富士」が現れた。

08・04・04 杵築−中山香 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
翌日は、午前中鹿児島本線で「はやぶさ」を撮ってからこのツアーのメインアングル、杵築の桜並木へ。日中こそ薄雲が広がる天気だった が、15時を回る頃から空が青くなってきた。夕方にはド快晴。私が到着する頃には、ここには十数名の撮り鉄が集まっていた。が、肝心の 桜の開花がイマイチである。例年ならばそろそろ満開になってもおかしくないはずなのだが、今年は3月に気温の低い日が続いたのが災い したらしい。何だかなぁ…と思いながらも、数日後にまた来るわけにもいかないので、ペンタ400でマジ切りしてみた。まぁ、よしとしよう!

08・04・26 杵築−大神 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
4月末に運転された「九州鉄道記念館5周年号」の前日、日田彦山線のロケハンを済ませてから杵築の鉄橋へやって来た。前回はアップで 撮ったので、今回は俯瞰に脚を立てる。この場所に来たのは実に5年ぶりのこと。5年前の夏にここで撮った「富士」は、まだまだカマ込 み13両の長編成だった。ペンタ300では短く400では長いという難しい画角で、マミヤ645にペンタ300をつけるという裏技を使ってXを極め た。翻って現在はたったの7両。ペンタ400でもまだスカスカである。中判よりも35判の300oメインでアングルを決めた。

GWはこれからだというのに、もう九州は初夏の風情。山々も新緑から深緑に移り変わろうとしている。緑滴る景色の中、赤いカマと青い 客車のコラボレーションは実に良く映えた。

08・08・03 西屋敷−立石 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
4月上旬にふと立ち寄って以来ずっと気になっていたのがここ、西屋敷の駅先端。山裾を回り込んできた線路は、左に旋回して勾配を一気 に駆け上がり、駅の数百メートル手前で小さなクランクを描く。コイツを正面からブチ抜けたらカッコイイだろうなぁ!妄想は膨らむ一方 だったが、良く考えるとクランクカーブにカマを載せて切るには1000o近いド望遠が必要だ。それに立石峠の入口に当たるこの付近は、必 ずといっていいほど夕方になると雲が沸く。4月は立ち位置を探るだけに終わり、7月には雲の襲来にやられた。苦い反省の上に、ようや く勝利を収めることができたのは8月になってからだった。

この日は本当は“なにわ”登板で話題になった「SL DXやまぐち号」を撮りに行っていた。しかし、行きの列車の通過30分ほど前から上 空に雲が広がり始め、昼には豪雨に見舞われる始末。これでは津和野に行っても撃沈必至である。そこで同行のロン隊長と協議の末、晴れ 予報の出ている大分へ大移動、西屋敷の「富士」を仕留めよう!ということになった。結果、転戦は大正解。長い間懸案だったこのアング ルをペンタ400、バリ光線で文句なしに極めることができた!



05年3月の「さくら」廃止はブルトレを愛する者には寂しい限りだったが、一つの好事ももたらした。「さくら」との併結運転が解消した ことで、九州島内に「はやぶさ」の単独看板が復活したのである。白地に羽ばたく眼光鋭い猛禽の絵柄は、子どもの頃図鑑で“最長距離列 車”の称号と共に飽きるほど眺めた憧れのデザイン。俄然、鹿児島本線への注目度が高まった。

といっても、途中単線になり開けたロケーションにも恵まれる日豊本線と違って、福岡〜佐賀〜熊本にかけて市街地が連なる鹿児島本線は、 複線タイガーロープ付きの区間が延々続き、なかなかいい場所が見つからない。定番大野下以外はほとんどが35判長玉勝負のポイントで、 武器=サンニッパ&テレコンを揃えるまではなかなか撮影効率が上がらなかった。

06・10・09 箱崎−千早 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
これはブルトレ狙いではなく、冷水峠越えのキハ66・67を撮りに行ったときの行き掛けの駄賃カット。「はやぶさ」単独になって編成が収 まるようになったと聞き、ここに立ち寄ってみた。今日は風もなく、水面に鉄橋がきれいに反射している。これは水鏡もいけるか!?欲張 って画面を下に振る。10時頃、定時にゆっくりと現れたナナロク・ブルトレは、青と赤のコントラストを川面に落として静々と鉄橋を渡っ て行った。

08・10・11 肥後伊倉−木葉 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
夏場は杵築近辺で上り「富士」を集中的に撮影したが、秋口になり日が低くなってくると、ターゲットは到着が遅く発車が早い「はやぶさ」 へ。10月の体育の日連休は、そんな「はやぶさ」を追って鹿児島本線の玉名前後に点在するポイントを訪れた。

朝一の新幹線で小倉に入り、レンタを飛ばして肥後伊倉の踏切へ。アングル近くで別働隊のチバラギ氏・湘南ナンバー氏にバッタリ遭遇し て苦笑い。なぁんだ、皆さん来てますなぁ(笑)。両氏は大野下方面に移動するとのことで互いの健闘を祈り、私はこの場で早速機材をセッ ティング。サンニッパでカーブを狙う。編成は入るやら入らないやら微妙なところだが、顔面重視でいざ勝負!晴れ後曇りの予報に反して 西の空には眩い夕日。16時過ぎ、低い光線に照らされて、真紅のナナロクがファインダーに飛び込んできた。

09・01・02 大野下−長洲 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
下り「はやぶさ」の定番ポイントがここ大野下。鹿児島本線の下りでは珍しい午前順光かつタイガーロープなしという、まさに「はやぶさ」 のための撮影地である。といっても通過が11時20分頃のため、日が高い夏場はトップ光線でまるでダメ。オンシーズンは10月〜2月と言わ れるが、ベストは最も日が低い年末年始である。今年の正月休みは、このアングルを極めることを目標に九州に乗り込んだ。

ツアー最終日にようやくド快晴に恵まれた。ここには、東京から高速を使わずに自走して来た“下道友の会”会長?のロン隊長も含め、30 人近い撮り鉄が大集結。この青空なら今日こそは勝てるだろう。ところが、そこへ博多から「はやぶさ」30分遅延の一報。地元の鉄ちゃん によると、博多時点での遅延は特急を優先するため増幅されることが多いとのこと。このアングルは時間が遅くなるほど光線状態が悪くな り、最悪面潰れの可能性も出てきてしまう。おいおい、頼むぜよ!一同やきもきする中、鳥栖発車、瀬高通過…と次々に現地報告が掲示板 から舞い込む。最終的に「はやぶさ」は「リレーつばめ41号」と「有明3号」の間にやって来るという予測が立った。これなら通過は11時 40〜45分、何とか正面に日は当たるはずだ!予想通り、甲高いホイッスル一声、勾配を駆け下りてきた「はやぶさ」は、無事バッチリ順光 で我々の目の前を走り去ったのであった。

09・02・07 植木駅 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
年末年始ツアーで初めて行ってみた植木の駅先端。林をバックに夕日を浴びて疾走するナナロクを正面から狙える好ポイントである。ただ、 惜しむらくは電柱の処理が難しいこと。ベストの立ち位置を探って晦日に1発撮ったものの、微妙なマンダ〜ラにやられて仕上がりに納得 がいかず、2月に再び九州に飛ぶことになった。福岡空港からレンタで九州道を爆走し、昼は下りを田原坂の踏切で迎撃。しかし残念なが ら雲が抜けず敗北。列車通過直後から晴れてきたので、今度こそは!と植木の改札をくぐった。

あらかじめポジションは決めてある。ホームの前にある電柱のすぐ右側にサンニッパ×テレコンをセット。画面右端で架線柱をカットし、 切り位置はジョイントの少し奥。これで編成はきれいに納まるはず。あとは日が弱らないのを祈るだけ。空気は靄っているが、太陽を遮る ような雲はない。列車通過の放送が入った。さぁ来い!狙い通りに東京を目指す上り「はやぶさ」を捉えることができた。

09・02・08 田原坂−木葉 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
翌日は田原坂のリベンジへ。意地でもここを押さえようと朝一で乗り込み、狭い立ち位置に脚を据えた。が、この付近は朝から深い霧。列 車通過は昼前とはいえ、霧男の自分としては甚だ不安な状況である。10時を過ぎてようやく視界が開けてきた。よしよし、後は定時通過を祈 るのみ。何せ今日は夕方から木更津でオシゴト。ここを極めた後は即空港に向かい、羽田から海ほたる経由で職場に滑り込まねばならない。 30分以上の遅れは致命傷。が、幸い、掲示板によると「はやぶさ」はほぼ時刻通りの運転。11時10分を過ぎた。列車は大牟田を出た頃か。 と、突然上空にゲリラ雲が出現。露出は見る間に落ちていく。晴れろ!晴れろ!心の中で必死のバリ晴れ祈願。願いはどうにか通じたよう だ。通過5分ほど前に雲は去り、露出は全開になった。踏切が鳴る。間もなくSカーブを切って現れた「はやぶさ」を、モードラフル回転 で切り取った。



3月に入り、いよいよブルトレ最終章の雰囲気が高まってきた。鉄雑誌のみならず、一般の週刊誌にもブルトレ惜別の記事が踊り、東京駅 には連日別れを惜しむ人々が押しかけるようになった。どうせならそんな様子も撮ってやろうと、天気の悪い週末は折を見てデジカメ1丁 抱え、東京駅に冷やかしに出掛けた。

09・02・19 東京駅 NikonD700 AFNikkor20-35oF2.8
09・03・08 東京駅 NikonD700 AFNikkor20-35oF2.8
09・03・08 東京駅 NikonD700 AFNikkor20-35oF2.8
  
左・中:09・02・19 東京駅 NikonD700 AFNikkor80-200oF2.8
右   :09・03.08 東京駅 NikonD700 AFNikkor80-200oF2.8

こうして迎えた運命の“Xデー”3月13日。東京駅には約3000人が「富士・はやぶさ」を見送りに集まった。私も仕事をさっさと切り上げ て、駅のコインロッカーに放り込んでおいた機材を持ち出し現場に向う。見送りの場所と決めていたのは、10番線を見下ろせる新幹線ホー ム。ここも予想に違わず激パニックし、私が着いた頃には二重三重の人垣ができていた。

 
左右とも:09・03・13 東京駅 NikonD700 AFNikkor80-200oF2.8
機関車の連結と共に一層ボルテージが上がる。10番ホームの群集からは、時折ウォ〜ともウァ〜ともつかぬ怪しい歓声。18時を回り、喧騒 を切り裂くように放送が入った。「間もなく10番線から寝台特急『富士・はやぶさ号』大分・熊本行きが発車いたします。お見送りのお客 様は列車から離れてお見送り下さい」 鳴り響く発車ベルとホームから沸き起こる奇声に駅員の怒声が入り混じり、そこはさながら阿鼻叫 喚の地獄絵図のようであった。

09・03・13 東京駅 NikonD700 AFNikkor80-200oF2.8
18時03分、先頭に立つEF66は長い長いホイッスルを鳴らして、ゆっくりと動き始めた。同時にあちこちから「ありがと〜」「さようなら〜」 の声と拍手が沸き起こる。徐々に加速しながら目の前を通り過ぎる青い寝台車。「富士」のテールサインを掲げた最後尾がホームを後にす るまで、その声と拍手は鳴り止むことがなかった。GoodBye ブルートレイン!



しかし、ブルトレは死せず!最終の「富士・はやぶさ」がそれぞれの終着駅に着いた翌日、3月15日に早速別府−鹿児島中央間で「リバイ バル富士」が運転された。定期運用から外れた14系15形の鹿児島への疎開回送を、JR九州が粋な計らいでイベント列車に仕立て、ヘッド マークをつけて日中の日豊南線を堂々下ることになったのである。これはオイシイ!14日の晩、仕事を終えてから羽田23時10分発のスター フライヤー93便の客となり、一路北九州を目指した。

小倉の駅前サウナで仮眠を取り、翌朝朝一の普電と「にちりん101号」を乗り継いで大分へ。ここでへっぽこ軍団長&★氏のレンタに拾って いただき、「リバ富士」追っ掛けツアーが幕を開けた。まずは浅海井近辺で海アングルを探す。

09・03・15 浅海井−狩生 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
だが、通過時間が11時半過ぎということで海バックはサイドが潰れてしまう。かといって順光側も限りなく正面がちの光線でサイドは薄い。 悩んだ末に軍団長と★氏はアングル重視で海バックへ、私は順光側からアップで狙うことにした。築堤周辺は家並みが目障りなので、伝家 の宝刀サンニッパ&テレコンで煉瓦積みのトンネル飛び出しを切り取ろう。線路脇には菜の花も咲き、それなりに春らしく撮れるはずだ。

と、そこへ事故の情報!私を降ろして海バックの立ち位置へ移動していた★氏一行が、狭い道で対向車を避け切れず側溝に脱輪してしまっ たという。数百メートル先の現地に急行すると、確かに右側2輪とも完全に宙ぶらりんでにっちもさっちもいかなくなっていた。果たして 車は脱出できるのか?追っ掛けはちゃんとできるのか?でも、そこは百戦錬磨の我々、★氏の迅速な対応でJAFの救援を仰ぎ、列車通 過の10分後にはマシーン復旧。空気が抜けてしまった前輪だけはスペアタイヤに交換して、予定通りの追っ掛けを開始した。

それにしても、今回のスジはやりづらい。メジャーなポイントはほとんどサイドに光線がなく、列車のペースも意外に速い。宮崎までは高 速がないため、市街地でいちいち足止めを食らい、尻尾までは捕まえるものの完全には先行できないという微妙なチェイスが続いた。結局、 第2地点候補の美々津の鉄橋俯瞰に着いたのは、列車通過の僅か3分前!しかも、やっぱりここもサイドに日が回らなかった。私に至って はレンズの選択を誤り、F5に300ミリで構えて編成が画面オーバー…(汗)。というわけで美々津はアウト!次なるアングルに車を走らせた。

第3ポイントは大淀川か田野の大築堤。両方掛け持ちもできなくはないが、市内の混雑を考えるとやや怖い。我々は安全策を採って西都か ら高速に乗り、田野に先行することにした。

09・03・15 田野−青井岳 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
09・03・15 田野−青井岳 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
昔からの定番中の定番だけあってアングルは早くも大盛況だった。それでも奥の鉄橋と手前のカーブの両方が撮れる立ち位置は、高いフェ ンスがあるせいか人がいない。ハスキー全開でベストポジションを確保。35判はサンニッパ&テレコンで鉄橋を狙い、バケは165ミリで築堤 を切り取る。後追いの「きりしま10号」が行った。先行の普電も通り過ぎた。次はいよいよ本命「リバイバル富士」である!

16時30分、一同固唾を呑んで見守る中、林の影から赤いカマが現れた。青い三角形のマークも誇らしく、往年の名舞台に寝台特急「富士」 が登場。かつて東京−西鹿児島を結んでいた全盛期に走り慣れた道を、今約30年ぶりに駆け抜ける。春の夕日を全身に浴びて、栄光のブル ートレインは私の目の前を走り去っていった。

この光景を目にすることは恐らくもう二度とないだろう。これで本当のさようなら。再び巡り来ぬ旅路へ、私は静かに「富士」の最後を 見送った。

こうして東京発九州行きのブルトレはついに全廃となり、東京駅に濃紺の寝台車が入線するシーンは見られなくなってしまった。関東圏で 残るは臨時の「カシオペア」に「北斗星」「あけぼの」「北陸」など上野発着の“北行き”列車のみ。しかし、これとて直近ではカマ交替 の計画があり、長いスパンで見れば新幹線開業を機に廃止となる可能性も否定できない。我々はそう遠くない将来、若い鉄ちゃんに「昔は ブルートレインってのがあってさ…」と遠い目をして語る日を迎えることになるのだろう。必死になって撮り続けているこれらの写真は、 考えたくはないが、そうした昔語りに華を添えるだけのものになってしまうのかも知れない。でも、だからこそ、今全力でその勇姿を追い 続けたい。走れ、現在を生き続けるブルートレイン!



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