鉄路百景 GALLERY08.ブルートレイン★Collection 05

GALLERY08 ブルートレイン★Collection

5.ブルートレイン★Collection〜九州編〜

南国九州の主役は、寝台特急の先頭に立つ真紅の交流機ED76。原色の景色の中を行く赤いカマと青い客車のコントラストは鮮烈だ。だが、 そんな光景を目にできるのもあと僅かになってきた。ここ数年のブルトレ廃止を見てみると、「さくら」「彗星」「なは」「あかつき」と その多くが対九州輸送の列車であることがわかるだろう。そして最後の砦「富士・はやぶさ」も、タイムリミットは来年3月。それは、09年 度以降“ナナロク・ブルトレ”という存在そのものが完全に消滅してしまうことを意味しているのである。

これまで、九州ブルトレを対象に一体どれだけのXカットを押さえられただろうか。折を見て足を運んではいるものの所詮はビジターの撮 影、定番巡りだけで精一杯となったことがほとんどだった。ベテラン諸兄には食傷気味の写真かも知れない。しかし、これは消え行く定め にある名列車たちへの、私からのささやかなレクイエムである。



九州新幹線新八代−鹿児島中央の開業に伴い、西鹿児島行きだった「なは」が熊本止めに変更される。そんな情報をキャッチして、2002年 の夏は南九州に照準を絞った。改正まではもう1シーズンあったが、東北新幹線八戸延伸で多くの鉄ちゃんが集中している「はくつる」は 天候不順で撃沈の予感。週間天気と睨めっこしながら、最終的に鹿児島南線詣でという決断を下したのであった。

お盆の飛行機は高いわ混むは遅れるわでロクなことがないため、時間は掛かるが東京から新幹線で博多へ。そこから18きっぷの普電乗り継 ぎでさささ先輩&クマウユシレ氏の待つ米ノ津を目指した。終電で到着後、両氏のレンタに拾っていただき、まずは鹿児島南線の桧舞台、 西方の東シナ海バックに乗り込む。果たして幸先良くバリ晴れをゲットできるだろうか !? が、あっさりと期待は裏切られ、験担ぎに買っ た“かつおめし”のご利益もなく翌朝は曇天で見る鉄に終わった。その後は毎日日中は晴れるが朝晩はダメというパターンが続き、475系の GK−5や「つばめ」などはそこそこ極められたが、肝心のブルトレはサッパリ。ようやく西方リベンジのチャンスがやってきたのは滞在 4日目、クマウユシレ氏が離脱し、さささ先輩が撤収した後のことだった。

02・08・16 西方−薩摩大川 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
この日は、数日間の日豊本線巡りを終えてえびの高原経由で鹿児島南線に戻り、お約束の立ち位置へ。前夜から上空には雲一つない星空が 広がっており勝利への期待は大きい。手前の道端に鉄が乱入しないよう早々にゲバを張って列車を待った。夏にしては珍しいカラッとした 風と単調なリズムを刻む波音が、ツアー5日目の疲れた体に心地よい。定時、遠くで踏切が鳴ると、カマの唸りと共にヘッドライトが近付 いてきた。ナナロクがローピンなのが玉に瑕だが、「なは」は南九州の名舞台を颯爽と走り去っていった。



翌年も、夏休みは懲りずに鹿児島南線「なは」詣で。そう頻繁に訪問できる距離ではないために前年から撮り残しとなってしまったポイン トも数多く、中でも上田浦の俯瞰が最大のテーマになっていた。夏場でさえ編成後方に影が掛かってしまうが、線路と海以外は人工物ゼロ というロケーションが素晴らしい。前回ツアーで下見をして以来、ここの脳内Xゴマが気になって仕方なくなっていた。梅雨も明けきらぬ 7月下旬という半端な時期に強制的に休みを割り当てられて不安を覚えながら、費用節約のため普電と「ムーンライト九州」で南国を目指 した。

ところが、2003年の夏は記録的な悪天候に見舞われた。私の上陸とともに九州は梅雨明け宣言が出されたが、所謂“梅雨明け十日”のスカ ッ晴れの気配はまるでなく、曇り時々薄日の毎日。初日・2日目・3日目…日々上田浦俯瞰に三脚を構えてはファインダー見る鉄である。こ うも負けが込んではストレス全開!ここまでの成果が山野線ループ跡の記撮と人吉の七夕スナップのみという惨敗ぶりでは、何をしに来た のかわからないではないか(汗) !!

4日目にようやく晴れ予報が出た。しかし、通過10分前に巨大ゲリラ雲が現れて「なは」はアウト!これで上田浦4連敗。思わず悔し紛れ にガードレールへローキック一発(よい子のみなさんはマネしないようにしましょうね)!のはずが、何と空振りしたうえ私の靴は崖の直下 へコンコロリン…。泣き面に蜂とはまさにこのこと。慌てて機材をしまって靴下一丁で国道沿いのセブンに急行し、その後のツアーはコン ビニサンダルで続行することになってしまったのだった。嗚呼、恥ずかしや恥ずかしや…。

03・07・27 上田浦−肥後田浦 MamiyaM645SUPER SEKOR 210oF4N RVP100
次の日はいよいよラストチャンス!天気は昨日よりも安定している。ついに決まるか、因縁の上田浦俯瞰!! 日課の如く早朝から現地に行く と、今日は九州鉄ちゃん数名が先着してカメラをセットしていた。背後の山から静かに夏の日が昇っていく。強烈な日差しが景色を照らし 始めると、たちまち辺りはセミの合唱に包まれた。ミーンミーンというどこか懐かしい声が響く中、今日はコントラストクッキリの「なは」 が登場。バックにはちょうど漁師の船も入ってタイミングはバッチリである。極まるときにはこんなもの、苦労の割には意外にあっさり望 みどおりのカットをものにすることができた。



夏に苦戦した2003年も、秋以降は比較的好天に恵まれた。山陰“なにわ”御召や盛岡の「懐かしの52・58号」など週末毎に全国を駆け巡り、 思い描いた光景をフィルムに焼き付けた。だが、10月下旬から仕事が俄かに忙しくなり、せっかくの紅葉シーズンは完全に職場で缶詰状態。 ようやく原稿を提出して解放された頃には11月も残り1週間となっていた。さて、勤労感謝の日の連休はどこへ行く?天気予報と睨めっこ していると、コサカミ氏からツアー募集のメールが届いた。天候の落ち着いた今こそエロ光線で鹿児島南線のブルトレを仕留めるべし!ち なみに、2代目ミラ・エクスプレスはこのツアーが実質ラストラン。ご同乗をお待ちしている…とのこと。よし、行こう!土曜日中に軽く鹿 島鉄道のイベントを冷やかした後、夕方の新幹線で氏との合流地点小倉を目指した。

仕事明けで睡眠不足のコサカミ氏と、徹夜で鹿島に寄って来た私。睡魔の餌食になりそうになりつつ、2M運転で“ドリーム・ミラ”は国道 3号をひたすら南下する。地元九州鉄ちゃん(当時)のロン隊長とクマウユシレ氏に来九の旨を連絡しながら交互にハンドルを握ること約4 時間、漆黒の赤松太郎峠から眼下に激安うどんチェーンヒライの灯りを確認した我々は「ミラ号よ、あれがヒライの看の灯だ」と遺言の如 く呟いたが最後、道の駅田浦に滑り込み、そのまま力尽きてしまったのだった。

03・11・23 袋−米ノ津 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
翌朝、あまりの眠気に寝袋から出ることができずボーっとしていると、目の前に現れたのはランクルを駆るロン隊長とクマウユシレ氏の2 人。「はよ行かへんの?バリバリバリ晴れやで!」と隊長が急かす。確かに表に出てみると雲一つないスーパードバリ晴れ。こりゃあスゴ イ1日になりそうだ。隊長は是非米ノ津の俯瞰で極めたいという。我々ビジターは従うのみ。熊本在住の両氏のお陰で、山の端が朝日に照 らされる頃、無事米ノ津の新幹線トンネルの山の上に三脚を立てることができた。

今日は本当に1年に数日あるかないかというクリアーな 天気で、昨年夏に訪れたときには見えなかった対岸の天草の島々までハッキリと見渡せる。ペンタ165とマミヤ150の中判2丁体勢で決定的 瞬間を待った。やがて手前のみかん畑にまで日が回った頃、赤いカマに牽かれた青い客車編成がファインダーに登場!手前のスパンまで 引いて、パンが抜けた所でシュート!! ガチガチの手ごたえに酔いしれながら、隣のロン隊長が一言。「これでいつ死んでもええわぁ!」。 いやいや、早まってはなりませぬ。鉄ちゃんたる者、Xを極めたらその現像が上がるまでは決して命を粗末にしてはなりませぬ〜!とはい え読者諸兄はご心配なく。今日も隊長は「これで思い残すことはないわぁ」と言いながらどこかの線路際でガッツポーズを決めているはず である(笑)。

このツアーから4ヶ月後の2004年春改正で、九州新幹線新八代−鹿児島中央間の開業に伴い鹿児島本線南部は三セク化。同時に「なは」も 熊本打ち切りとなり、風光明媚な海辺の鉄路でナナロク・ブルトレを目にすることは二度と叶わぬ夢となった。古くは「明星」「はやぶさ」 など九州特急の雄が駆けた南国の名舞台も、今は単行の軽快気動車が細々と走るのみ。線路の上の栄枯盛衰を、不知火海だけが今日も変わ らず見守っている。



上記の2003年「なは」ツアーでようやく晴れ間が広がった7月26日、ふと夕方の上り「富士」を撮ろうと思い立ち、阿蘇を横断して杵築の 鉄橋に向かった。目指す立ち位置は、以前●ヤ情別冊の撮影地ガイドに掲載された大俯瞰。どうも地図で見当するに、大分道の側道の背後 の山がクサイ。案の定、車を停めて周囲を徘徊すると、側道の上の杉林の合間に線路が見下ろせるポイントを発見。喜び勇んで三脚を立て た。レンズは当時の中判最長レンズ、バケ300でも短か過ぎ。ならばと裏技のアダプターを使ってマミヤ645にペンタ300を組み合わせ、35 換算180ミリ相当でピタリとアングルを決めた。

03・07・26 杵築−大神 MamiyaM645SUPER smcPENTAX300oF4ED RVP100
天候不安定な時期だけに今日の晴れはまさに千載一遇のチャンス。欲張って「ソニック」や普電もバリバリ撮影して本番を待つ。そして17 時を回った頃、稜線の向こうに列車を確認。間もなく築堤の奥からローピンパイチにエスコートされた「富士」が現れた。後に続く客車は 1・2・3…計12両。鉄橋の一番手前まで引っ張って、何とか最後尾のカニが影から抜けた。極まった!タタン・タタン…と延々続くジョ イント音、最後に一際大きな唸りを上げる電源車、独特のブルトレサウンドを聞きながら、思わずニンマリの1カットであった。

鉄橋大俯瞰に映える長編成も、やがて「はやぶさ」との併結を機にカマ込み7両にまで短縮された。今年の春にこのポイントを再訪したが、 編成中心でまとめるには35判300ミリクラスが必須。往年の迫力を知る者としては寂しさを禁じ得なかった。



就職してから数年間、恒例行事のように正月にはコサカミ氏と四国・九州へ鉄初めに出掛けていた。理由は天気が安定しているから。確か に北国ではラッセルが走り銀世界が広がってはいるが、宗谷ラッセルもブレイク前、新津のキハも国鉄色復活前とあっては、敢えてリスク を冒してまで雪の中にアタックする気は起きなかった。一方、四国・九州なら割合晴れが望めるし、冬枯れ景色は海バックや鉄橋アングル で撮ればあまり気にならないはずだ。それに、九州はブルトレの到着が大概遅い。夏場では光線がカタくなってしまうが、最も日の低い年 末年始ならバッチリだろうという算段である。社会人1年目の2002年冬は、こうして西へ飛んだ。

大晦日に四国でコサカミ氏と合流し、土讃線のキハ58・28を撮影。夕方撮った高知市内の土佐電が02年の鉄納めとなり、宿毛から九州に渡る フェリーの中で新年を迎えた。未明に臼杵に上陸してからは2M運転でひたすら国道10号を初日の出暴?走。03年最初の御来光を美々津の 鉄橋で迎え、485などを少々撮った後、今日の本命高鍋のコンクリ橋に乗り込んだ。

03・01・01 高鍋−川南 PENTAX67U smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
美々津と並ぶ日豊本線南部のハイライト、高鍋−川南の小丸川のコンクリ橋には地元九州の鉄ちゃんを中心に10名ほどが集まっていた。単 線片持ちポールで南東方向から撮れるとあらば、10時頃通過の「彗星」を迎え撃つのにこれほど格好の場所はない。天地が空き過ぎると間 が抜けるため、ペンタ300で上下方向を詰めて構図を取る。定時、南国の穏やかな冬の日差しを浴びて「彗星」はやって来た。先頭に立つ 一見パイチに見えるカマは、実はただの色褪せたED76。向かって左側の塗装は見るも無残に剥げ落ちて痛々しいが、それでも客車を牽い て走る姿はまだまだ風格充分。線路手前の短い鉄杭から顔が抜けたのを見計らってシャッターを切った。



翌年も似たような行程で年末年始は四国〜九州へ。12月30日に単独で土讃の58・28を押さえて、大晦日の午前中に倉敷でコサカミ氏と合流。 冬改正でデビューした新車ミラ・アヴィ号に便乗させていただき、雨模様の国道2号を西下した。途中尾道でラーメンを食し、夕方、徳山 からフェリーで国東半島へ。約2時間の船旅で九州は竹田津港に着き、宇佐に出てから今年も夜の国道10号をひたすら南下する。亀川温泉 で1年間の汚れを落とし、美々津まで辿り着いた頃には紅白歌合戦もお開き。気付けば年が明けていた。

04・01・01 佐土原−日向新富 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
昨年に続いて美々津の鉄橋で初日の出を拝む。04年のXカット量産を祈りながら大漁旗を掲げた漁船と列車の組み合わせを軽く押さえ、今 日は佐土原の鉄橋へ。線形は高鍋と同様だが、こちらはガーターの鉄橋で、信号や鉄杭もなくスッキリとした編成写真をモノにできる。撮 影地としても高鍋ほどメジャーではないのでノンビリ撮れるはずである。が…現地に着くと他府県ナンバーの]-trailが1台。もしやと思 う間もなく、笹薮の陰から知り合いのベテラン鉄ちゃん氏が現れた。常々痛感している通り、やはり日本は狭いようである。みんなで三脚 を並べて鉄初め。相変わらずカマは汚く、マスカラ落としかけのギャルの如き運転台のHゴムが哀愁を誘うが、天気&アングルだけは申し 分なし。お天道様に誓ったように、早速今年最初のXカットを頂くことができた。

04・01・02 高鍋−川南 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
次の日は再び高鍋のコンクリ橋。初めは河原に下りてサイドからの構図で“レッド・エクスプレス”などを撮っていたが、ふと「彗星」はも っと正面から看板強調で狙おうと思い立ち線路際へ。だが、35判300oだと鉄杭は邪魔だし信号は大きく写るしでサッパリだめ。仕方なく、 天地はややスカるものの200o相当で勝負。左右をパンパンに詰めてナナロクの登場を待った。しかし!ファインダー一杯に現れたカマは、 今日も化粧崩れの91号機。ヘッドマークも錆びだらけで「彗」の字は右側半分が消えかかっている。残念!くたびれ模様の「彗星」は、そ れでも軽やかに橋を渡り、ゆっくりと高鍋駅へと滑り込んでいった。

翌05年秋、関東勢の間では大して話題に上ることもなく「彗星」はひっそりと廃止された。「富士」の区間短縮後日豊南部への唯一の寝台 特急だった同列車が姿を消すことで、高鍋や大淀川など南国の名所はすっかり寂しくなってしまった。私も、このとき以来宮崎の地を踏ん でいない。



日豊南部で2日連続「彗星」を押さえて満足した我々は、高千穂鉄道を吟味しながら九州を横断し長崎を目指した。ターゲットは長崎本線 のクィーン「あかつき」と「さくら」。まずは翌朝7時半肥前古賀着を目標にハンドルを握った。が、途中の国道上で強烈な睡魔の襲撃を 受け、深夜の道端で臨時停車。その間約1時間ほどだろうか、まだ平和な時代だったからよかったものの、昨今であれば我々の姿は世を憂 う練炭自殺者のシルエットに見えたに違いない…。どうにか無事到着した肥前古賀で見た青空は、それはそれは清々しいものだった(笑)。

04・01・03 肥前古賀−現川 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
この時期極端に日の出が遅い九州では、ブルトレの朝の撮影地も限られてくる。我々の脳内データも乏しいことから、正面陰りには目をつ ぶって定番のコンクリ橋アングルに三脚をセット。間もなく、山影だった橋に徐々に朝日が差し始めた。空気が澄んでいるだけに冬場とは いえ光は鋭く、背後の丘陵と白い橋桁が見る見る高いコントラストで染め上げられていく。「かもめ1号」を待避した後、ゆっくりと「あ かつき」が登場。「彗星」との併結を機にレガートが最後尾になりインパクトは弱くなったが、それでもやっぱりブルートレイン!定番撮 影地でエロい斜光線に照らされたカマ+客車8両は、ファインダーの中に充分な存在感を見せ付けてくれた。

04・01・03 多良−肥前大浦 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
午前中は大村線へ転戦し、千綿−松原の俯瞰でキハ66・67を撮影。今や貴重な白に青帯の旧九州色4連がX!10時台の快速「シーサイドライナ ー」までやっつけてから、今度は「さくら」を迎え撃つために多良−肥前大浦の海浜公園バックへ向かった。しかし、余裕をもって現地に 着けるはず…という見込みが甘かった。長崎本線沿いの国道207号が、大量発生した初詣客でまさかの大渋滞!進まぬ車列にやきもきしなが ら腕時計と睨めっこ。この1分1秒がもどかしい。何とか間に合ってくれ!

で、結局現着は11時57分。列車は定時だと正午通過なのでもうタイムアップギリギリである。コサカミ氏がサイドブレーキを引くや、一同 一斉に車から飛び出し、黙々とゲバ据え。ただでさえカツいのに手前の草叢をかわすためにハイアングルにするのがなお大変で、水平を合 わせて一息つく暇もなく、カーブの奥からヘッドライトが見えてきた。激しいチェイスは僅かの差で我々の勝利。真っ青な有明海を背に、 ヘッドマークを掲げてやって来た「さくら」から一発合格の白星を頂いた。



正月ごとに九州にブルトレを追っていた頃から4年、その間に「さくら」が消え「彗星」が廃止された。残るは関西発着の「なは・あかつ き」と東京発着の「富士・はやぶさ」のみ。その「なはつき」も3月改正で無くなるらしいという話を聞いたのが昨年の秋。ならば正月は久 々の九州ツアーか!? と意気込んだまでは良かったが、今年は年末年始に強烈な寒気がやってきて全国的に大荒れの空模様。残念ながら出撃 は断念せざるを得なかった。このまま「なはつき」を極めることなく春がやってきてしまうのか!?

いよいよ改正まで2週間あまりとなった2月末、休暇を取って九州入りしていたチバラギ氏から突然の連絡。曰く「ただ今道の駅鹿島。参 戦待ってます♪」って急に言われてもねぇ…。が、周囲を探るとDD149001氏が金曜深夜のスターフライヤーで北九州入りするとのこと。● ヤ情誌を見ると土曜は日中長崎−諫早間で「あかつき」記念列車も走るという。これはイチかバチか行ってみるか!決断さえしてしまえば あとは早い。夜も更けた羽田空港でDD14氏と合流し、23時15分発のSFJ93便で九州に飛んだ。

未明に道の駅鹿島でチバラギ氏のレンタを発見した。双方驚きの再会。そして一面の星空を見上げてニンマリ。氏は前日発見した肥前鹿島 の直線に行くとのこと。我々は定番波瀬の浦を目指した。ところが思った以上に早春の太陽は低く、長く伸びた架線柱の影が顔面ドカンで 「あかつき」はあえなく撃沈。チバラギ氏も顔面に落ちたポール影をかわしきれずに切り位置を逸してしまったとのこと。3月といえども 九州の日の出を舐めてかかってはいけないようである。

08・03・01 肥前古賀−市布 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1)
我々は気を取り直して記念列車のロケハンへ。といっても長崎−諫早間はほとんどがトンネルの連続のためこれといった場所は肥前古賀− 現川のコンクリ橋くらいしかない。おまけにそこもかつての立ち位置は地主によってロックアウト。が、地図によると肥前古賀の市布寄り にも同じようなコンクリ橋があるではないか。下見をしてみるとバッチリX!サイドの丘の上からも俯瞰できるので諫早行きも撮れそうだ。

正面に日が当たらない諫早行きは、サイドから俯瞰でカマ+客車2〜3両を切り取る。ペンタ90で背後の山の稜線まできれいにフレームイ ン。カマ次位がレガートなので、編成的にも面白いはずである。ほどして、うららかな春の日差しの中、真紅のナナロクに牽かれた「あか つき」編成がファインダーを横切って行った。

08・03・01 肥前古賀−市布 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8 RVP100
こちらは以前「撮影日記」で挙げたトンネル抜けのアップ。実は、あまりのスクランブル発進のため、我々は記念列車の詳細時刻をほとん ど把握していなかった(汗)。その場に居合わせた数名の鉄ちゃん氏に伺うと13時過ぎに通過の見込みという。間もなくだ。やがてトンネル の中に2条の光芒。モーターを全開で唸らせて、単独運転時代のマークを掲げた「あかつき」がファインダーに飛び込んできた。定期スジ では波瀬の浦か季節限定の肥前白石くらいでしか正面に日が回らない「あかつき」。最後の最後にして美しいカマと旧マークの組み合わせ を最高の光線状態で押さえることができた。

08・03・02 小長井−肥前大浦 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8×1.4 RVP100
翌日も長崎に残留して「なはつき」を撃つ。未だ正面バリ順写真を極めていないため、我らの狙いは長玉顔面撃ちで意気投合。だが、昨日 実績から波瀬の浦・肥前鹿島ともに影がきつくてリスクが高い。そこで目をつけたのが小長井のSカーブであった。内陸に迂回した線路が有 明海沿いに出てくる僅か数百メートルが列車が東を向く勝負の区間。背景その他はどうなっているかはわからないが、とりあえず日の出と ともに線路沿いに立ってみた。実際に構えてみると、超望遠で抜くならアングルはバッチリ。チバラギ氏サンニッパ、私サンニッパ&テレ コン、DD14氏ゴーヨンと日本の西端に早朝からバズーカー砲が並ぶ。あとはやや薄日の光線が強くなってくれることを祈るだけだ。

7時半を回り、太陽はモヤモヤゾーンを抜けた。間もなく遠くで踏切の音。来た!低いオレンジ光線を真正面に受けて、紅のカマが渋く輝 く。ピンは動体予測でAFに任せ、ひたすらモードラをフル回転。カマの後に最後尾のレガート車が見えた。極まったぁ!



2週間後、熊本止になっていた「なは」とともに、「あかつき」は廃止。これで関西−九週間のブルートレインは全て過去帳入りとなって しまった。伝統のブルトレKING“九州特急”も、残すところ「富士・はやぶさ」の1本のみ。 僅かな期間で最後の姿をどれだけフィル ムに、そして瞼に焼き付けることができるのか。夏休みまでもうすぐ。目指すは南国、九州である。



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