GALLERY08 ブルートレイン★Collection 5.ブルートレイン★Collection〜九州編〜 これまで、九州ブルトレを対象に一体どれだけのXカットを押さえられただろうか。折を見て足を運んではいるものの所詮はビジターの撮 影、定番巡りだけで精一杯となることがほとんどだった。ベテラン諸兄には食傷気味の写真かも知れない。しかし、これは消え行く定めに ある名列車たちへの、私からのささやかなレクイエムである。 九州新幹線新八代−鹿児島中央の開業に伴い、西鹿児島行きだった「なは」が熊本止めに変更される。そんな情報をキャッチして、2002年 の夏は南九州に照準を絞った。改正まではもう1シーズンあったが、東北新幹線八戸延伸で多くの鉄ちゃんが集中している「はくつる」は 天候不順で撃沈の予感。週間天気と睨めっこしながら、最終的に鹿児島南線詣でという決断を下したのであった。 お盆の飛行機は高いわ混むは遅れるわでロクなことがないため、時間は掛かるが東京から新幹線で博多へ。そこから18きっぷの普電乗り継 ぎでさささ先輩&クマウユシレ氏の待つ米ノ津を目指した。終電で到着後、両氏のレンタに拾っていただき、まずは鹿児島南線の桧舞台、 西方の東シナ海バックに乗り込む。果たして幸先良くバリ晴れをゲットできるだろうか !? が、あっさりと期待は裏切られ、験担ぎに買っ た“かつおめし”のご利益もなく翌朝は曇天で見る鉄に終わった。その後は毎日日中は晴れるが朝晩はダメというパターンが続き、475系の GK−5や「つばめ」などはそこそこ極められたが、肝心のブルトレはサッパリ。ようやく西方リベンジのチャンスがやってきたのは滞在 4日目、クマウユシレ氏が離脱し、さささ先輩が撤収した後のことだった。
翌年も、夏休みは懲りずに鹿児島南線「なは」詣で。そう頻繁に訪問できる距離ではないために前年から撮り残しとなってしまったポイン トも数多く、中でも上田浦の俯瞰が最大のテーマになっていた。夏場でさえ編成後方に影が掛かってしまうが、線路と海以外は人工物ゼロ というロケーションが素晴らしい。前回ツアーで下見をして以来、ここの脳内Xゴマが気になって仕方なくなっていた。梅雨も明けきらぬ 7月下旬という半端な時期に強制的に休みを割り当てられて不安を覚えながら、費用節約のため普電と「ムーンライト九州」で南国を目指 した。 ところが、2003年の夏は記録的な悪天候に見舞われた。私の上陸とともに九州は梅雨明け宣言が出されたが、所謂“梅雨明け十日”のスカ ッ晴れの気配はまるでなく、曇り時々薄日の毎日。初日・2日目・3日目…日々上田浦俯瞰に三脚を構えてはファインダー見る鉄である。こ うも負けが込んではストレス全開!ここまでの成果が山野線ループ跡の記撮と人吉の七夕スナップのみという惨敗ぶりでは、何をしに来た のかわからないではないか(汗) !! 4日目にようやく晴れ予報が出た。しかし、通過10分前に巨大ゲリラ雲が現れて「なは」はアウト!これで上田浦4連敗。思わず悔し紛れ にガードレールへローキック一発(よい子のみなさんはマネしないようにしましょうね)!のはずが、何と空振りしたうえ私の靴は崖の直下 へコンコロリン…。泣き面に蜂とはまさにこのこと。慌てて機材をしまって靴下一丁で国道沿いのセブンに急行し、その後のツアーはコン ビニサンダルで続行することになってしまったのだった。嗚呼、恥ずかしや恥ずかしや…。
夏に苦戦した2003年も、秋以降は比較的好天に恵まれた。山陰“なにわ”御召や盛岡の「懐かしの52・58号」など週末毎に全国を駆け巡り、 思い描いた光景をフィルムに焼き付けた。だが、10月下旬から仕事が俄かに忙しくなり、せっかくの紅葉シーズンは完全に職場で缶詰状態。 ようやく原稿を提出して解放された頃には11月も残り1週間となっていた。さて、勤労感謝の日の連休はどこへ行く?天気予報と睨めっこ していると、コサカミ氏からツアー募集のメールが届いた。天候の落ち着いた今こそエロ光線で鹿児島南線のブルトレを仕留めるべし!ち なみに、2代目ミラ・エクスプレスはこのツアーが実質ラストラン。ご同乗をお待ちしている…とのこと。よし、行こう!土曜日中に軽く鹿 島鉄道のイベントを冷やかした後、夕方の新幹線で氏との合流地点小倉を目指した。 仕事明けで睡眠不足のコサカミ氏と、徹夜で鹿島に寄って来た私。睡魔の餌食になりそうになりつつ、2M運転で“ドリーム・ミラ”は国道 3号をひたすら南下する。地元九州鉄ちゃん(当時)のロン隊長とクマウユシレ氏に来九の旨を連絡しながら交互にハンドルを握ること約4 時間、漆黒の赤松太郎峠から眼下に激安うどんチェーンヒライの灯りを確認した我々は「ミラ号よ、あれがヒライの看の灯だ」と遺言の如 く呟いたが最後、道の駅田浦に滑り込み、そのまま力尽きてしまったのだった。
今日は本当に1年に数日あるかないかというクリアーな 天気で、昨年夏に訪れたときには見えなかった対岸の天草の島々までハッキリと見渡せる。ペンタ165とマミヤ150の中判2丁体勢で決定的 瞬間を待った。やがて手前のみかん畑にまで日が回った頃、赤いカマに牽かれた青い客車編成がファインダーに登場!手前のスパンまで 引いて、パンが抜けた所でシュート!! ガチガチの手ごたえに酔いしれながら、隣のロン隊長が一言。「これでいつ死んでもええわぁ!」。 いやいや、早まってはなりませぬ。鉄ちゃんたる者、Xを極めたらその現像が上がるまでは決して命を粗末にしてはなりませぬ〜!とはい え読者諸兄はご心配なく。今日も隊長は「これで思い残すことはないわぁ」と言いながらどこかの線路際でガッツポーズを決めているはず である(笑)。 このツアーから4ヶ月後の2004年春改正で、九州新幹線新八代−鹿児島中央間の開業に伴い鹿児島本線南部は三セク化。同時に「なは」も 熊本打ち切りとなり、風光明媚な海辺の鉄路でナナロク・ブルトレを目にすることは二度と叶わぬ夢となった。古くは「明星」「はやぶさ」 など九州特急の雄が駆けた南国の名舞台も、今は単行の軽快気動車が細々と走るのみ。線路の上の栄枯盛衰を、不知火海だけが今日も変わ らず見守っている。 上記の2003年「なは」ツアーでようやく晴れ間が広がった7月26日、ふと夕方の上り「富士」を撮ろうと思い立ち、阿蘇を横断して杵築の 鉄橋に向かった。目指す立ち位置は、以前●ヤ情別冊の撮影地ガイドに掲載された大俯瞰。どうも地図で見当するに、大分道の側道の背後 の山がクサイ。案の定、車を停めて周囲を徘徊すると、側道の上の杉林の合間に線路が見下ろせるポイントを発見。喜び勇んで三脚を立て た。レンズは当時の中判最長レンズ、バケ300でも短か過ぎ。ならばと裏技のアダプターを使ってマミヤ645にペンタ300を組み合わせ、35 換算180ミリ相当でピタリとアングルを決めた。
鉄橋大俯瞰に映える長編成も、やがて「はやぶさ」との併結を機にカマ込み7両にまで短縮された。今年の春にこのポイントを再訪したが、 編成中心でまとめるには35判300ミリクラスが必須。往年の迫力を知る者としては寂しさを禁じ得なかった。 就職してから数年間、恒例行事のように正月にはコサカミ氏と四国・九州へ鉄初めに出掛けていた。理由は天気が安定しているから。確か に北国ではラッセルが走り銀世界が広がってはいるが、宗谷ラッセルもブレイク前、新津のキハも国鉄色復活前とあっては、敢えてリスク を冒してまで雪の中にアタックする気は起きなかった。一方、四国・九州なら割合晴れが望めるし、冬枯れ景色は海バックや鉄橋アングル で撮ればあまり気にならないはずだ。それに、九州はブルトレの到着が大概遅い。夏場では光線がカタくなってしまうが、最も日の低い年 末年始ならバッチリだろうという算段である。社会人1年目の2002年冬は、こうして西へ飛んだ。 大晦日に四国でコサカミ氏と合流し、土讃線のキハ58・28を撮影。夕方撮った高知市内の土佐電が02年の鉄納めとなり、宿毛から九州に渡る フェリーの中で新年を迎えた。未明に臼杵に上陸してからは2M運転でひたすら国道10号を初日の出暴?走。03年最初の御来光を美々津の 鉄橋で迎え、485などを少々撮った後、今日の本命高鍋のコンクリ橋に乗り込んだ。
翌年も似たような行程で年末年始は四国〜九州へ。12月30日に単独で土讃の58・28を押さえて、大晦日の午前中に倉敷でコサカミ氏と合流。 冬改正でデビューした新車ミラ・アヴィ号に便乗させていただき、雨模様の国道2号を西下した。途中尾道でラーメンを食し、夕方、徳山 からフェリーで国東半島へ。約2時間の船旅で九州は竹田津港に着き、宇佐に出てから今年も夜の国道10号をひたすら南下する。亀川温泉 で1年間の汚れを落とし、美々津まで辿り着いた頃には紅白歌合戦もお開き。気付けば年が明けていた。
翌05年秋、関東勢の間では大して話題に上ることもなく「彗星」はひっそりと廃止された。「富士」の区間短縮後日豊南部への唯一の寝台 特急だった同列車が姿を消すことで、高鍋や大淀川など南国の名所はすっかり寂しくなってしまった。私も、このとき以来宮崎の地を踏ん でいない。 日豊南部で2日連続「彗星」を押さえて満足した我々は、高千穂鉄道を吟味しながら九州を横断し長崎を目指した。ターゲットは長崎本線 のクィーン「あかつき」と「さくら」。まずは翌朝7時半肥前古賀着を目標にハンドルを握った。が、途中の国道上で強烈な睡魔の襲撃を 受け、深夜の道端で臨時停車。その間約1時間ほどだろうか、まだ平和な時代だったからよかったものの、昨今であれば我々の姿は世を憂 う練炭自殺者のシルエットに見えたに違いない…。どうにか無事到着した肥前古賀で見た青空は、それはそれは清々しいものだった(笑)。
で、結局現着は11時57分。列車は定時だと正午通過なのでもうタイムアップギリギリである。コサカミ氏がサイドブレーキを引くや、一同 一斉に車から飛び出し、黙々とゲバ据え。ただでさえカツいのに手前の草叢をかわすためにハイアングルにするのがなお大変で、水平を合 わせて一息つく暇もなく、カーブの奥からヘッドライトが見えてきた。激しいチェイスは僅かの差で我々の勝利。真っ青な有明海を背に、 ヘッドマークを掲げてやって来た「さくら」から一発合格の白星を頂いた。 正月ごとに九州にブルトレを追っていた頃から4年、その間に「さくら」が消え「彗星」が廃止された。残るは関西発着の「なは・あかつ き」と東京発着の「富士・はやぶさ」のみ。その「なはつき」も3月改正で無くなるらしいという話を聞いたのが昨年の秋。ならば正月は久 々の九州ツアーか!? と意気込んだまでは良かったが、今年は年末年始に強烈な寒気がやってきて全国的に大荒れの空模様。残念ながら出撃 は断念せざるを得なかった。このまま「なはつき」を極めることなく春がやってきてしまうのか!? いよいよ改正まで2週間あまりとなった2月末、休暇を取って九州入りしていたチバラギ氏から突然の連絡。曰く「ただ今道の駅鹿島。参 戦待ってます♪」って急に言われてもねぇ…。が、周囲を探るとDD149001氏が金曜深夜のスターフライヤーで北九州入りするとのこと。● ヤ情誌を見ると土曜は日中長崎−諫早間で「あかつき」記念列車も走るという。これはイチかバチか行ってみるか!決断さえしてしまえば あとは早い。夜も更けた羽田空港でDD14氏と合流し、23時15分発のSFJ93便で九州に飛んだ。 未明に道の駅鹿島でチバラギ氏のレンタを発見した。双方驚きの再会。そして一面の星空を見上げてニンマリ。氏は前日発見した肥前鹿島 の直線に行くとのこと。我々は定番波瀬の浦を目指した。ところが思った以上に早春の太陽は低く、長く伸びた架線柱の影が顔面ドカンで 「あかつき」はあえなく撃沈。チバラギ氏も顔面に落ちたポール影をかわしきれずに切り位置を逸してしまったとのこと。3月といえども 九州の日の出を舐めてかかってはいけないようである。
正面に日が当たらない諫早行きは、サイドから俯瞰でカマ+客車2〜3両を切り取る。ペンタ90で背後の山の稜線まできれいにフレームイ ン。カマ次位がレガートなので、編成的にも面白いはずである。ほどして、うららかな春の日差しの中、真紅のナナロクに牽かれた「あか つき」編成がファインダーを横切って行った。
7時半を回り、太陽はモヤモヤゾーンを抜けた。間もなく遠くで踏切の音。来た!低いオレンジ光線を真正面に受けて、紅のカマが渋く輝 く。ピンは動体予測でAFに任せ、ひたすらモードラをフル回転。カマの後に最後尾のレガート車が見えた。極まったぁ! 2週間後、熊本止になっていた「なは」とともに、「あかつき」は廃止。これで関西−九週間のブルートレインは全て過去帳入りとなって しまった。伝統のブルトレKING“九州特急”も、残すところ「富士・はやぶさ」の1本のみ。 僅かな期間で最後の姿をどれだけフィル ムに、そして瞼に焼き付けることができるのか。夏休みまでもうすぐ。目指すは南国、九州である。
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