鉄路百景 GALLERY08.ブルートレイン★Collection 02

GALLERY08 ブルートレイン★Collection

2.ブルートレイン★Collection〜東北編〜

みちのくの夜行には、「ブルートレイン」なんていう小洒落た呼び方より、「夜汽車」という方が良く似合う。古の日々、「はくつる」「ゆうづる」など対北海道輸送の 使命を負った花形の名優が東北・常磐筋を颯爽と駆ける一方で、奥羽本線には出稼ぎ列車「つがる」や故郷に錦を飾る人たちを乗せた「あけぼの」などどこか郷愁漂わせ る“汽車”たちが行き交っていた。幼い頃、私もそんな夜汽車たちを図鑑や絵本で見て育ち、冬場雪を付けて上って来るブルトレ群を薄暗い上野駅の地平ホームで眺めて は、まだ見ぬ彼の地の鉄道情景に思いを馳せていた。

しかし、普通の中学・高校生には東北は遠かった。もっぱらの旅の友となっていた青春18きっぷではダイレクトにアクセスできる列車が無く、行くとすれば日中延々と鈍 行を乗り継いで現地でマルヨするしかない。人間易きに流れるもので、だったらせっかくの休みは効率的に使おうと、夏も冬もついつい大垣夜行で西へ向かうのが習慣の ようになっていた。結局、初めて奥羽本線にブルトレを撮りに行ったのは高校を卒業した春のこと。3月の秋田・青森県境はまだ雪景色だった。



1997年3月、結果はともかく大学受験は一段落。溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、18きっぷを片手に「ムーンライトえちご」で都会の喧騒を後にする。翌日は磐西 非電化(新津−津川)で運転されるC58の「SLえちご阿賀野号」を撮り、村上から「鳥海」を飛び道具に使って二ツ井に乗り込んだ。

97・03・10 二ツ井−富根 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO135oF2.8 RDPU(+1)
被写体となるべき列車に乗ってしまったため撮影対象を1本損してしまったが、それでも後には「あけぼの」と「日本海3号」が控える。冬型が緩んで晴れ間が覗く上々 のコンディションの下、二ツ井の定番被りつきポイントでOMの135oをセットした。メインのターゲットは「あけぼの」。22日の改正で牽引機がEF81に代わってしま う、ED75最後のブルトレである。もう一月早ければ雪対策で重連になって先頭に立つ姿が見られたのだが、単機だって小さな赤ベコが牽く青い長編成は魅力的。間もな くトンネルの向こうから現れた今日の主役を、OM−1の1枚切りで仕留めた。

97・03・13 碇ヶ関−長峰 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO135oF2.8 RDPU(+1)
数日間降り続けた雪が止んだ。今日は久々の好天である。このツアーでマルヨ場所にしていた青森のフェリーターミナルから30分ほどかけて駅まで歩き、奥羽本線の一番 列車で碇ヶ関に向かう。長峰方の7号線のオーバークロスからは、防雪林をバックにストレートが見下ろせるはずである。現地に着いてみると、国道の橋脚部分がコンク リの台になり格好のお立ち台。ここに貧相な三脚を据え、OMに135oで構図を整える。前回は乗り鉄で撮れなかった「鳥海」をどうにか捉えることが出来た。

上野から上越回りで青森に行く「鳥海」も3月改正で廃止が決まっていた。いや、正確に言うと、陸東経由の「あけぼの」が廃止され、代わって「鳥海」が「あけぼの」 を名乗るようになる。ま、どちらにせよ優雅に裾を引く鳥海山の姿をかたどったマークはもうすぐ見納め。駆け込みとはいえ撮影できたのは何よりだった。しかし、今 思うとなぜこんなマニアックな場所で撮ったのだろう?特別素晴らしいアングルでもないし、光線だって面翳り。当時はあんまり考えずに撮っていたということですな(汗)。



日本海縦貫はそれなりに通っているが、実は東北本線(現岩手銀河鉄道〜青い森鉄道)系統のブルトレは全くと言っていいほど撮っていなかった。何しろ関西在住の学生には、 北東北はアクセスも悪く、コストが掛かって行きづらい。せっかくの長期休みも、どうせ本州の果てまで行くなら海峡を越えて渡道しちまえ! そんなノリでこの一帯はただ 通過するばかり。気づけば、みちのくの名門特急「はくつる」にも廃止の報が流れ、鉄界のカウントダウンが始まっていた。折しも就職で関東に戻った最初の年。これは行 けるか?とチャンスを狙ったが、その夏は岩手・青森が天候不順に見舞われて連日の雨予報(泣)。583系時代から憧れてきた青い鶴のマークは、納得いくまで極めることなく 彼方に飛び去ってしまったのだった。

01・08・13 岩手川口−好摩 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
それでも唯一撮影できたのが2001年8月。名古屋−仙台のフェリーに愛車スーパーカブを載せて東北大陸に乗り込み、2週間にわたって485系「はつかり」、ED75貨物、 山田・岩泉線を撮って回った。この日は花輪線の東大更駅でマルヨしていた。未明に目覚めると、東の空は急速に雲が切れ、見事なグラデーションが広がっていた。ふと 気が付いて時刻表を見ると、今から行けば岩手川口のオーバークロスで「はくつる」が撮れそうだった。四の五の言わずにキックペダルを蹴り込み、エンジンスタート! 30分後には4号線の歩道に三脚を据えていた。

やがて、大カーブに赤いパイチ牽引の24系が現れる。光線はギリギリ面に回るくらい。でも、贅沢は言うまい。夏の早朝限定のこの場所で、ブルトレ「はくつる」を仕留 めることができた。それだけでもよしとしよう。結果論、これが私にとって東北で見た最後の「はくつる」の雄姿となったのであった。



ひたすら内陸を北上する東北本線に比べて、日本海の海岸線に沿って走る羽越〜奥羽本線は、景色を絡められるアングルに恵まれている。その中でもハイライトと言える のが小砂川−上浜のSカーブ。線路の向こうに棚田を挟んで水平線が広がる、DD51「日本海」時代からの伝統的な有名撮影地である。

初めてこの地を訪れたのが、社会人1年目の2002年7月。夏期講習の合間を縫って、晴れ予報を信じ実家の車を走らせた。確かに「あけぼの」は晴れ!しかし線路に伸び る影をどうかわすか、納得いく解答を出せないまま通過時刻を迎え、中途半端な写真しか残せなかった。その翌年も懲りずに5月に訪問したが、天気が靄って話にならず。 その上線路脇にステンレス製の防風壁ができて落胆した。

04・06・16 小砂川−上浜 NikonF4s AFNikkor300oF4ED RVP100
やっとまともに撮れたのは、その次の年の2004年の6月のことである。盛岡にキハを撮りに行った帰りに、ふと思い立って古川から国道47号を酒田方面へ。その夜は道の駅 鳥海でマルヨして、翌朝このアングルに立ち寄った。天気は予報通りのド快晴。防風壁の処理に悩んだ末、「あけぼの」は300oで奥を抜いてみた。隘路にS字を描くかまぼ こ屋根が、カッコイイ!

04・06・16 小砂川−上浜 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
続く「日本海3号」は、あまりの水平線の美しさに負けて防風壁は妥協し、ペンタ165oで広めに構えることにした。とはいえ、タテかヨコかのアングルがまた悩ましい。決 め手はバックの雲だった。コイツをきれいに入れるならタテしかない。定番構図を無視して雲台を90度傾け、ローピンパイチの通過を待った。



この年の夏は、以前から気になっていた道南ブルトレを目指した。短いとはいえせっかくの夏休み、移動手段は愛車AZ−ワゴンのゴン太くんである。仕事を終えてから深夜 の東北道をひた走り、まずは定番二ツ井のオーバークロスにやって来た。怪しげな予報の割には現地は快晴。 県道から見下ろす「く」の字形の線路の周りには、一面真緑の水 田地帯が夏の日差しに輝いている。架線柱の脇の農作業小屋が目立たないよう、左右カツカツの構図でペンタを構えた。


2枚とも:05・08・11 二ツ井−富根 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
だが、待てど暮らせど列車が来ない。定時なら8時過ぎには「あけぼの」が通過するはずである。ムムム?携帯サイトで運行情報を探ると、現在羽越線内が大雨のため、夜 行列車に遅れが出ているという。何と!距離にして僅か150q弱なのに、ずいぶんな天気の変りようである。果たして列車はいつ頃やって来るのやら?

間もなくトンネルの向こうに2灯のライトが光った。ライトの位置からしてパイチに違いない。思ったより早かったな…とよく見ると、カマの色はローズピンク!そう、最 初に登場したのは1時間半遅れの「日本海」であった。普段この場所ではサイドに光線が回らないだけに貴重な1カット!そして、「あけぼの」は思ったよりも遅れずに現 れた。定時より約30分遅延。遅くなればなるほど光線がカタくなるのが心配だったが、9時前には通過してくれたのでそれなりにXだった。

これでこのポイントを撤収し、早々に青森フェリーターミナルに向かう。本当は大釈迦付近で上り「日本海2号」まで撮ってから北海道に渡れればよかったのだが、時期が 時期だけにフェリーの予約が一杯で昼の室蘭行きしか撮れなかったのである。というわけで、せっかくのバリ晴れを無駄にして船上の人に。まぁ、半日くらい青空を捨てた って罰は当たらないよねぇ… と高をくくっていたのが甘かった。道南ブルトレに転戦してから4日間3.5連敗。下りブルトレは全滅し、辛うじて最終日の上り「トワイ」が 仕留められただけだっのであった。後悔先に立たずとは言うけれど、これなら北東北で「日本海」「あけぼの」を撮っている方が幸せだったかも知れない…。



北東北の春は遅い。関東では連休にピークを迎える新緑も、ここ秋田・青森県境の矢立峠では5月の下旬にようやく見頃となる。掲示板によると、盛岡では花輪線で原色58・ 52の組み合わせが運用に入っているという。金曜深夜、天気予報を見て決断を下し、まだ雨の残る東京を後にした。初日は日中一杯キハを追っ掛け回し、夜は小坂鉄道の茂 内駅で腕木を星空バックにバルブ。そのまま大館市街のイオン駐車場でささやかに一献傾け寝袋に包まった。

06・05・21 白沢−陣馬 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
06・05・21 白沢−陣馬 MamiyaM645SUPER SEKOR110oF2.8N RVP100
翌朝は、キハがいいスジに入っていないので心置きなくブルトレへ。萌える山々の美しさでいえばここかと、定番中の定番、白沢−陣場のコンクリ橋に三脚を据えた。新緑 の美しさは予想以上だった。山全体がライムグリーンの木々で覆われているのを見て、ペンタは400ではなく300oを選択。マミヤの110oも並べて、橋を渡り終えたところ を切り位置に構図を決めた。

7時過ぎ、遠方の築堤にブルトレが見えた。今日のカマはローピン。よっしゃ、これで九分九厘勝利は確定である。しばしの間を置いてトンネル出口が光った。轟音ととも に“最後の正調ブルトレ”「日本海」がベッタベタの光線を浴びて登場する。切り位置の違う2台のカメラを時間差でレリーズ。もらった!

06・05・21 白沢−陣馬 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
1時間余りのインターバルを挟んで、次の被写体は「あけぼの」。マミヤはしまってF5との2台体制で臨む。昔、この場所で撮影されたED75牽引の「あけぼの」を見て 東北ブルトレに憧れたこともあった。時は移り先頭に立つのが東青森のEF81になってしまったが、同じ「あけぼの」をここで撮れるだけでありがたい。8時45分、新緑に 映える真紅のカマと青い客車の組み合わせが、名舞台に現れた。



この夏も懲りずに車で北海道を目指した。ただ、前年と異なり休みが長めに取れたので北東北もガッツリ巡る。盛岡のキハや小坂鉄道の貨物と併せ、ここ大釈迦の上りブ ルトレもターゲットに入れた。 ちなみに、大釈迦で撮影可能なのは17時頃通過する「日本海2号」のみ。2008年改正で1往復化された後はここで「日本海」はもう撮れない。今でも撮影地ガイドの類には 「あけぼの」も“露出的には”撮れるなんて書いてあるが、地軸の傾きでも変わらない限りどう頑張っても日没後。 それは撮ったうちには入らないだろう。

06・08・10 鶴ヶ坂−大釈迦 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
夜のフェリーで函館に渡るため、小坂鉄道の撮影をそこそこで切り上げ、大館から7号線を北上する。十三本木峠を越え、碇ヶ関温泉を過ぎて、弘前市街を抜ければ間もなく 定番の大釈迦の直線である。天気はややモヤっとしているが、夏場の夕方ならどうにかなるだろう。ペンタ400にF5の200o、それにF4sを引っ張り出してサンニッパを装 着。案の定、パンチは弱めだがオレンジがかった光線に照らされて、ローピンパイチの「日本海」が現れた。

4年前の改正以降もうこの場所で日の当たったブルートレインは拝めないと思っていた。だが、JRの発表を見ると、幸か不幸か臨時化された「日本海」がいい時間にここを 通るではないか。青森発16時21分ということは、現地通過は40分頃か。また、撮れずに終わった川部−撫牛子の鉄橋下り込みもリベンジができそうだ。カマが東青森のパイチ になるという説もあるようだが、数少ない明るい話題として楽しみに待ちたいと思う。



2007年は梅雨時も比較的晴れに恵まれた、いわゆる「稼げる」年であった。5月末には朝練で神保原の「能登」「北陸」を仕留めた。そして6月。金曜22時、木更津の職場を 退勤しようとしたところでメールが入る。「北東北に進路を取る。合流されたし」チバラギ氏からの出撃指令である。常紋倶楽部管理人のんべい氏も助手席にいるという。至 急帰宅しても集合は0時になるが、3M運転ならどうにかなるかも知れない。日付が変わった頃、我が実家近くでピックアップしていただき、チバラギ号は一路東北道を北に 向かったのだった。

しかし、0時出発で奥羽ブルトレというのはやはりキツかった。未明に給油のため鶴岡市内を徘徊したのが仇となり、コサ−カミではタッチの差で「あけぼの」に間に合わず。 それでも「日本海3号」が撮れると思ったら、私が構えた切り通しのSカーブは絵に描いたような来る・曇るで撃沈。数100メートル離れただけの定番オーバークロスで撮って いたチバラギ氏は晴れたというから、運が悪かったとしか言いようがない。それでも夕方は「日本海2号」をマル秘の大釈迦俯瞰で極めて満足した。

07・06・23 大鰐温泉−石川 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
翌朝は、今ツアーのメインターゲット、東日本最強朝練との呼び声高い「はまなす」を仕留めるために蟹田でスタンバイ。就寝前は夜空に星が煌めき、天気図を見ても衛星画 像を見ても問題なしだった。ところが、目覚めてみると、周辺は一面深い霧。今回も高い壁を超えることはできず、奥羽のブルトレに取って返すことになった。というわけで、 「あけぼの」目当てでやってきたのがこのポイント。最近すっかりメジャーになった感のある大仏公園の俯瞰である。正面に日は回らないが、濃い緑に包まれた風景が美しい。 今日は湿度が高く遠景の抜けが悪いため、広めに撮るにはイマイチ。ペンタ300で編成ピッタリを切り取ることにした。

この頃には、翌年春改正で「日本海」が1往復化されることは鉄の間では周知の事実となっていた。だとすると、「はまなす」は再戦が難しいとしても、せめてコサ−カミの 「日本海3号」はリベンジしておきたい。ところが、次に週末に晴れが巡って来た7月7日は所用が入って出撃できず。一方、のんべい隊長やチバラギ氏は高気圧直撃の津軽 半島で「はまなす」迎撃にも成功し雄叫びを上げていたという。よ〜し、次こそは!だが、それから10日ほど後、7月16日に新潟県中越沖地震が発生。信越海線が被害を受け、 9月まで日本海縦貫経由のブルトレは運休。再び「日本海」の雄姿が見られるようになった頃、このアングルは日照限界を迎えていたのであった。


「日本海」が1往復に減便されてしまった年の夏、そろそろブルトレの牙城だった奥羽方面も雲行きが怪しくなったかと、早めに手を打つべく北東北を目指した。いつものよ うに、仕事を終えてから気力体力勝負の終夜運転。しかし、気合いで走り切った翌朝の大館界隈は深い霧に包まれていた。あ〜ぁ、さっぱりヤル気は湧いてこない。糠沢駅で 見送った「日本海」はトワガマだし、そのまま車でフテ寝となった。

08・08・09 大釈迦−鶴ヶ坂 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
仕切り直して翌日、既に何カットか極めたことのある秋田県内はパスして、最北の撮影地大釈迦−鶴ヶ坂のオーバークロスに落ち着く。深い草むらのせいで現在ほど左側に 展開できず、伸びている影を交わすこともあってこの構図がせいぜい。ウネッと尻を振るS字にならないのが物足りないが仕方ない。無難にペンタ165でローピンパイチの 「日本海」を迎え撃った。

08・08・09 大釈迦−鶴ヶ坂 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
「あけぼの」も同じ構図では芸がない。近場でどこか撮れないか?最近は夕方の定番直線を反対側から撮る場所もガイドに載っているが、晴れるとサイドは真っ黒に潰れてし まう。中には「曇りの日向きの撮影地」なんてとぼけたことを抜かす声もあるが、私の中では曇ったらその時点でボツ写真。曇り向きの撮影地なんてこの世には存在しないの である!というわけで、順光側から撮れるポイントを探し出し、サンニッパにテレコンを掛けてブチ抜いてみた。

08・08・10 糠沢−鷹巣 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
初日に寝ぼけ眼で確認した下り「あけぼの」は、夢か幻かキューゴー牽引だった。ネットで調べると、青森のパイチが入場中とかで2台運用のうち1台が田端のカマで代走して いるという。しばらくは「あけぼの」のループ運用に入るようで、順当にいけば2日後に再びここにやって来るはずである。

このネタを鋭く嗅ぎつけていたのがロン隊長だった。新幹線でやってきた隊長を秋田駅近くのファミレスで拾い、桂根−新屋のストレートでヤツを待ち受ける。しかし、予報は 外れて曇天模様。確かに青い客車を引き連れて現れたのは、側面の「EF81」表記も眩しい95号機だったが、シャッターを切らずに見送った。即座に秋田道に乗って追撃を開始 する。隊長の見立てでは、停車駅の多さと高速がショートカットしていることを勘案すれば、二ツ井辺りで十分追い付けるのではないかとのこと。何はともあれ、初戦の敗戦を 帳消しするにはとことんやるしかない!気合いの走りで糠沢のSカーブに先行し、慌ただしく三脚をセット。バケヨンを据える時間はない。とりあえずF5にサンニッパで構図 を作る。上りの701系が通り過ぎてすぐ、カーブの先から真紅のカマが見えてきた。

08・08・11 白沢駅 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
次の朝は前から目を付けていた白沢の駅先端へ。トンネルを出て大きくカーブするところをサンニッパジャストで切り取ることができる。天地左右のバランスを整えて、ピンは 動態予測に任せてセット完了。間もなくトンネルから飛び出してきたローズピンクのカマにロック・オン!モードラフル回転で正調「日本海」を切り取った。

08・08・11 白沢−陣馬 MamiyaM645SUPER smcPENTAX400oF4ED RVP100
同じブルトレの写真ならバリエーションは多い方がいい。「あけぼの」は別アングルで撮ろう。青森方面にハンドルを向け、まずは定番コンクリ橋に行ってみた。どうせ草木が 伸びてダメだろうと諦め半分だったが、いざ見てみると築堤部分の黄色い花が美しい。深緑に覆われたバックの山も夏らしくていいではないか。よし、ここで橋の部分だけを切 り取るべし!200o相当では短いため、F5&サンニッパとマミヤ645にペンタ400という組み合わせで列車を待った。今日は青森パイチが牽いて来る日。トンネル出口がざわつく と、ひさし付きのカマがカーブを切って現れた。

08・08・12 桂根−新屋 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
翌朝は再度キューゴーが先頭に立つ。本当は帰宅する予定だったが、滞在を1日延ばして桂根−新屋のリベンジに燃えた。未明にクッキリ夜空に輝く月を見て、確信を持って現 地入り。サンニッパにテレコンをかましてアップパンパンで列車を待つ。来た来た、赤いボディーの裾に白と黒の帯。「あけぼの」のマークも誇らしく、ファインダーにレイン ボー機が飛び込んで来た。

本来、ネタガマのブルトレというのはあまり好みではない。ロクヨン茶釜やカシガマの「あけぼの」なんて最悪である。だが、かつて田端のカマを先頭に東北本線を経由してい た頃の姿を彷彿とさせるキューゴーだけは別格。フィルム代を惜しむことなく、全力でモードラを回し切った。撮り終わるや即撤収!次行くぞ、次!

08・08・12 二ツ井−富根 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
残り少ないガソリンに冷や冷やしながら秋田道を北に向かって一直線。高速に乗ってすぐにエンプティランプが点いたが、こんな地方の高速にスタンドなんてあるわけがない。 電装を全てオフにしてひたすら省エネ走行。それでも二ツ井白神ICを降りた時点で15分先行でき、定番の二ツ井−富根に滑り込んだ。慌ただしく三脚を立てる。が、F5はす でフィルムを使い切っていた!もう巻き戻す時間も惜しいので、久々にF4sを持ち出す。連写は遅いが、被りつきだしどうせ一発勝負だから関係ない。ベル100を装填してアン グルを整えると、すぐにトンネルの向こうで踏切のバーが下りた。ナナゴ「あけぼの」を撮ってから11年、久々にこの場所でブルトレを極めた。



2010年の初夏はやたらと北陸・東北方面に出撃した。5月中旬以降、北陸・羽越・羽越・奥羽・北陸、1週明けてまた奥羽…と週末毎にブルトレ狩りの大遠征。お陰で愛車の距離 メーターはずいぶん回った。身体もこき使い過ぎてガタがきた。

10・05・22 小砂川−上浜 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP100
数日前に柄にもなく風邪で休みを頂いてしまったものの、若さの特権(?)ですぐに元気復活。週末には晴れ予報に誘われるように羽越を目指した。狙いは、数年来の課題である 西目俯瞰の「あけぼの」。日照が夏至前後1ヵ月ずつと短いうえ、水平線バッチリの条件で極めようと思うと天気の予測が難しく、未だ修得せざる難関科目となっているのだっ た。今日こそは!その思いだけで睡魔と闘い、深夜の東北道〜山形道を疾走する。 4時半、西目着。しかし無残にも大量の霧雲が発生し、とても勝てそうな状況ではなかった。 いきなりの戦意喪失…。とりあえず日くらいは射しそうと見て、アップ撮りに切り替え、いつものコサ−カミに来た。普通の写真は撮影済み。さぁ、どう撮ろう?悔し紛れに500o を持ち出して、パッツンパッツンの構図で攻めてみた。



毎年5月も下旬になると青森方面の予報にそわそわするようになる。そう、東日本最難関朝練、中小国の「はまなす」が気になるのである。北東北に高気圧が直撃し文句なしの 晴れ予報が出たら、金曜は気合いで仕事を早く仕上げ、夕方にはジムニー号で出発となる。遠く青森まで700q、東北道全線走破の長旅が幕を開ける。

この日も「天気予報は」晴れだった。しかし、現地は未明から一面の深い霧。 通過30分前になっても 50m先の視界も利かない状況なので即座に撤収を決意した。今からとんぼ返 りすれば、大館以南で「日本海」「あけぼの」が狙えるはず!霧の抜けた青森IC付近はド快晴。こうなったらせめてブルトレはおいしく頂戴しないとヤラれ損である。とりあ えず糠沢のS字を第一目標に碇ヶ関まで高速を飛ばし、後は7号線を南下する。が…矢立峠を越えた辺りからまたも深い霧。白沢−陣場のお立ち台を過ぎても、大館市街を抜け ても、進めど進めど霧の中。結局、糠沢の手前でSカーブは諦めた。晴れていたのは青森ICから矢立峠の手前まで。ならばここか!

10・06・06 碇ヶ関−長峰 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
10・06・06 碇ヶ関−長峰 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
「五月の空の青と 萌える緑の間に 薄紅色の小さな 林檎の花が咲いている」…昨年、JR東日本のCMで流れた槇原敬之の「林檎の花」。耳にする度思い浮かぶのは、新青 森まで開業した新幹線よりもなぜかこのアングルを行くブルートレインだった。すでに花の盛りは2週間ほど前に過ぎてはいたが、瑞々しい新緑に彩られたリンゴの果樹園は、 弘前近辺の岩木山バックと並んで、青森行き寝台特急のフィナーレを飾るにふさわしい風景だと思う。

67は165oのタテ位置で、35判は80o相当のヨコ位置で構える。間もなく、山一つ向こうの濃霧が嘘のような快晴の下、ローピン先頭の「日本海」がやって来た。

10・06・06 碇ヶ関−長峰 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
1時間半ほどの続行で「あけぼの」がやって来る。今度は67をヨコ位置にしてセット。峠の向こうの霧も消え、遠い山の稜線もスッキリと抜けてきた。やがて真紅のカマがカ ーブを切ってファインダーに登場。 一瞬のシャッターチャンスをモノにすると、後には軽やかなジョイント音と新緑に薫る風だけが残った。今シーズン、叶うならば、ここで満 開の林檎の花を入れて「あけぼの」を極めてみたい。



6月下旬、梅雨の晴れ間を縫って再び偏差値80の「はまなす」大学の門を叩く。今日は霧も出ていない。過去数回のチャレンジの中で最も安定した条件である。よし、いける! …が、鋭い朝日が照りつけたのも僅か数分。山の稜線からちょっと上がった高度に帯状の雲が停滞し、列車通過の5分前からお天道様は雲隠れ。結局本番直後の貨物だけがXと いうガッカリな結果で、またも海峡線ツアーは敗れ去ったのであった(泣)。

10・06・26 碇ヶ関−長峰 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1)
こうなったら、何としても残りの星2つを拾って2勝1敗の勝ち越しに持っていかねば!早速東北道を戻って「日本海」を迎えに行く。といっても、時間的に間に合う大館以北 のアングルはもう大概単位修得済み。頭をひねった挙句、またもこのポイントに来てしまった。前回は斜めから中望遠で狙ったが、今日は長めのタマで正面気味に見下ろしてみ ることにした。

ペンタ300を装着して、細いケーブルの間からカマの顔を抜く。もうここしかない!という立ち位置に三脚を据え、列車を待った。瑞々しい緑一色のファインダーにローズピン クのカマが登場。上から見ると、3両目の客車の屋根のピンクのまだらが妙に目立つ。よく見ると、前回と全く同じ編成のようだった。

10・06・26 白沢駅 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
「あけぼの」は正面の光線状態が厳しくなるため、確実に日が当たる白沢駅へ。2年前の「日本海」と同じ要領でアングルを決める。ホーム先端に三脚を立て、画面右端をポール で、上端をビームでカット。後は動態予測でカマが正面を向いたところを連写すればXは確実である。列車通過を知らせる自動放送が流れると、間もなく機関車の唸りが聞こえて きた。

狙い通りの1枚を仕留めたら、早々に長駆千葉までの帰路に就く。片道700q、途中休憩をはさみながら1M運転で約10時間のロングドライブ。今週も気だるい月曜日を迎えるこ とになりそうだ…。



ブルトレ撮影のオンシーズンは夏場、日の長い時期と相場が決まっている。しかも北東北くんだりまで出掛けるのは長期休み中か「はまなす」との掛け持ちの時ばかり。従って 今回の「日本海」・「あけぼの」の写真はほとんど緑一色の景色のみになってしまった。他の季節の写真も欲しいなぁ…そう思う度に脳裏に浮かぶのが、金色田んぼの中を行く ブルートレインの姿であった。今年こそ行ってみよか!10月初旬、コサカミ氏と合流の約束をして、金曜夜の東北道を北に向かった。

10・10・02 二ツ井−富根 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1)
天気予報は晴れの一点張り。「日本海」のカマも目撃情報から推定するとローピン確定。例年通りなら稲穂もちょうど黄金色に染まる頃。行くなら今、今しかない!気合いで睡 魔を撃退しながら、ひたすらアクセルを踏み続ける。 途中国見SAで15分、錦秋湖SAで20分ほど仮眠をとっただけで、未明に秋田道の二ツ井白神を出た。

しかし、苦労は報われぬもの。定番二ツ井のオーバークロスは深い朝霧の中だった。コサカミ氏と合流していきなり溜め息…。仕方なく晴れ間も覗いていた鶴形−富根のストレ ートに転戦。が、ここも「日本海」通過15分前から霧雲に覆われて撃沈。何のために走って来たんだか、誠にガックリである。でも、諦めてはいけない。朝霧は晴れの前兆とい うではないか!自分にそう言い聞かせて二ツ井に戻ることにした。

戻ってみると、何てことはない、霧は見事に消え去って抜けるような青空と見渡す限りの金色田んぼが広がっていた。普通は85o前後の中望遠で撮るところだが、今日は是非ワ イドで極めたい!ペンタ90で構えてみると、ピッタリ思い描いた構図が出来上がる。8時をちょっと回った頃、奥羽の主役「あけぼの」がやって来た。



「日本海」がなくなった後、羽越・奥羽方面のターゲットは「あけぼの」1本に絞られることになった。強いて言うなら続行のパイチ貨物、日程が合えばTDL臨の583系が加わ るが、それでも往時の賑わいが消えて寂しくなった感は否めない。撮影効率も悪化して出撃に二の足を踏むことも多くなる…かと思いきや、2012年の6〜7月は意外に秋田が良 く晴れた。太平洋側の宮城・岩手がダメでも、秋田は沿岸・内陸ともお日様マークということも一度や二度ではない。ここしか晴れないなら行くしかないか。疲れた身体を引き ずるように、金曜深夜のロングドライブに出掛けたものである。

12・06・15 桂根−新屋 PENTAX67TTL smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1)
この日も、東北道を北上している間は星一つ見えない曇天の夜空だった。さすがに心が折れそうになって未明の北上金ヶ崎のPAでしばし休息。4時発表のピンポイント予報を確 認するが、相変わらず秋田は強気に晴れ一点張りだった。そこまで言うなら賭けるてみるか!気合を入れ直して北上JCTから秋田道に入る。と、ゆだ錦秋湖に抜ける長いトンネ ルを抜けたところでビックリ。憑き物が落ちたかのようにスッキリとした青空が広がっていた。

現地には6時ちょっと前に到着。平日ということもあり一番乗りだった。三脚2本に67を2台体制でセット。300oヨコと400oタテで万全の態勢を整える。6時半過ぎ、緑濃い 谷間に刻まれたS字カーブに、真紅の機関車を先頭にした寝台列車が姿を現した。



例年、休日出勤を余儀なくされる海の日連休だが、どうしたことかこの年は順当にお休みが頂けた。いつもならまだ梅雨前線が居座り続けてるはずの北東北も、なぜか見事な晴れ 予報。だとすれば、行き先は必然的に秋田エリアのパイチ「あけぼの」である。緑のカーペットのような田園が広がる八郎潟界隈の情景を脳裏に描いて愛車のハンドルを握った。

12・07・22 鹿渡−鯉川 PENTAX67TTL smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1)
進行方向が北に振っているため、夏至の前後1カ月くらいしか正面に日が当たらない森岳のオーバークロス。線形が好みで一度撮ってみたかったのと、ICのすぐ脇なので追っ掛 けもいけるのでは?と欲を出して機材を並べる。200o相当の画角でペンタとデジ、それに500oの圧縮構図でF5をセットした。7時20分、長い直線の奥から2灯のライトが近づ いてきた。まずは遠方でF5のモードラを回し、近づいてきた列車を手前のスパンまで引っ張って2丁切り。極まった!だが、夏至からはや一月、マークへの日の当たりはやや薄 かった。

この後は即撤収で高速に乗る。が、計3丁切り体制の解体には時間が掛かった。かつ、能代東で降りるところを、読みを間違えて二ツ井白神まで走ってしまったのが致命傷。目標 の鶴形−富根のアウトカーブ一歩手前で「あけぼの」を見る鉄するはめになってしまった…。



緑美しい鶴形−富根で大きな獲物を逃して約2ヵ月、敬老の日連休に津軽鉄道で客レが走ると聞いてリベンジを企てた。今なら手前の田んぼは収穫前の黄金色に染まっているはず である。LIBERTY氏と組んで金曜晩に出発。夜通し走ること10時間弱でお目当てのポイントに辿り着いた。

12・09・15 鶴形−富根 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
関西からほぼ同時刻に到着した関西-D.W先輩&コサカミ氏のチームと、挨拶もそこそこに三脚を並べる。至って普通のアングルではあるが、ポール間隔の広い緩やかなカーブに バックの防風林が美しい。季節感を現す要となる手前の田んぼは、予想通りいい色に染まっていた。よしよし! ペンタ165で広めに構えて列車を待つ。定時、軽やかにジョイント音 を刻みながら現れた真紅の機関車と青い客車の組み合わせは、鮮やかな原色の背景によく映えた。

12・09・16 川部−北常盤 PENTAX67TTL smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1)
翌朝は、朝から岩木山のシルエットがきれいに抜けていた。山と季節外れの向日葵を一輪絡めてパイチ貨物や701系をしばし撮影してから、「あけぼの」狙いで川部−北常盤定番ア ングルへ。手前に広がる見事なまでの金色田んぼに、思い切ってペンタ90のワイド構図で狙うことにした。待つこと1時間余り、長閑な穀倉地帯を渡る涼風に乗って、模型のような ブルートレインのジョイント音が聞こえて来た。



2014年3月改正で定期「あけぼの」が落ちると、いよいよ東北のターゲットは最難関の津軽海峡線に絞られてきた。メインの撮影地が集まる蟹田界隈で早朝の夜行列車群に日が当た るのは、夏至を挟んで前後一月半ずつ。とはいえ梅雨が近づくとチャンスは半減する。実質的に勝負できるのは、5月後半〜6月初旬の正味1ヵ月弱しかなかった。しかも、ハード ルを上げているのは撮影期間の短さだけではない。陸奥湾にほど近いこの地は、夏場海から湧き上がる霧に包まれて、数十メートル先の視界も利かなくなることもしばしばだった。

以前なら濃い朝霧に撤退を余儀なくされても、奥羽に転戦して矢立峠以北でそれなりに成果を上げることが可能だった。しかし、「あけぼの」なき後は一回一回が負けられない戦い。 天気予報を見る目も自ずと厳しくなった。とはいえ、ここで尻込みしているわけにはいかない。自身の記憶を振り返っても、中小国(信)の「はまなす」は2007年以来目下7浪中。そ ろそろ合格証の1枚も頂きたいところであった。

我が鉄ちゃん暦から勝手に晴れの特異日と認定している6月1日、夕方から仕事で出張が入ったが、日中一杯空いているなら思い切って朝練にアタックしよう。公共交通機関を使え ば東京−新青森は3時間半。ミッション終了は6時前だから、仕事までに余裕で帰還可能である。三脚2本に500o砲を抱え、土曜の午後の「はやぶさ」に乗り込んだ。

14・05・31 青森駅 NikonD800 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO200
新青森でレンタを借り出し、まずは青森駅で下り「はまなす」を冷やかしに行く。東口の錆びれた改札をくぐり、長い跨線橋を歩くと、14系独特の発電エンジンの音が聞こえてきた。 ホームに人が少ないだけに、盛大な唸りが侘しく響く。カマはホーム端一杯で撮れないし、最後尾も反対ホームからは撮影できない構造になっていた。仕方ない、スナップで行くか。 とはいえ、マニアばかりが集っているのも絵的に困るが、人気がなさ過ぎるのも考えモノ。カンテラを振る車掌氏をアクセントに、スローシャッターで発車間際のシーンを切り取っ てみた。

14・06・01 蟹田−中小国(信) NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP100
翌朝、日の出前から起き出して、蟹田近くの第一外黒山踏切をロケハン。500o顔面撃ちでベストな立ち位置を探り当ててプロ4を置く。そのまま踵を返して瀬辺地方の海沿いアング ルで「北斗星」を狙うことにした。数名の先客と場所を融通してポジション確定。水平線から太陽が顔を出した。4時半過ぎ、低い光線に照らされた舞台にED79が現れる。が、その 姿は、潮風にやられ塗装も褪せたローズピンクの御老体。今日の牽引機は、海峡線最悪の外れガマ9号機であった。残念!

それでも、この難易度の高い区間で晴れただけでもよしとして、撮り終わってすぐにUターン。予め置いておいたプロ4にゴーヨンを付けたF5を載せる。隣にハスキーを立ててサン ニッパ×1.7テレコンを装着したD800も並べた。さぁ、7年越しの課題解消なるか!?しかし、やはり一筋縄ではいかない海峡線、直前になって太陽の高さに帯状の雲が広がってきた。 徐々に光線がデフューズする中、踏切が鳴る。祈るようにレリーズを握り、真紅のナックをファインダーに捉えた。光線来い、光線来い!念を送った甲斐があったのか、再び強まって きた朝日が「はまなす」のマークを鋭く照らし出した。



2015年、海峡線ラストイヤーは、奇跡と言ってよいほど撮影条件に恵まれた。これまでの浪人生活が嘘のようによく晴れる。それに加え、トンネル工事の本格化に伴い、日によって は上り「はまなす」が40分ほど遅いスジで運転されるようになった。これはもう、積年の課題を消化せよという天の意思に違いない(笑)。他に撮るものがほとんどないこともあって、 津軽半島詣での頻度が急上昇することになった。

4月下旬の日曜日、仲間内の鉄ちゃんから遅れ「はまなす」迎撃の第一報が入った。時刻変更のお陰で例年より1ヵ月以上も早く蟹田がシーズン・イン。ということは朝霧にやられ る前の撮影チャンスが大幅に拡大したということである。水曜・日曜休みだったこの年、次の水曜の晴れ予報を確認し、私も早速青森ツアーを企てた。

15・04・22 青森駅 NikonD800 smcPENTAX90oF2.8 ISO200
普段あり得ない定時退勤で職場を飛び出し、必要機材だけピックアップして東京駅から新幹線に飛び乗る。閉店間際の新青森レンタで無事宿&足となるヴィッツを借り出し、青森駅 へ向かった。前回は苦し紛れのスナップだけだったが、果たして今日は…。長い跨線橋を渡ってホームに降りてみると、階段のすぐ下に紅いナックが停まっていた。まだ規制が厳し くなかったこともあり、定番構図のバルブを押さえることができた。

15・04・22 青森駅 NikonD800 smcPENTAX90oF2.8 ISO200
「はまなす」発車を見送って、のんびり北上する。夜のフェリーターミナルで函館行きの東日本フェリーを眺めつつ夜空を見上げると、強い西風に星が瞬いていた。明日はまず間違 いなく晴れるだろう。が、ここで選択肢が二つ。解禁直後の蟹田に向かうか、今後正面へのライティングが薄くなってくる油川を先に仕留めるか…。思案に暮れながらハンドルを握 った。

15・04・22 油川−津軽宮田 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1)
悩んだ末に出した答えは油川だった。晴れてはいるもののやや靄っぽい空模様は、日の出直後の勝負にはリスクが大きい。それに蟹田はこれからが旬。6月初頭までスクランブル体 制を敷いていれば、再出動の機会もあるだろう。というわけで、未明から立ち位置を決めて三脚を立てる。ペンタ400ピタリの画角で、67とデジの2台を据えた。

間もなく朝日が昇る。黄砂のせいかPM2.5のせいか、空気はクリアーではないが、日差しを遮る雲はない。鈍い光線が線路を照らし始めて10分あまり、背後で踏切が鳴ると、遠くか ら2灯のライトが近づいてきた。ISO200設定でレンズも開放2.8のデジはよいとして、バケペンは 1/1000sec f4の限界値。これで露出アンダーなら仕方ない。腹を括ってシャッ ターを切った。



本当は5月が掻き入れ時の海峡線。だが、5月中は天気と仕事の都合で、一度渡島当別に渡った以外は磐西の485系「あいづ」に掛かりきりになってしまった。ようやく重い腰を上げ ることになったのは6月第一週。6月とはいえ、この辺りまでは梅雨入り前のカラッとした晴れが望めるはずである。予報と風向きを確認して、出撃準備を整えた。

出張が長引いたために新青森レンタ最終の新幹線には間に合わなかったが、ありがたいことに仲間の鉄ちゃん氏から合流のお誘いを頂いたので、東京20時20分発の「やまびこ59号」で 盛岡へ。ここでOK9氏のプリウス号に拾っていただき、海峡線に乗り込んだ。

15・06・07 中小国(信)−蟹田 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1)
蟹田−瀬辺地に行くOK9氏と別れ、同行のSケン氏と立ち位置調整。未明から陣取っている高校生と思しき集団は、前夜入りの現地マルヨだったという。以前油川でも青森のファミ レスで時間を潰してから延々徒歩で乗り込む学生鉄を見たことがあった。記憶をたどれば我が学生時代もずいぶん果敢なマルヨをしたものだが、さすがにいいオトナになった現在、 ものさびしさ漂う本州最北端で丸腰で一夜を明かす勇気はもうない。ワカモノの間を縫うように、ペンタ400で抜ける場所を確保した。

初めてここを訪れてから7年、毎度毎度霧や薄雲にやられ白ナックの貨物の写真ばかりがストックされてきたが、今日という今日は抜けるような青空に全開露出で合格証が頂けそう だった。レリーズを握る手にも思わず力が入る。が、下り「北斗星」を見送った頃から怪しいスジ上の雲が太陽周りをうろつき始めた。ドキドキしながら接近を待つ。やがて誰かの 持つ無線機から「上り、接近」の声。ギリギリ雲はかからなそうだ。鋭い光を浴びたローズピンクの9号機がクッキリと焦点を結んだ瞬間、万感の思いで指先に力を込めた。



この年は、東北北部だけ梅雨の合間に良く晴れた。3週連続休日出勤と多忙だった6月を乗り切り、この週末は一段落。期末試験期間に入り、世間一般と同じく土日休みが頂けたの で「カシオペア・クルーズ」もあって賑わいを見せる海峡線に出掛けることにした。予報は曇り時々晴れと微妙なことを言っているが、近ごろ流行りのGPVでは、日曜朝はスッキ リバリ晴れを示す漆黒の地図。溜まったストレスを解消するため、ダメ元で新幹線に乗り込んだ。

15・07・04 青森駅 NikonD800 AFNikkor50oF1.4 ISO200
お約束の新青森レンタで青森駅に直行。いつものように「はまなす」ツアーは201レのバルブから幕を開ける。しかし、今日は増結編成のためカマがホーム端一杯の位置。編成写真は 前回撮ったので、今日は寝台車との連結面をこんな感じで切り取ってみた。

コンデジで動画を回しながら発車を見送り、自らも北を目指す。今回の行き先は迷うことなく蟹田である。明朝のターゲットは「北斗星」「はまなす」「カシクル」の3発。どれを どこでどう仕留めるか…シュミレーションしながら空を見上げると、いつしか闇夜には無数の星が輝いていた。風は朝まで西の風とのこと。このシュミレーションは、まんざら獲ら ぬ狸の皮算用ではなさそうだ!

15・07・05 蟹田−瀬辺地 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
3時40分、目を覚ますと予想通り、東の空は見事な色に焼けていた。早くも大混雑の海沿いストレートに乗り込んでポジションを確保。どこぞのお手軽撮影地ガイド本で紹介された 道路沿いの横がちアングルに雛壇ができているのを横目に、ここはやっぱり顔面撃ちだろうと線路脇にローアングルでハスキーを据える。間もなく陽が上った。神々しいまでの御来 光に周囲が金色ともオレンジともつかない絶妙な色に染め上げられてゆく。数分後の列車通過時にさらに光線が強くなることを期待して強気の露出でセット完了。間もなく、真横に 影をつくるレベルライトを浴びて、真紅のナックが静々とファインダーに姿を現した。

15・07・05 蟹田−中小国(信) NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
D800の背面モニターで再現答案を確認し、即移動。中小国まで転戦する人々を冷ややかに見送りつつ、蟹田の先の築堤を目指す。狙いは最近身内で流行している尻巻きストレート。 中小国から左カーブして蟹田駅へ向かうストレートに入ったところを望遠で切り取る。コサカミ氏は前週400oで極めたという。だが、増結ありか所定7連か不明なままでは怖くて 攻めのカツ構図はとれない。若干の余裕をもって300oタテ構図でF5とデジの2台をセットした。

間もなく、北海道側で撮影している知り合いから所定7連との報告が入る。ややスカるか?とはいえ通過まであと数分、今さらのアングル修正はリスクが大きい。ここは余裕のオト ナ構図ということで腹を括った。遠方で短い鉄橋を渡る音がする。程して踏切が鳴ると、紅い機関車が視界に飛び込んで来た。

15・07・05 蟹田−瀬辺地 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
息つく間もなく次は「カシオペア・クルーズ」。中小国の田んぼアングルか「北斗星」を撮った海沿いの顔面撃ちか悩んだ末、「カシ」看板のED79を押さえられていない身とし ては、とりあえず後者で。 贅沢を言えば所定4時37分の激シブ光線がベストだが、天気と休みと運転日がトリプルシンクロして再訪できる可能性は限りなく低い。やや面への陽の 回りが薄いとはいえ、確実に欲しい絵を押さえておきたいのが本音だった。

その他大勢の大集団よりも移動距離が短かったのが幸いして、再度好みの立ち位置を押さえられた。 サンニッパとサンヨン、2本の300oで銀塩・デジの2台をセッティング。画 面左端でコンクリ法面をカットし右は成り行き次第、あとは動態予測で準備完了である。が、ここでレリーズが2本ともないことに気が付いた。「はまなす」2丁切りで使ったこ とを考えると、恐らく先ほどの撮影地に置き忘れてきてしまったのだろう。仕方ない、ここは苦しいながらも手押しで2台を回すしかない。

刻々と強くなる日差しに、露出は強気のバリ晴れ値。まだ6時を回ったばかりだが、7月の太陽はすでにかなり高い位置にある。日の出直後の「北斗星」から1時間半、海沿いの ストレートに威風堂々の「カシオペア」が登場した。

15・07・05 中小国(信)−蟹田 NikonD800 AFNikkor50oF1.4 ISO200
そそくさと現場を後にして、レリーズ回収のため先ほどの現場に車を走らせる。途中、蟹田駅の先の第一外黒山踏切が鳴っているのが見えた。「カシオペア」と並走か?期待する と、やって来たのはEH牽引の上り貨物列車。ということは「カシ」はコイツと交換で発車するはず。頑張ればもう一発撮れるのではないか!?こうなれば、レリーズの件は後回 し。天秤に掛けていた中小国の田んぼアングルに行き先を定める。直前に渡る踏切も、まだ列車接近の気配はない。間に合った!

予想通り、立ち位置はもの凄い人出だった。車列の隙間にレンタを滑り込ませ、機材をつかんで農道へ。立ち位置は広い。線路寄りの中望遠アングルが人気のようだが、どうせ面 潰れの光線である。空も青いし田んぼも青い。ならば、横がち標準ポイントで1秒でも早く三脚を広げよう。脚を伸ばすのももどかしく、ローアングルでダッコちゃんにとりあえ ずデジをセット。視野率100%ファインダーにAF、デジタル水準器があればものの数秒で準備は完了。次にペンタ90を出し、ピントを合わせていたら踏切が鳴った。う〜ん、タイ ムアップか!デジ1丁に集中し、津軽平野にジョイントを響かせる豪華列車にシャッターを切った。

6時30分、ミッション終了。夜行列車3連発の豪華饗宴は幕を閉じた。今すぐ引き返してもレンタの営業所はまだ開いてないだろう。レリーズを拾ったら、瀬辺地の海アングルで 貨物でも撮って引き上げよう。真夏の早朝の夢に酔いしれて、ハンドルも軽く来た道を引き返したのであった。



あれから半年余り、その後は天気と休みのタイミングが合わず、ED79の雄姿は海峡線の北海道側で一度拝んだきりとなった。かつて、「ひかりは西へ」の合言葉の下、山陽新幹 線が延伸するたびに、源氏に追いつめられる平氏の如く伝統ある列車が消えていったという。当然そんな話は本で読んだり人に聞いたりして得た程度の知識に過ぎなかったが、今 振り返るとこの10数年は、同じことが東日本で起きているのをリアルタイムで見ていたのかも知れない。「はくつる」「日本海」「あけぼの」そして対北海道連絡の「北斗星」 「カシオペア」「はまなす」…列車の数自体はそう多くはないけれど、広い東北の各地にその姿を追った夜行列車は徐々に姿を消していった。そして2016年3月22日、最後の下り 「はまなす」の札幌到着をもって、ついに寝台列車の歴史は終焉を迎える。

これは、単に日を跨いで走る客車列車がなくなったことを意味するものではない。確かに、今後も駅のホームで、跨線橋で、鉄道に目を輝かす子どもたちは絶えないだろう。彼ら は時速300q超で走り抜ける新幹線、流麗なフォルムをまとった新型特急、クールなステンレス鋼板に身を固めた新型電車を目の当たりにして鉄道の魅力を感じていくのだろう。だ が、我々が魅せられた「鉄道」はもっと違う何かを感じさせていたはずだ。スピードやスマートさだけが魅力なら、きっと我々は大人になるまでにその世界から離れ、休みの度に 機材片手に列島行脚を繰り返すような酔狂な真似はしていなかったはずである。

“夜汽車”は決して速くはなかった。先頭に立つ機関車は決してスマートではなかった。しかしそこには、遠く離れた土地へ誘う旅の香りが漂い、各地の風景にマッチする存在感 があった。到着時刻とスタイルの奇抜さだけを競う昨今の基準とは全く異なる魅力を、夜行列車たちは伝え続けてくれた。「昔、ブルートレインっていうのがあってね…」そう語 るとき、それを知る世代と知らない世代との間で頭の中に浮かべる「鉄道」のイメージは、きっと全く違ったものになるだろう。



GALLERY 08トップへ 前ページへ 次ページへ