鉄路百景 GALLERY08.ブルートレイン★Collection 04

GALLERY08 ブルートレイン★Collection

3.ブルートレイン★Collection〜東日本編〜

「ブルートレイン」。コロタン文庫をはじめとする鉄道少年の入門書でその名を目にする度、心は新雪降りしきる東北やフェニックスが葉を伸ばす九州に踊った。先頭に 立つのは、当時ブルトレ牽引に抜擢されたばかりのEF66や脂の乗った65PF、それに真紅の交流機たち。 客車は銀帯の24系がエースの座を張り、裏街道では渋さを纏う ようになった元祖ブルトレ20系がまだまだ頑張っていた。とはいえ、小学生の子どもに列車見たさだけで日本全国を旅させるような家はそうはない。いきおい高ぶる気持 ちは少年を日曜毎の東京・上野駅詣でに駆り立てることになった。

開通したばかりの京葉線で新浦安から始発に乗ると、5時半には東京駅に着く。山手線で上野に移動して待つこと十数分、先陣を切って秋田からの「出羽」がロクヨン1000 番台を先頭にゆっくりと地平ホームに滑り込む。続いて金沢からの「北陸」、東北本線経由だった「あけぼの」、EF62が牽く「能登」が相次いでトォサン・トォヨン番に 到着。地上に上がれば583系の「はくつる」が入線しており、それを眺めてから東京駅へ。9・10番線では急行「銀河」が回送を待つ傍らに、「出雲4号」が入ってくる。 その後は十数分おきに「瀬戸」「あさかぜ2号」…と風格漂う長距離列車が次々に到着。休みの日の朝はこうして始まるのだった。



東海道筋の寝台特急は、首都圏のラッシュ時間帯を挟んで早い組と遅い組に分かれていた。早い組が「銀河」や「出雲」など比較的距離の短い列車で、主にPFが先頭に立っ ていたのに対し、遅い組は対九州輸送の花形列車で、1985年以降は国鉄一のマンモス機EF66が牽引に当たっていた。幼少の頃は図鑑を見る度に、最長距離列車として「は やぶさ」「富士」の名が踊り、デビューしたてのロビーカーが注目を浴びていた。Nゲージの入門セットといえば、EF66に24系客車が数両付いてくるのがお約束だった。 こうして我々世代の脳内には、「ロクロクのブルトレ=国鉄(JR)のエース」という認識が刷り込まれてきたようだ。

03・12・23 函南駅 MamiyaM645SUPER smcPENTAX300oF4ED RVP100
関東近辺で「富士」を狙おうにも、厄介なのがタイガーロープの存在。JR東海エリアは嫌がらせのようにロープを張りまくり、もはやまともに撮れる場所は皆無に近かっ た。そんな中、雑誌に載ったひょんな写真から目を付けたのが函南の駅先端。信号柱が気になるといえば気になるが、それでもお手軽にきれいな編成写真を撮れる魅力は大 きい。冬期講習前の束の間の休息となったこの日、朝一の普電でこのポイントを目指した。

天気予報は冬型安定で関東・東海は晴れ模様。車窓から眺める相模灘の日の出は感動的だった。が、あまりに強い冬型は難所関ヶ原に積雪をもたらす。さぁ今日はどう出る か?定時、列車通過の放送が流れるとトンネルから青い機関車が現れる。足回りには微かな着雪。よしよし思い通り、とシャッターを切ろうとして気が付いた。マークに雪 着き過ぎ!過ぎたるは及ばざるが如しとはまさにこのことである。結局この後単独「富士」はリベンジする機会に恵まれないまま「はやぶさ」と併結し、円形マークの「富 士ぶさ」になってしまったのだった。

05・02・01 三島−沼津 NikonF4s AFNikkor300oF4ED RVP100
2005年の「さくら」廃止までの数年間、東京−鳥栖間は「はやぶさ」と「さくら」が手をつなぐ、いわゆる「さくぶさ」として運転されていた。古くは「明星/あかつき」 や「あかつき/彗星」に同様の事例が見られたが、やはりマークというのはオリジナルが一番カッコイイものである。この「さくぶさ」マークもどうにもパステル調の色遣 いが遠目に映えず好きになれなかった。

といっても、伝統ある特急「さくら」が消えるとあらば、撮らないわけにはいかないだろう。改正を翌月に控えた2月初旬、ふらりと三島−沼津の黄瀬川橋梁を訪れた。定 番は真横からの富士山バックだが、それでは以前撮った「富士」と何も変わらない。今日は線路際からのカブリつきで行こう。鉄橋上だけ東海エリア名物のタイガーロープ がないというのがミソである。10時過ぎ、サイド光に半面を鈍く光らせてピカピカのEF66が上ってきた。



早い組のブルトレは、小田原以西のいいロケーションで撮ろうと思うと時間的に車でないと厳しい。愛車など夢のまた夢だった新入社員時代は、神奈川に住んでいながら“足” がなかったためにチャンスをモノにしきれなかった。行っても時おり実家の車を借りて出掛けるのが精一杯。しかも、当時はまだまだ他に撮りたい被写体がたくさんあった。 せっかくの休日を早朝数時間の撮影のみで終わらせるのはもったいないという貧乏根性が働き、朝練に熱心に通わなかったのが悔やまれる。



3枚とも:03・08・04 早川−根府川 MamiyaM645SUPER smcPENTAX300oF4ED RVP100
天候に恵まれなかった2003年の夏、唯一休みと晴れが重なったこの日は、実家の車で早朝の石橋鉄橋に出掛けた。定番アングルは最低でも35判換算200oは必要なアウトカー ブのカブリつき。今ならサンニッパでブチ抜くところだが、中判至上主義だった当時はブローニーにこだわった。とはいえまだ伝家の宝刀ペンタ400は持っていなかったため、 苦肉の策でマミヤ645にアダプターを噛ましてペンタ300を装着。換算186o、これならイケるぜ!

最初に上って来るのは急行「銀河」。夏至からもう1ヵ月半、5時25分の通過は決して余裕とは言いがたい。ただ、東の方角は水平線、太陽が顔さえ出せばすぐに勝負できるの が救いである。日の出時刻4時51分、徐々に線路が金色に染まり始める。初めは渋く、やがて鋭く。よし、これならベル100で500の4.5は出せるはず。絞りをセットし待つことし ばし、トンネルからすっぴんのPFが飛び出してきた。

続いては「出雲」。個人的には青基調の直流機には赤いマークがよく似合う。昔の「あけぼの」然り、そしてこの「出雲」もまた然り。少しずつ強くなってきた光線に、半段絞っ て500の5.6でシャッターを切る。X!

そして最後が伝統の九州特急「あさかぜ」。デビューしたての20系を連ねて大動脈を颯爽と駆けた元祖“走るホテル”は、アコモデーションこそ博多編成が消えてからやや見劣り するようになったとはいえ、24系の長大編成で今なお健在。さらに半段絞った全開露出で、ロクロクの勇姿を切り取った。

04・06・04 早川−根府川 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
米神・根ノ上・石橋…と早朝の上りブルトレの撮影名所が続く根府川−早川間で、最もお気に入りだったのがこの早川進入のSカーブ。タイガーロープが張られている区間だけに 基本は長玉のアウトカーブ顔面撮りアングルばかりの中、ここだけは線間がきれいに抜けて中望遠のヨコ位置で編成が収められる。しかもバックは緑一色で人工物ゼロ。RM誌で 目にして以来密かに「出雲」の本命アングルとして狙い続けていた。

ただ、小田原以西を6時前に通過する列車を迎え撃つには一計を案じる必要があった。千葉の実家はもとより、社会人になって最初に住んだ横浜の寮からでも始発に乗って行っ たのでは間に合わない。マイカーを持たなかった頃は前日終電入り現地マルヨしか手段はなかった。2003年5月、磯の香りのする早川の集落の外れで三角座りで夜を明かし、意気 揚々と現地へ。しかし、予報外れの曇り空で敗北を喫した。同年7月、天理臨の583系と併せてやっつけようと実家の車で出撃。しかし梅雨の合間に特有のモヤッとした空気に露 出は上がらず、またも敗戦…。勝利の兆しは一向に見えてこなかった。

3度目の挑戦は2004年6月。念願の愛車を手に入れて出撃した。梅雨入り前の五月晴れを予感させる満天の星空のもとでカーマルヨ。未明にはベストと思われるポジションに三脚 を立てた。予想は見事に的中、相模湾から朝日が昇ると景色が黄金色に染まり出す。ペンタ300で構図はピタリ。間もなく、モーターを高鳴らせて、真紅のマークも眩い「出雲」が ファインダーに飛び込んできた。



2006年3月改正で「出雲」が廃止されることになった。前年の「あさかぜ」「さくら」に続き、またも名門ブルトレが姿を消す。さぁ最後の追い込みに…と意気は上がるのだが、 如何せん東京着7時前という通勤ラッシュに先行する早いスジ、冬場にまともに撮れる撮影地などほとんど無いに等しかった。そこで目を付けたのが石橋鉄橋のシルエット。改正 間近になれば日の出時刻と列車通過が重なり、金色に輝く相模湾に機影を抜くことができるのではないか!?

晴れ予報の出た3月16日、未明のミカン山に三脚を立てた。徐々に空が明るくなり、横一文字の水平線が視界に現れてくる。データを突き合わせると、今日段階ではまだ日の出よ り列車の方が早いはずだが、今日は山陰地方の雪のため若干の遅延が生じているようである。狙いは見事的中!定時を過ぎ、水平線から太陽が顔を出した。オレンジの光芒が海面 に走る。よし! F4のモードラ全開で連写しXを確信…したはずだった。しかし、何かシャッター音がおかしい。違和感を感じてよーく見ると…何とフィルムを詰めていなかった という痛恨のミス。千載一遇のチャンスをみすみす逃し、あまりの口惜しさに昼まで粘って引退間近の 113系を2本撮って撤収したのであった。

06・03・18 早川−根府川 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP100
仕方ないので、2日後にリベンジマッチ。3月とはいえまだまだ冷え込みの厳しい日の出前、ミカン山の農道に機材をセットする。やがて東の空が赤みを帯びて、海と空の境界線 がはっきりしてきた。穏やかな相模湾は空の色を映して絶妙な紫に染まる。デジと違って事前に露出のチェックはできない。空の一番明るいところを図って1/250sec f2.8でいざ 勝負!日の出直前、低いモーター音を響かせてトンネルから「出雲」が飛び出してきた。



東京駅発着の東海道ブルトレと並んで鉄道少年の心をわくわくさせたのが、上野駅にやってくる北国からの寝台特急群。哀愁漂う東北や北陸からの列車に加え、青函トンネル開業 とともにデビューした「北斗星」はこれまで地平ホームになかった華やかさをもたらしてくれた。 バブル景気の追い風もあり、世の寝台列車が退潮していく中1日3往復が運行さ れ、多客期には臨時「エルム」も設定された。 さらに1999年には「北斗星」1本を置き換える形で「カシオペア」が登場。新幹線開業と引き換えに昼行特急が消えて久しい東北本 線は、いつしかJR東日本の誇る超豪華寝台特急街道となったのだった。

01・10・15 金谷川−松川 MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1)
「北斗星4号」は上野着が昼前という遅いスジだった。よほど日の短い時期でなければ6時50分発の仙台以南なら撮影可能時間帯に入ってくる。越河や金谷川といった宮城〜福島 県下の有名ポイントでは、赤いパーイチと金帯24系の連なる千両役者は格好のターゲットとなった。

この日は、前日石巻・気仙沼線で運転された豊かな海づくり大会に伴うお召列車の返却回送を撮りに来ていた。吾妻小富士もクッキリ抜ける好天に、迷わず金谷川のコンクリ橋へ 直行。林立する場所取り三脚の合間を縫うようにハスキーを立てた。線路がほぼ東西に走るこの区間では、夏場日が高いとサイドが翳る。かといってあまり日が低い時期を狙うと 今度は山影が抜けきらない。意外と季節を選ぶアングルだけに、10月半ばというこの時期はまさにベストであった。

02・05・26 蒲須坂−氏家 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO100oF2.8 RVP(+1)

2枚とも:02・05・26 蒲須坂−氏家 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
就職で関東に帰ってきてすぐの頃は、おめでたいもので東日本エリアのものがネタでなくても何でも新鮮に見えた。この日は新緑の田子倉でキハを撮ろうと実家の車で奥会津を 目指した。まだETC割も身近になっておらず、節約のため一晩下道を転がして行くつもりだった。が、慣れない仕事に疲れが溜まっていたのか、栃木県内で力尽きてダウン。 適当なところで仮眠をとっているうちに夜が明けた。せっかくなら名所蒲須坂でブルトレでも撮って行こう。那須連山が鈍く朝日に照らされる頃、定番の陸橋に三脚を立てた。

特にアテもなく美しい光線で115系でも撮れるかと待っていると、遠方に2灯のライト。目を凝らすと赤い機関車が客車を牽いてやって来る。団臨でもないし…としばし考えて 思い当った、「はくつる」だ!上野に早朝に着くというイメージしかなかったため、まさかここ蒲須坂で撮影できるとは予想外。35判ベルビア(+1)で1/500secの開放というギ リギリの値でシャッターを切る。24歳の誕生日は早朝から最高のプレゼントを頂戴することができた。

日が上がって露出が安定してくると67の出番である。165oで構えれば、一面水を張った水田の中を一直線に走る線路、背後の那須の山々がファインダーの中にきれいに納ま る。線路際の農道が舗装されてしまったのが玉に瑕だが、それは言うだけ野暮というもの。絶好のコンディションで寝台特急を仕留めようではないか。7時前後に「カシオペア」 「北斗星」が相次いで通過する。定番の構図でメインの2本を迎え撃った。

10・01・22 蒲須坂−片岡 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
2010年、運転開始以来本州内で先頭に立ってきたEF81が置き換えられることになった。正直パイチはありふれ過ぎていてあまり好きではなかったのだが、終わりが見えると尻 に火が付くのが鉄の性。この冬は幾度か栃木県北エリアに出撃した。だが、冬場の蒲須坂界隈は、乾燥した晴れの続く関東平野と時雨模様の南東北との境界線。晴れと踏んで出 掛けても寒気の雲にやられることもままあった。

この日は583系「ゲレンデ蔵王」の送り込み回送も兼ねて蒲須坂へ。荒川の鉄橋に向けて上る大築堤を165oで切り取る。寒風に震えながら桃太郎牽引の貨物を数本撮った後、定 刻よりやや遅れて真紅の機関車が遠方から近づいてきた。目を凝らすと、手すりその他が銀色に磨きだされたその姿…お召実績を持つ81号機だ!思わずシャッターを切る手に力 が入った。

10・01・17 浦和−赤羽 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED×1.7 RVP100
いよいよパイチ末期になり、仲間内で流行したのがここ、“浦和の陸橋”と呼ばれるポイントだった。700〜800o相当の超望遠でアップダウンに身をうねらせる列車を正面やや 上寄りから撃ち抜く。ピントは動体予測で何とでもなるが、完璧なフレーミングとブレ防止に腕と機材が試される場所である。

難しいポイントなら先達に教えを乞うのが一番!というわけで、何度も通い倒しているチバラギ氏に同行してみた。500oに×1.7テレコンで850o相当、三脚は当然プロ4。そ れでも心配で、レリーズの時は左手でレンズを上から押さえるようにして切る。初めに上ってきた「カシオペア」はX。しかし、「北斗星」は手前を通過する京浜東北線の振動 でカメラブレ。仕上がったポジをルーペで覗くと、シャープネスのない星ガマが像を結んでいたのであった。

恥ずかしながらJR型の機関車には全く興味がないもので、「カシ」「斗星」はカマが代わってからは全くと言っていいほど撮っていない。今日は銀ガマだ青ガマだと囁かれて も、写欲の欠片も湧かないのだから仕方ない。たとえ廃止の日が近づいても、やっぱり撮るなら北海道でDDの牽く姿だろう!と私は一人冷めた目で見ているに違いない。



青函トンネルの開業以来、東北本線系統のブルトレが対北海道輸送を担う垢抜けた雰囲気になったのに対し、高崎・上越線系統はその後も演歌が似合う一種の哀愁を上野駅地平ホ ームに漂わせていた。それは、観光地としての華やかさを備えている北海道に比べ、この列車たちが結ぶ日本海側の地域が“ふるさと”的イメージを我々に思い起こさせるからか も知れない。また、星ガマのEF81や新製EF510などの目新しい機関車が投入されるでもなく、最後までただの紅いEF81や原色EF64-1000が先頭に立っていたのも、そんな空 気を醸成する一因だったのだろう。でも、私はそんな昔ながらの夜汽車の雰囲気がたまらなく好きだった。

 
07・05・28 神保原−新町 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
北陸方面への列車の撮影はなかなかハードルが高かった。マークがわかるような順光写真を撮ろうとすると、朝方西へ向かう下り列車はダメ。上りの高崎線内は東へ向くも、通過 は5時台と撮れる季節が限られていた。いきおい夏至の前後の群馬・埼玉県境は、貴重なチャンスを狙う猛者たちで異様なパニックを引き起こす。私もご他聞に漏れず、5月に入 ると晴れ予報を確認しては神保原に足繁く通うのであった。

まず先陣を切るのは4時50分通過の「能登」。地平線付近にも雲一つないド快晴の今日は、4時半過ぎにはバラストにオレンジの光線が陰影を刻み始める。サンニッパで構図を整 え露出を微調整。ベルビア100で1/500sec f4?4.5? う〜ん、ここは強気で4.5でいこう!間もなく神流川のトラス橋を渡る音が響いてきた。画面に現れたボンネットには、 顔を出したばかりの朝日が小さく写り込んでいた。

10分のインターバルを置いて、次は「北陸」。当時はロクヨン1000番台が牽く唯一のブルトレということで地味ながら注目されていた。青い直流電気好きの私もコイツを一番虎視 眈々と狙っていたのだった。今日の条件なら勝利は確定。絞りを半段絞って、鋭い光線を浴びた濃紺とクリームの機関車を動体予測で連写した。

09・01・25 上野駅 Mamiya645PRO SEKOR210oF4 RVP100
夏場の“朝練”に対して、冬場はバルブ撮影で攻めるしかない。天候がすぐれない日は、気が向くと夜の上野駅にフラッと出没していた。22時を回った地平ホームは、中距離電車 が発着していた日中とはまるで異なる趣を見せる。我々のノスタルジアがそうさせるのか、「はくつる」「津軽」「八甲田」…今はなき夜汽車の数々が旅立っていた頃の郷愁が、 銀色の電車が行き交う中にもはっきりと蘇ってくるのである。

めっきり数を減らしたとはいえ、国鉄色ボンネットの「能登」はそうした郷愁を今に伝える貴重な夜行列車だった。定位置は13番ではなく常磐特急が発着する15番線。構内改札の ある「ひたち」ホームだが、その手前から柵越しにきれいに編成を狙うことができた。23時33分、人影まばらな構内に今日も発車のベルが鳴り響く。金沢行きの夜行急行は、定時 にゆっくりと地平ホームを後にした。

10・02・14 長岡駅 NikonD700 AF-INikkor500oF4ED×1.4 ISO200
「北陸」「能登」の末期に、一部の人々の間で流行っていたのが長岡バルブだった。ダイヤ改正を1ヵ月後に控えた2月、大糸遠征のついでに物は試しとチバラギ氏と立ち寄って みた。上り方の踏切は障害物が多くて全くダメ。パイチからロクヨンへのバトンタッチを眺めるにとどめ、静かに発車を見送った。一方の下り方は、柵越しに長玉を使えばきれい に撮れそうな雰囲気である。とはいえゴーヨンでも長さが足りず、テレコンで1.4倍して700oでようやくいい絵にまとまった。

パンタからスノープロウまで天地はパツパツ。プロ4を持ち出して慎重にアングルを定め、レリーズを握る。間もなく上り「日本海」が近づいてきた。そのライトがロクヨンの顔 を照らした瞬間をそっと切り取った。



「北陸」「能登」なき後、国鉄型のブルトレらしいブルトレは「あけぼの」を残すのみとなった。日の長い時期に我々を楽しませ(苦しめ?)てくれた高崎線の朝練も、ターゲット は1発こっきりとすっかり撮影効率が悪くなってしまった。だが、モノは考えようである。従来のダイヤでは「能登」「北陸」が続行で来てから30分後に「あけぼの」が上って 来ていた。明らかに先行2本と「あけぼの」では光線が違う。そう、両者を捉えるベストシーズンには、暦で約半月分のズレがあるのである。3本あれば3本撮りたくなる貧乏根 性から、これまで真にエロ光線の「あけぼの」は撮ったことがなかった。機は熟した。今年の春は「あけぼの」を解禁直後に狙ってみるとしよう。

10・04・25 神保原−新町 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP100
前週の日曜日、チバラギ氏が今季一番乗りで神保原で勝利を挙げ、ブルトレ戦線の火ぶたを切って落とした。これは負けてられぬ!早速翌週末に私も同じポイントを訪れた。とて もG.W.直前とは思えぬ冷たい北風が吹きすさぶ中、東の空からゆっくり朝日が顔を出す。徐々に景色に色が付き、架線がギラギラと鈍く光り始める。露出は分単位で上がってい るはずだ。通過まであと10分弱、さぁいくつで切ろう?

鉄橋を渡る音を聞いて腹を括る。1/500sec f4.5で勝負!頬をオレンジに染めてファインダーにロクヨンが飛び込んで来た。脳内露出計は読みが当たったことを悟る。確信をもっ てレリーズオン!心地よい連写音を聞きながら、軽やかな客車のジョイントを耳に刻んだ。

11・09・19 赤羽駅 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED×1.7 RVP100F
神保原が解禁直後だとしたら、こちらは閉店直前の1カット。2011年頃からチバラギ氏の1枚を機に身内の間で赤羽ブームが巻き起こった。長玉でカマの顔を切り取ると、背景は 人工物ゼロのスッキリとした構図。始発でなくても電車で十分間に合うし、交通費も往復数百円の安近短。 なぜ「能登」「北陸」の時代に流行らなかったのかが不思議なくらいで ある。ただ、通過時刻が遅い割に、架線中や沿線のビル影の按配と日の昇る角度の関係から撮れる季節は限られていた。冬場は当然日の出前、とはいえ夏場も面への日の回りがよ ろしくない。ベストシーズンは3月か9月だった。

朝一の電車にカメラ1台と500oにテレコン、そしてプロ4という目立つ恰好で乗り込む。最近は鉄で電車に乗ることもなかったため、なかなかに恥ずかしい。祝日の早朝で車内 に人が少ないのだけが救いだった。関西-D.W先輩と現地で合流して三脚を据える。顔面カツカツのアングルでもあるし、嫌が上にも動体予測と高速連写でターゲットをねじ伏せ ることになる。曇りがちだった空に急速に晴れ間が広がってきた。眩い朝日がファインダーの中を鮮やかに染める。6時47分、列車通過の放送が入ってしばし、ロクヨンがゆっく りとホームに進入してきた。

11・01・23 神保原−新町 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
関東の冬場の名物の一つが遅れ「あけぼの」。 近年抑止の基準が厳しくなったせいか、冬型が強まると日本海縦貫線はすぐにダイヤが乱れる。 日の出の時刻で上越国境を越えてい なければ、水上以南の普段撮れないアングルでロクヨンブルトレを迎え撃つことができるのである。とはいえ、そうおあつらえ向きに、好天の休日に程よく遅れてくれるほど世の 中甘くはない。ド平日に激X報告を聞いて涙を呑んだり、寒気が強すぎて関東まで雲が流れてきたり、遅延どころか運転打ち切りで関東まで列車がやってこなかったり…。結局、 きちんと撮りに行けたのはこのときだけだった。しかし、これじゃあ「あけぼの」か何かわからないねぇ…。



2014年3月改正で、上越系統最後のブルトレ「あけぼの」が廃止(臨時化)されることになった。末期になるとメディアの報道に煽られて連日のように不可解な俄かマニアが押し寄 せるのは、ここ数年でもはや見慣れた光景となってしまった。「あけぼの」もご多聞に漏れず。でも季節は早春、光線的にも風景的にも「今撮っておかなければ!」というアング ルは特にない。悔いがないかと言えばうそになるが、東北エリアでは「日本海」「はまなす」、高崎線内では「能登」「北陸」のついででそれなりにカット数は稼いできた。今さ ら焦ることもなく最終日を迎えることになった。

14・03・01 上野駅 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO2500
この日は、ダイヤ改正を前にして、ブルトレを肴に一献傾けようという趣旨で有志が上野に集まった。夕方早くから居酒屋で飲んで食って、「あけぼの」入線時刻に合わせてホー ムに上がる。廃止までまだ2週間あるというのに、13番線付近はすでに異様な雰囲気が醸成されつつあった。 21時頃、スマホの砲列の中をゆっくりと24系が入線してくる。D700 に70-200o1本、三脚なしの手持ち撮影というヤル気ではなく飲む気しか感じられない装備でレンズを向ける。ホームのパニックした様子と「あけぼの 青森」の表記がわかるよ うに軽くシャッターを切ってみた。

14・03・01 上野駅 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU(×1.5クロップ) ISO2500
テールをひとしきり眺めてから先頭に移動。カマの付近は人だかりが激しく近づきがたかったが、ホーム端に意外な穴場があることに気が付いた。線路が緩く弧を描いているた め端から望遠を使えば程よくギャラリーと列車を絡めることができるのである。これはちょっと真面目に撮っておくべきだった。手抜き装備できたことを悔やんだがもう遅い。 300o相当の画角を、水平も怪しい酔っぱらいの手持ち撮影で切り取った。

14・03・08 赤羽駅 NikonD800 AF-INikkor500oF4ED×1.4(×1.2クロップ) ISO200
廃止前週は関東地方に晴れマークが並んだ。他に撮りたいものもないし、無くなるとわかっていて何もアクションを起こさないのも勿体ない。時期的には赤羽先端が解禁直後の はずである。混雑を警戒して、始発の総武線にゴーヨンとプロ4を担いで乗り込んだ。

この日の東京は、真冬並みの寒気に覆われて凍てつくような寒さだった。まだ暗いホームに着くと、先客はたった1人だけ。実に拍子抜けである。だが、先客氏曰く、上り「あ けぼの」は日本海側の荒天で遅延しているとのこと。皆それを知っていてまったりと出撃してくるのだろうか?そんなことを考えていると、3番手4番手と続々現れたのはいつ もの達人諸兄。まぁ、予報と被写体と光線を考えたら他に選択の余地はあまりない。約束などしなくても集う人々は集うものである。

最終的に、この場所には20人近くが終結した。銀塩は3年前の9月に一発卒業証書を頂いているので、今日はD800一丁切りで構える。周囲の情報によると、「あけぼの」はどう やら約1時間の遅れで来ているらしい。程よく影も抜けて切り位置もそうシビアではなくなるはずだ。7時40分、ホームに列車通過のアナウンスが流れる。これだ!間もなく、 双頭連結器と複雑なジャンパ栓周りを雪に染めた1031号機がファインダーに飛び込んできた。

14・03・08 上野駅 NikonD800 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO200
日中は上野駅にSLが来る!と世間の皆様が騒ぐ中、城南島で最近流行の飛行機撮影に没頭。夜になって鉄仲間のらるご氏に誘われ、再び上野駅バルブに今度はマジメな装備で 出掛けてみた。前回同様ホーム端から、今日はハスキーを立てて機関車とそこに群がるギャラリーを狙う。が、ポジションのせいなのか何なのか、どうも前回に比べギャラリー の密集度が低い。D800でISO200で撮っているので画質的には綺麗なのだが、イマイチ臨場感が伝わらない写真に終わってしまった。

 
2枚とも:14・03・14 上野駅 NikonD700 AF-SNikkor24-70oF2.8 ISO1600
そして最終日。どうせまともには撮れまいと覚悟の上で、D700に24-70o1本という軽装でアヤシイ熱気に包まれる上野駅を冷やかしに行った。想像した通り、入線前から13番 線は先週のバルブがウソのような激パニック。ダメ元でホーム端を目指すも、停目付近で身動きが取れなくなってしまった。

間もなく入線のアナウンスが入り、ゆっくりと推進で客車がホームに入って来る。声にならぬどよめきと人垣の向こうをかまぼこ屋根が1両また1両と通り過ぎ、最後に盛大な ディーゼルエンジンの音を響かせる電源車とブロワーを唸らせる機関車が滑り込んで、最後の下り「あけぼの」はいつものホームに据え付けられた。そこからはもう、毎度のこ とだが阿鼻叫喚の地獄絵図。ひっきりなしに煌めくストロボの閃光に、今さら必死な手遅れ気味の葬式鉄の怒声と警備員の注意喚起の声が交錯する。まぁ、こんなのも最終日な らではの風景のうち。呆れながらも手持ち・ノーファインダーでホームの様子をスナップした。

いよいよ21時16分、2001レ「あけぼの」最後の発車ベルが鳴る。同時に前のめりな鉄の間から「ありがとぅ〜!」コールが沸き起こる。彼らの一体どれだけがこれまで思い入れ をもってこの列車を撮ったり利用したりしてきたのか知らないが、一種独特の“祭り”の雰囲気が彼らの心を駆り立てるらしい。そんな喧騒をよそに、EF64 1031は長声一発ホ イッスルを響かせて、山男独特のブロワ―音を奏でながら動き出す。エアフィルターからの熱風を残しカマが去る。轟音を残してカニが去る。青い車体が単調なジョイントを刻 みながら目の前を流れてゆく。そして、テールサインを輝かせながら夜闇に吸い込まれてゆく最後尾に、ノーファインダーで最後のシャッターを切った。上野駅トォサン番、こ こで日常的に国鉄の情景が展開されることは、もう二度とない。



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