GALLERY08 ブルートレイン★Collection 3.ブルートレイン★Collection〜東日本編〜 開通したばかりの京葉線で新浦安から始発に乗ると、5時半には東京駅に着く。山手線で上野に移動して待つこと十数分、先陣を切って秋田からの「出羽」がロクヨン1000 番台を先頭にゆっくりと地平ホームに滑り込む。続いて金沢からの「北陸」、東北本線経由だった「あけぼの」、EF62が牽く「能登」が相次いでトォサン・トォヨン番に 到着。地上に上がれば583系の「はくつる」が入線しており、それを眺めてから東京駅へ。9・10番線では急行「銀河」が回送を待つ傍らに、「出雲4号」が入ってくる。 その後は十数分おきに「瀬戸」「あさかぜ2号」…と風格漂う長距離列車が次々に到着。休みの日の朝はこうして始まるのだった。 東海道筋の寝台特急は、首都圏のラッシュ時間帯を挟んで早い組と遅い組に分かれていた。早い組が「銀河」や「出雲」など比較的距離の短い列車で、主にPFが先頭に立っ ていたのに対し、遅い組は対九州輸送の花形列車で、1985年以降は国鉄一のマンモス機EF66が牽引に当たっていた。幼少の頃は図鑑を見る度に、最長距離列車として「は やぶさ」「富士」の名が踊り、デビューしたてのロビーカーが注目を浴びていた。Nゲージの入門セットといえば、EF66に24系客車が数両付いてくるのがお約束だった。 こうして我々世代の脳内には、「ロクロクのブルトレ=国鉄(JR)のエース」という認識が刷り込まれてきたようだ。
天気予報は冬型安定で関東・東海は晴れ模様。車窓から眺める相模灘の日の出は感動的だった。が、あまりに強い冬型は難所関ヶ原に積雪をもたらす。さぁ今日はどう出る か?定時、列車通過の放送が流れるとトンネルから青い機関車が現れる。足回りには微かな着雪。よしよし思い通り、とシャッターを切ろうとして気が付いた。マークに雪 着き過ぎ!過ぎたるは及ばざるが如しとはまさにこのことである。結局この後単独「富士」はリベンジする機会に恵まれないまま「はやぶさ」と併結し、円形マークの「富 士ぶさ」になってしまったのだった。
といっても、伝統ある特急「さくら」が消えるとあらば、撮らないわけにはいかないだろう。改正を翌月に控えた2月初旬、ふらりと三島−沼津の黄瀬川橋梁を訪れた。定 番は真横からの富士山バックだが、それでは以前撮った「富士」と何も変わらない。今日は線路際からのカブリつきで行こう。鉄橋上だけ東海エリア名物のタイガーロープ がないというのがミソである。10時過ぎ、サイド光に半面を鈍く光らせてピカピカのEF66が上ってきた。 早い組のブルトレは、小田原以西のいいロケーションで撮ろうと思うと時間的に車でないと厳しい。愛車など夢のまた夢だった新入社員時代は、神奈川に住んでいながら“足” がなかったためにチャンスをモノにしきれなかった。行っても時おり実家の車を借りて出掛けるのが精一杯。しかも、当時はまだまだ他に撮りたい被写体がたくさんあった。 せっかくの休日を早朝数時間の撮影のみで終わらせるのはもったいないという貧乏根性が働き、朝練に熱心に通わなかったのが悔やまれる。
最初に上って来るのは急行「銀河」。夏至からもう1ヵ月半、5時25分の通過は決して余裕とは言いがたい。ただ、東の方角は水平線、太陽が顔さえ出せばすぐに勝負できるの が救いである。日の出時刻4時51分、徐々に線路が金色に染まり始める。初めは渋く、やがて鋭く。よし、これならベル100で500の4.5は出せるはず。絞りをセットし待つことし ばし、トンネルからすっぴんのPFが飛び出してきた。 続いては「出雲」。個人的には青基調の直流機には赤いマークがよく似合う。昔の「あけぼの」然り、そしてこの「出雲」もまた然り。少しずつ強くなってきた光線に、半段絞っ て500の5.6でシャッターを切る。X! そして最後が伝統の九州特急「あさかぜ」。デビューしたての20系を連ねて大動脈を颯爽と駆けた元祖“走るホテル”は、アコモデーションこそ博多編成が消えてからやや見劣り するようになったとはいえ、24系の長大編成で今なお健在。さらに半段絞った全開露出で、ロクロクの勇姿を切り取った。
ただ、小田原以西を6時前に通過する列車を迎え撃つには一計を案じる必要があった。千葉の実家はもとより、社会人になって最初に住んだ横浜の寮からでも始発に乗って行っ たのでは間に合わない。マイカーを持たなかった頃は前日終電入り現地マルヨしか手段はなかった。2003年5月、磯の香りのする早川の集落の外れで三角座りで夜を明かし、意気 揚々と現地へ。しかし、予報外れの曇り空で敗北を喫した。同年7月、天理臨の583系と併せてやっつけようと実家の車で出撃。しかし梅雨の合間に特有のモヤッとした空気に露 出は上がらず、またも敗戦…。勝利の兆しは一向に見えてこなかった。 3度目の挑戦は2004年6月。念願の愛車を手に入れて出撃した。梅雨入り前の五月晴れを予感させる満天の星空のもとでカーマルヨ。未明にはベストと思われるポジションに三脚 を立てた。予想は見事に的中、相模湾から朝日が昇ると景色が黄金色に染まり出す。ペンタ300で構図はピタリ。間もなく、モーターを高鳴らせて、真紅のマークも眩い「出雲」が ファインダーに飛び込んできた。 2006年3月改正で「出雲」が廃止されることになった。前年の「あさかぜ」「さくら」に続き、またも名門ブルトレが姿を消す。さぁ最後の追い込みに…と意気は上がるのだが、 如何せん東京着7時前という通勤ラッシュに先行する早いスジ、冬場にまともに撮れる撮影地などほとんど無いに等しかった。そこで目を付けたのが石橋鉄橋のシルエット。改正 間近になれば日の出時刻と列車通過が重なり、金色に輝く相模湾に機影を抜くことができるのではないか!? 晴れ予報の出た3月16日、未明のミカン山に三脚を立てた。徐々に空が明るくなり、横一文字の水平線が視界に現れてくる。データを突き合わせると、今日段階ではまだ日の出よ り列車の方が早いはずだが、今日は山陰地方の雪のため若干の遅延が生じているようである。狙いは見事的中!定時を過ぎ、水平線から太陽が顔を出した。オレンジの光芒が海面 に走る。よし! F4のモードラ全開で連写しXを確信…したはずだった。しかし、何かシャッター音がおかしい。違和感を感じてよーく見ると…何とフィルムを詰めていなかった という痛恨のミス。千載一遇のチャンスをみすみす逃し、あまりの口惜しさに昼まで粘って引退間近の 113系を2本撮って撤収したのであった。
東京駅発着の東海道ブルトレと並んで鉄道少年の心をわくわくさせたのが、上野駅にやってくる北国からの寝台特急群。哀愁漂う東北や北陸からの列車に加え、青函トンネル開業 とともにデビューした「北斗星」はこれまで地平ホームになかった華やかさをもたらしてくれた。 バブル景気の追い風もあり、世の寝台列車が退潮していく中1日3往復が運行さ れ、多客期には臨時「エルム」も設定された。 さらに1999年には「北斗星」1本を置き換える形で「カシオペア」が登場。新幹線開業と引き換えに昼行特急が消えて久しい東北本 線は、いつしかJR東日本の誇る超豪華寝台特急街道となったのだった。
この日は、前日石巻・気仙沼線で運転された豊かな海づくり大会に伴うお召列車の返却回送を撮りに来ていた。吾妻小富士もクッキリ抜ける好天に、迷わず金谷川のコンクリ橋へ 直行。林立する場所取り三脚の合間を縫うようにハスキーを立てた。線路がほぼ東西に走るこの区間では、夏場日が高いとサイドが翳る。かといってあまり日が低い時期を狙うと 今度は山影が抜けきらない。意外と季節を選ぶアングルだけに、10月半ばというこの時期はまさにベストであった。
特にアテもなく美しい光線で115系でも撮れるかと待っていると、遠方に2灯のライト。目を凝らすと赤い機関車が客車を牽いてやって来る。団臨でもないし…としばし考えて 思い当った、「はくつる」だ!上野に早朝に着くというイメージしかなかったため、まさかここ蒲須坂で撮影できるとは予想外。35判ベルビア(+1)で1/500secの開放というギ リギリの値でシャッターを切る。24歳の誕生日は早朝から最高のプレゼントを頂戴することができた。 日が上がって露出が安定してくると67の出番である。165oで構えれば、一面水を張った水田の中を一直線に走る線路、背後の那須の山々がファインダーの中にきれいに納ま る。線路際の農道が舗装されてしまったのが玉に瑕だが、それは言うだけ野暮というもの。絶好のコンディションで寝台特急を仕留めようではないか。7時前後に「カシオペア」 「北斗星」が相次いで通過する。定番の構図でメインの2本を迎え撃った。
この日は583系「ゲレンデ蔵王」の送り込み回送も兼ねて蒲須坂へ。荒川の鉄橋に向けて上る大築堤を165oで切り取る。寒風に震えながら桃太郎牽引の貨物を数本撮った後、定 刻よりやや遅れて真紅の機関車が遠方から近づいてきた。目を凝らすと、手すりその他が銀色に磨きだされたその姿…お召実績を持つ81号機だ!思わずシャッターを切る手に力 が入った。
難しいポイントなら先達に教えを乞うのが一番!というわけで、何度も通い倒しているチバラギ氏に同行してみた。500oに×1.7テレコンで850o相当、三脚は当然プロ4。そ れでも心配で、レリーズの時は左手でレンズを上から押さえるようにして切る。初めに上ってきた「カシオペア」はX。しかし、「北斗星」は手前を通過する京浜東北線の振動 でカメラブレ。仕上がったポジをルーペで覗くと、シャープネスのない星ガマが像を結んでいたのであった。 恥ずかしながらJR型の機関車には全く興味がないもので、「カシ」「斗星」はカマが代わってからは全くと言っていいほど撮っていない。今日は銀ガマだ青ガマだと囁かれて も、写欲の欠片も湧かないのだから仕方ない。たとえ廃止の日が近づいても、やっぱり撮るなら北海道でDDの牽く姿だろう!と私は一人冷めた目で見ているに違いない。 青函トンネルの開業以来、東北本線系統のブルトレが対北海道輸送を担う垢抜けた雰囲気になったのに対し、高崎・上越線系統はその後も演歌が似合う一種の哀愁を上野駅地平ホ ームに漂わせていた。それは、観光地としての華やかさを備えている北海道に比べ、この列車たちが結ぶ日本海側の地域が“ふるさと”的イメージを我々に思い起こさせるからか も知れない。また、星ガマのEF81や新製EF510などの目新しい機関車が投入されるでもなく、最後までただの紅いEF81や原色EF64-1000が先頭に立っていたのも、そんな空 気を醸成する一因だったのだろう。でも、私はそんな昔ながらの夜汽車の雰囲気がたまらなく好きだった。
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北陸方面への列車の撮影はなかなかハードルが高かった。マークがわかるような順光写真を撮ろうとすると、朝方西へ向かう下り列車はダメ。上りの高崎線内は東へ向くも、通過
は5時台と撮れる季節が限られていた。いきおい夏至の前後の群馬・埼玉県境は、貴重なチャンスを狙う猛者たちで異様なパニックを引き起こす。私もご他聞に漏れず、5月に入
ると晴れ予報を確認しては神保原に足繁く通うのであった。 まず先陣を切るのは4時50分通過の「能登」。地平線付近にも雲一つないド快晴の今日は、4時半過ぎにはバラストにオレンジの光線が陰影を刻み始める。サンニッパで構図を整 え露出を微調整。ベルビア100で1/500sec f4?4.5? う〜ん、ここは強気で4.5でいこう!間もなく神流川のトラス橋を渡る音が響いてきた。画面に現れたボンネットには、 顔を出したばかりの朝日が小さく写り込んでいた。 10分のインターバルを置いて、次は「北陸」。当時はロクヨン1000番台が牽く唯一のブルトレということで地味ながら注目されていた。青い直流電気好きの私もコイツを一番虎視 眈々と狙っていたのだった。今日の条件なら勝利は確定。絞りを半段絞って、鋭い光線を浴びた濃紺とクリームの機関車を動体予測で連写した。
めっきり数を減らしたとはいえ、国鉄色ボンネットの「能登」はそうした郷愁を今に伝える貴重な夜行列車だった。定位置は13番ではなく常磐特急が発着する15番線。構内改札の ある「ひたち」ホームだが、その手前から柵越しにきれいに編成を狙うことができた。23時33分、人影まばらな構内に今日も発車のベルが鳴り響く。金沢行きの夜行急行は、定時 にゆっくりと地平ホームを後にした。
パンタからスノープロウまで天地はパツパツ。プロ4を持ち出して慎重にアングルを定め、レリーズを握る。間もなく上り「日本海」が近づいてきた。そのライトがロクヨンの顔 を照らした瞬間をそっと切り取った。 「北陸」「能登」なき後、国鉄型のブルトレらしいブルトレは「あけぼの」を残すのみとなった。日の長い時期に我々を楽しませ(苦しめ?)てくれた高崎線の朝練も、ターゲット は1発こっきりとすっかり撮影効率が悪くなってしまった。だが、モノは考えようである。従来のダイヤでは「能登」「北陸」が続行で来てから30分後に「あけぼの」が上って 来ていた。明らかに先行2本と「あけぼの」では光線が違う。そう、両者を捉えるベストシーズンには、暦で約半月分のズレがあるのである。3本あれば3本撮りたくなる貧乏根 性から、これまで真にエロ光線の「あけぼの」は撮ったことがなかった。機は熟した。今年の春は「あけぼの」を解禁直後に狙ってみるとしよう。
鉄橋を渡る音を聞いて腹を括る。1/500sec f4.5で勝負!頬をオレンジに染めてファインダーにロクヨンが飛び込んで来た。脳内露出計は読みが当たったことを悟る。確信をもっ てレリーズオン!心地よい連写音を聞きながら、軽やかな客車のジョイントを耳に刻んだ。
朝一の電車にカメラ1台と500oにテレコン、そしてプロ4という目立つ恰好で乗り込む。最近は鉄で電車に乗ることもなかったため、なかなかに恥ずかしい。祝日の早朝で車内 に人が少ないのだけが救いだった。関西-D.W先輩と現地で合流して三脚を据える。顔面カツカツのアングルでもあるし、嫌が上にも動体予測と高速連写でターゲットをねじ伏せ ることになる。曇りがちだった空に急速に晴れ間が広がってきた。眩い朝日がファインダーの中を鮮やかに染める。6時47分、列車通過の放送が入ってしばし、ロクヨンがゆっく りとホームに進入してきた。
2014年3月改正で、上越系統最後のブルトレ「あけぼの」が廃止(臨時化)されることになった。末期になるとメディアの報道に煽られて連日のように不可解な俄かマニアが押し寄 せるのは、ここ数年でもはや見慣れた光景となってしまった。「あけぼの」もご多聞に漏れず。でも季節は早春、光線的にも風景的にも「今撮っておかなければ!」というアング ルは特にない。悔いがないかと言えばうそになるが、東北エリアでは「日本海」「はまなす」、高崎線内では「能登」「北陸」のついででそれなりにカット数は稼いできた。今さ ら焦ることもなく最終日を迎えることになった。
この日の東京は、真冬並みの寒気に覆われて凍てつくような寒さだった。まだ暗いホームに着くと、先客はたった1人だけ。実に拍子抜けである。だが、先客氏曰く、上り「あ けぼの」は日本海側の荒天で遅延しているとのこと。皆それを知っていてまったりと出撃してくるのだろうか?そんなことを考えていると、3番手4番手と続々現れたのはいつ もの達人諸兄。まぁ、予報と被写体と光線を考えたら他に選択の余地はあまりない。約束などしなくても集う人々は集うものである。 最終的に、この場所には20人近くが終結した。銀塩は3年前の9月に一発卒業証書を頂いているので、今日はD800一丁切りで構える。周囲の情報によると、「あけぼの」はどう やら約1時間の遅れで来ているらしい。程よく影も抜けて切り位置もそうシビアではなくなるはずだ。7時40分、ホームに列車通過のアナウンスが流れる。これだ!間もなく、 双頭連結器と複雑なジャンパ栓周りを雪に染めた1031号機がファインダーに飛び込んできた。
間もなく入線のアナウンスが入り、ゆっくりと推進で客車がホームに入って来る。声にならぬどよめきと人垣の向こうをかまぼこ屋根が1両また1両と通り過ぎ、最後に盛大な ディーゼルエンジンの音を響かせる電源車とブロワーを唸らせる機関車が滑り込んで、最後の下り「あけぼの」はいつものホームに据え付けられた。そこからはもう、毎度のこ とだが阿鼻叫喚の地獄絵図。ひっきりなしに煌めくストロボの閃光に、今さら必死な手遅れ気味の葬式鉄の怒声と警備員の注意喚起の声が交錯する。まぁ、こんなのも最終日な らではの風景のうち。呆れながらも手持ち・ノーファインダーでホームの様子をスナップした。 いよいよ21時16分、2001レ「あけぼの」最後の発車ベルが鳴る。同時に前のめりな鉄の間から「ありがとぅ〜!」コールが沸き起こる。彼らの一体どれだけがこれまで思い入れ をもってこの列車を撮ったり利用したりしてきたのか知らないが、一種独特の“祭り”の雰囲気が彼らの心を駆り立てるらしい。そんな喧騒をよそに、EF64 1031は長声一発ホ イッスルを響かせて、山男独特のブロワ―音を奏でながら動き出す。エアフィルターからの熱風を残しカマが去る。轟音を残してカニが去る。青い車体が単調なジョイントを刻 みながら目の前を流れてゆく。そして、テールサインを輝かせながら夜闇に吸い込まれてゆく最後尾に、ノーファインダーで最後のシャッターを切った。上野駅トォサン番、こ こで日常的に国鉄の情景が展開されることは、もう二度とない。
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