GALLERY07 盛岡キハ 6年間の奇跡
2.清流閉伊川に沿って〜山田線編〜
今から10年前の秋、碓氷峠がフィナーレを飾った直後、鉄世間はDD51+1号編成の山田・釜石御召に沸き立っていた。しかし当時の私はとい
えば「華の19歳、華の浪人生」。男地獄の男子校を脱出し、ようやく世間の半分は女子なのだという現実を教室の中で実感するようになっ
た頃だった。当然碓氷の最終章は家のテレビでブラウン管見る鉄。盛岡御召も噂は耳にしていたもののRM誌で事後発表を見て歯軋りする
のがせいぜいだった。そんなわけで人様に比べて山田線という路線に疎いまま、私は21世紀を迎えた。
21世紀最初の夏、前述のRM149号の撮影地ガイドを頼りに、キハ52目当てで初めて山田線に足を踏み入れた。色はまだ盛岡色しかなかった
が、当たり前のように全列車キハ58か52で運転されているのが大きな魅力であった。旅の友は京都からフェリーで連れてきたホンダ スーパ
ーカブ。50tエンジンで区界峠に喘ぎ苦しみ、川井付近のトンネル内では大型トラックに追っ掛けられた。新里村との村境では岩手県警の
交通機動隊のお世話になり、サイン会場で請求書を頂戴した。色々あったけれど、清流閉伊川と緑濃い山々、スケールの大きな自然に囲ま
れて、深名線以来の「ローカル線」的香りを満喫した旅だった。
それから2ヶ月後、盛岡地区で国鉄色が復活。さすがに京都からでは遠過ぎたが、翌2月には就職で横浜へ転居。いよいよ盛岡参詣の条件
が整った。早速2002年のGWに岩手の地を再訪。それから6年、閉伊川に沿う国道を、一体何度往復しただろうか。
盛岡を後にした列車は、市街地を東に進み、山岸から米内川に寄り添うように山塊へと分け入っていく。平地の外れにあるのが桜の名所と
して知られる上米内駅。ここまでは朝2本の区間列車もあり、アングルはそれほどないが効率よく撮影を楽しめた。
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06・08・08 上米内−山岸 NikonF5 AF-INikkor300oF2.8ED RVP100 |
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この日の国58はA47運用。宮古から出てくる631Dを山の向こうで撮り、朝の上米内往復を欲張るべく急いで峠を下りてきた。上米内−山岸
定番の築堤は足回りの草が茂り、この時期は伐採なしには撮影不可。処置する時間もないので、とりあえず国道のオーバークロスからサンニ
ッパでブチ抜いてみた。ビニールハウスがやや気になるが、夏の朝の激烈光線でまずは1カットGET!
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06・08・08 上米内−山岸 NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100 |
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10分足らずで帰ってくる折返しは、普通に狙うと全部逆光になる。ならばモチーフを選んでスナップ風に決めるのがよろしかろう。線路際
に咲く夏の風物詩ひまわりに焦点を合わせ、一陣の風を運ぶキハ58にシャッターを切った。
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左・中:04・04・29 上米内駅 NikonF4s AFNikkor300oF4ED RVP100
右:04・04・29 上米内駅 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100 |
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上米内は駅近くの浄水場の枝垂れ桜が有名だが、駅構内の桜の古木も見応えがある。例年満開はちょうど4月末からの連休の頃。3年前、
さささ先輩と訪れたときも、淡い色の花弁が今を盛りと咲き誇っていた。お揃いの帽子で仲良くホームを散策する初老の夫婦。ともに幾度
もの春を過ごしてきた二人の目に、今年の桜はどう映っているのだろうか。おばぁちゃんと列車を見送る幼な子。いつか大人になってから、
この光景を思い出す日は来るだろうか。
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07・01・21 上米内駅 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100 |
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今年の冬は暖かかった。厳寒の盛岡でも平地では積雪ゼロ。陽だまりの中ホームで交換列車を待つ車掌は、心なしかちょっと寂しげな背中
をしていた。
上米内からは、列車は羊腸の路を辿り急峻な山地へと突き進んでいく。山田線最大の難所、区界峠である。幾重にも襞を描く線形と断続す
るトンネルで急勾配を登りつめると、先ほどまでの里の情景が一変、車窓には高原の空気が広がることになる。
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07・01・20 区界−浅岸 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1) |
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区界峠の通称76番鉄塔俯瞰。林道途中の高圧鉄塔の袂からお手軽に山深い雰囲気の絵が切り取れる、お気に入りの場所だった。しかし、峠
道だけあって、これが晴れない!3年前の6月は急激に空を覆った低層雲にやられた。2年前の1月は吹雪で全く視界がきかなかった。そ
して今回も、徹夜で走ってきた割には盛岡は曇天時々雪。やる気も失せて区界の道の駅で弱っていたが、少しずつ雲に切れ間が見え始めた。
勝負するか!ペンタ400・サンニッパ&脚2本を担ぎ、かんじき履いて斜面にアタック。暖冬のせいか雪は深くなく、あっさり立ち位置に到
達できた。天気は相変わらず猫の目。曇りベースで時に粉雪が舞う。やはりダメか…諦めかけた瞬間、雲間から日が射した。と同時にトン
ネルから「リアス」登場!「晴れたぁ!!」絵に描いたような見事な逆転勝利だった。
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06・08・08 区界−松草 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1) |
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兜明神岳から朝の631Dが俯瞰できると聞いたのは、確か2年ほど前のことだった。この日は前日の曇り空が嘘のように朝から快晴。早速噂
の兜明神にチャレンジしてみた。が、区界まで来ると、周囲は一面深い霧。徐々に薄くはなってはきたが、山頂が見える気配はまるでなか
った。仕方ない、今さら後には引けないので、霧が抜けている中腹から妥協して撮影。ここからでも富良野線チックな丘陵地帯が前後に入
ってなかなかの絵になったが、やはり行くなら頂上を極めたかったものである。残念…。
区界を過ぎると、線路は閉伊川と絡み合いながら東へと向かう。時に川沿いに轍を響かせ、時に鉄橋で清流を渡る。川路線たる山田線の、
最も「らしい」区間である。
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03・10・19 松草−平津戸 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8
PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
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2003年、山田・岩泉線で初めて「懐かしの52・58号」というコアなイベント列車が走った。その名の通り編成はキハ52・58の混結で、HMは
なし!山陰御召の翌週にもかかわらず、熱い撮り鉄たちが大挙して岩手の地に乗り込んだのは言うまでもない。さらに次の週末、イベント
時の混結編成がそのまま運用に乗って流れ、土曜はA46、日曜は47に入った。一瞬悩んだが「行けるときにとことん行く!」という「鉄」
則に従って土曜朝一の「はやて」の客になり、2週連続の盛岡詣でに向かった。沿線はちょうど紅葉真っ盛り。錦秋の山々に目を奪われた。
だが、秋になるとA47「リアス」は日の差すポイントが限られてくる。山間部ながら比較的遅くまで光が差し込むこの場所で「国鉄」な2
連を頂戴した。
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02・05・03 平津戸−川内 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1) |
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平津戸−川内間、大峠のトンネル付近は山田線を代表する撮影ポイントであった。トンネルの盛岡方は国道の橋から川沿いの線路を見下ろ
すことができ、宮古方は砂防ダムの滝をバックに鉄橋を真横から狙うことができた。滝バックの方は日の一番長い時期のA47「リアス」で
ないと光線がサイドに回らないため、ついに最後まで極めるチャンスを逃したままだったが、川沿い区間の方は臨時スジが順光時間だった
こともあり、ナントカの一つ覚えのように幾度もここでカメラを構えた。国鉄色復活後の初訪問となった5年前のGWも、やはりここで国
58を撮影。多客期増結の白52が付いてしまったが、淡い芽吹きと山桜が美しかった。
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05・07・16 平津戸−川内 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1)
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2005年7月、盛岡−釜石間で国58の「海の日号」が運転された。深夜に仕事から帰って、出発したのが午前1時。当然体力は持たず、途中
那須高原SAで仮眠に陥ちた。午前4時に運転再開し全力でアクセルを踏み続けるも、国見峠で80 q/h を割る我がマシーンでは劇的なタ
イムトライアルは無理。盛岡に着く頃には撮影地を探す時間はなくなっていた。仕方なく、芸はないが定番で勝負。今回は標準タテアング
ルで川の流れを大きく取り入れてみた。
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03・10・12 平津戸−川内 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1) |
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前述の「懐かしの52・58号」も2日目の行きをここで撮った。初日は文句なしの天気で岩泉線の“グランドマスター展望台”を制覇したが、
2日目は一転して未明から小雨が降る悪天候。同行のコサカミ氏と協議して、紅葉の進んでいる区界駅でお茶を濁すつもりだった。が、区
界の道の駅まで来ると、彼方に青空が広がっているのが見えた。これは勝てるかもしれない!急ぎ国道を東へ進みこの場所へ。セッティン
グが終わる頃にはちょうど上空に晴れ間がやって来た。全開露出の中、タイフォンが2度3度響く。見事に列車と青空がシンクロし、激X
をものにすることができた。
箱石から陸中川井にかけては、閉伊川・線路・国道の密集する谷間がやや広がり、所々に水田や集落が現れる。人跡稀な秘境を駆け抜けてき
た目には、このささやかな箱庭的情景がとても暖かく映る。里を行く気動車たちの表情もどこか柔らかだ。
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06・09・03 箱石−陸中川井 NikonF4s AFNikkor300oF4ED RVP100 |
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9月初旬、お盆に目だけ付けていた箱石の伐採地に再戦を挑んだ。花輪線から流れてきたA46運用の「リアス」をここで仕留めたい。まだ
残暑厳しい中、崩れかけた獣道をよじ登って三脚をセット。ペンタ67は165oで真横を狙い、35o判は300oでカーブを切り取る。しかし、
一息ついた頃から空模様が怪しくなってきた。巨大な雲が太陽の周りを右往左往する度に画面の中にはマダラの影が落ちる。俯瞰をやって
いて一番心臓に悪いパターンである。そして…「リアス」は雲を連れてやって来た。カーブはアップでまとめたのでセーフだったが、67
は背後が黒く潰れて撃沈。悔しいけれど「よくあることさ」と自分に言い聞かせるしかない。こんな経験を、多くの鉄ちゃん諸兄もお持ち
になっておられることだろう。
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06・11・04 箱石−陸中川井 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1) |
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悔しい思いを忘れるだけではしょうがない。借りはきちんと返さねばなるまい。2ヶ月後の11月、山田・岩泉線でキハ52・58の団臨が設定さ
れた。チャンス到来!同行のメンバーはほとんどがグランドマスターを目指したが、私と★氏はこの箱石の俯瞰で国鉄色コンビを迎え撃つ
ことにした。紅葉ピークのド快晴、9月の敗戦より条件ははるかに良い。今回はやや広めに67は標準、35o判はズームの180o相当、それ
にマミヤ150oまで付けて3丁切り体制で構えた。前走りで定期の「リアス」が下ると、区界交換でお目当ての混結編成が登場。ジオラマの
ような景色の中を模型のような列車がガタゴトと長閑に通り過ぎる。最高のシチュエーションで屈辱を倍返しにすることができた。
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07・10・08 陸中川井−箱石 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1) |
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田んぼは1年で様々な表情を見せる。初夏の水鏡と並んで私が好きなのが、秋のはざ掛け。物干し竿のように横に長いはざ木を渡して布団
を干すように並べるのが一般的だが、地面に垂直に立てた支柱に螺旋状に稲を積んでいく稲積(にお)、地面に直接放射状に積み重ねただけ
の藁塚など地方によって様々な形状があるのが興味深い。独特の造形がオレンジ光線に照らされる様は何度見ても郷愁を誘う。紅葉にはま
だ早い10月の風物詩はこれしかないといっても過言ではないだろう。しかし、聞いた話では近年は乾燥機が普及して、収穫した稲を天日で
乾かす農家はめっきり少なくなったという。宮古高校川井分校の近くで見られたこの景色も、今や全国的に貴重なものなのかもしれない。
快速「リアス」も停まる山田線の中核駅、陸中川井はこじんまりとした木造の駅だった。春には駅前後の桜並木が乗客の目を楽しませ、夏
には駅舎の軒先に下がる風鈴が旅人に涼風を運んだ。残念ながら私は春の桜カットを撮ることはできなかったが、夏のツアーではよくここ
を訪れ、スナップ撮影に没頭した。宮古への通学・通院圏に当たるこの駅では、人と鉄道が触れ合うシーンに恵まれることも多かった。
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左右とも:06・08・07 陸中川井駅 NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100
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陸中川井名物の軒先風鈴。列車は全て非冷房、駅舎も当然非冷房の山田線にあって、涼しく「感じさせる」サービスが心憎い。車まで非冷
房(!)の私にとっても、そよ風に乗った鈴の音は一服の清涼剤であった。
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07・08・10 陸中川井駅 PENTAX67 smcPENTAX1
NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
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7時53分発の642Dは、宮古方面への通勤・通学・通院列車である。老人から高校生まで多くの乗客で駅は1日で一番の賑わいを見せる。調
べてみると、陸中川井の1日平均乗客数は40人台とのこと。1日平均の4分の1近くがこの列車の利用者ということになる。この日はA66
運用に国52が入った。列を作る客の向こう側に、ツートンがゆっくりと滑り込んだ。
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07・08・12 陸中川井−腹帯 PENTAX67 smcPENT
NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100
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この日は今夏最高気温37℃を記録する猛暑の中、ハードな俯瞰を2ヵ所こなし、夕方にはもうヘロヘロになっていた。そこへ追い討ちを掛
けるように、653Dに国52が増結されるらしいという情報…。白キハ併結ということを考えるともう登る気力はない。川井小学校の側に咲く
向日葵を絡めてスナップで締めることにした。広角ズームを24oまでワイドに振って、シャッター速度はキハをブラすため 1/125sec。踏切
が鳴ると、ファインダーに混結編成が飛び込んできた。白キハが画面から消えた瞬間からモードラ全開!黄色い太陽を風で揺らしながら、
ツートンカラーは颯爽と視界を駆け抜けていった。
陸中川井を過ぎると列車は再び山峡へ。蛇行を繰り返すようになった閉伊川に、線路は時に寄り添い、時に距離を置きながら谷間を東へ向
かって行く。鉄橋が多く見られるのもこの区間。気動車たちは、シンプルなガーター橋で幾度も清流を渡る。
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07・08・12 陸中川井−腹帯 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8
PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
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いよいよ最後の夏と騒がれていた今年のお盆、山田・岩泉界隈には多くの関東鉄ちゃんが集結していた。滞在3日目の今日は朝から文句な
しのバリ晴れ。現地でバッタリお会いした知り合いの方々に誘われて俯瞰三昧の1日となった。朝の岩泉線で一山登り、午後はA52「リア
ス」狙いで陸中川井の俯瞰へ。眼下には川沿いにS字を描く二条の鉄路広がる。画面左端で国道をカットすれば、構図の中には無粋な人工
物ゼロという強烈なアングルである。ただ、地形の関係なのか15時を回った頃から雲が湧くことが多いそうで、意外に「リアス」は難敵ら
しい。今日はどうだ!? 幸い今日は東西南北どの方角にも雲はない。タイフォンが響き、キハの咆哮が耳に届いてきた。安定した露出で58
「リアス」を狙い撃ち!シャッター音の嵐の後は、我々が咆哮を上げる番となった。
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左:07・08・13 陸中川井−腹帯 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1)
右:03・10・18 陸中川井−腹帯 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1) |
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陸中川井−腹帯間で最もメジャーなのがこの鉄橋。集落の地名から“袰岩鉄橋”とか、バックに落石防止ネットができてしまったので“金
網鉄橋”と呼ばれていた。線形がほぼ東西で、しかもカーブのためカントが付いており列車側面がやや上を向く。日の高い夏場でも昼の
「リアス」がそれなりの光線で撮れる貴重なポイントであった。ところが、唯一難点なのが画面下の河原。以前コサカミ氏は、列車を待っ
ていたら消防車が大集合して散水訓練が始まり、危うく激Xが火事場写真になってしまうところだったとか。この夏も、「リアス」国鉄色
3連との情報を聞いてこの場所で構えていると、通過10分前にミニバンが到着して家族連れがバーベキューセットを広げ始めた。これはこ
れで絵的に面白いかと期待したが、準備は遅々として進まず、一人息子は赤パンツで川で平泳ぎ…。おい、ジュニア、ちったぁ父ちゃん母
ちゃんを手伝え!サメが出るわけじゃあるまいし、赤パンで平泳ぎはかっこ悪いで!とはいえ、今さらどうしようもないので画面を上に振
り、カツくかわして事なきを得た。
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03・10・19 陸中川井−腹帯 MamiyaM645SUPER SEKOR 80oF1.9N RVP100 |
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上記の松草−平津戸でA47「リアス」を撮った後、ダメ元で追っ掛けを試みた。国道106号は1本道のトラック街道ゆえ流れが速い。普通に
走っていると陸中川井辺りで列車を射程距離に捉えた。何とかなりそうだ。目標は陸中川井−腹帯のはさ掛けアングル。線路脇の田んぼに
高さ2メートルを越す巨大はさ掛けがあり、それを絡めて狙ってみようと考えた。車を置いた時点で先行時間は僅か5分。カメラ1丁で線
路脇を走り、目指す畦に辿り着いた頃にはもう列車の音が聞こえていた。三脚を広げる時間もなく中判で手持ち撮影。傾く太陽に照らされ
たはさ掛け&紅葉のコラボレーションの中を、混結編成はゆっくりと走り去っていった。
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02・05・03 腹帯−陸中川井 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1) |
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2002年はいつになく春の訪れが早く、まだGWというのに山田・岩泉界隈は峠の前後でさえ既に新緑全開であった。ド快晴の今日は、午後
の「リアス」に国58が入る。(旧)新里・川井村境付近の鉄橋で列車を待った。標高の低いこの地点では、山ははや初夏の装い。新緑より「深
緑」という方が似合う景色だった。強烈な西日を受けて、白52を従えた「リアス」がハイコントラストな画面に浮かび上がった。
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02・06・06 茂市駅 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1) |
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腹帯を過ぎると国道がピタリと併走するようになり、トンネルを抜けると岩泉線の分岐駅茂市に着く。今日はA47とA65がともに国鉄色で
揃い踏み。茂市駅ではこんなシーンが見られた。
ここまで来れば終点宮古はもうすぐ。我々撮り鉄もここからは岩泉線エリアに入ってしまい、茂市−宮古間にはなかなか足を向けられなか
った。かつて一面銀世界の蟇目−茂市俯瞰がダイヤ情報誌の「四季鉄」を飾り、あまりの激Vに猛烈な刺激を受けたが、結局一度も行く機
会をもてないまま国鉄キハたちは引退してしまった。
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06・11・04 箱石−陸中川井 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP
MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP100
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11月は仕事その他に忙殺されて遠征ができず、10月の訪問が実質的に最後の盛岡詣でとなってしまった。花輪線撤退後、運用変更により国
58がほぼ毎日昼か午後の「リアス」に入っていたが、最後の輝きを見せていた彼らは一足早く11月上旬で役目を終え、最後は国52がファイ
ナル・ランを締めた。堂々の4連で山田線を走った「栄光のキハ52号」は諸兄の記憶にも新しいところではないだろうか。あれから1ヶ月、
長く厳しい冬を迎える閉伊川渓谷には、今日もキハ110の軽快なタイフォンが響いているのだろう。
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