鉄路百景 GALLERY07.盛岡キハ 6年間の奇跡 01

GALLERY07 盛岡キハ 6年間の奇跡

1.龍ヶ森を越えて〜花輪線編〜

盛岡地区の国鉄型気動車に熱き鉄の目が向き始めたのが、RM誌194号「秋こそ東北!」特集の頃からではなかっただろうか。 朝日に輝く赤銅色のキハ52が表紙を飾り、巻頭のギャラリーは『深き山の細き道岩泉線』。目氏の発表された作品群に刺激を受けたのは私だけではあるまい。 同号にはベテラン諸氏による東北各線の撮影地ガイドも掲載されており、これを手にした2週間後には、早速私も「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」片手に花輪線を目指した。 2年後の01年には、スーパーカブを駆って盛岡入り。奥中山で「はつかり」を狙う傍ら、山田・岩泉線にも足を運んだ。 盛岡色とはいえキハ52・58がみちのくの大自然の中を走る姿に、夢中でシャッターを切った。

その年の秋のことである。鉄ちゃん界が石巻・気仙沼線の御召で騒然としている頃、盛岡ではキハ58・52の国鉄色への塗替えが進められていた。 リバイバルカラーの出現は間もなく各誌で報道され、御召熱が醒めた後の我々の闘志に火をつけた。 風景だけでも一級品の盛岡ローカル各線に主役として登場するのが国鉄色とあっては、鉄魂がヒートアップしないわけがない。 以来、クリームと朱のツートンを纏った気動車たちは山岳地帯に挑み、渓谷に轍を響かせながら、数々の名シーンを展開してきた。 私も2002年に関東に移住してからというもの、機会あるごとに盛岡の地を踏み、ファインダーを通して彼らと対峙してきた。

しかし、我々を熱くさせた名優たちも、キハ110への置換えにより2007年でその活躍にピリオドを打つことになった。 まず、3月改正で花輪線から52・58が完全撤退(「よねしろ」車除く)。最後の牙城となった山田・岩泉線からも11月下旬を限りに「国鉄」の残像は姿を消した。 一つの時代が終焉を迎えた今、東北に舞い降りた6年間の奇跡に感謝の念を込めて、彼らの勇姿を振り返ってみたいと思う。



好摩で旧東北本線から分かれた花輪線は、西に進路をとり岩手山麓の田園地帯を進む。松尾八幡平までの区間は、まさに啄木的岩手を絵に描いたような風景が車窓を彩ることになる。

06・05・20 好摩−東大更 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
好摩の市街地の外れにある公園の高台からは、大更に向かって田園地帯を進む線路を望むことができる。ちょうど田植えの時期を迎えた5月の下旬、この俯瞰で国鉄色を狙ってみた。 水を張った田んぼに作業に励む農家の人々。初夏の風景の中に、クリームと赤のツートンは遠景ながらピタリと収まってくれた。

 06・05・21 大更−東大更 NikonF5 AFNikkor300oF4ED RVP100 PENTAX

日曜の夕方、最後のターゲットは快速「八幡平」。撮影地は大更のオーバークロスに決めた。 最近できたばかりのこの足場からは、高いフェンスさえクリアーすれば、姫神山をバックに長い直線を駆けてくる58の姿をバリ順光で捉えることができる。 ハスキー4段を全開にしてペンタ400とF5+300oの2丁切り。正面をギラつかせながら現れた主役に、ブレないようそっとシャッターを切った。 撮影終了が17時15分、西根ICから東北道に乗ったのが17時50分、そして…家に帰り着いたのは深夜2時のことだった。

06・05・20 北森−平館 NikonF5 AFNikkor50oF1.4 RVP100
北森や平館の近辺では今まさに田植えの真っ只中。中には一家総出で手で稲を植えている田んぼも。 兄畑付近から追っ掛けてきたものの、ロスタイムぎりぎりだったので許可を得てスナップ風に切り取ってみた。52+58の混結編成が初夏の里を軽やかに駆け抜けて行く。

 07・01・21 北森−平館 NikonF4s AF-INikkor300oF2.8ED RVP100 PENTAX 67

この冬も同じ列車を追っ掛け、上の写真と同じ場所に来た。暖冬だった今年は何と岩手ですら平地では積雪ゼロ!私に残されたのはカブリつきという最終手段だけだった。 北森発車をサンニッパで正面撃ち。

 07・01・21 北森駅 NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100 PENTAX67 smcPE

暮れなずむ北森駅でスナップを狙うも、乗降客は無し。仕方なく最後尾に付いた国52を部分撮り。 伝統の国鉄一般色を纏ながらも、黒いHゴムと「JR東日本」の銘板が、今が21世紀であることを表わしていた。

07・01・21 松尾八幡平駅 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
夕闇迫る松尾八幡平駅。折り返しの発車を待つキハ58の鼓動だけが、静かな構内に響き続けていた。数名の乗客を乗せて列車が出ると、入れ替わるように長く暗い夜がやって来た。



花輪線一番のハイライトがここ安比高原。古くは「龍ヶ森」の名で知られ、蒸機時代には難所に挑むハチロク3重連で脚光を浴びた聖地の一つである。 私の花輪線イメージも、雑誌などで岩手山をバックに山腹に弧を描く列車の姿を見ながら形成されてきた。だからこそ、初めて同線を訪れたときにはまずこのスキー場の斜面に立った。 国鉄色復活の報を聞いたときも、真っ先に頭に浮かんだのはこの俯瞰アングルであった。

02・05・02 安比高原−松尾八幡平 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
社会人になって最初のGWは、北東北に進路をとった。深夜に帰宅して0時出発で花輪線を目指す。 できることなら始発の1925Dを平館付近の田んぼから岩手山バックで、最悪でも次の1927Dを安比高原の俯瞰で撮りたい。 間に合うかどうかは気合次第。実家の車で夜の東北道をひたすら爆走した。途中眠くなる度にPAでストレッチ&洗顔、そして自分に往復ビンタ(笑)。 夜空に煌く星だけが明日のバリ晴れを期待させ、心に気合を注入してくれた。お陰で6時に松尾八幡平ICを降り、ギリギリで始発列車に滑り込みセーフ! 予報通りの晴天で岩手山もクッキリ。次の国鉄色キハ58も、龍ヶ森俯瞰で狙い通りに極めることができた。 新緑というにはまだ早いが、青空に残雪の山容が浮かぶ大パノラマは、思っていた以上の光景であった。



安比高原に次いで、湯瀬温泉前後にも風光明媚なアングルが多く点在している。 この一帯は岩手・秋田の県境にあたり、分水嶺を越えた列車は山峡の隘路を抜けて、鹿角の盆地へと下っていく。 中でも湯瀬の渓谷沿いにSカーブを描く通称一本松カーブは、四季折々背後の山の表情が変わり、絵心をそそられる場所であった。

06・05・20 兄畑−湯瀬温泉 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
この日は、GWの臨時以降続いている52+58の混結編成がA41運用に入ったので急遽単独出撃。 深夜東京発時点では雨模様だったため天気が気になったが、北上を越えたあたりでようやく晴れ間が覗き、花輪線内では青空が広がった。 さて、どこで撮るか。A41の花形運用1928Dは、普段なら湯瀬温泉の一本松Sカーブが定番中の定番。 だが、今日は58先頭の混結編成で、カーブだと後の52が目立たなくなる可能性もなきにしもあらず…。悩んだ末に、やや平凡ではあるが県境の田んぼで迎撃することにした。 水を張った田んぼの中を低い築堤が一直線に伸びる。背後は新緑で季節感も出せそうだ。間もなく、アンバランスなコンビが水鏡を揺らして猛烈な勢いでカッ飛んで行った。

 
左:04・06・14 湯瀬温泉−八幡平 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
右:07・01・21 湯瀬温泉−八幡平 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
こちらが定番の一本松。初めて訪れたのは99年の秋、「トロッコ安比」を追って北東北を回ったときである。 画面右端ギリギリで国道をかわすカツいアングルながら、渓流沿いのSカーブが線形的に面白く、バックの山が四季の彩りを演出してくれる名舞台。 国鉄色復活以後は安比高原の俯瞰と並んで花輪線の必修科目としてこのアングルを狙っていた。しかし、天気と運用と休みの兼ね合いというのがリーマン鉄の悩みのタネ。 結局Xに極まったのは夕方の岩泉線メインで行った04年6月のツアーと、最後の訪問と覚悟して出かけた今年1月のツアーのみだった。

06・09・03 湯瀬温泉−八幡平 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
昨年9月、夏期の繁忙期が一段落して花輪線に出掛けた。58の運用はA46。大館から52併結の3連でまずは盛岡まで上ってくる。が、今日の52は残念ながら盛岡色。 そこで前日へっぽこ氏から聞いた湯瀬の鉄塔俯瞰に登ってみた。ひたすら鉄塔保守の獣道を辿ること20分、ここなら真正面からの見下ろしなので最後尾の52はわかるまい。 やがて緑一色の世界にクリームと朱のツートンが現れた。



県境の峠を下ると花輪盆地に出る。先ほどまでの山間の路が嘘のように広々とした水田が続き、岩手方の山岳路線的イメージとはまた違った長閑な沿線風景が展開するようになる。 花輪盆地の中心にあるのが鹿角花輪駅。路線名の由来にもなった中心駅だが、今や発着する列車は上下合わせて1日19本とすっかり「ローカル線の駅」になってしまった。

06・08・09 鹿角花輪駅舎 NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100
発着本数は少ないとはいえ、鹿角花輪の駅は堂々たる駅舎にロータリーを備えた地方都市の玄関口らしい佇まいを見せていた。 日本三大ばやしの一つとして知られる花輪ばやしまであと10日。提灯に付けられた短冊が涼しげに風に揺られていた。

06・08・09 鹿角花輪−柴平 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
小坂鉄道への行き掛けにA41運用の国58を狙った。場所は鹿角花輪−柴平間の国道オーバークロス。ごく平凡なアングルではあるが、山裾まで広がる田んぼの奥行きがいい。 30分先行の「よねしろ」58とともに国鉄色をバッチリ頂戴した。



花輪盆地を北上していた線路は鹿角市の北端十和田南でスイッチバックし、進路を西へ向ける。 ここから終点大館までの米代川に沿った区間は、季節毎の田園の表情が我々撮影者の目を楽しませてくれる。私がこの付近を訪れたのは9月初旬。稲穂の色づきにはやや早かった。 できることなら5月の水鏡、10月のはざ掛けをカメラに収めたかったものである。

06・09・02 沢尻−十二所 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1)
撮りやすそうでいながらアクセントに欠ける花輪線西部。あまりメジャーなポイントはないが、十和田南以西で最も知られているのが十二所のオーバークロスではないだろうか。 この日はA45・48が国鉄色、つまり午前中2本立て続けに国58が大館に向かい、昼の快速「八幡平」で国鉄色4連が実現するというゴールデン運用だった。 始発の921Dを迎え撃つべくこの場所へ。しかし、残暑厳しいとはいえ初秋の9月、7時前の撮影では日が差すかどうかは微妙だった。 列車通過5分前、なかなか消えない山陰に撤退を決意し、オーバークロスの反対側からの後追いに切り換えた。結果これが大正解! 日の出直後のコテコテ光線を浴びて、ツートンカラーは田んぼの中を駆け抜けていった。

06・09・02 沢尻−十二所 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
次の1927Dはバッチリ日が当たる正面側でスタンバイ。道路上からだと電線が入るため、築堤斜面のススキを大伐採して中段からペンタ400を構える。 ついでに線路際の雑草も除去して準備完了。X運用の週末だけに鉄ちゃんの数も多く、通過直前にはこの場所に10名ほどが集まった。 踏切が鳴る。直線の向こうからパノラミックフェイスが顔を出した。直線からカーブに差し掛かったところでレリーズオン! 後には心地よい手応えと去り行くキハのジョイント音だけが残った。

06・09・02 末広−土深井 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
さて、いよいよ本命の「八幡平」。被写体はXなのだが、真昼間のスジゆえに場所の選定が難しい。 いいアイデアもなかったので、十二所のクロスでバッタリ遭遇したF氏御一行に誘われて末広−土深井の築堤にやってきた。 草刈りを敢行すれば普通に下から撮れそうではあったが、F氏は背後の山に登ると言い出しがむしゃらに斜面にアタック。我々も必死で後を追う。 かなり強引な直登だったにもかかわらず、数分で木々の切れ間を発見。バックに国道がチラリと入るものの、田んぼを突っ切る線路が綺麗に見下ろせた。 手前のボケ木には目をつぶってペンタ300で構図を決める。あとは列車を待つばかり。 定時、計8基のエンジンを唸らせて、往時の急行を思わせる「八幡平」が画面を駆け抜けていった。

07・01・21 沢尻−十二所 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
今年の1月、センター試験前後で変則的に連休が入ったので鹿島から岩手へワープ。 3月改正での110投入開始が確実視されていたので、最後の国鉄キハ参りと覚悟して花輪線にやって来た。朝の1925Dを十二所で待つ。冬の遅い朝日がゆっくりと稜線から顔を出した。 薄青かった雪原が次第にオレンジに染まってゆく。何と美しい光景なのだろう。そこへ気持ちを現実に引き戻す踏切の鐘。さぁ来るぞ! 恐らく撮り納めとなる「花輪線の国鉄色」は、長い影を落としながらファインダーに飛び込みそして瞬く間に遠ざかっていった。 列車の舞い上げた雪煙が消えると、再び辺りは静寂に包まれた。

このときに予感していた通り、これ以後花輪線を再訪する機会がないまま、3月改正で52・58は運用を離脱した。 最終日は国鉄色3連にHMが掲出され、車内では記念品が配られるなど大盛況だったとのこと。 古武士たちは有終の美を飾ったが、我々にとってはまた一つ思い出深い「聖地」が記憶の彼方に消え去ることになった。



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