鉄路百景 GALLERY05.筑豊・久大 汽車の旅02

GALLERY05 筑豊・久大 汽車の旅

2.久大本線客レキャンプ 1998

90年代末期、当時の久大本線は、前述の筑豊本線と並んで日中数往復の普通客車列車が残っていることでファンの注目を浴びていた。筑豊 がDD51+50系という車両の編成美がウリであったのに対し、一方の久大は玖珠川を幾つもの鉄橋で渡り、独特の山容の由布岳が睥睨する 由布院の盆地を駆ける風光明媚なロケーションが一番の魅力。雑誌による煽りも手伝い、玖珠高原の汽車たちは、私の中でも隅に置けない 存在になりつつあった。

そんなわけで、3日間の筑豊キャンプを終えると、九州鉄ちゃんベルビア(+1)氏御一行の車にお世話になって日田へ向かった。しかし、久 大沿線というのは山地特有の不安定な天気に翻弄されることが多く、大分の明るいイメージに反して意外なほどに晴れない。我々が訪れた 8月13〜15日もほとんどがどん曇り。様々なアングルに立ち、温泉を堪能し、グループで楽しいひと時を過ごすことができたが、こと写真に 関しては低感度フィルムで苦戦の続いた3日間であった。

ようやく天候が安定してきたのは、御一行と別れて1人歩き鉄になった16日の午後から。空模様を見て、午後の客レ定番引治の大カーブへ 向かった。駅から徒歩数分で立ち位置に到着。現地には既に数人の鉄ちゃんがカメラを構えていた。デジ全盛の今から見ると時代を感じる (苦笑)が、達人と思しき面々の機材は皆バケペン&ハスキー。マミヤとマンフロットですみませんと肩身を狭くしながら三脚を立てた。

列車待ちの間は、名も知らぬとはいえ同好の士、周囲の人々と世間話に花が咲く。隣に構える年の頃二十歳前後の若い鉄ちゃん氏曰く「え、 歩きで回ってるのん?めっちゃ効率悪いやろ〜。学生でも使える安い移動手段があんで。ホラ…」氏が指差したのは、ホンダ スーパーカブ 50!地元のおっちゃんのかと思いきや、バックに煌くナンバープレートは、な、何と名張ナンバーではないか!聞いてみると、氏は草津市 在住の大学生。関西からだと大阪南港−新門司の名門大洋フェリーか南港−別府の関西汽船にバイクを載せて数千円で九州までワープでき るという。上陸してしまえばリッター70キロという驚異の燃費で走り回り、撮影地移動もお手のものだとか。な、なるほど〜。既に私の頭 の中では、カブに跨り沿線を颯爽と駆けている翌年の自分の姿が鮮明に思い描かれていた。ちなみに、彼こそが今も時折コンテンツ内に登 場するロン隊長その人なのであった。

 98・08・16 引治−豊後中村 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO135oF2.8 KR
  引治の豊後中村側では、田んぼの中に大きく弧を描く線路を見渡すことができ
 る。メタリックグリーンの“ゆふいんの森U”が緑一色の世界を行く。

ところが肝心の撮影は、前走りの「ゆふいんの森」はバッチリ頂戴できたが、本命の客レがゲリラ雲にやられて撃沈。空気も澄んで申し分 ない条件だっただけに、一同激しく落胆。またのバリ晴れを願ってその場を去った。

再び御天道様がご機嫌になったのは2日後の18日。この日は雲は多目ながら空気はクリアーで、日中から俯瞰アングルの点在する豊後中川 −天ヶ瀬をウロウロした。ハイライトは沈下橋がアングルに入る玖珠川の鉄橋。地べたから見上げるのが所定だが、国道沿いの崖っぷちに 建つ不気味な廃屋の軒先から撮る通称“廃屋俯瞰”や、少し離れた棚田の最上段からロングで見下ろす“沈下橋大俯瞰”など、スジにより 好みにより様々な角度から狙うことができた。

夕刻、せっかくの好天なので大俯瞰を極めようと急斜面の畦道を登る。目隠しの竹薮がかわせるまで高度を上げると、眼下には大きく蛇行 する玖珠川と、それを横切る久大線の赤い鉄橋が見下ろせた。レンズは何ミリでもOK。ただ、当時マミヤは標準と150oのみのラインナッ プ。本当はもう少し長いタマが良かったが無い袖は振れぬ。仕方なく広めに150oでセットし、代わりに35判は135oで手前の藪をザックリ カットする。右手から河原が徐々に陰ってくる中、12系3連の1822レは山の上まで轍の音を響かせながら、ゆっくりと鉄橋を渡って行った。

98・08・18 豊後中川−天ヶ瀬 MamiyaM645 1000s SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
 夕方の1822レのハイライト、豊後中川の沈下橋大俯瞰。箱庭のような風景の中、茜色の光に染まる客レを見送った。

ところが、夕方までこんなに晴れたのに翌日はまたもどん曇り…。一応恵良−引治の築堤で頑張ってみたが、当然Xカットは撮れず。夕方 からロン隊長と引治の温泉館でまったりウダウダして暇を潰すことになった。本当に久大線での激X連発は難しい!結局閉館で追い出され るまで温泉館でダラダラし、その夜はそのまま温泉館駐車場で素マルヨ。



未明に目を覚ますと、いつのまにやら上空には星が瞬いていた。「悪いけど由布岳バック行くわ!」ロン隊長はカブ号を駆ってスクランブ ル発進。列車以外に移動手段を持たない私は、選択の余地なく駐車場からの俯瞰アングルに三脚を立てた。朝靄に包まれた盆地が薄明るく なってくる。1本目の大分行き50系は、日の出直前にやって来た。早朝の静寂を破るように、峠に向かうDEが唸る。歩くような速度で進 む客レに、プロビア(+1)、ニハン・ニッパの限界露出でシャッターを切った。

98・08・20 引治−豊後中村 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 RDPU(+1)
 朝靄の中、引治から峠に向かう4821レを温泉館駐車場から俯瞰する。日の出前の露出は厳しい…。

続いて由布院から下ってくる1820レを迎え撃つ。日が昇るとともに靄が晴れてきた。空は真っ青、バリ晴れの予感!露出はグングン上がっ て500の4。間もなく汽笛一声、トンネルを抜けて現れたDE10+12系をマミヤの70oで切り取った。

98・08・20 引治−豊後中村 MamiyaM645 1000s SEKOR70oF2.8 RVP(+1)
 朝一で山を下りてきた1820レ。ややくたびれたDEと12系が朝日を浴びて引治の駅へ滑り込む。同じく温泉館より。

今度は引治からキハに乗って杉河内へ。慈恩の滝の鉄橋で1821レを狙う。駅から徒歩数分の国道の橋の上から標準レンズで切り取る。KR なのでそうは見えないが、珍しいほどのバリ晴れで、空の青と杉林の緑が麗しい。間もなく、3両の12系を率いたDE10が渓流に姿を現し た。

98・08・20 杉河内−北山田 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 KR
 杉河内の慈恩の滝の鉄橋にて。客車3両の1821レが長さ・光線ともドンピシャリ。フツーのアングルだが手堅くX!

慈恩の滝鉄橋で、数日前に他の撮影地で一緒になったスープラ氏に再会。「乗って行きなよ」というありがたいお誘いを受け、便乗させて いただくことになった。次なるアングルはロン隊長が言うところの“上級俯瞰”。高さはそれほどでもないが足場が悪く、登るのに難儀す ることにかけては“上級”なのだとか。列車通過はちょうど真昼。夏場ゆえ光線はギンギンのトップライトだが、山深いこの区間は秋口から 冬場は終日日陰、極めるなら今しかないとのことであった。

確かに国道のコンクリ法面をよじ登り、崩れかけの斜面をバランスを取りながら上がっていくのは大変だった。おまけに構える足場も不安 定。苦しい姿勢ながら、早めにセッティングして来る列車を全て仕留める。キハ71の「ゆふいんの森1号」、キハ183-1000の「ゆふいん の森2号」を頂戴して、いよいよ本命の1823レ。太陽高度もピークに達した正午頃、杉林の奥から現れたDEは、微かに紫煙をたなびかせ ながら、我々の眼前を足早に駆け抜けていった。

98・08・20 杉河内−天ヶ瀬 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 KR
 上がりを見るとやっぱり光線がカタい。屋根ばかりギラギラに輝いてますがな。まぁ季節がら仕方ないか〜。

午後はまず恵良を出てすぐの直線へ。足回りの草がややウルサイものの、バリ順で編成撮りするにはベストのポイントである。きれいな三 角錐を描くおにぎり山と、その後に続く九州らしい台形の山。自然の屏風を背に、蒸機の如く黒煙を吹き上げて力行するDEを全開露出で 捉えた。

98・08・20 恵良−引治 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO135oF2.8 KR
 午後一の4825レは恵良−引治の直線で。普通の直線ではあるが、背後のおにぎり山とDEの黒煙がいとをかし。

次はいよいよ本命“引治の大カーブ”。ロン隊長から「あそこは曇りの名(迷)所やで〜」と聞いてはいたが、やはりスープラ氏もここをま だ課題に残しているとのこと。平凡に見えてなかなか手強いポイントである。

今日は現地の天候晴れ。2日前ほど空気は澄んでいないが、ゲリラ雲なしの安定した空模様ではある。当然この機を待っていた同士数名が この場所に集結。90年代トレンドのバケ&ハスキーが既に数セット並べられていた。隙間を縫うように脚を据え、135oタテでバックの稜線 をカット、画面左で畦道とガードレールをかわしてアングルを決める。「今度こそは撮らせてくれ…」祈るような気持ちで列車を待った。

16時前、短い汽笛とともに画面奥の鉄橋にDEが登場。太陽の周りに雲はない。露出よし、巻上げもよし、あとはレリーズを押し込むのみ。 峠からの下りこみになっているせいか、駅が近いにもかかわらず列車はアップテンポのジョイント音を響かせたまま大きく弧を描いてアン グル内を半周し、杉木立の影を抜けて切り位置へ。我が装備はモードラ無しのOM−1一丁。チャンスは一瞬である。線路脇の標識が列車 に隠れた瞬間、たった1枚のシャッターを切った。手応え充分。今ツアー3回目の挑戦で、ようやく引治を仕留めることができた!

 98・08・20 引治−豊後中村
 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO135oF2.8 KR
  毎日のように通ってようやく晴れた引治の大カーブ!雑
 誌でよく見る定番アングルではあるが、苦労した分感慨も
 ひとしお。

1822レは豊後森で約40分のバカ停がある。スープラ号にお世話になって豊後中川の沈下橋へ追っ掛け。前回が棚田からの大俯瞰だったので、 今回は登り口の道路から鉄橋を真横で狙う。しかし…鉄橋の手前にケーブルを支えるステーがあるのを見落としてしまい、大失敗!まった く情けないやらもったいないやら。仕方なく、その次のキハ58を真面目に撮った。白地に青帯の九州色がオレンジ光線に照らされる。ほん のり赤く染まったキハも美しかった。

 98・08・20 豊後中川−天ヶ瀬 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO100oF2.8 RVP(+1)
  最後は沈下橋にてキハ58を撮影。国鉄型のキハ3連も捨てたものではなかった。

ここで切り上げるスープラ氏とお別れし、夜は南由布でマルヨ。既にツアーも終盤、今朝撮れなかった由布岳バックの50系を是非とも極め て帰りたい。星は★キンキン★に輝いている。明朝の晴れを祈って眠りに就いた。



ところが、翌朝目が覚めると辺りは一面ホワイトアウト!!由布岳どころか対面のホームも見えやしない。参ったなぁ…。とはいえ、二度 寝しようにもそろそろ通勤通学時間帯、さすがにベンチで大の字になるもの憚られる。思案に暮れていると、霧の中から朝日が差し込み始 めた。白一色の世界が徐々に淡いピンクに色づき始める…。これは絵になるかも!

ダメもとでホーム先端にゲバを据えた。OM180oの一丁切り。フィルムはドラマティック・カラーのベルビア(+1)で決まり。間もなく遠方 に2灯のヘッドライトが見えた。ゆっくりとショートノーズのDEが登場。深い朝霧に包まれた高原の小駅に、レッドトレインは静かに滑 り込んだ。

98・08・21 南由布駅 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO180oF2.8 RVP(+1)
 朝霧に包まれた南由布駅に50系の4821レが入線。一面乳白色の世界は幻想的ですらあった。

久大には翌日まで滞在したが、再び天候が崩れ始めたため、以後Xカットはものにできぬまま撤収となった。最終日は引治駅でマルヨし、 客レで日田まで出て日田彦山線に乗り鉄。曇天とはいえ、杉の美林に囲まれた農村風景は心洗われるようだった。田川後藤寺で小倉行きに 乗り換え。小倉行きの先頭には、当時まだ辛うじて残っていた直方区のキハ52が併結されていた。くたびれたボックスシートに足を投げ出 し、約1時間の旅。15時頃には小倉に到着した。

その後小倉で何をしたかはほとんど覚えていない。10年という月日は、人の記憶をこうも簡単に風化させてしまうのか(それとも記憶が吹っ 飛ぶくらい何度も行っているからなのか?)。唯一確かなのは、夜の門司港駅で駅舎のバルブをしたこと。幾度もポスターなどで目にした風 格ある駅舎は、夜闇にライトアップされて一層威厳を漂わせていた。手前に噴水を配し、人の往来が疎らになった隙を狙ってレリーズを握 った。

98・08・22 門司港駅 OLYMPUS OM‐1 ZUIKO50oF1.4 RVP(+1)
 大正3年築という門司港駅舎。堂々たる佇まいは、かつてここが九州の玄関口だった証である。

小倉から「ムーンライト九州」に乗って九州を後にする。次の門司を出ると、列車はすぐに関門トンネルへ。本州に渡り、厚狭を過ぎると 岡山まで客扱いは無い。炎天下14日間の撮影行もあとは京都まで列車に身を任せるのみ。リクライニングを倒し、深い眠りに落ちた。

沿線での色々な方との出会いもあってある程度撮れたとはいえ、久大客レは私にとってまだまだ課題山積。下見はしたものの極め切れてい ない撮影地があまた残されている。玖珠高原を行く“汽車”たちの憧憬は、未だ私の心を捉えて離さない。翌年もきっと、客レの轍こだま す由布盆地に、私は三脚を立てているのだろう。



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