鉄路百景 GALLERY04.“JNR” Heroes02

GALLERY04 “JNR” Heroes

2.北陸特急 琵琶湖畔を駆ける

それは、今から10年以上前、大学進学直前の3月のことだった。寒さも忘れて夜の新潟駅でバルブ撮影をしていると、隣のホームに大阪か らの特急列車が入線してきた。身に纏うはクリームと赤の栄光の国鉄特急色。先頭を見れば、独特の優美なフォルムに五角形の大型ヘッド マーク。そしてそこには「雷鳥」のサインが燦然と輝いていた。あぁ、ボンネット!ボンネットは生きていた!

長らく関東在住だった私には、ボンネットといえば前年撤退したひたち色と「能登」の運用に入る白山色くらいしか縁がなく、国鉄特急色 の正統派“こだま型”は既に本の中だけの存在だと思い込んでいた。いや、ボンネットだけではない。上野口の特急が廃止もしくは新型に 置き換わった90年代末、電機釜も含めて485系自体を首都圏で目にすることはほとんどなくなっていた。そんな伝説の特急車両に、これから 実際の被写体として自分も向き合うことができるのだ!2年間の受験生生活ですっかり浦島太郎になっていた私にとって、これは大きな衝 撃であった。

ところが人間というのは現金なもので、いざ京都に移ると山陰には国鉄色のキハがいるし、岐阜界隈には谷汲線などの名鉄ローカルが展 開し、紀勢にはDD重連の3161レが健在、九州の普通客レたちも魅力的…とすっかり浮気症(汗)。肝心のボンネットは「雷鳥」「しらさぎ」 合わせれば相当な本数があるので大丈夫!と完全に後回しになってしまっていた。



これではイカン!心を入れ替えてまず最初に向かったのが、「しらさぎ」の舞台、東海道本線の関ヶ原越えであった。湖東の名峰伊吹山に 見守られて美濃と近江の国境を進むこの区間は、ここが天下のメガロポリス東海道であることを忘れさせるような絶好のロケーション。秀 峰が澄んだ青空に抜ける秋〜冬を中心に、幾度もこの近辺を訪れた。

99・11・14 近江長岡−柏原 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
大学2回生の秋、かつて乗り鉄旅行のついでに立ち寄った伊吹バックポイントを再訪した。田んぼはとっくに刈り取られてしまったが、綿 雲浮かぶ秋空とどっしりとした山容の組み合わせがいとをかし。定番の線路脇からではつまらないと思い、少し離れた立ち位置から構えて みた。単調な踏切の音に混ざって、聞き慣れたモータの唸り。間もなく柔らかな午後の光線を浴びた電機釜編成がファインダーに現れた。

こうして初戦で勝利したのが良かったのか、以後2年間、機会ある毎に近江長岡の前後で伊吹バックを狙って勝率は9割近く。山との相性 は抜群だった。まぁ、当日の天気を見てから間に合う距離なので当然ではあるのだが(笑)。

99・11・19 近江長岡−柏原 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 RVP(+1)
暇だけはある大学生は、紅葉シーズンには天気さえ良ければ平日だろうとお構いなしに機材を持っていざ出撃!この日もお気に入りの近江 長岡にやってきた。が、先日の伊吹バックポイントを見てビックリ。僅か数日の間に上下線間にピカピカのタイガーロープが張られ、アン グルは過去のものとなっていた。鉄の世界も一寸先は闇、何が起こるかわからないものである。今回はボンネットのサイドビューを切り取 ろうと、こんな構図で構えてみた。

00・12・23 近江長岡−醒ヶ井 MamiyaM645SUPER SEKOR 210oF4N E100VS
近江長岡−柏原が撮れなくなったため、伊吹バックの筆頭アングルは醒ヶ井方の築堤ということになった。見上げ構図でピントが合わせづ らいのと季節によっては築堤の草が鬱陶しいのがマイナスだが、目障りな高圧鉄塔も入らずスッキリ撮れるという点ではこちらがX。2000 年の年末、18きっぷで実家に帰省する途中にここへ寄り道して行くことにした。近江長岡で降りて、線路沿いに徒歩10分強。初冬の穏やか な晴天の下、待つこと約30分で「しらさぎ3号」がやって来る。3灯のライトが見えてきた。さぁ来い!一番日の低いこの時期だと、列車 の正面にも光線がベタ当たり。まだ冠雪はなかったものの稜線クッキリの伊吹山を背に、大型の「しらさぎ」マークを掲げたボンネットが 駆け抜けて行った。

01・02・27 近江長岡−醒ヶ井 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
2月、今度は冠雪を狙ってこのポイントを再訪した。関東で鉄した帰りに「ながら」接続の普電を近江長岡で下車。まずは、増解結がある ため必ず電機釜で来る「しらさぎ1号」を1カット。どうせ面陰りだろうと、中望遠で山を右側にオフセットする構図にして撮ってみた。

01・02・27 近江長岡−醒ヶ井 MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1)
続いてボンネットの「しらさぎ3号」を、今度は買ったばかりの新兵器マミヤ200oで。バリ順光を期待したが、既に冬至から2ヶ月余り、 正面の光線はすっかり薄くなっていた。それでも名峰と名車の組み合わせは秀逸。当時のラインナップ中最強の白レンズで撮れたし、もう 納得。このアングルの「しらさぎ」は晴れて卒業となった。

さぁ、この後は米原で北陸本線に乗り換え、昼は新疋田、そして午後は余呉カーブへと転戦する予定である。今思えば、この頃の湖東方面 は電車&徒歩鉄でもずいぶん充実した1日を過ごせたものだった。



今ではサンダーシリーズしか通らなくなって撮り鉄的には寂れた感のある湖東・湖北路の北陸本線だが、伊吹山と琵琶湖に挟まれた田園地 帯は絵になるポイントが多く、ヨンパーゴや食パン電車が行き来していた頃はよく足を運んだものだった。秀吉ゆかりの城下町・長浜を過 ぎ、信長と浅井・朝倉連合軍が雌雄を決した姉川の戦い、秀吉が柴田勝家を破った賤ヶ岳の戦いなど戦国時代末期の古戦場を巡るように走 り、どことなく歴史の香りが漂うのもこの区間に惹かれた理由だったかも知れない。

00・11・29 田村−坂田 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
とある撮影地ガイドを見て、ぜひ狙ってみたいと思ったのが田村山の俯瞰であった。田園地帯を真一文字に貫く直線を琵琶湖バックで切り 取る構図が、“風景的鉄道写真”に傾倒していた当時の私を捉えたようである。しかし、作例は221系の新快速や曇天下のSLばかり。ここ で485系の特急は撮れないのか?リサーチの結果、光線は早朝がベスト、従って「しらさぎ2号」が好条件で極まることがわかった。が、問 題は天気である。田んぼが美しい夏場に、琵琶湖の対岸が見えるほどのコンディションに恵まれることは滅多にない。結局現地を訪問でき たのは、秋もすっかり深まった11月下旬のことだった。残念ながら、収穫が終わって久しい水田ははや冬枯れ模様。でも、空気だけはクリ アーだった。向こう岸の町並みまではっきり見える快晴の下、増結編成を加えた計10連の特急色が湖畔を駆け抜けて行った。

01・02・27 余呉−木ノ本 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
湖北路で最も手堅く編成撮りできるのが、通称“余呉カーブ”。午後の下り列車が順光で押さえられる貴重なポイントでもあり、ボンネッ トの終焉が迫ってきた頃に幾度かここを訪れた。複線区間ながら上下線別々の片持ちポールゆえ、イン側に何も障害物を掛けずに撮れるの がここのメリット。一方で架線柱が交互にあるため、顔の周りにポールが来ないように、かつ編成をピッタリ収める立ち位置を探るのが大 変で、今みたいにデジ撮りしてモニターで即確認…などという芸当ができなかったあの頃は、画面がユルいとかカツいとかで何度も撮り直 しに出向かなければならなかった。このときも計3度目の勝負。前回の失敗ポジを持ち込んで、長さを計算しながらアングルを決めた。今 日はラッキーなことにボンネットが登場!やや正面の光線が薄いが、原形を留めた美しい“こだま型”をバッチリ仕留めることができた。

01・08・02 余呉−木ノ本 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
あまり知られてなかったが、定番余呉カーブの数百メートル米原方にもXポイントがあった。こちらは朝の上りが順光で、手前の田んぼが 美しい。5月の終わりに一度訪ねたが、このときは天気がイマイチ。8月に入ってもう一度チャレンジすることにした。この日は午後から バイトだったので、午前だけのちょい鉄活動。朝からじりじりと日差しが照りつける炎天下の中、銀箱担いでアングルへ。5月に水鏡だっ た水田は早くも稲穂が色付き始めていた。築堤に転がされていた肥料袋を目立たぬ所へ撤去して、7連の「しらさぎ」をマミヤ150oで 迎え撃つ。極まったぜぃ!



「しらさぎ」「加越」が闊歩する湖東路の北陸本線に対し、湖西線はその名の通り、比叡山・比良山系に沿って琵琶湖西岸を北上する「雷 鳥」の道。1974年開業の新線ながら、沿線風景に恵まれた特急街道は、幾多の名シーンを我々の前に展開してくれた。京都に住んでいた頃 は、一山越えれば1時間余りで行ける手軽さもあり、原付に乗って度々比良山バック・琵琶湖バックの絵を切り取りに出掛けていた。

01・02・21 小野−和邇 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
583の集約臨や「日本海」狙いで幾度か来ていた定番、小野−和邇。この冬はぜひ冠雪した比良山系を背にボンネットを仕留めたいと思ってい た。冬型も緩み始めた2月下旬に作戦始動!凍てつく空気を切り裂いて、スーパーカブで比叡山を越える。スロットルを握る指先もだが、路 面が凍結しているのでは…と肝も冷え冷え(汗)。無事にアングルに辿り着いた頃には、冬の早朝から汗だくになってしまった。山頂の雪は期待 した程ではなかったが、この時期にしては綺麗な青空。築堤の後ろの電柱などを隠すためローアングルでセットし、まぁ納得の条件でボンネッ ト「雷鳥4号」を頂戴した。

01・05・13 志賀−蓬莱 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
水を張った棚田の上を緑の風が吹き抜ける初夏の湖西線。そんな風に乗って、鏡を敷き詰めたような水田を前景に、琵琶湖を背景に今日も特急色 が軽やかに駆けてゆく。就職活動真っ盛りの4回生の5月、この日は午前中が某社の3次面接だった。幸か不幸か変に生き残ってしまったために、 前日の神岡鉄道ツアーから泣く泣く撤収。慣れない手つきでネクタイを締め、穏やかな青空の下、緊張しながら会場に向かった。

件の面接は昼前には終了。よし、今からでも遅くない!バリ晴れを無駄にせぬよう早速スーツを脱ぎ捨てて比叡山を越えた。定番志賀−蓬莱は、ち ょうど田植えが終わったばかり。16時半過ぎ、風に乗ってボンネット「雷鳥34号」がやって来た。

01・08・01 志賀−蓬莱 MamiyaM645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1)
北陸筋でボンネットが普通に走っていた当時、私の周囲には“横から撮れない「しらさぎ」車、前から撮れない「雷鳥」車”なる格言?があった。ベロ 付き外付けマークの「しらさぎ」は正面は原型そのものだが、金沢の車は何故か雨樋の赤帯を省略していてやや不自然であった。一方の「雷鳥」はサイ ドこそ正調国鉄色だが、顔の方は切欠きスカートに幕式マーク、カバーなしヘッドライトとお世辞にも頂けない姿だった。格言なるもの、なるほど一理 はあるものである。

サイドビューが売りの「雷鳥」は、何といってもここが一番よく似合う。今度は稲穂と琵琶湖を絡めようと、8月のある日、バイト前のちょい時間を使 ってサクッと志賀−蓬莱に出掛けてみた。今日は夏らしい積乱雲が絵的にX。猛暑を和らげるように、ボンネットが一陣の風を運んできた。

01・05・28 マキノ−永原 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 RVP(+1)
マキノを過ぎると、線路は琵琶湖岸を離れて県境の追坂峠に向かう。この峠のアプローチ区間が湖西北部の定番ポイント。国道のサミット近くから下り列車 を俯瞰するもよし、線路脇の畔から坂を下ってくる上り列車を編成撮りするもよし。周囲は田園地帯なので、春から秋にかけてが旬である。

大学の先輩でヨンパーゴ追求の大家であるF31氏に連れられて、初夏の1日にここを訪れた。時期的に瑞々しい緑に覆われるのは良いけれど、惜しむらくは 日が高いこと。もうトップライトになろうかという時間なのに、まるで正面には光線が回らないではないか。一瞬撮影を躊躇ったが、そこへ現れた「雷鳥16 号」は、切欠きスカートながら原型ヘッドライトのボンネット!1台だけセットしていた老兵OM−1で、どうにかチャンスをものにした。

01・11・20 マキノ−永原 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
関西にも遅い紅葉前線が訪れる11月下旬、棚田と湖のイメージばかりが先行する湖西線だが、ここなら「雷鳥」に錦の景色を収められるのでは…と原付を走 らせた。気温10度を下回る早朝の比叡山をカブで走れば、体感温度は氷点下。かじかむ指先でスロットルを握りしめながら山を越え、国道161号を北上する。 小野−和邇、志賀−蓬莱、近江高島と定番を過ぎ、マキノから坂を上がってようやく現地着。天気は快晴!例年地味な紅葉も、この年は比較的鮮やかに色付 いていた。9時半過ぎ、雄大な大築堤にモーター音を響かせて、ボンネットの「雷鳥9号」が登場した。



北陸・湖西両線が合流し、東周りの「しらさぎ」「加越」と西周りの「雷鳥」が一緒に撮れる欲張りなポイントが、関西一の撮影名所と言っても過言ではな い新疋田。初めのうちはあまりに定番過ぎてちょっと敬遠していたが、一度この近辺常連のF31氏にご案内いただくと、恥ずかしながらやっぱり私もコロッ とハマってしまった。駅近くのインカーブも、上下線クロスのカブリつきも、ダンロップも…なかなかカッコいいやないか!以来、ボンネットの先が見えて きてからというもの、機会ある毎にこの界隈を訪れることになった。

01・02・27 新疋田−敦賀 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
最近は何かと規制が厳しくなって、線間からインカーブで撮れなくなったという定番新疋田カーブ。F31氏と共に2000年の秋頃から幾度か訪れたが、空が白 かったり正面に日が当らなかったり…と意外に最高条件に恵まれず、やっと極まったのは翌年2月も終わりのことだった。光線は昼の「しらさぎ8号」がベ スト。過去数回の敗北ポジを見ながら立ち位置とアングルを確認。7連の「しらさぎ」なら架線柱5スパンでピッタリのはずである。なるべく日が低い時期 に…と考えていたこの課題、どうにか春分1カ月前に無事消化することができた。

01・05・28 新疋田−敦賀 MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N RVP(+1)
海岸近くまで急峻な山地がせり出し、陸の孤島のようになっている福井県嶺南地方。だが、険しい地形は、裏を返せば季節感溢れるフォトジェニックなシーナ リーでもあり、四季の情景を絡めて鉄道情景を狙う我々には恰好の舞台となる。敦賀まで僅か数キロのこの付近も、分水嶺の峰々が間近に迫り、その間を縫う ように特急街道が曲線を描く。新緑の美しい今日は、そんな山岳区間を象徴する鳩原ループでカブリつき。ピーッ・ピーッ・ピーッと列車接近を告げる警報機 が鳴ると、間もなく西日を浴びた電気釜「雷鳥」が登場した。今は立入禁止になってしまった場所での思い出の1枚。

01・05・28 新疋田−敦賀 Mamiya645SUPER SEKOR A200oF2.8 RVP(+1)
今も昔も“ダンロップ”は夕方下りの人気スポットである。鳩原ループを撮った後、1日の仕上げにこの場所に来た。ボンネットの終焉が囁かれていただけあ って、平日だというのに早くも先客が数名。同行のF31氏の見本写真を手掛かりにアングルを決めた。

このポイント、ド定番の割に構図が結構難しい。まず、上下線がセパレートしているため架線柱が交互に並んでいて、切り位置周辺の処理が大変。それから背 後の山に高圧鉄塔があるため、できれば長玉で稜線はカットしたい。ところが、編成後部のカーブの先は国道のオーバークロスで、これを画面から外してフル 編成載せようと思うと、あまり長いレンズは使えない。微妙な立ち位置一つでXと非Xが分かれてしまう場所なのである。悔しいが、今日の立ち位置はいまひ とつ。マミヤの白レンズ200oで架線柱は全てかわしたが、結局山の稜線は切れなかった。まぁ、青空だしよしとするか!ボンネット自体は激晴れ・激ピン・激 露出でバッチリ頂戴した。

01・08・25 新疋田−敦賀 MamiyaM645SUPER SEKOR210oF4N RVP(+1)
大学4回生の夏は、就職活動にケリを付け、スーパーカブで東北大遠征を敢行。2週間の旅程で盛岡ローカル各線とナナゴ貨物・485「はつかり」を仕留め、秋田 港から新日本海フェリーで帰還した。敦賀港入港は朝7時過ぎ。天気はドバリ晴れ。そのまま帰宅するつもりが、あまりの青空に誘われて、ついつい鳩原ループのト ンネル抜けポイントに来てしまった。「日本海」「雷鳥6号」「加越4号」「しらさぎ4号」…わずか1時間ちょっとの間に次々と役者たちが現れる。針葉樹の濃 い緑に、パイチのローズピンクが、特急色のクリームがよく映えた。今となっては夢のような朝のひとときであった。

00・11・24 敦賀−新疋田 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 EBX
2001年、「雷鳥」に683系が大量投入され、玉突きで一部の485系が塗色変更されたうえ「しらさぎ」に転用された。これで「しらさぎ」は撮影対象から陥落。翌3月 には私が京都での生活を終えて関東に移り、03年には「しらさぎ」が全て683系化され、「雷鳥」からボンネットが撤退した。

あれほど熱くなった特急群も魅力は半減。もう北陸はいいかなぁ…。興味の対象は各地で復活を遂げた国鉄色の気動車たちに向けられ、湖西・北陸からはしばらく足 が遠のくことになってしまった。



再び北陸特急に火が付いたのは、今年に入ってからのことである。いよいよ「雷鳥」から非パノ編成が消えると聞き、春のテーマとして“清水の桜”を照準に入れた。 古くから桜の時期の撮影地として知られているこのポイントだが、これまで大々的に誌面で発表されたことがなく出撃を躊躇していた。しかし、最後かも知れないと 煽られれば出撃せざるを得ないのが鉄の性。折しも、直前に発売されたRM詩にみやざき氏の作品が見開きで載った。よし、行こう!春期講習を終えてから新学期が 始まるまでの合間を縫って、湖北に花を愛でに出掛けた。

09・04・08 マキノ−永原 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
ロマンスカー氏からの情報通り、今年は例年よりも開花が早めのようだった。小道沿いのソメイヨシノはまだ2分咲きというのに、清水の桜は4月上旬のこの日ですで に満開。滋賀の自然記念物にも指定されている名木だけあり、周囲を圧倒するように広がる堂々たる枝振りは貫禄充分で、前に立つと、特急色と組み合わせてどう料理 しようかと思わず胸が高鳴って来る。レンズを変え立ち位置を変えながら、40分に1本のペースでやって来る国鉄色をピンクの花弁をモチーフに切り取った。

09・04・11 マキノ−永原 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP50(+1)
翌週は同じポイントのソメイヨシノが見頃を迎えていた。クリアーな青空に抜けるピンクの花びらを大きく入れて、ペンタ90でセッティング。パイチ貨物・「日本海」・ 「雷鳥」と国鉄な被写体を次々とXに頂戴した。

09・04・11 マキノ−永原 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
上下合わせれば、1時間に2本の割合でひっきりなしにヨンパーゴがやって来る。同じ構図で撮っていてもマンネリ化してしまうため、たまにはこんなアングルで。名付 けて“プリクラアングル”(笑)。今を盛りと咲き誇る桜にピンを置き、薄紅色のフレームの中にアウトフォーカスで国鉄色を収めてみた。

09・04・07 敦賀−新疋田 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
485系と桜。ボンネットを夢中で追っていた頃は車両にばかり目が行って、この取り合わせにはさして注目はしていなかった。過去の雑誌を繰ってみても、清水の桜以外の アングルはほとんどなし。「雷鳥」マークをアップでドカン!にバック桜という理想の構図は、所詮脳内妄想に過ぎないと諦めていた。が、この春の●M誌の表紙写真を 見ると…あるではないか、桜バックの正面撃ちが!みやざき氏が獲った表紙のキャプションには、ご丁寧に「敦賀のループに程近い『禅源寺踏切』…」とポイントまで明 記されている。これは行くしかない。午前一杯清水の桜で楽しんだ後は、新疋田−敦賀に転戦し、以前 撮影日記51 でも出した“禅源寺のカーブ”でエロエロ光線に照ら される「雷鳥33号」を迎え撃った。

09・04・29 敦賀−新疋田 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
GW初日は新疋田に出撃。現地で合流したぐっちょん氏御一行と午前をループ俯瞰で過ごし、午後はダンロップに陣取った。定番ポイントは8年前にボンネットで撮ったので、 今日は後ろに下がってサンニッパでSカーブをブチ抜く。事前に「サンダーバード」をデジ撮りし、編成長と切り位置を確認。ATS地上子を切り位置にすれば、9両がぴたり アングルに載りそうだ。17時半、夕日に照らされたA07編成がファインダーに登場。貫通型も久しぶりだなぁ!狙い通り、地上子の上でバリバリとモードラを回した。



5月は田んぼ水鏡の湖西線で特急色を極めたかった。しかし、今年は記録的な天候不順…。GW以降、クリアーに晴れた週末は一度もなく、気付けばもう梅雨入り。しかも、そ の梅雨が長かった!関東では7月下旬に梅雨明け宣言が出たものの、どう見ても我慢できなくなった気象庁のフライング。結局、思い描いていた鵜川の水鏡は撮れず仕舞いで夏 を迎えることとなった(泣)。

09・08・14 志賀−蓬莱 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED RVP100
8月半ば、ようやく天候が安定してきたのを見計らってLIBERTY氏と湖西へ出撃した。敦賀はド雨で近江高島以南はバリ晴れという不思議な天気で、おまけに本命の「雷鳥34号」 はパノ編成という何ともやりづらい条件。う〜ん…悩んだ末にやって来たのが、学生時代に一度下見?したびわ湖バレイからのスーパー大俯瞰だった。観光客満載のロープウェ イに男2人機材を担いで乗り込む。グイグイと高度を上げるゴンドラから絶景を眺めつつ、僅か3分で山頂に到着。展望台からは遥か眼下に琵琶湖バックの定番中の定番、志賀 −蓬莱の築堤が見えた。周囲の家並みをカットして築堤と田んぼだけを切り取るべく、F5&サンニッパをセット。まずは夏臨「雷鳥95号」を頂戴した。

09・08・14 志賀−蓬莱 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP50(+1)
しかし、この絶景を長玉で切り取るだけではもったいない。次の「雷鳥30号」は湖の全景を入れてみよう。レンズはバケの165oを選択。列車が小さすぎるって?いやいや、こ のウルトラスーパー俯瞰の雄大さを表現するためなら、それも致仕方ないだろう。顔面を架線柱に引っ掛けないようF5のファインダーをスコープにしてシャッターを切った。 さて、列車がどこにいるか、おわかりになるだろうか?

09・08・14 志賀−蓬莱 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
「雷鳥33号」の時間に合わせて16時過ぎのロープウェイで下山。駐車場から目と鼻の先の定番築堤で下り方の非パノ顔を狙う。さぁ、どう撮るか。普通のサイド撃ちならボンネッ ト時代にとっくに極めた。というわけで、今日は流し撮りにチャレンジ。シャッタースピードは60分の1。湖畔にモーター音を響かせて現れた特急色の風に、ファインダーをシン クロさせて一気に振り抜いた。

09・08・23 近江高島−北小松 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1)
末期になると、とにかく機会があったら「雷鳥」へ!この日はチバラギ氏と紀州鉄道のキハ603を撮りに行っていたのだが、帰り際に京都南で左手前方に青空を確認、迷うことな く京都東ICで高速を降り、湖西道路に進路をとった。目指すは鵜川の棚田アングル。ここはボンネット末期に8月下旬の金色田んぼでバッチリ極まった…はずだったのに、前 景を軽やかに舞う赤とんぼが画面内で見事に列車にストライク!とんだサプライズで撃沈し、以来9年越しの課題となっていたのであった。

夏の夕方の強く鋭い斜光線が大きなS字を描く線路を照らし出す。バックには夏というのに琵琶湖の湖面が青々と広がり、対岸の山の稜線までがはっきりと見えていた。架線柱の スパンや背後の家並み、線路際の障害物等を考えると切り位置がなかなか難しいが、ペンタ400をチョイスしてアングルを調整。色付き始めた稲穂を手前にあしらい、大カーブを まとめてみた。17時10分、いよいよS字の向こうに3灯のライトが見えて来た。露出よし!巻き上げよし!と、突然後ろでクラクション。先ほどまで車1台通らなかったこの農道 に、突如ハイエースがご登場。えぇ〜(汗)!とりあえず運転手氏に列車だけ撮らせて欲しいとお願いしファインダーを注視、夕日に輝くヨンパーゴを狙い通りに切り取った。

09・09・20 新疋田−敦賀 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1)
シルバーウィークは、飯山の雑客を1日だけ冷やかしてから新疋田へ。4月にイマイチだったループ俯瞰の再履修である。前日一緒に飯山を回ったDD149001氏と明け方の新疋田 ローソンで再合流。登り口でゴルきち氏とも落ち合って、上下線クロスを見下ろせる鉄塔に登った。程してへっぽこ軍団長やコサカミ氏も現れて現場は身内で大盛況。しかし、 悪夢は起きてしまった。せっかくクリアーなバリ晴れで若狭湾の水平線もクッキリなのに、カマは期待通りのローピンパイチだったのに、第一本命「日本海」はゲリラ雲の襲撃 で絵に描いたような来る曇る…完敗だった(泣)。

気を取り直して第二本命の「雷鳥12号」を待つ。これこそ今日がラストチャンスかも知れない喫緊の課題、来る曇るでは許されない。9時39分、遠く敦賀の市街に駅を出発する 特急色の姿が確認できた。さぁスタンバイ。太陽の周りを流れていたちぎれ雲はどうにか消え去り、空には一抹の不安もなし!間もなく、列車接近を知らせる警報ブザーをBG Mに485系が現れた。近年の伐採によって復活してからずっと撮りたかったこのアングル、タイムリミットぎりぎりで、ようやく合格証書が頂けた。



09・04・07 敦賀−新疋田 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1)
幼い頃、家にあった鉄道図鑑や絵本では、北は「いしかり」から南は「にちりん」まで特急と言えば485系、485系といえば特急だった。小学校・中学校とそんな洗脳教育?を受 けて育ったが、自らカメラを持って全国を行脚するようになった90年代末には、さしもの特急の代名詞ヨンパーゴも寄る年波には勝てず、各地で新型に活躍の場を譲ってしまっ ていた。ある程度納得いくカットが撮れたのは「はつかり」「しらさぎ」「加越」「雷鳥」くらい。記憶の中の憧れのシーンは、その多くが淡い幻のまま消え去ってしまった。

新潟駅でボンネット「雷鳥」に感銘を受けてからはや10年余り。機関車・気動車・電車…各ジャンルで国鉄型が終焉を迎えつつある中で、北陸路のエースは、この秋改正で非パノ編 成が壊滅的打撃を受けたとはいえ、未だ辛うじて国鉄特急の面影を今に伝えてくれている。しかし、すでにJR西日本が発表している通り、幼き日々の憧憬に残された時間はそう 長くはない。485帝国の陥落まであと約1年半。めくるめく季節の移ろいとともに、もう少し特急色を追い掛けていたい。



GALLERY 04トップへ 前ページへ 次ページへ