鉄路百景 GALLERY04.“JNR” Heroes03

GALLERY04 “JNR” Heroes

3.山間を縫う振り子式特急の勇姿〜最後の国鉄型特急電車〜

国鉄型の特急電車に終焉の日が訪れた。幼少期に飽きずに眺めた図鑑では、特急電車の王道はクリームと赤を纏った電気釜スタイルに3灯ライトの485系だった。北は「いしかり」から南は「にちりん」「有明」まで、文字通り全国津々浦々を、色鮮やかな絵入りマークも誇らしげに駆け回っていた。そんな中、ちょっと異色だったのが「振り子式」というキーワードとともに現れる381系。おでこのライトが省略され、屋根上も機器がなくてのっぺらぼう、しもぶくれ顔の重心が低いスタイルと、「カーブの多い路線のスピードアップのために云々」などという説明書きを読んで、どことなくスポーツクーペのようなイメージを抱いていた。

95・08・13 藪原−奈良井 OLYMPUSOM−1 Tokina70-210oF4-5.6 RDU(+1)
そんな381系活躍の舞台が中央西線の「しなの」、紀勢本線の「くろしお」、伯備線の「やくも」だった。小学生の時分はとてもではないが本物を見に行くことは叶わなかったが、中学生、高校生になり全国を回るようになると、実物を目の当たりにする機会も増えてきた。それでも、何枚か撮った写真は技術も機材もまだまだで鑑賞に堪えうるものではなかった。そうこうするうちスーパービューやらオーシャンビューといったJR第一世代の新型特急が幅を利かせるようになり、伝統の国鉄型も地域カラーを身に纏うようになり、撮影機会はどんどん減少していった。

01・12・31 岩代−南部 MamiyaM645SUPER SEKOR110oF2.8N RVP(+1)
ようやく381系と真面目に対峙することができたのが大学時代、しかも4回生の年末だった。サンパーイチはもちろん魅力的な被写体ではあったが、久大の客レに山陰のキハ、各地の団臨やマヤ検など撮りたいものが数多く存在していた当時、先送りにされてしまうのは仕方のないことだった。すでに定期は新塗装とオーシャンビューに取って代わられていたが、年末年始の臨時「くろしお91・92号」には日根野の原色編成が入ると聞いて、引退間際の165系も併せて撮ろうとF31氏と18きっぷで岩代−南部の海沿いアングルに出掛けた。冬でも温暖な黒潮街道で、午前中から来る列車をひたすら撮影。そして夕刻、海辺の線路が斜光線に染まる中、モノクラス6連の特急色が颯爽とファインダーを駆け抜けていった。

13・03・03 紀伊浦神−下里 PENTAX67 smcPENTAX75oF2.8AL RVP50(+1)
「くろしお」に再び対峙することができたのは、それから12年後のこと。新宮鐵道開業100周年を記念した日本旅行企画「なつかしのくろしお」で原色381系が登板することになり、廃止間際の紀勢貨物と掛け持ちで紀伊半島南端まで車で乗り込んだ。午後に新大阪に登って行くスジなので撮影地は色々と思い浮かぶが、マークのレプリカ感が不自然とのSNSの書き込みを見て紀伊浦神の俯瞰に腰を据えた。足場の狭い岩場のてっぺんから見下ろす紀伊水道は、快晴の青空を反射してどこまでも青い。待つこと2時間余り、振り子機構で身をくねらせながら、6連の特急色編成が海辺の路に姿を現した。

08・05・06 ヤナバスキー場前−南神城 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100
関東在住の鉄ちゃんにとって最も身近なサンパーイチが中央西線の「しなの」であった。だが、前々から目を付けてはいたものの、片側のパノラマクロが気になって食指が動かないうちに、定期列車はスーパービューの383系に交代。狙うなら連休シーズンの臨時列車しかないが、陽気が良ければ大糸北線のキハ52に夢中になってしまい、ついに相まみえる機会もないまま引退予告を聞くことになってしまった。この日はラストチャンスに賭けて、大糸北線には午前一杯で別れを告げ、ヤナバスキー場前の線路際に布陣。F5にサンニッパ×1.4テレコンで顔面撃ちの構図をセット。国鉄色には緑の絵入りマークが良く似合う。15時過ぎ、振り子電車にはやや緩すぎるアウトカーブを、マーク重視で真正面から頂戴した。



「しなの」「くろしお」と並ぶ381系の看板列車「やくも」は90年代前半から早々に新塗装が登場して国鉄色が消滅していた。従って、2013年の「リバイバルくろしお」をもって私の中の国鉄振り子特急は見納めとなっていたはずだった。しかし、事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものである。その後日根野の車両が福知山に移り、「こうのとり」をはじめとする北近畿エリアの特急群で新たに活躍を始めることになった。車輛のやりくりの都合上とはいえ、平成後期のご時世によくぞこんな奇跡が起こったものである。

2011年、「こうのとり」の新型287系の増備が間に合わないとのことで、期間限定で日根野の381系が代走を務めることになった。これには震災で心沈んでいた関東鉄ちゃんも「すわ!」と色めき立ち、GWはさっそく近畿エリアまで終夜運転で出撃。ところが、我々の期待に反して天気がまるで冴えなかった。霧の名所下滝の渓谷沿いはもちろんのこと、各所お立ち台も黄砂にやられたモヤっ晴れで曇り同様の悪条件…。現地で遭遇した諸氏も向こう数日の曇天予報にすっかり肩を落とし、戦果なく早々に解散となったのだった。

11・05・08 黒井−市島 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1)
だが、翌週末は、土曜に神戸のプロ野球中継を見ていると画面の向こうは見事なまでのド快晴。天気図を見る限り明日も期待できそうだと踏んで、すぐに連休のリベンジマッチに出掛けた。日曜一発はコスパが悪いが、時期限定の381系代走は撮れるときに撮っておかないと絶対に悔いが残る!若さと体力に任せた2週連続の徹夜ドライブの末辿り着いた下滝の渓谷俯瞰は朝霧にやられたが、無事に午後の列車は黒井のストレートで田植えの時期の田んぼと絡めて仕留めることができた。

とりあえず最低限の記録はできて一安心。予定通りに5月末で381系は撤退し、「こうのとり」は183系と287系の2本立てとなった。それでもこの時にリサーチした福知山線のロケーションに惹かれ、翌年のGWは183系狙いで再び同線を訪れた。これは季節を変えて通い甲斐のある魅惑の特急街道ではないか…そう感じ始めた矢先にビッグニュースが入ってきた。曰く、183系の置換えのため、日根野の「くろしお」色だった381系を国鉄色に復元のうえ福知山に転属させるとのこと!ということは、「こうのとり」はもちろんのこと、「きのさき」「はしだて」など山陰京都口の特急全般にサンパーイチが進出するということである。これは大変なことになってきた。

13・05・05 石生−黒井 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP50(+1)
そんなわけで、2013年のGWは上越線棚下の俯瞰で新緑の115系〜信越線片貝のストレートでリバイバルの「あさま」を撮ってから日本海側を西進し、福知山線に乗り込んだ。「こうのとり1号」を石生−黒井のストレート、通称“イソクロ”で迎え撃つ。サイド薄めの光線なので、構図は500oのタテアングル。踏切が鳴ると、アップダウンの直線区間に卵顔の国鉄特急色が颯爽と登場した。

13・05・05 下山−和知 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1)
午後は山陰本線の「はしだて」を撮りに転戦。電化直前、キハ181の「あさしお」で見たことのある下山の鉄橋俯瞰に三脚を立てた。遥か遠方、下山の駅から山懐を縫うように走って眼下の鉄橋に至るまでを見渡せる展望に、思わずペンタ67の2台体制で列車を待つ。新緑の丹波路に暖色系の国鉄特急色がよく映えた。撮影を終えると17時。今日で連休は終わり、当たり前だが明日は仕事である。それでも満足な撮れ高にホクホクで、ここから550kmの道程も当時は全く苦にならなかった。

14・04・26 下滝−丹波大山 PENTAX67 smcPENTAX75oF2.8AL RVP50(+1)
翌年の連休は、撮り残し課題の下滝−丹波大山の渓谷沿いアングルへ。定番の200oタテ構図も気になっていたが、それ以上に183系時代に周辺光量落ち著しいペンタ55で撮ったために再撮が必要になっていた真横の広角構図を仕留めたかった。徹夜で東名〜名神〜舞鶴・若狭道を走り抜け、休む間もなく斜面を登ってポジションを確認。今日は信頼できる広角レンズ75oALで構図を整える。間もなく、新緑の山塊に抱かれた川代渓谷に斜光線を浴びた381系がやって来た。



長らく山陰の国鉄型気動車や北陸のボンネット特急の前で霞んでいた北近畿エリアの特急電車群も、かつてのアーバンカラーなるセンスのないJRカラーから国鉄色に装いが変わると俄然魅力的に見えてくる。まして活躍区間が福知山・山陰京都口・北近畿タンゴ鉄道と多岐にわたり、朝から晩まで幾本もの列車を被写体にできるとあらば、合宿の候補先とならない方がおかしい。2013年の夏休みは、このエリアで数日籠って381系と戯れることにした。

13・08・14 鍼灸大学前−胡麻 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1)
前日に羽越本線の三面川橋梁でT18「いなほ」を撮ってから日本海側を大移動、途中寝落ちしたこともありインターから最も近いアングルとしてこの鍼灸大学前−胡麻のストレートに滑り込んだ。三脚を立てるともう通過下ではあと1分!使い慣れたペンタ67に300oを装着してピントを合わせ、構図と水平をセットしているうちに踏切が鳴った。快晴の青空の下、特急色6連の「きのさき6号」が登場。呼吸を整えて1発勝負のシャッターを切った。

13・08・14 黒井−市島 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP50(+1)
午後からは黒井城址の俯瞰に登る。3年前のGWに183系狙いで上がったが、地元のおっちゃんが言うところの「たった30分の道のり」も機材フル装備の鉄ちゃんには果てしない苦行のようだった。まして今日は真夏の炎天下。プロ4にペンタ2台、165o・300o・400oとデジセットを担いでアタックするのは狂気の沙汰である。しかし、せっかくの夏にしてはクリアーな好条件、これを逃すわけにはいかない。時間に余裕をもって登山道に足を踏み入れた。

途中大の字になって倒れ込むこと2度、1時間近くかけてようやく登頂。眼下には、想像通りの緑の絨毯を行く線路と遠方に続く穏やかな山地の稜線が見渡せた。ターゲットは16時の「こうのとり16号」と16時半の「こうのとり15号」。大パノラマの中にクリームと赤の伝統カラーは実によく映えた。

13・08・16 鍼灸大学前−胡麻 NikonD800 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO200
この日はとりあえず陽は差しているが水蒸気多めのモヤっ晴れ。定番を撮るには条件が良くなく、線路際に百日紅を見つけて列車と絡めることにした。まだまだ銀塩が主力だった10年ほど前、こういうひねった写真をとる時こそ手軽なデジ機の出番だった。紅の花にピントを置いて列車を待つ。踏切が鳴り、轟音とともにファインダーに飛び込んできた特急色に、タイミングを合わせてシャッターを切った。

13・08・16 喜多−宮村 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1)
午後は光線も強くなってきたので、未踏の北近畿タンゴ鉄道区間に足を延ばす。喜多−辛皮の峠越え区間で俯瞰を探すが見つからず、時間もないままこの跨線橋を見つけて機材をセット。苦し紛れのポイントだったが、ペンタ400で構図を整理すると意外にいい場所だった。まずは15時過ぎの「はしだて6号」を撮影。きれいに面に光は当たったが、より低い光線でもう1枚…と欲を出し、お盆で天橋立まで延長運転していた17時頃の「こうのとり22号」まで待つことにした。



2015年3月、北陸新幹線金沢開業の陰で「北越」「くびきの」が廃止となり、上沼垂所属の485系が姿を消した。K1・K2そしてT18など人気のあった国鉄色編成が引退したことで、JNRの特急を愛する我々の注目は、仙台の波動用A1+A2編成と北近畿エリアの381系に集まることになった。

この年は、4月〜6月にふくしまディスティネーションキャンペーンが行われたこともあり、GWの磐越西線はA1+A2編成の「あいづライナー」にC61 20牽引の「ばんえつ物語号」と鉄ネタが盛りだくさん。新緑と好天にも恵まれて連休期間は南東北を満喫した。土曜勤務の私は金曜で戦線離脱することになったが、現地で行動を共にしたコサカミ氏は土曜まで撮って関西に帰還するという。ならばと土曜夜に我が地元で拾っていただき、そのまま2M運転で東名〜名神を深夜回送し、日曜は山陰京都口の381系ツアーに雪崩れ込むことにした。

15・05・08 馬堀−保津峡 NikonD800 smcPENTAX90oF2.8 ISO200
今回目を付けていたのが、この頃からネット上でよく見かけるようになった保津峡の唐櫃越え俯瞰。明智光秀が本能寺攻めのときに亀岡から越えていったという急峻な山道の途中から、新線の鉄橋が見下ろせるという。京都に住んでいた学生時代、さささ先輩がアタックしたと聞いて私もチャレンジしようとしたがついぞ叶わなかったアングル。昨今観光用に登山道の整備が進み、メジャーなポイントになりつつあるようだった。

馬堀側の宝泉寺からハイキングコースと称する急な獣道を登ること40分ほど、山頂付近で左手に山陰本線が見えてくる。短いトンネルを挟んで新緑の渓谷を貫く2本の鉄橋が狙えるが、まずは馬堀方にレンズを向ける。下り一番の「はしだて1号」をペンタ67とD800の2台切り。今回はデジのカットを中心に出していくことにしよう。

15・05・08 船岡−日吉 NikonD800 smcPENTAX165oF2.8 ISO200
午後からは学生時代に諸先輩の団臨作品を多く目にした船岡−殿田(現日吉)の川沿いSカーブの立ち位置を探しに山中を探索した。彷徨うこと30分余り、かつての作例で見た角度には辿り着けなかったが、そこそこ絵になるSカーブの俯瞰を見つけて機材をセット。荷物軽量化のためペンタセットにサンニッパとD800のボディだけを持ってきたため、本命は67の300o、デジはD800にアダプターを噛ましてペンタ165oを装着して構図を整える。待つことしばし、新緑の中、斜光に身をくねらせて381系「はしだて7号」がやって来た。

15・05・08 馬堀−保津峡 NikonD800 smcPENTAX400oF4ED ISO200
朝から回りたいポイントをきれいに押さえて、最後は馬堀カーブのアップ撮り。駅のすぐ保津峡側の踏切から長玉で夕日を浴びた顔面を狙う。が、テレコンを置いてきてしまったため気楽に動体予測で…という目論見は見事に崩壊。まぁ、こんなときはバケペンで培った職人芸で勝負するしかない。D800にペンタ400を付けて紙のように薄いピントを慎重に拾う。準備は整った!と、その途端に稜線際の雲が夕日を遮る。終わった…。一瞬絶望で天を仰いだが、ツイている日はツイているものである。踏切が鳴ると同時に雲の下から夕陽が復活!ベタベタの斜光線を浴びて「きのさき13号」がファインダーに飛び込んできた。



春に続いて、夏休みも丹波の山中にサンパーイチを追うことになった。本来ならば北海道に飛んでいよいよ終焉間近の道南ブルトレを頂戴するはずだったが、過去に幾度か痛い目を見ているように、8月の噴火湾は連日海霧に覆われる鬼門である。今年も週間予報を見て断念。代わって、太平洋高気圧にチベット高気圧が重なり晴れマークがずらりと並んだ北近畿エリアに照準を合わせ、研修を終えてから深夜の東名を西に下ったのであった。

15・08・08 下山−和知 NikonD800 smcPENTAX165oF2.8 ISO200
今夏最初のターゲットは、下山の質美川橋梁の真横俯瞰だった。だいたいの場所は聞いていたが、現地で関西-D.W先輩と合流してスムーズに登頂。鉄塔の麓でペンタとデジを構えた。鉄橋背後の里山に藁ぶき屋根の農家が良い雰囲気。半面ソーラーパネルの増殖がいただけないが、そこはもう目を瞑るしか無かろう。8時過ぎ、静寂を破るように、鉄橋上に「きのさき6号」の轟音が響いた。

15・08・08 和知−安栖里 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP50(+1)
次の狙いは、和知進入の「きのさき10号」。駅手前のアングルとはいえ、トラス橋を長玉で真正面から捉えられる貴重な撮影地。F5にゴーヨン、D800にサンニッパ×1.7テレコンの2台で381系の登場を待つ。10時過ぎ、高い日差しを顔に浴びて、赤いトラスに特急色が現れる。動体予測で2台を連写!陽炎が心配だったが、F5はマークのローマ字までバッチリ解像、一方のデジはテレコンで画質が落ちるのか、像が流れてイマイチの結果であった。

15・08・08 柏原−谷川 NikonD800 AFNikkor50oF1.4D ISO200
午後は福知山線に転戦して、夕方の「こうのとり15号」を柏原の通称“りぼんカーブ”で出迎える。夏らしい積乱雲が青空に沸き立つ中、大カーブの築堤を標準レンズでワイドに切り取ろう。刻一刻と位置と形を変えてゆく入道雲を画面にきれいに配すべく、じりじりと立ち位置を変えながら調整を繰り返す。16時半少し前、クリームと赤のツートンが右手の山影から築堤に躍り出る。下り勾配に軽やかなジョイント音を響かせて国鉄色がファインダーを駆け抜けていった。、

15・08・08 黒井−市島 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP50(+1)
本日締めの「こうのとり22号」は市島−黒井のストレートへ。緩やかなカーブのアウト側から打ち抜けば、艶やかな斜光線に照らされた電気釜フェイスをバッチリ切り取れるはずである。この際編成のお腹にチラリと掛かる灌木は目を瞑るとして、ゴーヨンタテ位置でF5をプロ4にセットした。17時半、踏切が鳴ると、これ以上ないライティングに長年見慣れた国鉄特急型の王道たる顔が浮かび上がる。惚れ惚れとその顔を眺めながら、レリーズを握り締めてフィルムの残る限り連写した。

15・08・09 梁瀬−上夜久野 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP50(+1)
翌日は朝の立木−安栖里から昼の山家−綾部と山陰本線を中心に回り、午後から梁瀬−上夜久野にやって来た。15時半頃の「こうのとり18号」を小高い丘から田園地帯の小俯瞰で撮り、夕方の「こうのとり15号」を2年前から懸案だったオーバークロスで迎え撃つ。端正な直線を斜め上から見下ろせる場所ということで優先候補に上げてはいたものの、17時を過ぎると山際の雲にやられて敗北することもしばしばだという。今日こそは行けそうだと福知山線に転戦していた関西-D.W先輩も急ぎ戻って来て三脚を並べた。期待どおり西の空に雲は全くない。低い光線が辺りを照らす中、快音を響かせて381系が遠方から近付いてきた。

15・08・10 安栖里−立木 NikonF5 AF-INikkor500oF4ED RVP50(+1)
3日目の朝は、前日アングルの詰めが甘かった立木−安栖里を再履修。幸い今日もややガスりながらも日差しは強い。山中を切り抜くこのアングルなら充分納得の条件である。日の出直後から蝉時雨に包まれて、国道の広い歩道に1人で三脚2本にゴーヨンとサンニッパを並べる。道行く地元の中学生や散歩のおっちゃんが奇異の眼差しを送るが、人目を気にするより1枚の満点カットを仕留める方が先である。前日の反省を踏まえて切り位置を慎重に決める。8時過ぎ、山影から軽やかなジョイント音とともに特急色が顔を出した。



この年の10月末をもって、新型287系の増備により北近畿エリアの381系の引退が発表された。ところが夏が終わってからというもの、これまた先が見えていた「カシオペア」を北海道に追ったり磐西に485系の臨時列車を撮りに行ったりしているうちに、あっという間に最後の1ヵ月。しかも、月の後半は休日出勤続きで怒涛の15連勤。天気予報を睨みながら機を窺っていると、泣いても笑っても鉄道の日が最後のチャンスとなりそうだった。

関東鉄ちゃんとしては割と頑張った方だとは思うが、心残りだったのは保津峡の俯瞰。徹夜明けで山に登った5月のツアーでは、イマイチ構図を詰め切れなかった気がして、最後にもう一度再履修したかった。というわけで、前夜に西船橋駅前から京都行の夜行バスで出発。マウンテンダックスの大型ザックに67×2台に400oまでの望遠セット、それとD800ボディを突っ込んで、ハスキー4段とともに両肩に担いで夜明け前の京都に乗り込んだ。

15・10・14 馬堀−保津峡 PENTAX67 smcPENTAX200oF4 RVP50(+1)
馬堀駅まで電車に乗って、久しぶりの歩き鉄。と言っても、唐櫃越えの登り口までは駅から徒歩で10分ほど。ここからがハイキングコースとは名ばかりの急勾配の登坂が続く。冷たい空気が身に染みるようになった秋の早朝ながら、さすがに息が上がりザックを背負った背中が汗ばんでくる。40分ほど登ると尾根筋に出て亀岡の市街が見渡せる。アングルまではあと少し!

鉄橋を見下ろせるポイントに到着し、早速機材をセット。オフシーズンの今日は、「きのさき」も「はしだて」も4連での運転だろう。この方が真横構図で全編成が載るから好みという向きもあるが、私見では屋根が平らで低い分、短い胴体の両端に運転台が飛び出ているのは双頭の鷲ならぬ双頭のツチノコみたいでお世辞にもカッコイイとは言い難い。ならば、定石通りだと昼のスジで狙う京都方の鉄橋サイドアングルは、東側斜面が山影で隠れている朝の方がお尻が隠れているように見えて良いだろう。まずは「きのさき6号」を後追いで見送った。

15・10・14 馬堀−保津峡 PENTAX67 smcPENTAX200oF4 RVP50(+1)
本命は下り一番の「はしだて1号」。これは普通に4両目以降がトンネルに隠れる馬堀方の鉄橋で迎え撃つ。5月に訪れた時はペンタ165oで撮って高圧線をかわし切れなかった。今日はその反省を踏まえてペンタ200をメインに据える。萌える新緑ではないけれど、まだまだ初秋で杉林に覆われた斜面は深い緑色。落ち着いた光線と相まって、これはこれで悪くない。気付くと時間一杯、さぁ油断せずにトンネル出口に集中しよう!

この日はここで撮ることだけを考えて来たため、終日山の上で粘らざるを得なかった。まぁ、秋の光線だし、昼間の列車をレンズを変えて撮るのも悪くないか。だが、昼前から少しづつ細切れ雲が飛び始め、列車が来るたびに背景のどこかがマンダーラ。日頃の行いにはやましいことは一切ないはずなのに、すっかり自信を失ってしまう結果となった。それでも本命を仕留めることが出来ただけで十分に満足。新幹線で一人祝杯を挙げながら帰途に就いたのであった。これをもって、381系とも完全にお別れ。今後赤とクリームの国鉄特急色を拝む機会は二度とないだろう、そう思っていた。



ところが、である。2022年の1月、鉄ちゃん仲間と車相乗りで雪晴れの関山−二本木に455系を撮りに行く途上、「やくも」の381系が1本国鉄色に復活するらしいとの話が出た。運用の都合上6両固定の編成で、8号・9号〜24・25号のスジに入るというところまでは決まっているようだとも。これは大変なことになった!こうなれば、どこが撮影地として最適か、行くならいつがいいか…等々車中が盛り上がったのは言うまでもない。

それから数カ月後、実際に出場してきた実写の画像が流れてきた。クモハ側が貫通顔、しかも強化スカート付きのゴツイ表情なのがいただけないが、それでも中国山地の羊腸の道にクリームと赤のツートンが帰ってきてくれたことはありがたい。さっそくリサーチを開始し、5月の連休に満を持して現地に初参戦することになった。

22・05・03 備中神代−布原 NikonD850 SIGMA40oF1.4DG HSM ISO200
初参戦は5月の連休。春先から幾度か現地に出向いたという関西-D.W先輩と京都駅八条口で合流し、一番のハイライトと踏んでいた阿哲峡に向かった。未明の現地で他の部隊と競い合うように斜面を登り、ベストと思われるポジションに三脚を置く。と、両サイドに次々と三脚を並べ始めたのは皆見知った歴戦の猛者たちであった。高気圧が服を着て歩いていると称される面々が集ったお陰か、天気は申し分ない。新緑も見事で杉と若葉のコントラストが美しい。35oヨコ位置と40oタテ位置の2台を構え、談笑しながら待つこと数時間、眩い景色の中に待ち望んだ国鉄特急色「やくも8号」が颯爽と姿を現した。

22・05・03 安来−米子 NikonD850 AFDCNikkor135oF2 ISO200
返しの「やくも9号」は阿哲峡の中段でサイド寄りに撮っても良かったが、如何せん真昼の通過では陽が高すぎる。ここは快晴の空に大山が映えることを期待して、米子近辺まで思い切って移動することにした。中国山地を縦断して、2時間半ほどで米子−安来の定番アングルに到着する。立ち位置の溜池の畔はすでに雛壇ができていたが、上手く隙間を縫って135oでセッティング。通過時間は13時半、下り方の純正フェイスを順光で撮るには程よいはずだ。気温が上がったこともあり秀峰大山はやや霞み気味だが、季節がらこれは仕方なかろう。定時、初夏の薫風に乗って国鉄型特有のモーター音が響いてきた。

22・05・03 黒坂−上菅 NikonD850 AF-SNikkor300oF2.8VR ISO200
日中の撮影時間帯最後の1本「やくも24号」は、俯瞰撮影地があまり開拓されていなかった初年度は撮影になかなか手を焼いた。普通の編成撮りなら夕方の斜光線でいくらでも場所はあるのだが、如何せん不細工な貫通顔ではアップ撮りにも気が引ける。国道沿いに沿線を流しながら、鉄が集まっているポイントを下見して回るがどうにも決め手に欠けた。17時を回り、もうタイムアップ寸前、別動隊で伯備に展開していたチバラギ氏から一緒に撮ろうとお誘いいただき、黒坂−上菅の踏切で腹を決めた。不細工は覚悟の上で、振り子特急らしいカーブで顔面撃ちをしてみよう!ピン電を1本やり過ごすとすぐに本番。ええい、ままよ!と貫通フェイスに測距点を当てて、動体予測でシャッターを切った。



5月は山陰東部のタラコも掛け持ちで訪れたためあまり深入りできなかったが、ネットに流れる作例を見ていると伯備沿線は田んぼもなかなか美しい。となると、夏の田園風景も悪くないのではないか。長雨に祟られた8月最後の週末、久しぶりの晴れ予報に誘われて、またも関西-D.W先輩と伯備沿線に繰り出した。

22・08・28 根雨−黒坂 NikonD850 AF-SNikkor35oF1.8G ISO200
ところが、思い通りにはいかないもので、朝のうちは予報外れの曇り空。打つ手なく、備中神代の木造駅舎跡と絡めようと直前に移動すると、頼みの旧駅舎門構えは解体されて貧相な待合室だけがぽつんと取り残されていた…。仕方なく次の「やくも9号」に賭けて、雲が切れていそうな岡山・鳥取県境を目指す。幸い撮影地の続く根雨−黒坂は青空の下。定番の榎踏切で黄色く色づき始めた田んぼを入れて構図を練った。



新緑の美しい所は紅葉もまた見事である。というわけで、11月になると阿哲峡の紅葉が気になってきた。文化の日に撮影された写真を見ると、もう見頃と言っても過言ではなさそうだ。これはそろそろ遠征を考えねばなるまい。ちょうど次の水曜休みには、移動性高気圧が重なりそうな雰囲気。さぁ、出撃である。

22・11・09 備中神代−布原 NikonZ7U SIGMA50oF1.4DG HS ISO200
今回は平日の出撃のため、京都から関西-D.W先輩と合流して…といういつもの行程は不可。「サンライズ出雲」での現地入りも考えたが、新見7時43分着では現地で移動する時間がない。結局岡山前乗りで伯備線の始発に乗るのがベストという結論に行き着いた。これだと備中神代7時6分着。20分ほど歩いて撮影地の崖上に到着。すでに10本ほど三脚が並んでいたが、朝霧の中よくよく見ると全て身内の諸兄の場所取りであった。

8時半の貨物通過の直前から霧が晴れ始めた。急激に朝日が射し込み、遠景の視界が開けてくる。「やくも8号」は文句なしの最高条件!サイド気味の中段か正面がちの上段か迷った末に、影の位置を考慮して上段で勝負!春の淡い緑に続き、錦に染まった渓谷を行く国鉄色を見送ることができた。

22・11・09 備中神代−布原 NikonD850 AF-SNikkor28oF1.8G ISO200
今日は返しも引き続き阿哲峡。いや、返しの「やくも9号」こそが本命といえる。5月に撮れなかった中段立ち位置からのサイド構図を光線の柔らかいこの時期にこそ仕留めたい。崖っぷちに三脚を立てて28ミリをセット。線路脇を流れる西川が直下でV字に曲がるところまで入れて列車を待つ。ここぞという場所とタイミングで遭遇する猛者の諸氏との同窓会状態で3時間余りの待機時間はすぐに過ぎる。12時過ぎ、背後から鉄橋を渡る音が響いてきた。



この年の年末は伯備に自走遠征することにした。当時鉄ちゃん界で注目されていたのは、石北系統のキハ183系国鉄色と廃線が迫りつつあった根室本線富良野−東鹿越間。初めは愛車を連れてフェリーで渡道を目論んでいたものの、石北本線が大雪で運休、南富良野は週間予報で全日曇天となると、もはや無駄な散財に終わること必至である。というわけでフェリーの予約を手放し、珍しく晴れマークの出ている新見に向けて自車を転がす決意をしたのであった。

22・12・30 美袋駅 NikonD5 AF-SNikkor85oF1.8G ISO5000
しかし、久々のロングドライブで寝不足のまま線路際に立ったのが災いした。岡山県北の雪雲が流れ込むエリアで貴重な晴れ間に恵まれたというのに立ち位置の吟味が甘く、動体予測の設定も誤って、本命「やくも9号」を極め損なうというデジの時代にあるまじき大失態。日没後、気を取り直して夜間撮影に挑むことにした。目を付けたのが、雰囲気ある木造駅舎の残る美袋駅。現地に行くとクリスマスを意識したのかイルミネーションが輝いている。興醒めと言えば興醒めだが、まぁこれもこの時期ならではと割り切って撮ってみよう。改札口に381系の顔が重なる一瞬を集中して待った。

その後2日間、毎日冬光線の「やくも」を仕留めるべく粘ったが、毎日曇天で目的を達成できずに沿線を後にすることになった。不完全燃焼のまま元旦に実家を訪れ、翌日はいすみでキハ52を撮影。悶々と過ごしている最中、関西-D.W先輩から連絡が入った。曰く、元旦から伯備に来ているが、連日曇天で撤収中。だが、三田のアウトレットが大混雑して全く動けない。ならばいっそのこと岡山に舞い戻ってもう1日伯備を撮ろうと思うが…とのこと。予報を調べると、3日は奇跡的に晴れそうな状況。「行きましょう!」2つ返事で合流を約束し、夕方の新幹線で関西に下った。

23・01・03 備中川面−方谷 NikonD850 AFNikkor180oF2.8×1.2クロップ ISO200
夜の新神戸駅で集合し、中国道を西へ。翌朝、数日前まで日参していた備中川面の鉄橋に到着した。今日も朝霧に包まれているが、はや遠方の空には切れ間が見えている。これは行けるだろう!年が改まって運気が変わったのか、憑き物が落ちたかのようにあっさりと晴れ露出で「やくも8号」を迎え撃つことができた。至極普通のアングルではあるが、カーブのイン側に綺麗に光を当てて撮るには、陽の低い冬場がベスト。貫通側先頭とはいえ、撮りたかった場所を一つ押さえられた。

23・01・03 新見−布原 NikonD5 AF-SNikkor300oF2.8VR ISO200
次は本命の「やくも9号」。国鉄色が復活して以降、美しい純正顔を順光で撮れる場所がないかリサーチするうち、伯備線内で唯一下り列車が太陽の方を向く場所を発見した。新見を出て布原に向かう途中、線路は大きく南西方向に進路を変える。紅葉の阿哲峡に行く際に車内からチェックをすると、ちょうどこの区間は山の中。長玉顔面撃ちなら、背景は何とでも処理できそうだ。あとは12時過ぎでも架線の影が落ちない冬光線の到来を待つばかり。だが、満を持して年末に訪問したものの全日返り討ちに遭い大惨敗…。今日こそは!

先輩と2人でアウトカーブにローアングルで三脚をセット。幸い年末年始の臨時スジが動いているお陰で、ピン電数本で構図を微調整することができた。背後の電柱の碍子も顔の脇のリレーボックスも全て隠せるよう計算し尽くして本命を待つ。が、冬場の山中はこんなもの。12時近くなると俄かに雲が増えてきた。時折太陽が遮られてファインダーが暗転する。間もなく列車は新見を出る。その一方で再び太陽に一片の雲塊が接近。これは万事休すか…と思ったその時、カーブの影から特急色が顔を出した。間一髪のX!帰りの車中ではホクホク顔で勝利に酔いしれたのであった。



春になると、伯備線沿線からも桜の便りが聞こえてくる。昨春はまだ様子見で二の足を踏み、訪問することができなかった。来年はきっと引退間近で大パニックだろう。行くなら今年がベストに違いない。幸い開花が早く、仕事の落ち着いている3月末に見頃を迎えそうな様子。週間予報と睨めっこして年度末ギリギリの代休を突っ込み、前夜入りすべく夕方の新幹線で岡山に向かった。

23・03・28 備中川面−木野山 NikonD5 AF-SNikkor70-200oF2.8E FL ISO200
岡山で海外鉄仲間のKE70HF氏と合流し、夜明けとともに備中川面の1本桜へ。予想通り花は満開!立ち位置がシビアと聞いていたが、どうにか納得できるポジションを押さえることができた。早朝の霧も8時前には切れてきた。朝霧は快晴の徴という通り、8082レの前には雲一つない青空が広がり、条件は整った。9時50分、見事な枝振りの1本桜を横目に、国鉄色が鉄橋を渡ってきた。

23・03・28 岸本−伯耆大山 NikonZ7U AF-SNikkor70-200oF2.8E FL ISO200
下りの「やくも9号」は山陰本線揖屋−荒島の菜の花築堤を考えていたが、連作障害なのか花はマダラで納得いかず。気持ちを切り替えて、夕方の「やくも24号」は岸本−伯耆大山の大山バックへ。伯備線に名所は数あれど、中国山地を縫うように駆ける阿哲峡などの川沿い区間とこの大山バックはぜひ撮っておきたい場所であった。しかも、前年のサンプルを見ると桜をあしらうことのできる立ち位置もあるらしい。KE70HF氏に案内してもらいながら線路沿いを流して、件のスポットに辿り着いた。右手に桜、左頭で国鉄色、そして正面に僅かに雪を残した大山の山容と文句なし。多くの同志が集まる中、カメラ2台をセットして最高の瞬間を待った。

23・03・29 備中川面−木野山 NikonD850 SIGMA40oF1.4DG HSM ISO200
夜はそのまま米子に投宿し、翌日は未明から南下して再び備中川面の鉄橋にやって来た。今日はサイドから川縁の桜並木を配して撮影してみよう。一旦サンライズまで撮ってから、仕事で帰京するKE70HF氏を備中高梁駅まで送り、再び同じ場所に腰を据える。1台は40oで広めに青空を入れて、もう1台は85oで桜を大きめに配して構図を決定。更新色のロクヨンが引く3082レが行ってから約30分、軽やかなジョイント音とともに「やくも8号」が現れた。



この年のGWは伯備線に行くことは考えていなかった。だが、遠征候補地だった津山線の牧山俯瞰を撮り終えると急に手持ち無沙汰になり、とりあえず高速移動で新見に転戦することにした。天気は快晴、新緑はベスト、となれば行先は懲りずに三度の阿哲峡となる。予定外の訪問で広角レンズは持ち合わせていないため、Z7Uに50o、中型ジッツォ1本という軽装備で斜面を上がった。

23・05・02 備中神代−布原 NikonZ7U SIGMA50oF1.4DG HS ISO200
サイドがちの立ち位置にはいつもの面々がズラリ(笑)。そのまま隙間に据えさせてもらう。本来ならば、光線がカタいこともあって列車は小さめがベター。新緑もきれいだし、広いレンズで風景を広々と入れるのが定石だが、今年は藤の花が数週間早く見頃を迎えたようだった。この時期にしてすでに構図内には紫の房が杉の合間に見えている。これが標準しかない私には吉と出た。川と線路と藤の花をチラリと入れてアングルは完成!間もなく、ファインダーに国鉄色が飛び込んできた。

23・05・02 生山−上菅 NikonD850 SIGMA50oF1.4DG HS ISO200
返しは、阿哲峡で鉄仲間の諸氏から教わった生山の法面俯瞰へ。ポールとケーブルが手前側ではあるが、水を張った水田と鄙びた民家が里の風情を感じさせる。いつもの関東鉄ちゃん仲間と遭遇して三脚を並べた。しかし、この年の連休は天気が不安定だった。午後遅くになると俄かに薄雲が広がり始める。16時半過ぎにはついに露出が急降下。諦め半分で絞りを判断開けた。だが、集った面々の勝負強さが勝ったか、通過5分前から再び光線が強くなり、強気の露出に再設定。さぁ来い!早く来い!皆の願いを載せて、17時過ぎ「やくも24号」が舞台に姿を現した。



2023年のGW以降、伯備線を再訪することがないまま381系引退の日を迎えた。本来ならば、定番を一通り押さえた後は、沿線にモチーフを見つけて独自の視点で国鉄特急型の魅力を切り取ったり、達人諸氏の開拓した俯瞰アングルを目指して山中を彷徨ったりするところだったが、公私ともに多忙となったため諦めざるを得なかった。それでも、約2年間、中国山地に返り咲いたクリームと赤の国鉄特急色には素敵な夢を見させてもらった。幼少期の憧れを、現代の機材で形に留めることができた。撮影することができた幸運と、長きにわたって山間の隘路を駆け続けた労に感謝の念を示したい。

23・01・03 新見−布原 NikonD850 AFNikkor180oF2.8 ISO200
特急「やくも」からの381系撤退をもって、日本の線路上から国鉄色の国鉄型特急型電車が全て引退したことになる。“今なお現役”の掛け声に煽られるように、東北・北陸・九州に至るまで、赤いヒゲの電気釜を追って全国を行脚した日々はこれで本当におしまいとなった。国鉄型車両が老朽化してからというもの、JR型の新造車に無理に国鉄色を施して客寄せにする動きもあるし、JR世代の人々にとってはそれも魅力的なのかも知れない。だが、国鉄の最末期を知り、その全盛期にノスタルジーを感じる者には、色形だけの似非レトロはどうにも心に響かない。なぜならば、我々にとっては、国鉄特急型の色や形の背後に、幼少期の鉄道への憧れや旅の思い出などの個々人の忘れ難い記憶が宿っているからではあるまいか。表象の奥にある“想い”に心を揺さぶられながら線路脇を彷徨ってきた我々は、今後どこを目指していくべきか。次の魅力的被写体に辿り着くまで、しばらく時間がかかりそうである。



GALLERY 04トップへ 前ページへ 次ページへ