鉄路百景 GALLERY04.“JNR” Heroes01

GALLERY04 “JNR” Heroes

1.今を生きる青き寝台特急

幼稚園から小学校に上がる頃、来る日も来る日も電車の絵を描いていた。見本は講談社『国鉄特急・急行100点』。当時デビューしたての新 幹線100系から 485系のL特急群、キハ82の「ひだ」「南紀」、165系の急行「アルプス」「こまがね」や475系の「立山」など、今思うと涎が出そうな 被写体が目白押しだった。そんな中で、私のお気に入りだったのが583系。「なは」や「金星」、「はくつる」「ゆうづる」などの雄姿を見 るたび、他の特急と違って窓回りが青いことに関心を抱き、そこに魅力を感じていたようだ。

中学に上がり、叔父からカメラを譲り受けた。出掛ける先は東京駅&上野駅。もはやブルトレ・ブームという時代ではなかったが、小学校時 代の鉄仲間と夜行列車や特急を見に日曜毎にホームを走り回ったものだった。583系の実物を初めて目にしたのもその頃。第一印象は屋根の 高さだった。車輌限界一杯の深い屋根が9両、12両と連なる様は、鉄の世界に足を踏み出したばかりの少年に圧倒的迫力で迫ってきた。上 野の地平ホームで中を覗き、ときには回送発車までの合間に車内に忍び込んでスリルを楽しむうち、いつしかこの車両に乗ってみたい、こ れで遠くに旅に出たいという思いが強くなっていった。

高2の夏、初めて純粋な撮り鉄目的で北海道に渡った。手にしていたのは今はなき「北海道ワイド周遊券」。18きっぷと違い往復に優等列 車を使うこともできる。青森までの往路は迷わず583系「はくつる81号」に決めた。前年の改正から定期「はくつる」は24系の客車編成に置 き換えられており、いよいよ寝台特急としてのゴッパーサンの命脈に先が見えてきた頃であった。

99・03・05 盛岡駅 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
以来、583系「はくつる」には特別な思い入れを持つようになった。幾度か走りの撮影にも挑戦した。だが、ハードルは高い。上野に6時前 に着くスジでは、手軽に行ける大宮以南でもほとんどの場所が影の中。鶯谷の跨線橋に目を付けたが、いかんせん150oまでのズームではア ングルがまとまらず挫折。ならばと日の長い時期を狙って蓮田駅前地下通路でマルヨし、ヒガハスにチャレンジするも、天気に泣かされあ えなく撃沈。高校生鉄ちゃんの身ではおいそれと青森近辺まで出撃するわけにもいかず、結局「はくつる81・82号」はマトモな写真が撮れな いまま、次第に運転日が削減されていった。



583系の花形運用にはなかなか手が出なかったが、青い特急は意外にも身近なところにやって来ていた。多客期の週末に東北方面からディ ズニーランドへの団体客を輸送する、いわゆるTDL臨という列車である。そういえば土曜日には通学途上、時折この列車が京葉電車区ま で回送されるのを目にしていた。ただ、残念ながら我が母校は非週休2日制。愛しのゴッパーサンは通学列車の窓から恨めしくその姿を垣 間見ることしかできなかった…。ようやくチャンスが巡ってきたのは、皮肉にも浪人時代。河●塾は土日に授業がなく、19歳にして人生初 の週休2日制に恵まれることになったのだ。ダイヤ情報誌で運転日をチェックしては地元京葉線で朝練に励むようになった。

97・12・13 舞浜駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 RDPU
定番中の定番、舞浜駅先端。今でも団臨が入るたび黒山の人だかりができるが、実は多くの臨時列車が通過する8時頃は、よほど日の低い 時期でないとサイドに光線が回らない。冬至を1週間後に控えたこの日は、早くも北国に冬将軍が到来したのか、ヤツはシンボルマークを 雪で化粧して登場した。受験も近いので1発撮ってその足で予備校の自習室へ。

96・07・29 舞浜駅 Canon旧F-1 FD200oF4 RDPU
いつものTDL臨の他に、毎年恒例だったのが7月末の天理臨。東北地方から天理に向かった列車は、大祭を終えた信徒御一行を乗せて一 路東海道を駆け上がり、翌朝武蔵野線経由で舞浜にやって来る。通過は10時頃なので、光線はカタいが舞浜でバッチリ頂戴できる。親戚か ら借りた旧F−1+FD200oで構えると、何と!「はつかり」マークを掲示した583がファインダーに飛び込んできた。

97・06・14 舞浜−葛西臨海公園 OLYMPUS OM-1 ZUIKO135oF2.8 RDPU
駅先端だけではもの足りなく思い、俯瞰の足場を色々と探してみた。ここはTDL臨をTDLバックで撮影できる貴重なポイント。角度的 に、サイドに日が当たるのは夏場の早朝のみ。一番日の長い季節を狙って行ってみたが、背後がやや霞んでいたのが残念。また、架線柱の かわし方が今から見ると未熟である(汗)。現在このポイントは国道357号線の高架化に伴い撮れなくなってしまった。

98・01・10 新浦安−市川塩浜 OLYMPUS OM-1 ZUIKO50oF1.4 RDPU
運命のセンター試験1週間前、東京は雪に包まれた。朝起きると一面の銀世界。しかも今日は583入線の日である。カメラ1丁脚1本のみで 歩いて新浦安の俯瞰へ。最上段から見下ろすと、そこに広がったのはいつもと違う見慣れた町並みだった。静かに日が昇る。そして静かに 583は走り去って行った。
翌週のセンター試験は数学で大コケ。それがこの撮影の影響だったのかどうかは、今となってはわからない…(笑)。



ようやく受験生生活に終わりを告げ、関西に移住した。向日町(京都総合)にも583系はいたが、美しい国鉄色に比べて見るも無残なアーバン カラーでは撮影意欲も湧いてこない。その上、ゴッパーサン教の聖地青森までは、関東在住時よりもさらに遠くなってしまった。だが、ダ イヤ情報誌で臨時列車の運転予定を見るうちに、初夏と秋を中心に京都と青森の583が日替わりで日本海縦貫を往復していることがわかって きた。どうやら東北地方から京都への修学旅行生を運ぶ集約臨らしい。京都車は10両、青森車は9両、時に増結で12両もの長大編成となる。 HMが「臨時」なのが残念だが、折を見ては近場に撮影に出掛けた。

99・11・22 大阪−新大阪 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
12連での運転と晴れ予報が重なったので、平日にもかかわらず出撃。四条大宮から阪急の特急で約30分、終点の梅田から徒歩15分で大淀川 の鉄橋に着く。犬の散歩に来たおばちゃんが堤防を行き来するくらいで、他に鉄ちゃんの姿は見当たらない。架線柱をかわし背後の高層ビ ルをカットして、かつフル編成が収まる立ち位置を探りセッティング。間もなく晩秋の柔らかい朝日を浴びて主役が登場した。やはり12連 は長い!! 撮影後は即撤収して学校へ。出席にうるさい語学の授業だったが、滑り込みでギリギリセーフだった(汗)。

01・10・19 小野−和邇 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)
市内から一山越えるだけで琵琶湖や比良山に囲まれた水田地帯が広がる湖西線は、京都鉄ちゃんにとって最も手軽な遊び場だった。この日 は大学の先輩F31氏のレパード号で小野−和邇の比良山バックへ。ローアングルで築堤の向こうの電柱を隠し、カーブのすぐ右にある建物 をギリギリで切る。手前のボケネギは御愛嬌。パツパツのアングルで583系12連を頂戴した。



2001年には、GWの「思い出のはつかり」、7月の「リバイバル月光・しおじ」など青森の583系を立てたイベント列車が幾度か運転された。 しかし、「はつかり」は12連が仇となってド順光ポイントの南福島カーブは長さオーバー。越河や金谷川コンクリ橋など東北本線の名立た る撮影地は、ブルトレ向けに開拓されてきたためか、ほとんどが午前順光で軒並み×。困った末に松川付近の上下別線区間で雑草を大伐採 してアングルを製造したが、中望遠でカブリ付きという中判泣かせのポイントが災いし、痛恨の面切れ!全盛期の面影は幻となってしまっ た。また、「月光」は就活の最中、謀社の静岡本社で面接を受けてから新幹線で小郡にカッ飛び、嘉川−本由良のオーバークロスに乗り込 んだものの、残念ながらドン曇り(鉄ファン誌512参照)。返しの「しおじ」も雲の多い天気で、河内−本郷で炎天下の中待ち続けた甲斐な く、バックの山がマンダ〜ラになってしまった。

だが、583のイベントは人気が出るとわかったのか、翌年も「ゆうづる」「みちのく」などのリバイバル列車が我々ファンを沸かせてくれた。 チャンス再来!就職に伴って関東鉄に復帰したこともあり、期待に胸膨らませて何度か出撃を繰り返した。

02・09・19 磯原−南中郷 PENTAX67 smcPENTAX200oF4 RVP(+1)
社会人1年目は変則日程の木日休み。土曜が出勤ということは、単純に考えてネタ系列車は半分は捨てということである。ところが、実際 はその試運転が水木あたりに設定されることが多く、この年は意外とオイシイ思いをさせてもらった。583ネタでは「みちのく」は職場で無 念の涙を飲んだが、「ゆうづる」は試運転がバリ晴れの木曜日、HM掲出でしかも日中時間帯と本番以上の好条件で行われた。迷わず実家 の車を借りて出撃。常磐線は普段縁がないのでまったく不案内だったが、地図を頼りに6号線をひたすら北上。磯原付近で金色の田園地帯 が広がる。適当に当たりをつけて線路に近づくと、お立ち台のようなポコ山が線路脇に聳えていた。多少ヘドロ臭いのが気になったが、X を極めるためなら質問文句不平不満は一切無用。気合で直登しゲバを据える。ペンタ200で奥のカーブまで入れてジャスト。色づく田んぼの 中に、かつての常磐線のクィーンが返り咲いた。

 02・10・06 上野駅 OLYMPUS OM-1 ZUIKO100oF2.8 KR PENTAX67smcPENT

本番「ゆうづる」は日曜朝に上野着。天気は微妙ながらも信越本線の165系急行「信州」を撮りに行くついでに上野で一発撮影。国鉄型車両 には地平ホームが良く似合う。10年ほど前までは毎日のようにこんな光景が展開されてきたのか…。多くの鉄ちゃんは言う、「せめてあと 5年でも早く生まれていれば…」。それは私も例外ではない。

02・11・17 久ノ浜−四ツ倉 NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 PKR
11月には日大新鉄研主催の団臨が常磐線を走破した。今度は海バックのアングルで極めるべしと検討すると、やはり古のC62「ゆうづる」 の撮影地、久ノ浜〜広野がいいらしい。詳細な立ち位置などは出たとこ勝負ということで、とりあえず実家カーで出発。いざ現地に行くと、 何人かの鉄ちゃんが先着していたのでまずまずのポイントに辿り着くことができた。トンネルの上から水平線と屏風岩を入れて正面がちに 構図をとる。ペンタは300oを装着したが、ベストは35判200o相当。F4とダブルで据えて列車を待つ。やがて青い空と青い海をバックに 青い特急がファインダーを駆け抜けた。



一連のゴッパーサンネタが終わると、彼らの所属は青森から仙台と秋田に変更された。編成も仙台車は6両に削減。しかし、仙台支社はそ んな落ち目の名車に粋な計らいをしてくれた。仙台−会津若松を結ぶ快速「白虎」に583系を充てたのである。東北本線の仙台−郡山間、磐 西電化区間なら既に有名となった撮影地だけでも無数にある。その名舞台で、快速扱いとはいえかつての青い特急が撮れるとあらば、行か ないわけにはいかないだろう。

03・02・02 東長原−広田 PENTAX67U smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
2月、受験生を送り出して一段落した直後の土曜、冬の会津地方には貴重なバリ晴れ予報が出された。慣れない雪道運転で東長原のカーブ を目指す。翌朝、文句なしド快晴のポイントでゲバ据え。この場所はオリサルのラスト以来なので3年ぶりになる。あのときは編成が長か ったので標準だったが、今日は6連ということで165oでピタリ。455系の普電を撮り、いよいよ真打登場となる。一面銀世界の中、女王様 は音も立てずに姿を現した。X!!

03・09・23 越河−白石 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP100
この年は天候不順に悩まされた。とにかく梅雨が明けない。しかも夏期休暇は会社都合により7月末。ダメ元と割り切り、18きっぷ片手に ラストイヤーを迎えていた鹿児島本線南部を訪れたが、日々冴えない空模様に泣かされ、結局まともに極まったのは杵築−大神で俯瞰した フル編「富士」のみという最低の夏だった。9月の声を聞いても御天道様のご機嫌は一向に良くならない。我々鉄ちゃんは、翌月に控えた 山陰御召を前に長期予報を見ては一喜一憂を繰り返していた。ところが、秋分の日は突如大本営発表が好転し、これまでのグズついた天気 が嘘のような晴れ予報。珍しくカレンダー通りに休みだったので、待ってましたとばかり実家の車で越河へ出撃。早朝は霧に包まれていた この場所も、日が上がるにつれて視界が開けてきた。最後はドクリアー晴れ、金色田んぼの最高条件でメインディッシュをGET!

03・09・23 翁島−更科(信) MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP100
越河で撮った後、国見から高速に乗って磐西へ追っ掛けた。狙うは「白虎」運転開始以来目をつけていた翁島−更科(信)の磐梯山バック! 磐西といえばやはりこの山入れてナンボだろう。途中福島市内は霧が抜け切らず悪天候だったが、磐越道に入り磐梯熱海の峠を越えると、 青空にどっしりと聳える秀峰が目に入ってきた。ハンドルを握りながら心でガッツポーズ。列車通過40分ほど前に撮影地に着き、パニって いる中セッティングする。山はいまだ蒼いものの、もう天高く馬肥ゆる秋。1/500sec f5.6の日本晴れの下、線路際にはススキが穂をふい ている。やがて過ぎ行く季節を、磐西最高のステージを、リメイクされた美しいゴッパーサンが颯爽と駆け抜けて行った。

04・04・17 翁島−更科(信) PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
翌04年4月、ダイヤ情報誌に載った広告を見て只見線の桜を撮りたくなり、会津にハンドルを向けた。その行き掛けに485系「あいづ」と 583系の「白虎」を撮影。定番の磐越道俯瞰である。全国的に大したネタがなかった日なのか、このポイントに多くの鉄ちゃんが集まった。 が、会津の春は遅い。目を見張るような新緑になるにはまだ時間がかかりそうだった。冬枯れ色の景色の中、それでも美しい我らがクィー ンは、この1年ですっかり通い慣れた築堤に弧を描いた。



最近「白虎」の運転をあまり見なくなった。たまに仙台から福島方面への運転があっても、「花見山号」をはじめ福島止めの列車がほとん ど。583系を撮影できるチャンスも次第に少なくなってきた。それでも、ここ数年春の恒例となってきたのが常磐線の「水戸観梅号」である。 時期的に色味のない3月というのがやや難点だが、未知のアングルが潜んでいる常磐北線を日中時間帯に走行してくれるのがありがたい。 これからも注目していきたい被写体である。

05・03・15 偕楽園(臨) NikonF4s AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
2005年は583系による「水戸観梅号」の運転初年であった。夕方から町田校の生徒の卒業パーティーに呼ばれていたので、定番かつお手軽の 偕楽園(臨)へ電車で出撃。まさに梅シーズンで列車も停まるし、行けば作例通りのX写真が簡単に撮れる…と思っていたのが甘かった。駅 を降りると、偕楽園から千波湖へ通じる撮影地の陸橋は人人人の大洪水!最もいい立ち位置はちょうど人の流れのド真ん中で、少しでも吟 味しようものなら、マイクを持った警備員から立ち止まらずにさっさと行けと怒号を浴びる。とてもゲバを立ててゆっくり構えられる状態 ではない。かといって、混雑から離れた陸橋の隅には何人かの先客が集まっていたが、そこからだと道路は入るわ街路樹は入るわで作品ら しい作品は撮れそうもない。しばらく悩んだ末に覚悟を決めた。通過時刻を見計らってF4+望遠ズーム一丁手持ちで陸橋の人混みに紛れ る。踏切が鳴るや牛歩戦術を展開し、列車が見えたところで手持ち一発の勝負!こうして頑張って撮ったのに、切り位置通過時にタイフォ ン全開。見事に鼻の穴OPENな結果になってしまった(泣)。

07・03・10 浪江−桃内 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
今年は、★鉄バーリトゥード★のチバラギ氏にお誘い頂き、浪江−桃内のカ ーブへ出掛けた。早朝の双葉駅で合流し、山間のこのポイントへ。先客の方数名と軽い伐採作業を行ってペンタ300で狙いを定める。通過直 前に野焼きを始めようとした畑のオヤジに待ったをかけ、いざ立会い!東京のグズついた天気が嘘のような青空の下、美しいゴッパーサン と久々の再会を果たすことができた。しかし、好天もここまで。列車通過直後からモクモクと雲が湧き、海バックXカットを期待していた 午後の返しは、リングにも上がれず不戦敗に終わった。来年こそは…鉄の課題は尽きることがない。



00・01・05 好摩−岩手川口 MamiyaM645 1000S SEKOR150oF3.5N RVP(+1)
高度成長期を支えるべく、朝な夕な走り続けることのできる世界初の寝台特急電車として生を受けた583系。わずか6連でたまの臨時仕業に 就く姿に昔日の栄光の面影はないが、それでも深い屋根と独特のカラーリングが放つ輝きはまだまだ健在だ。青き寝台特急は、今も色褪せ ぬ私の憧れである。



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