Memorial GALLERY


 2025.09.22

2012.09.22 越後岩塚−塚山 NikonF5 AF-SNikkor300oF2.8ED×1.4 RVP100

今から13年前、あの頃は少なくなったとはいえ全国を広く見渡せば、まだまだ頑張って撮るに値する被写体が多かった。特にミレニアム前後に始まった第1次?リバイバルブームに味を占めたのか、2010年頃から各地に残る国鉄型車両が相次いで国鉄色を纏うようになり、この頃は第2次リバイバルブームともいえる状況になっていた。新潟地区の485系などは週末に手頃な距離で楽しめるターゲットとしてずいぶん追いかけ回したものだった。

この前週は敬老の日の3連休に津軽鉄道の津軽祭り臨客を撮りに行き、帰りに羽越線笹川流れに立ち寄って国鉄色「いなほ6号」を俯瞰した。この日は懲りずに晴れ予報に誘われて深夜の関越道を北上。「いなほ6号」にただの原色ではなく4ツ目のT18編成が入ると聞いて、越後早川−間島にて500oの面タテ構図でその雄姿を仕留めた。秋晴れの中気持ちよくミッション完了! さて、これからどうしようか? 迷うまでもなく国鉄色が走り回っていたのが当時の新潟地区だった。午後の快速「くびきの2号」にもK−1編成が入るという。撮影場所は自ずから決まった。

南北に長い新潟県を縦断して、越後岩塚付近の不動沢のSカーブに到着。今と違ってこんな被写体が来るにもかかわらず他に鉄ちゃんはいない。あの頃はまだ、ヨンパーゴを撮るなら特急「いなほ」か「北越」、快速の「くびき野」はねぇ…という雰囲気が漂っていたのだろう。だが、帰り掛けに頂戴するには十分すぎる相手である。F5にはサンニッパ×1.4テレコン、D800にはサンヨン単体で2台切り。斜光線を浴びた電気釜を迎え撃った。ところで、今回久し振りにポジ原版を引っ張り出してみたが、あらためて眺めると、やはり一撃必撮のポジは構図の詰め方に気合いが感じられる。今さら銀塩には戻れないけれど、フィルム時代にいろいろな面で写真の腕を鍛えられたのは間違いない。



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