2024.09.24 |
2001.09.24 平福−佐用 OLYMPUSOM−1 ZUIKO50oF1.4 RDPV
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「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、この頃になるとようやく暑さが落ち着いて湿度も抜け、沿線には彼岸花も咲くようになって俄かに秋らしさが感じられるようになる。23年前の9月は名鉄谷汲線が終焉を迎えるということで毎週のように美濃通いを続けていたが、さすがに気分転換をしたくなった。3連休の1日くらいは良いだろうと、秋分の日の振り替え休日はさささ先輩・レヴィン氏とともに「はくと90・91号」が運転されている智頭急行に転戦することにした。
早朝に三石−上郡のSカーブで「なは」を撮って、のんびり北上する。まずは「いなば2号」を迎え撃つべく平福−佐用間をロケハン。当たり障りなく3連のキハ181系が収まる築堤を見つけてカメラを並べた。いつもなら当時の主力機マミヤ645とニコンF4sをセットするところだが、この日はペンタックスLXをこよなく愛するレヴィン氏に刺激を受けて、マミヤと共にOM−1を据えた。こんな標準パツパツのアングルなのに一発切りのカメラを2台とは、今なら思わず手が震えてしまうシチュエーションだが、あの頃の私は怖いもの知らずだった。 間もなく、朝の静寂を破るように山間にターボサウンドが響いてくる。国鉄色がファインダーに飛び込んで駆け抜けるまでほんの一瞬だった。若さに任せた瞬発力でシャッターを切る。しかし、若さには限界もあったようだ。結果がどうだったのか、もはや四半世紀近く前の記憶は曖昧だが、撮影記録に記帳しているにもかかわらずポジファイルにマミヤのコマがないということは、きっと切り遅れて顔がはみ出たのだろう。手元にはOMで撮った1枚だけが残されたのだった。 |
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