鉄路百景 Profile     PROFILE


H N千ちゃん
生年月日1978年5月某日生
居住地 千葉県浦安市出身。 小学校低学年の頃、父親の転勤に伴い一時兵庫県西宮市へ。85年のタイガース優勝はお膝元で迎える(でも虎党ではない)。その後浦安に戻るも大学進学で京都へ移住。 就職とともに横浜市民に。一時浦安に復帰したが、2008年4月から学校教員になり市川市に移転。2020年のコロナ禍で居住環境改善のため船橋市のマンションへ。
職 業 Y々木ゼミナールなど予備校講師を経て高校教員。
撮影対象 JR・私鉄は問わず、国鉄型および郷愁をそそるノスタルジックな車両・路線が中心。 最近の若い鉄ちゃんが血眼になって追い掛ける配給・廃回などのネタにはめっきり弱く、昨今のトレンドにはサッパリついて行けておりません(汗)。

車両で言うと、JRでは非ステンレス国鉄型全般。色はやっぱり国鉄色!私鉄はこれといった好みの基準はなく、撮りたいモノを適当に撮っております。 古くは名鉄モ510・750・570形、最近だと津軽鉄道のDLや富山地鉄の旧型車両に興味があります。

アングルは…俯瞰LOVE♪ しかし、長玉を導入して以来、500o以上の超望遠を駆使した顔面アップにもハマっています。 車両だけではなく「人と鉄道」をテーマにしたスナップも研究中。
撮影機材 【カメラ・レンズ】 →詳細は 撮影機材紹介
●PENTAX67,PENTAX67TTL
 smcPENTAX 75oF2.8AL,90oF2.8,Macro135oF4,165oF2.8,200oF4,300oF4ED,400oF4ED
●Nikon F5,F4s,F3Limited,F3T,NewFM2,D3,D5,D800,D850,Z8
 AFNikkor 20-35oF2.8,50oF1.4,105oF2D,135oF2D,180oF2.8ED,300oF4ED
 AF-SNikkor 28-70oF2.8,70-200oF2.8ED VRU,28oF1.8G,35oF1.8G,50oF1.8G,85oF1.8G,300oF2.8ED,500oF4ED
 Ai Nikkor 45oF2.8,50oF1.4,105oF1.8,180oF2.8ED
 NIKKOR Z17-28oF2.8,70-200oF2.8VR S
●Mamiya 645Pro
 SEKOR 80oF2.8N,110oF2.8N,A150oF2.8,A200oF2.8,210oF4N
●OLYMPUS OM-1,OLYMPUS OM-4TiBLACK,PENF
 ZUIKO 50oF1.4,85oF2,100oF2.8,135oF2.8,180oF2.8,300oF4.5
 M.ZUIKO DIGITAL 17mmF1.8,25oF1.8,45oF1.8,75oF1.8
 LEICA DG VARIO-ELMARIT 8-18mm/F2.8-4ASPH

【フィルム】
●現在はRVP(67用),RVP100(35o中心)
●かつてはE100VS,PKR,KRも使用。

【三脚】
●QUICK-SET HUSKY4段(99年12月〜)
●SLIK PRO4(06年6月〜)
●GITZO G312(16年1月〜)
●GITZO 3543XLS(19年5月〜)
鉄活動歴 ●1991年
 中学最初の夏休み、先輩に連れられ初めての青春18きっぷ鈍行旅行に出る。叔父にもらったOM-1で駅撮りを少々。
●〜1993年
 学校の長期休み毎に18きっぷで乗り鉄。165系の大垣夜行375Mや115系の中央夜行421Mが懐かしい…。
●1994年
 高1で初めて北海道上陸。乗り鉄,ネガ・手持ち撮りながら「C62ニセコ」を間近に見て感動。
●1995年
 RM誌などの刺激を受けてネガを卒業し、ポジに乗り換え。 夏休みには、安売りされていたフジクローム センシア100を握り締め、写真部員を拝み倒して借りてきた学校備品の望遠ズームを装備に加え、C62&深名線を撮るべく2度目の渡道。 天候不順に悩まされたりもしたが(これは今も同じですな)、多くの鉄ちゃん諸兄との出会いもあり有意義な撮影行となった。 これが事実上撮り鉄の出発点であったと今になって思う。
●1996〜97年
 受験生(現役→浪人)だったため、両毛,山田・釜石の両御召を撮り逃す(泣)。しかし浪人時代には人目を忍んで密かに碓氷峠へ。 ここで鉄ちゃん諸兄から俯瞰撮影の指南を受ける。
●1998〜2001年
 京都で学生生活を送ることになり、久大客レ・山陰・北陸特急・名鉄谷汲線他西日本を中心に活動。 愛車スーパーカブ号(50cc)は全盛期年間走行距離1万qを記録した。こうして健全な大人への道が閉ざされていった気がする…。
●2002年
 就職で関東に復帰。谷汲線が廃止になり、山陰のキハが落ち、北陸のボンネットが引退した頃で、東北の国鉄色キハにターゲットを切り替えるよい機会となった。
●2004年
 5月、中古でマイカー導入。H7年式マツダAZ-ワゴン(5速MT)、走行2万3千q、26万円也(笑)。初運用は6月の早川ブルトレ朝練。 コイツのお陰でPF「出雲」激Xカットを極めることができた。ありがとう!! 以来、年間3万q前後のペースで、ご主人様はこのクルマを優しくこき使ってあげている。
●2008年
 4月、AZ-ワゴンのゴン太くん、2度目の燃料タンク損傷でガソリン漏れ発症。さすがに今年の検を通すのは無理と判断し、ニューマシーン導入に踏み切った。 次なる車はスズキ ジムニー(07〜08 ワイルド ウィンド 5速MT)。 これでどんな山深いアングルでも突撃が可能になった…のはいいが、果たしてそんなアングルに行く機会がそれほどあるのだろうかと疑問も感じる今日この頃である。
●2012年
 4月、高画素に惹かれてD800を導入。 ついに本気でデジへの扉を押し開け、この年の秋以降バケペンとD800、超広角・超望遠使用時はF5とD800という2丁切り体制を敷くようになる。 やはり現物が残るポジと最新画質のデジと、記録は両方で残しておくべきかと。
●2014年
 3月、ジムニーと我が身の老朽化に対応して次なるクルマを導入。今度は5ナンバーのSUV。 ようやく普通車に昇格し、多少は遠征の疲労も軽減されるかと期待している。
●2016年
 8月、スイスのゴッタルド峠にオリエント・エクスプレスを追う。12月には中国新疆ウイグル自治区の建設型蒸機撮影ツアーに参加。 以来コロナ禍まで夏は欧米、冬は中国に渡航し、海外鉄の世界に本格的に足を踏み入れる。
●2018年
 11月、約20年にわたって最前線で使用してきたPENTAX67運用離脱。完全デジタル化に踏み切る。
●2023年
 7月、ついに年貢を納めました…。出撃頻度は落ちそうですが、今後とも当サイトをご贔屓願います。
…現在に至る。

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