鉄路百景 GALLERY15. アルプス越えの羊腸の道〜遥かなるゴッタルド峠〜

GALLERY15 アルプス越えの羊腸の道〜遥かなるゴッタルド峠〜

3.Venice Simplon-Orient-Express

「オリエント・エクスプレス」は、今や鉄道への興味の有無にかかわらず知らぬ人のいない超豪華国際列車である。その歴史は19世紀後半にまで遡る。ヨーロッパでは、ビ スマルクの「鉄血政策」によってドイツ帝国が成立して10年余り、大西洋を挟んだアメリカ合衆国ではリンカーンの奴隷解放宣言から20年、大陸横断鉄道の開通を経て西部 開拓と重工業化が進んでいた頃である。日本では明治維新から僅か15年、まだ憲法すらできていなかった。

アメリカを旅して“寝台列車”に感銘を受けたベルギー人ジョルジュ=ナゲルマケールスは、ヨーロッパにもそれを持ち込もうと、パリとイスタンブールを結ぶ画期的な列車 の運行を構想し、ワゴン・リ社を設立した。だが、当時のヨーロッパでは独仏対立をはじめ国際関係が複雑に錯綜していた。その中でベルギー国王を後ろ盾に各国の鉄道と 契約を交わし、1883年、ようやくヨーロッパを横断する「国際寝台列車」の実現に漕ぎ着けたのだった。

「今日では東駅となっているパリのストラスブール駅発は午後7時30分。この豪華列車の出発の光景は、大西洋航路の客船も顔負けの華やかさであった。
 栗色の制服を着た寝台車の車掌たちが、肩にトランクを乗せ、手に荷物をぶら下げ、忙しく立ち働いていた。
<中略>
 特に人の目を引きつけているのは、2両のサロンカーと、カーテンが開かれている食堂車であった。それは本物の宴会場かと見紛うばかりに、大きなガス灯で照らし出さ れていた。テーブルには、純白のテーブルクロスが掛けられている。給仕たちが見事に折りたたんだナプキン、透き通ったグラスの輝き、ルビー色の赤ワイントパーズ色の 白ワイン、カラフの中の水晶のようなミネラル・ウォーター、銀色に光るシャンパンのボトル。誰もが、まばゆいばかりの輝きに眩惑されている。」

平井正著『オリエント急行の時代』(中公新書)では、冒頭で一番列車の発車のシーンがこのように活写されている。また、職業がら主要大学の入試問題を猟歩していると、 以下のような問題に出くわしたりもする。「1883年10月4日にパリを始発駅として運行を開始したオリエント急行は、ヨーロッパ最初の国際列車であり、近代のツーリズムの 幕開けを告げた。他方で、終着駅のある国にとっては、その開通はきびしい外圧に苦しむ旧体制が採用した欧化政策の一環であった。オリエント急行の運行開始時のこの国 の元首の名と、終着駅のある都市の名を記せ。」

FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO800
何を隠そう、2003年東京大学の世界史の入試問題の一つである。ちなみにこの年は、第1問が「運輸・通信手段の発達がアジア・アフリカの植民地化をうながし、各地の民族意 識を高めたことについて17行(510字)で論述せよ」。第3問では上記の“オリ急”問題の他に「1869年に開通した大陸横断鉄道を正しく示しているのは、地図の(a)〜(e)のど れか」「シベリア鉄道の終点のある都市はどこか」「19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米各都市に地下鉄が建設されたが、その際に導入された画期的な新技術とは何か」と鉄 三昧。一体誰が出題したのか、業界の人間としては非常に気になるところである(笑)。

閑話休題。 こうして華々しいデビューを飾ったオリエント・エクスプレスは、第一次世界大戦前夜には黄金期を迎え、各国の王侯貴族や外交官がこの列車を使ってヨーロッパ大 陸を往来した。大戦で一時運行が中止されたものの、戦乱が落ち着くや否や講和条約締結前から運転が再開され、1920年代にはオーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国の 崩壊といった政治変動をものともせず、経済復興を背景に運転本数、経路を拡大した。客層も大衆化し、王侯貴族ならずともこの列車を利用するようになった。アガサ・クリス ティが『オリエント急行殺人事件』を書いたのもこの頃である。

しかし、華やかな“走る社交界”も、第二次世界大戦後は冷戦による東西ヨーロッパの分断、飛行機の台頭やモータリゼーションの進展で往年の輝きを失うようになる。1960年 代には、その“看板”に反して食堂車も寝台車も連結しないいわゆるモノクラスの列車に落ちぶれて、二等車に貧民を満載する「出稼ぎ列車」の様相を呈するようになった。そ して、1977年5月22日をもって定期運行の使命を終えることになったのだった。

だが、「オリエント・エクスプレス」のブランドが色褪せることはなかった。1976年には、スイスで旅行会社を経営するアルバート・グラッツが全盛期の車両を用いて「ノスタ ルジー・オリエント・エクスプレス」の名で豪華列車を復活させた。これが後にフジテレビの企画でバブル絶頂期の日本にも上陸した「オリエント急行」である。さらに1982年 には、アメリカの実業家ジェームズ=B=シャーウッドが競売にかけられたワゴン・リ社の車両を買い集め、徹底的なレストアの上ロンドン〜パリ〜ヴェネツィアでクルーズ・ト レインとして運行を開始した。これが「ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」、いわゆるVSOEの始まりである。現在も同列車は世界最高峰の豪華列車として 月2度ほどのペースでヨーロッパ大陸を縦断している。



スマホによると、当初の予報では19日金曜は曇り時々雨だった。山間部だけにヴァッセンは夏場でも晴れは2日続かないと聞かされていたし、過度に期待はしていないつもり ではあったが、それでもイマイチな御宣託を下されていい気持ちはしないものである。夜な夜なK氏・みん☆みん氏と酒を酌み交わしながら、次善の策についても検討する… はずだった。実際は毎夜へべれけになってしまい、結局具体的な策を講じられないまま決戦の日が近づいていったのではあるが。

しかし、我々の不安を覆すように、日を重ねるごとに予報は急上昇!前夜こそ雨に見舞われたが、ヴァッセンのピンポイントでは当日朝から太陽マークが並ぶまでに回復した。 前の晩には喜び勇んで前夜祭を執り行い、ゲンを担いでカツレツまで頂いて本番に備えた。

 
左右とも:2016・08・19 Wassen FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
22時就寝4時起床という修行僧のような(毎晩酔いどれているから生臭坊主でもあるのだが…笑)生活サイクルのお陰で、今日も未明に目が覚める。薄明るくなったのを見計らっ てホテルの周りを散策すると、心配された雨は止み、低い雲とも靄ともつかない水蒸気が谷間を足早に流れていた。 峠の南には所々に青空が覗いている。天気は回復傾向で間違 いないだろう。

パンとチーズの朝食を摂るうち、青空ゾーンがみるみる広がってきた。ホテルゲーリッヒのK氏御一行と連絡をとり、ヴァッセン勝負で腹を括る。8時に車の前に集合し、三脚 をピックアップしていざ立ち位置へ。濡れた草を踏みしだきながら丘のてっぺんに上がると先客が1人。乗り鉄メインで訪欧したという、これまた日本人鉄ちゃんであった。こ の夏のハイライトであるVSOE運転日、ヨーロッパを代表する世界的撮影地は極東の平たい顔族によって実効支配されたのであった。

2016・08・19 Wassen FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
高緯度のヨーロッパ、しかもアルプスの一角ゴッタルド山塊に覆われたこの界隈では、夏といってもなかなか朝日が差し込まない。9時半を回り、ようやく稜線付近にまとわり 付く帯状の雲から太陽が顔を出した。鋭い斜光線が山頂から谷底にかけて少しずつ下ってゆく。「天空の城ラピュタ」のパズーのトランペットが思わず脳内に響いてくるような 光景である。

2016・08・19 SBB Gottardo Bahn Goschenen−Erstfeld NikonD5 AFNikkor50oF1.4 ISO200
毎時40分過ぎは、南行きのIRが通過する時刻。昔のL特急よろしくパターンダイヤ化されているスイス国鉄の中長距離列車は撮影予定も立てやすい。D5に50o、D800に35o を付けて構図をセットする。中段を駆け上がる列車を見てカマを確認。よし、赤いRe420が先頭だ。間もなく、半面光線に照らされて上段のSカーブに現れた客レをまずは幸先 よく頂戴した。

2016・08・19 SBB Gottardo Bahn Goschenen−Erstfeld NikonD5 AFNikkor50oF1.4 ISO200
海外撮影の経験豊富なK氏によると、VSOEは推定10時半前頃にやって来るという。場合によってはその前走りで貨物が来るかもしれないとのこと。太陽の周りからあと一歩抜 けきらない山際の雲に一喜一憂しながらカマの登場を待ち受ける。と、ふいに建物の合間からチラリと見える最下段に機関車の影が見えた。よくよく目で追うと、赤と緑のRe420 混色重連が後に従えるは、真っ白な屋根も眩しい重厚なワゴン・リの客車たち。「VSOEだ!」山上で待つ我々の間に緊張感が走る。

一度大きく弧を描いてトンネルに消えた列車は、数分後に中段に姿を現す。眼下を行く客車の両数を数えると、計16両。1両減車とはいえほぼフル編成。よし、あとは光線が薄雲 に遮られないうちに列車がファインダーに現れることを祈るばかり。

両手にレリーズを握り、固唾を飲んでトンネル出口を注視する。間もなくレールの軋む音が響き始めた。「来た!」緩いS字に身をくねらせて、今日の、いや今ツアーの主役が颯 爽と舞台に躍り出る。撮影者の姿に気付いたか、長声一発、山間に長い汽笛を響かせて2台の機関車が我々の前を走り抜ける。無我夢中でとにかくレリーズは押しっ放し。我に返 ってファインダーから目を離すと、輝きを放つかのような深い艶を湛えた群青色の客車が延々と続く。8〜11両目は窓回りがクリーム色のプルマン・カー、そしてさらにその後ろ に5両の濃紺の寝台車。堂々たる豪華列車が去ると思わず肩の力が抜け、一同ガッツポーズをしながらその場にしゃがみ込んでしまったのだった。

次の列車を待ちながら、背面モニターを眺めてはニヤニヤ。だが、何度も見返すうちにふと思った。緑のRe420は現在スイス国鉄で残り数両、確かに貴重なカマである。だが、絵 的には赤重連の方が整っていたのではないか?気にし始めると、せっかくのVカットも何だか“カマ故障で長岡パイチに救援された「トワイライト」”のように見えてくる。もう考 え込んだって後の祭り。希少な機関車の登板に感謝!である。

2016・08・19 SBB Gottardo Bahn Goschenen−Erstfeld NikonD5 AF-SNikkor28oF1.8 ISO200
VSOE通過後、しばらく曇りゾーンに入っていたが、11時頃から再び青空が広がり始めた。バックの岩山の上空もいい表情。ド定番の50oアングルだけでは芸がないので少し 立ち位置を下げ、広角で稜線も入れる構図に変えてみた。 事前にflicker等で予習していたときには35oくらいでいけるかと思っていたが、想像以上に広めでないと絵がまとま らない。出発直前に入手した28oF1.8がここぞというところで活躍してくれた。

2016・08・19 SBB Gottardo Bahn Goschenen−Erstfeld NikonD5 AF-SNikkor28oF1.8 ISO200
今ツアー全般を通して貨物列車は低調だった。もしや9月からの新トンネル利用が前倒しされたのではないか?そんな疑問すら抱かせるほどの本数の少なさ。しかし、今日はIR の続行で重連のホキがやって来てくれた。広角アングルだとRe620のスラリとした長いボディがよくわかる。一昔前の東北地方を思わせるようなシーンが目の前に展開した。



定番の丘の上は午前一杯でサイドが薄くなる。11時台のIRで切り上げて、初日にも訪れた下段のカーブに場所を移す。徒歩約20分で定番のカーブを見下ろす畑の突端に到着。よ く見ると、わずか数日の間に足場のすぐ後に獣除けのような柵が張られていた。指が触れると軽く痺れるので微弱ながら電流も流れているようである。 ずいぶん物々しい雰囲気だ が、恐らくゴッタルド・ラストイヤーで世界各国から色々な鉄ちゃんが来ているのだろう。中にはタチの悪いのもいるのかも知れない。そんなこともあるのかと苦笑しながら、電 気策の外に三脚を立てた。

だが、間が悪いというべきか、移動した途端にヴァッセンの谷は雲の通り道に。これには我々Japaneseだけではなく先着していた数名の欧米鉄ちゃんも肩を落とす。バックの三角 山も流れる雲に隠れてしまった。まぁ仕方ない。三角山はダメにしても雲の切れ間で近景に陽が回ることを期待して、50oヨコで構図を組んだ。

と、その時だった。背後に強い衝撃を感じて振り返ると、鬼の形相のオッサンが棒を片手に仁王立ち。“●△×?■▽◎!□”と推定ドイツ語の聞き取れない台詞を凄い剣幕で怒 鳴り散らしている。どうやら「俺様の土地に入るな、この平たい顔族が!」とお怒りになっているらしい。でも待て、ここは立派に電気柵の外側である。ヤツの主張する「領域」 外のはずである。そうとわかったら腹が立ってきた。さて、何と言い返してやろう…。ところが、思案するするまでもなく隣にいた欧米系鉄ちゃんが反撃の狼煙を上げてくれた。 推定「ここは柵の外だろう。どんな理屈で因縁つけてきとるんじゃオラ!オノレは目ん玉ついとんのか!」くらいのことを言ってくれたらしい。早とちりに気付いた前のめりな地 主らしきオッサンは、振り上げた拳の下ろし先に困ったらしく、バツの悪そうな顔でスゴスゴと畜舎に帰っていった。

一言くらい謝らんかい!とも思ったが、これが外交事案に発展しなかったのも、ひとえに私の寛容の精神のお陰である。毎度お騒がせのホワイトハウスのTwitter番長にもぜひ この姿勢を見習ってもらいたいと切に願う。

2016・08・19 SBB Gottardo Bahn Goschenen−Erstfeld NikonD800 AF-SNikkor50oF1.4 ISO200
狂犬のようなオッサンも消えて一段落。ようやく薄日が差すようになったタイミングで、今日も黄色い有蓋車2両を率いた郵便列車が峠に向かって走って行った。

だが、その後は帯状の雲が抜けそうで抜けず、待てど暮らせど来る曇るの繰り返し。14時をリミットにK氏&みん☆みん氏は撤収するという。このままレンタカーで国境を越え、 帰りはパリから飛行機に乗るとのこと。私はといえば、夕方17時台のIRでチューリヒに出る予定。もう少し粘るかと両氏を見送った後も列車を待ったが、成果は上がらずさすが に飽きてきた。



撤収!そう決断して機材をまとめ、宿に向けて登り坂を歩く。予定よりも2時間ほど早いIRでチューリヒに出て夜景を楽しむのもまた一興。薄雲広がる空にそんな余裕も生まれ ていた。しかし、旧ヴァッセン駅を過ぎ、集落に入る頃になって急遽バリバリと陽が射してきた。これは撮影を切り上げるには勿体ない!俄かに貧乏根性が頭をもたげるが、かと 言って今さら先ほどの場所に戻る気力もない。そこで思い付いたのが初日の夕方にRe460を撮った中段コンクリ橋の見下ろしアングル。未習のポイントだし、16時台の光線がベス トであることを考えると、これが最適解と踏んだ。

2016・08・19 SBB Gottardo Bahn Goschenen−Erstfeld NikonD800 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO200
民家の合間を縫うように急坂の小道を登り、右手の草地の斜面に出ると前方眼下にコンクリ橋が見えてくる。あとは手前の木々をどうかわし、どこでシャッターを切るかによって 立ち位置が決まってくる。さてどうしよう?自由度の高さに戸惑いながらD800に70-200oを付けて右往左往していると、早くも上段から重連貨物が下りてきた。急いでアングルを 決め、手持ち1発で迎え撃つ。レンズは105o相当、サイドが薄いことを考え露出はバリ晴れ+1/3開け。どうだ!?

2016・08・19 SBB Gottardo Bahn Goschenen−Erstfeld NikonD5 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO200
ここでのメインは16時台のIR。あと30分もすれば、列車側面にも程よく陽が回ってくるだろう。貨物よりも切り位置を1スパン手前に寄せて、三脚固定で厳密に構図を練る。案の 定、待っているうちにぐんぐんコンクリ橋に西日が当たり始めた。欲を言えばもう少しサイド光線気味が良いのだが、西側にはすぐ切り立った斜面が迫っている。あと1時間もしな いうちに線路が山影に入るのは間違いないだろう。贅沢は言うまい。次が今ツアーの、そしてもしかしたらゴッタルド峠旧線の最後の1枚になるかも知れない。16時20分、Re420の 牽く客車列車が軽やかに峠を降りてきた。



「やりきった!」満ち足りた気持ちで撮影地を後にする。ホテルで預けておいた荷物を拾い、Wassen dolfのバス停へ。今朝のリサーチでは、毎時55分にゲシェネン行きのポストバス が通ることになっている。16時55分の便で駅に出よう。

2016・08・19 Wassen FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
都合5日間滞在した山懐の町ヴァッセンに別れを告げる。定刻より少し遅れて、雑貨屋の前のバス停に黄色いポストバスがやって来た。帰路はこの3段ヘリカルループを車中から 楽しむべくゲシェネンから列車に乗る予定。このバスに乗ればアルト・ゴルダウまでのIRに程よく接続するはずである。

 
左右とも:2016・08・19 Wassen FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
クネクネ曲がる山道を進むこと約15分、ゴッタルド山塊を目前に控えた行き止まりに、駅はひっそりと佇んでいた。バス乗り場のすぐ脇は、アンデルマットまでの急斜面をアプト 式で這い上がって行くマッターホルン・ゴッタルド鉄道の支線のホーム。その向かい側、ガランとした駅舎を抜けたところに国鉄のホームがある。『地球の歩き方』によると、ス イスでは車内清算は御法度。改札口がない代わりに、乗車前に目的地までの切符を購入しておかないと車内でペナルティ料金が課されるという。だが、見る限りこの殺風景な駅構 内に職員らしき人影はない。列車到着まであと2〜3分、こうなれば乗ってしまったもん勝ちである。間もなくゴッタルドトンネルから赤い機関車が顔を出し、上りのIRがホー ムに滑り込んできた。

 
左:2016・08・19    Goschenen st    FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
右:2016・08・19 Goschenen−Erstfeld FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
日本と違って立ち客多数の満員電車という光景はまず見ない。1ボックス占領は無理でも、相席でよければ窓側のポジションを確保することができる。向かいの中年男性に声を 掛け、ヴァッセンの教会が見える側の席に腰を下ろした。

アルプスの山影迫るゲシェネンを出た列車は、下り坂ということもありぐんぐんと加速してゆく。右手の谷間の幅が徐々に広がってくると、間もなくトンネルを抜けヴァッセン 上段お立ち台の脇を通過する。緩いS字を描いて短いトンネル、そしてコンクリアーチ橋。一瞬だが、杉の木の切れ間から赤い屋根の教会がチラリと見える。やがて列車は長い トンネルに入った。真っ暗闇で何も見えないが、ずっと右に大きく旋回しているのだけは体感とレールの軋みから伝わってくる。車窓に光が戻ると、つい1時間ほど前まで撮影 していた中段のアーチ橋に躍り出た。今度は左手間近に教会が見下ろせる。だがそれも束の間、廃止となったヴァッセン駅を通り過ぎ、今度は左にカーブを切りながら長いトン ネルへ。ぐるりと角度を変えて谷底に顔を出し、下段のカーブを走り去る。もうアングルの後ろ半分は影の中。空は青いが悔いはない。列車はもう1度ループ線で360度回転して から渓谷を下りきり、エルストフェルトの駅に到着した。

峠を下ってしばらくすると、車掌が巡回してきた。切符を買わずに乗ってしまったことを思い出し、チューリヒまでと申告する。と、若い女性車掌はキリリと厳しい表情になり、 ハキハキとした英語で「乗車前に駅で買ってもらわないと困る。車内で買うとエクストラチャージ7フランを追加する。従って37フランである」との勧告を頂いた。こちらとし ても、窓口がどこかわからなかった、駅員がいる気配すらなかった、乗り換え時間が数分しかなかった…など反論する余地はいくらもあったのだが、悲しいかな、喧嘩をするだ けの英語力を持ち合わせていない。顔で笑って背中で泣いて、作り笑顔で37フランを支払うよりほかなかった。

往路と同じく、アルト・ゴルダウで乗り換えである。客レと別れて、ロマンスカー調のICNのお世話になり、約40分でチューリヒHBに戻ってきた。

ひとまず宿に荷物を置いてから夕食、そして夜行列車のバルブを楽しもう。印刷してきた予約確認票を頼りに場末の通りを歩くと、その一角にお目当てのアパートメントホテル、 スイス・スターセンターはあった。暗証番号を打ち込んでカギを受け取り、自室に入る。日本では見慣れないシステムだが、チューリヒのような大都会では一般的なホテルより 安く、かつ変則的な動きをする鉄ちゃんにとっては他者の目を気にしなくて済む分気楽なのが良い。

 
左右とも:2016・08・19 Zurich FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO800
駅に行く前に腹ごしらえ。といっても、意外に安く手軽に食べられそうな店はない。まぁ、スイスの食事で安さを望むのはそもそも間違いなのではあるが、あまりゴージャスな コース料理など一人では敷居が高過ぎる。しばらく周囲を散策して、ゴッホの絵にでも出てきそうなカフェテラス風のイタリアン・レストランを見つけて入った。パスタにワイ ンで夜戦に備えるとしよう。

外食は基本1時間というのが彼の国の常識であるらしい。吉牛や松屋で慌ただしく丼を掻き込むせっかちな東洋人とは時間感覚が大いに異なるが、それもまた文化である。店の すぐ前にトラムの電停がある。フォークを置くまでに、折り返しの電車がパンタの上げ下ろしをする音を何回聞いただろう。食後のワインをゆっくりと嗜むうち、程よく夜の帳 が下りて、バルブにはいい塩梅になってきた。

2016・08・19 SBB Zurich HB NikonD800 AFNikkor50oF1.4 ISO200
広大な地下通路に掲示された時刻表をチェックする。狙いはドイツ国鉄が運行するCity Night Lineと、ハンガリーのブダペストを目指すEuro Night。夜の駅で、行き先表示を見 ながらどの列車をどう撮ろうか考えるという至福の時間を久しぶりに味わった気がする。東京駅や上野駅で「はやぶさ」や「はくつる」を見送っていた小学生時代の記憶が蘇って きた。

City Night Lineは今年限りで運行が終わるという希少なネタだったが、停車番線が悪くダメ。綺麗に撮れるのはブダペスト行きのEuro Nightだけとなった。経由する各国の客車 を繋いだ雑多な編成の先頭には、Re420の更新機が立つ。パニックも罵声もない静かなホームで、たった1人被写体を独占した。

2016・08・19 SBB Zurich HB NikonD800 AFNikkor50oF1.4 ISO200
夜行列車を撮り終えて戻る途中に、Re420牽引のIRを発見。それほど編成も長くないため、屋根の下でフル編成が収まる。光量も充分。しかもカマは初期型の菱形パンタグラ フ装備車である。これも1人三脚を立て、屋根を強調してローアングルから50oで手堅く頂戴した。

2016・08・19 Swiss starcenter FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO800
宿の部屋名は「スタジオ」。Booking.comではこれしか空いていなかったため選択の余地がなかったが、一体何ゆえ「スタジオ」なのか?落ち着いて部屋を見渡して気が付いた。 壁面にカメラを構えたフォトグラファーと思しき絵が描かれている。そういうことか。しかし、納得いかない点が2点ある。 一つは、何故フォトグラファーがそのまんま東みた いなオッサンなのか?部屋のモチーフであるならば、福山雅治とは言わないまでも、もう少しイケてる肖像にするべきではないのだろうか?そしてもう一つは、オッサンの構え るカメラがキヤノンのEOS10クラスの初級機であること。D5・D800ユーザーとしてはできればニコンを描いてほしかったが、せめてキヤノンならばEOS5D、やるなら1DX くらいにして欲しかったものである。まぁいいか。

長かった1日、大きな成果を上げた1日が終わる。駅からの帰り掛けにスーパーで仕入れたワインを味わううち、スイス最後の夜はゆっくりと更けていった。



翌朝は6時に起床。今日の午後にはスイスを発つ。最後の半日くらい世界史の教員らしく、チューリヒの見どころを回ろうではないか。荷物は最低限のX100S1台のみ。スナッ プや資料写真程度ならコイツで十分過ぎるくらいである。

早朝で店が開いていないし、物価高のスイスでは見知らぬ店でパンを一つ買うにも勇気がいる。結局安全策と踏んで黄色いM字のチェーン店で朝マック。それでも朝食メニュ ーで日本円換算1000円弱は衝撃である。何処も同じテイストのハンバーガーで腹ごしらえをしてから、リマト川に沿って南下。チューリヒ湖岸を目指した。

2016・08・20 ケー橋よりリマト川西岸を望む FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
湖に流れ込むリマト川河口に掛かるのがケー橋。片側2車線の道路と複線のトラムが川を跨ぐ、広々とした道路橋である。橋の中央から川縁の街並みを望む。柔らかな朝の光が 歴史的建築を照らす。

2016・08・20 チューリヒ湖をバックにケー橋を渡るトラム FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
鉄ちゃんたるもの、トラムが走っているならばカメラを向けなければ気が済まない。X100S1台でも果敢に勝負!チューリヒ湖を背にケー橋を渡る旧型車両にシャッターを切る。 タイムラグの大きいカメラで、手持ちで走行シーンを撮るのは至難の業だが、数本トライしてどうにか1カット極めることができた。

  
 左:2016・08・20 大聖堂を見上げる FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
 右:2016・08・20 大聖堂の中へ    FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO800
リマト川右岸に聳える2本の塔が、スイス最大のロマネスク式教会、チューリヒの大聖堂。16世紀前半、この町で宗教改革を先導したツヴィングリが説教師の任に着いたのも この教会である。観光客向けのいわゆる営業時間より前ではあるが、地元の人たちに向けてであろう、すでに入口の鍵は開いていた。

 
左右とも:2016・08・20 ミュンスター橋よりリマト川西岸の眺め FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
ケー橋の1本上流側に架かるミュンスター橋より街並みを望む。石造りの家々とその中に聳える三角屋根の聖堂。これぞ中世からの名残を残す歴史あるヨーロッパの都市の景観 である。橋の袂では朝市が開かれ、屋台でパンや野菜が売られていた。

  
 左:2016・08・20 緑屋根の印象的なフラウミュンスター FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
 右:2016・08・20 巨大なパイプオルガンを備えた聖堂  FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO800
ミュンスター橋の右岸に見えるエメラルドグリーンの屋根を持つ建物がフラウミュンスター(聖母聖堂)。12〜15世紀に建造された、尖塔にステンドグラスを備えるゴシック様式 の聖堂である。20世紀にシャガールが制作したステンドグラスと巨大なパイプオルガンが見どころ。これまた中にお邪魔して、一人厳かな雰囲気を味わいつつゆっくりと見学さ せてもらった。

 
左:2016・08・20 大時計を備える聖ペーター教会    FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
右:2016・08・20 リンデンホフの丘から眺める街並み FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
フラウミュンスターから北に数百メートル行くと、チューリヒ最古の教会、聖ペーター教会がある。16世紀に建造された時計塔の文字盤はヨーロッパでも最大規模。

聖ペーター教会から狭い路地を進んでリンデンホフの丘に出る。菩提樹に囲まれた広場からはリマト川沿いの市街地が一望できる。8時半を過ぎ、空は曇り模様になってしま ったが、晴れていればここからトラムの俯瞰なども悪くない。

2016・08・20 SBB Zurich HB FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
帰り掛けにチューリヒHB駅に立ち寄る。時刻は9時半。上りのEURO NIGHTが到着する頃である。着番線を確かめてホームに上がると、すでに機回しを終えた寝台編成が回送を 待っていた。先頭に立つのは昨夜と同じRe420の更新機。夜闇の中で見るとさほど違和感を感じなかったが、昼間の明るさで見るとライト回りを中心にちょっと食えない相貌 である。今後更新機が増えるのであれば、遠くないうちにスイス再訪も検討しなければならないかも知れない…。

宿から荷物を引き上げ、いよいよ帰国の途に就く。空港方面に向かうS-BahnでチューリヒHBを発車。市街を回り込むように北に進路をとり、やがて地下に潜ると間もなく国際 空港である。チェックインも順調に済ませ、あとはボーディングを待つばかり。13時30分、キャセイパシフィックCX382便は定刻に香港に向けて離陸した。

 
左右とも:2016・08・20 CX382 B777機内 i phone5
曇り空のチューリヒを飛び立つと、間もなく雲が切れ始めた。眼下にはアルプスに連なる山々と深く切れ込んだ谷間が交互に現れる。目を凝らせば、谷から幾重もの九十九折を 繰り返して峠へと延びる道路も見てとれる。先人たちが英知を結集して切り開いた交通網が俯瞰できるのは感慨深いものがある。

2016・08・20 CX382 B777機内 i phone5
時間の感覚がマヒしたまま、昼食だか夕食だかわからない機内食サービス。滞在中全く口にすることのなかった米が出てきたのがうれしい。ドリンクは、まだ外は明るいけど白 ワインで。白昼堂々アルコールを楽しむ背徳感が堪らない(笑)。

西から東へと飛行する帰路の便は、時計の進みが早い分、時間の感覚もおかしくなる。だが帰国翌日にはすぐ出勤、夏期講習の準備をしなければならない身には時差ボケなどし ている暇はない。最善の策は寝る。とにかく寝る。酒と書籍を睡眠導入剤に、ひたすら泥のように眠った。気付くと窓の外が薄明るくなっている。モニターをフライトマップに 設定して確認する。中国上空、すでに沿岸部にだいぶ近づいている。 翼の下は低い雲。7時過ぎ、一晩かけてユーラシア大陸を横断してきたトリプル7は雨模様の香港に着陸 した。

 
左:2016・08・21 香港国際空港 FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO800
右:2016・08・21 香港国際空港 FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO400
海外に旅行に行くと日本食が恋しくなるという話はよく耳にする。確かにパンにパスタに肉と野菜少々といった日々が続けば、身体が白米に味噌汁を無性に欲するのもよくわか る。だが、先年ニュージーランドに2週間出張したときにもそうだったのだが、私が海外から帰ってまず口にしたいと思う日本食(?)は、「ラーメン」であった。欧米文化圏で は決定的に汁物が少ない。味噌や醤油といったアミノ酸系の味付けのスープにコシのある麺。これぞ我が身体の奥底からの欲求である。というわけで本当は帰国してからのお楽 しみにしておきたかったのだが我慢ができず、空港内のフードコートで九州とんこつラーメンをいただく。“This is Asian taste!”

10時から成田行きCX520便の搭乗が始まった。行きと同じく8月のハイシーズンに合わせたシップチェンジでジャンボが登板している。これがキャセイジャンボに乗る最後の 機会。ワクワクしながら指定の席に着いた。

 
左:2016・08・21 CX540 B747機内 FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
右:2016・08・21 CX540 B747機内 FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO800
梅雨時のようなジメジメした香港を発ち、上空1万メートルまで上がるとそこは夏空の世界。一面トリトンブルーの世界とその下を流れる綿雲とのコントラストが美しい。 昼の機内食はタンドリーチキンに炒飯。アジアに帰って来たことを実感する。

 
左:2016・08・21 CX540 B747機内 FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
右:2016・08・21 成田空港      FUJIFILM X100S FUJINON23oF2 ISO200
東シナ海の上を飛ぶこと約4時間、徐々に高度を下げつつ夏雲の下に入ると眼下に緑の絨毯を敷き詰めたような水郷地帯が広がった。フライトマップと重ね合わせると、 恐らく利根川下流域だろう。所々早くも刈り入れられているのはいかにも千葉県らしい。南風運用の飛行コースに沿って霞ケ浦の上空で大きく左にターンし、降下角3度 でゆっくりとBランにアプローチ。間もなく東関東道を跨ぎ、十余三の鳥かごポイントが真横に見えてランディング。ジャンボの巨体は轟音と共に成田国際空港に到着した。

機外に出るとモワッとした湿気が身体を包む。蒸し暑い夏の日本に戻ってきたことを実感する。振り返ると駐機場に佇むB4の巨体。ゴッタルドの終焉とジャンボ引退で決意 したこのツアーは、こうして無事に幕を下ろした。

2016・08・31 成田空港 NikonD5 AF-SNikkor300oF2.8 ISO200
搭乗する機会はもうないけれど、成田便のシップチェンジは月末まで続く。キャセイジャンボの撮影チャンスはまだ10日ほどあるはずだった。しかし、仕事と天気の兼ね合い でなかなか動けず、気づけば最終日の8月31日になっていた。だが、今日ならば講習も終わっているし、職場を早退すれば15時過ぎの着陸から狙えるはずだ。新学期の準備をそ そくさと終え、D5とサンニッパ・ゴーヨンを車に積んで東関東道を東進した。

まずはすでに何人ものスポッターが集まっているBラン北端に滑り込んで“降り”を1カット。そして、返しはAラン南端の畑ポイントへ。混雑のピークも過ぎた今日ならデ ィレイで日没という憂き目に遭わずに済むだろう。17時過ぎのデルタのジャンボからスィングの練習。Flightradar24で機影を確認しながら待つことしばし、17時27分エメラル ドグリーンの帯を纏った巨体がファインダーに飛び込んで来た。夕日を浴びて垂直尾翼がギラリと光る。その姿をファインダー中央に捉え、高速連写で乱れ撃ち。そのままカ メラから目を離し、優美な機体が大空に飛び去るの光景を見送った。

最後の最後で未履修だった夏休みの課題を回収。ゴッタルドツアーは、ここで本当の終幕となった。

− 完 −



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