鉄路百景 GALLERY06.秋季ネタめぐりツアー 2006 02

GALLERY06 秋季ネタめぐりツアー 2006

2.東奔西走ネタめぐり 10月編

2006年の秋は我々撮り鉄にとって忘れられない秋となった。何しろ、話題沸騰の「DD53ばんえつ物語号」を筆頭に、9月中旬から11月上旬 まで休む間もなくネタが目白押し。近年稀に見るネタラッシュの3ヶ月弱だったのである。当然、「出撃できるものは全て仕留める」が我 々の至上命題。週末毎に激X被写体に向き合える興奮の陰で、財布が悲鳴を上げていたのも事実であった(汗)。今回は、そんな熱かった日 々をもう一度振り返ってみようと思う。

9月
16 「EF58浪漫奥利根」
17 「EF58浪漫奥利根」
23 「急行奥只見号」「リバイバルくずりゅう」
24 「急行奥只見号」
30 「石勝線開業25周年記念列車」,水郡線12系団臨
10月
1 「石勝線開業25周年記念列車」
7 「錦秋湖号」「只見SLリレー号」「木次線90周年記念号」
8 「秘境駅号」「只見SLリレー号」「木次線90周年記念号」
9 「3鉄祭り・さかり号」「只見SLリレー号」,平成筑豊鉄道キハ58
14 「やまぐち号」無装飾運転?
15 「やまぐち号」無装飾運転?,山陰大サロ,島原鉄道のってのって祭り
21 「あまるべ」
28 「DD51ばんえつ物語号」
29 「DD51ばんえつ物語号」
11月
3 「DD53ばんえつ物語号」「磐西・只見ぐるり一周」
4 「DD53ばんえつ物語号」「磐西・只見ぐるり一周」,山田・岩泉キハ団臨
5 「DD53ばんえつ物語号」「磐西・只見ぐるり一周」
25 「SL D51ばんえつ物語号」「リバイバルうわじま」
26 「SL D51ばんえつ物語号」



9月30日・10月1日の週末は、根室本線で「石勝線開業25周年記念列車」、水郡線で12系団臨と遠近距離の異なる2ヶ所で興味深いネタがあ った。初めは大人しく水郡に出撃するつもりだったのだが、あきんど俯瞰隊カントクから緊急入電。「行く?行っちゃう?? 狩勝三角点俯瞰 !?」 。この一言と週末の晴れ予報により溜まっていたモヤモヤが一気に吹っ切れた私は、気付くとAIR DO のサイトから30日朝一の千歳便を予約 していた…。

前夜浜松町で夜を明かし、始発のモノレールで羽田へ。薄曇りの東京を飛び立って小1時間、無事千歳にランディングするが、こちらも同 様の曇り模様。なぁんだ↓↓と思いつつも、万が一のことを考えて速攻レンタを借り出し、前日最終便で渡道しているあきんどカントクを追っ た。昼前に新得駅でカントクと合流。天候は、日勝峠のてっぺんでは晴れ間が覗いていたものの、平地に降りると低層雲のためかクソ曇天であ った。「やっぱダメですかねぇ…」と弱音を吐きつつ、まずは新得そばで腹ごしらえ。スーパーで飲料と菓子まで調達して、ねずみ色の空 の下、ビリー軍曹並に諦めないカントクのプラス思考だけを支えに山にアタックした。が、背丈ほどある熊笹を掻き分け、沢を渡り、山中を彷 徨ってもそれらしい登り口が見当たらない。結局天気も天気、カントクからの「撤退!」の号令の下、我が隊は下山を余儀なくされたのだった。

そんなわけで、初日の釧路までの回送は増田山の対面に当たるトンネル工事中の斜面から撮影。ただでさえ線路までの距離が遠いのに、悪 天候のうえ函館本線大雨の影響で列車は2時間もの大遅延。すっかり露出もなくなって、ブツがどこに写っているのかすらわからない完膚 なきまでの撃沈写真と相成った。夜は帯広で今日の禊および本番前の前夜祭を執り行い、明日のバリ晴れを祈願して就寝。日頃の行いが報 われますように…ん?

翌朝目覚めると…!帯広は曇りだった。だが、ラジオから流れる天気予報は、朝のうちは所により霧が出るがやがて晴れるという前向きな 御宣託を出しておられる。躊躇している間はない!急ぎ身支度を整え、スクランブル発進で音別を目指した。池田辺りまでの内陸部は確か に予報通りの濃霧だったが、厚内辺りまで来ると時折日が差し込むようになり、沿岸部に出ると目の前には抜けるような青空が広がってい た。俄然モチベーションが上がり、ハンドルを握る手にも力が篭る。これなら馬主来湿原のロングショットも綺麗に抜けそうだ。

朝露で濡れるのも気にせず背後の丘に直登すると、目の前には雄大な馬主来湿原が広がった。あまりにも風景が広大すぎて、どこをどう切 り取るかという初歩段階で悩んでしまう。少なくとも湖沼の手前のサバンナ的な木はアクセントとして入れ込みたい。レンズはペンタ300 or 400…悩んで300を選んだ。セット完了!後は主役の登場を待つばかり。8時半を回った頃、軽やかなジョイント音を響かせながら国鉄 色が湿原を優雅に駆け抜けた。Xっ!!

06・10・01 音別−古瀬 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
 編成ははるかに短いものの、かつての「おおぞら」を髣髴とさせるシーン。国鉄色の存在感は大自然の中においても格別である。

野生動物顔負けの「X!」雄叫びを上げると、すぐに追撃モードに入る。池田で20分以上のバカ停があるので、頑張れば帯広前後でもう1発 撮れるかもしれない。あきんどカントクは幕別辺りの鉄橋前後で撮るべく川沿いの土手に入っていったが、私は芽室−大成の定番オーバーク ロスに目を付けそのまま西を目指した。だが、帯広市内で渋滞に嵌り、市街地を抜けた時点で列車の僅か1分先行(汗)。頼む遅れてくれ! と祈りながら定番ポイントに辿り着き、機材を持って立ち位置にダッシュ!! しかし辺りには人っ子一人なし。あぁやはり…と肩を落とした ところへ、チャリに乗った地元中学生が一言「183なら行っちゃいましたよアハハ」。アハハじゃねぇだろうと思いつつも、私は「そっか、あ りがとう…」と紳士的に対応し、涙ながらにその場を後にするしかなかった。

決算期真っ只中のカントクは、幕別で撮影後帯広空港から直帰。夕方帰還の私は、岩見沢から室蘭本線経由で函館まで行く回送列車までしばら く暇になる。せっかく北海道くんだりまできたのだから特急でも撮っていくかと滝ノ上駅へ。キハ183が来るのかと「スーパーとかち6号」 を待ってみたが、シェッド抜けて現れたのは振り子特急だった。「とかち」もスーパーの方はとっくに新型に置き換わっていたのね。撮り 鉄というヤツは、国鉄型以外には全く弱いのであった…。

06・10・01 滝ノ上駅 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
 「スーパーとかち」はキハ283。残念!デビュー時話題になったダブルデッカーのキロはどこへ?

回送列車は岩見沢1534〜苫小牧1638…中略…函館2054。日暮れの早いこの時期の北海道では、日がもつのはせいぜい追分までがいいところ だろう。というわけでロケハン。しかし、かつてC57 135 の旅客蒸機最終列車で有名になったこの区間も今や平凡なローカル線。午前中な らば線路の東側に連なる丘陵地帯から風景的アングルも狙えそうだが、午後順光となると足場が皆無。線路際は草木が生い茂り、ちょっと やそっとでは撮らせて頂けないような妖しい雰囲気が漂っている。それらしいところを数ヶ所吟味した末に行き着いたのは、志文駅の跨線 橋だった。光線順光、ペンタ300で周囲の建物を全てカットすればまぁよかろう。

15時40分頃、他に鉄などいないままキハ183が登場。だが直前に太陽は薄雲にお隠れあそばし、露出はベル100でゴヒャク・ニッパ!露出もテ ンションも急降下である。さらに、過ぎ行く列車を見送ると、顔面に…ない!国鉄特急のシンボル、逆三角形の“特急マーク”がないでは ないか!! HM上のいつもの場所には、逆三角形型の錆の跡と、留めネジ用のビス穴が2つ無残に残されているだけだった。ガックリ。でも 同時に、芽室−大成に間に合わなかったことへの後悔の念がきれいさっぱり消え去った。正面撮りが敗戦必至だったことを考えると、今回 は馬主来のサイド俯瞰だけが勝ち組だったわけだ。ちょっといい気分になって千歳で酒を買い込み、羽田行き最終に乗り込んだ。

以下おまけ画像。

   左:空港で馬主来の勝利を祝って十勝ワインを所望。いい気分であります(^_^)v
 右:今や北海道のマスコット?ムネオくん。「如何なものか」



毎年鉄ちゃん注目の晴れの特異日、体育の日。元はといえば東京オリンピック開会式の日であり、記念すべき式典をすがすがしい日本晴れ の下で行いたいと統計学的に割り出して選ばれたのが10月10日だったという逸話は広く知られるところである。だからこそ天気にウルサイ 撮り鉄の間では、必ず晴れる絶対的鉄日和として例年多大なる期待が寄せられていたのであった。個人的にも、98年は一畑電鉄デハ1のラ ストラン、99年は花輪の臨客トロッコ、00年は紅葉の常紋臨貨と確実に成果を上げている。だが、現在はハッピーマンデーなる奇策?のせ いで10月第2月曜にムリヤリずらされ、連休はありがたいが「ホントに晴れるの?」と心配の絶えないただの休みに成り下がってしまった。 しかも当方の仕事は基本祝日は関係なし(泣)、連休にすらならんがな。何だかなぁと思う今日この頃である。2006年シーズンもやはりかつ てのバリ晴れ神通力は効かなくなったようで、台風接近により週間予報はメチャクチャ。木次線でキハ58の「90周年記念号」があるとの情 報を得ていたが、出撃の決断を下しかねていた。

結局週末が近くなってからも「晴れ時々曇り、所により一時雨が降るでしょう」的な玉虫色予報。とはいえ条件付ながら「晴れ時々曇り」 の言質をとったら行かねばなるまい。まぁ「所により」とは「撮影地の上空」、「一時」とは「列車通過時」を指すというのが鉄ちゃん界 の定説ではあるのだが…。さて、行くとなると問題は移動手段。金曜21時半まで川崎にて拘束されている身では新幹線ダメ、飛行機ダメ、 夜行バスもダメで「サンライズ」くらいしか選択肢がないが、それではアングルに先行できぬというこの矛盾。力ずくで車乗り込みも考え たが、カーナビ検索によると出雲坂根までは片道800q!と出た。1M終夜運転ではちょっと無理。あれこれ思案した結果、土曜は予報も怪 しいので捨てて移動日に充て、日曜コサカミ氏に拾って頂いて撮り倒すというプランに落ち着いた。

土曜は“秋18”こと鉄道の日記念乗り放題きっぷで1日中乗り鉄。東海道〜山陽〜伯備〜山陰と乗り継ぎ、夕刻出雲市に到着した。変顔の スーパー115系やステンレス製食パンキハ特急など車両の顔ぶれはずいぶん変わったが、駅の様子は浜田「出雲」廃止の頃から変わってい ない。間もなく出雲大社参拝から戻ってきたコサカミ氏と合流し、その晩は米子の機関区裏でマルヨ。翌早朝に夜行バスで大阪より到着し たH氏もピックアップして、ミラAvi・エクスプレス3名乗車で出雲坂根のスイッチバックを目指した。

 
2枚とも:06・10・08 出雲坂根駅 NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100
 出雲坂根は鉄的には3段スイッチバックが有名だが、地元の人々にとってはホームに湧き出る延命水が人気。一瞬の晴れ間を狙っておば ぁちゃんに許可を取り、スナップを数枚。

出雲坂根の駅には、常紋倶楽部管理人ののんべい氏や関東若手鉄ちゃんのF氏、そして昨日まで北上線で錦秋湖俯瞰に登っていたはずのあ きんどカントク他知り合いのバリな面々が大集合していた。これだけ集まれば晴れを願う念力は相当発生していると思われる(笑)が、空模様は 見事に予報通りで、低い雲が猛烈なスピードで低空を流れ、日が差したかと思うと突然霧雨に包まれるといった猫の目天気。行きの列車は どん曇りのリスクを考えて本命のスイッチバック俯瞰を捨て、敢えて駅近くの踏切から正面がちに狙った。案の定小雨がそぼ降る中、かつ ての「ちどり」風HM付きキハ58が現れ、そして急坂を登っていった。

06・10・08 出雲坂根駅 NikonF5 AFNikkor80-200oF2.8 RVP100
 ライトは点いているがこれは後追い。推進運転で山腹のスイッチバックまでゆっくりと登坂して行く。窓から顔出してる乗客がみんな反 対側向いてますな。

返しこそは本気で狙おうとスイッチバック俯瞰にアタック。が、旧道を上がると、7〜8年前に普通にラッセルを撮った道端の立ち位置は 何事もなかったように自然に返っていた。普段撮るものがない撮影地なんてこんなものである。どこか別の立ち位置がないかと見ると、ヘ アピンカーブの角に他府県ナンバーの車がズラリ。どこだ!? と斜面を見上げると、上から俯瞰隊ヘッドコーチ?のケンケン氏が手を振って いた。雨に濡れて滑りやすい急斜面を機材フルセットでよじ登り、杉林の間の狭い立ち位置にハイアングルで構える。ペンタ300タテで手前 の八川方面への線路と山腹のスイッチバックがピタリ収まり、これぞ坂根の構図が完成。あとはバリ晴れ大明神の光臨を願うだけとなった。

やがて備後落合方面から列車が山を下りてきた。F5に300mmで奥のポイント部分のみを切り取る。天気は悲惨なまでの曇りでアウト。山中 に潜伏するアヤシイ集団からは落胆の声が漏れた。しかし本命はこれからである。出雲坂根での10分ほどの停車時間にも晴れと曇りが目ま ぐるしく入れ替わる。遠くに車掌の笛の音がした。エンジン音が響く。ちょうど雲の切れ間から太陽が顔を出した。「さぁ来い!さぁ晴れ ろ!頼む〜!」祈るような撮り鉄集団の心の声。それに応じるように、線路際から日が当たり始め、ピカピカの58・28が登場!! これは奇跡 の逆転Xか!? と思われたが甘かった。最後の最後でゲリラ雲が太陽を覆い、バックの山がマンダ〜ラに…。これでは坂根の象徴、スイッチ バックが影って見えないではないか!勝負は、最後の最後で画龍点睛を欠く結末となった(泣)。

 06・10・08 出雲坂根−八川
 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
  奇跡のバリ晴れ!かと思いきや、すんでのところでマンダ〜ラ。
 山中のオトコたちの歓声は、一瞬で溜息に変わった。

ダメなものは仕方ない。出雲横田のバカ停で追い抜いて2発目のアングルに勝負を賭ける。ポイントは朝方吟味した下久野−日登の踏切。 一段高い田んぼの畦に三脚を並べた。それにしても天気は晴れたり曇ったりで相変わらず落ち着かない。安定していれば背後のおにぎり山 を入れてペンタ165のタテが良さげだが、今日の様子では背後マンダ〜ラの可能性が高い。思い切ってペンタ300でアップの構図を取った。

06・10・08 下久野−日登 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
 晴れた!周囲はゲリラ雲で陰ったが、列車の周辺だけバリ露出。ペンタ300で切り取ったのが吉と出た。「ちどり」風看板もいとをかし。

撮影後は木次駅で関西へ帰るコサカミ氏・H氏組とお別れ。ここからはあきんどカントクのレンタに拾っていただき、岡山から幹線で帰宅す ることになる。レンタ返却までまだ余裕があるので、開業90周年記念の駅内展示や駅前の出店を冷やかす。出店はお約束の鉄道グッズその 他で、蒐集マニアの一団が群がってパニりにけり。その脇では地元の酒造メーカーが地酒を販売。運転が控える我々は試飲に興じることは できないが、ならば気は早いが初冬の除雪会議 or 鉄忘年会に備えてひとついい酒でも買っていきましょう!とカントクと共同出資。桐の 箱に入った4合で5500円也といふ超高級酒(と試飲用小瓶)を手土産に奥出雲を後にした。

06・10・08 木次駅 NikonF5 AFNikkor20-35oF2.8 RVP100
 木次駅では山陰の鉄路に名を刻んだ名優たちのヘッドマークが展示されていた。

新幹線の車内で試飲用の小瓶を開けて乾杯。若僧ゆえ日本酒のお味は見立てられませぬが、まろやか〜な口触りは確かに絶品。しかし、本 体の木箱は年内に開封されることはなく、そろそろ酢になってしまうのではないかと心配され始めた今夏のゆとり宴会列車でようやくメン バー諸兄の胃に消えたのだった。



ここ数年、10月の第2日曜は島原鉄道でキハ20のイベント運転が行われている。普段は全て新型キハで運行されている南目線を、2編成の キハ20が何と計6往復!有明海あり普賢岳ありのロケーションに加え、季節はまさに穫真シーズン真っ只中でシチュエーションは申し分な い。05年は北海道の道東一周14系団臨に浮気してしまったが、国鉄型キハ至上主義を標榜するならボチボチ訪問せねば男が廃るというもん だろう。早速島原イベント皆勤賞のコサカミ氏に出撃を打診。せっかく九州くんだりまで行くので、行き掛けの駄賃的オプションも検討し、 土曜朝に小野田か宇部あたりで山陽筋ブルトレでもやって、美祢の赤ホキもしくは無装飾かも知れない「やまぐち号」に立ち寄り、ついで に平成筑豊鉄道の国鉄色キハ58イベント運転を経由してから島原へ…という壮大なプランが出来上がった。そこに★氏も加わって総勢3名 で元祖「雲仙島原激Xツアー」が催行されることになった。

コサカミ氏はいつものミラAvi・エクスプレスで金夜出発の自走乗り込み、★氏は金曜夕方発の「富士・ぶさ」で西へ下るという。私は例によ って夜のオ・シ・ゴ・ト♥(←?)のため金曜は21時半まで川崎。さて、どうやって土曜朝までに九州にワープするか…。答えは意外にす ぐ見つかった。羽田23時50分発北九州行きスターフライヤー093便、これだ!集合タクシーで小倉まで出ればマルヨくらい何とかなろう。

退勤後、コインロッカーにブチ込んでおいた機材をピックアップして空港へ。川崎から羽田は目と鼻の先である。が、油断しすぎた。川崎 駅前でのんびり食事などしていたら、深夜でモノレールの便数が少なかったこともありカツ到着。しかも手荷物検査がいつになく厳しく、 ザックを開けて中古カメラ屋開店状態に。何もないっちゅうねん!挙句、搭乗間際にアテンダントに「早くしていただかないと…」。自分 らが遅いっちゅうねん!とんだドタバタの末にようやく機上の人となった。その夜は小倉駅前まで出てサウナで3時間の半マルヨ。

土曜朝は始発で関門を越えて本州に逆戻り。「あさかぜ」末期に雑誌で見た宇部−厚東の直線なら方角的にブルトレの面に日が回りそうで ある。中国道を爆走してきたコサカミ氏に撮影地の近くで拾っていただき、★氏乗車の「富士・ぶさ」をバリ晴れで頂戴した。ただ、地面が 野焼き後で真っ黒だったのと半面光線でHMに日が当たらなかったため、写真はここでは非公開m(_ _)m。宇部駅で★氏も合流し、1日目午 前の部、美祢赤ホキ狩りへと向かった。

自然の力とは恐ろしいもので、石灰輸送が廃止されてからというものDD単引きの赤ホキと青タキ(フライアッシュ)では鉄が集まらなくな ったのか、以前の有名撮影地はことごとく藪の中。築堤の草も伸び放題で、よほど大規模な伐採を施行しないと足回りは抜けそうにない。 途方に暮れてウロウロしていると、鴨ノ庄信号所付近にはさ掛けが並んでいるのを見つけた。久々の美祢貨物は秋の風物詩と絡めてGET!

06・10・14 湯ノ峠−厚狭 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
 このようなレール面が見えない場所はピンを拾うのに苦労する。今回は1人ずつ交代で人柱(?)になってピント合わせ。お陰様でバリピ ンでした!

続いて厚保ICから中国道に乗り、関門を越えて平成筑豊鉄道へ。JR九州のキハ58を映画撮影用に国鉄色に塗り変えて平筑でロケを行う はずだったのが、予算か何かの都合で急遽トケ。それでも塗装はしてしまったので、これを鉄道の日イベントとして先週・今週と走らせよう という企画だそうである。ミレニアム記念の国58・28を撮り損ねた我々としてはまたとない雪辱のチャンスが到来したわけだ。もっとも、い いアングルがあるのかはわからないが…。

先週も(!)木次の後こちらを探検していたコサカミ氏の調査によると、行きは市場の近辺が単調な築堤ではあるが光線的によろしかろうと のこと。コスモスかはさ掛けでもあればいい感じなのだが、実際現地を見たらただ広がるのは黄金色の田んぼばかりであった。ならば少し でも高い立ち位置から俯瞰気味にと思い、足場を見つけてよじ登る。多少は背後の山がせり上がって立体感が出たか?もう右往左往する時 間もなくなってきたのでここで決め撃ち!

06・10・14 市場−ふれあい正力 PENTAX67 smcPENTAX200oF4 RVP(+1)
 前後ともキハ58、平窓なのにスカート付きという不自然な姿も目に付くが、やっぱり国鉄色はスバラシイ!

返しはすぐ隣のふれあい正力駅へ。切り通しを抜けて首を振るところを長タマで狙うポイントである。いまや貴重な複線非電化の雰囲気で バッチリ撮れるのが魅力。足場の悪い斜面にペンタ400のみ1丁でセッティングした。すると我々の背後で聞き覚えのある声。「いや〜突発 で来ちゃったよ!」声の主は、いつものように首にタオルを掛けたあきんどカントク。午前中は崎山の鉄橋付近で杉山にアタックしていた という。日本は何て狭いんだろう(笑)。最終的に、総勢20名ほどでお目当ての列車を頂いた。

 06・10・14 ふれあい正力駅
 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
  ふれあい正力駅の切り通し斜面からペンタ400でブチ抜き。複線非
 電化を行く急行色が眩しかった!

カントクは無料航空券で即ターン、夜は東京で飲み会(!!)とのこと。我々は明日に向けて、島原のメインカットとなる加津佐の海バック築 堤整理事業を行わねばならない。カントクと別れ、ひたすら高速を飛ばして、日没直前に加津佐に到着。暮れゆく海岸縁で、携帯のバック ライトだけを頼りに線路際の草刈りに精を出す。薄明かりの中、黄色のキハに目を凝らして足回りの抜け具合を確認し、作業終了。小浜温 泉で汗を流し、加津佐駅前の飲み屋で一杯引っ掛けると、瞬時に意識がシャットダウンされた。

翌朝、まだ暗いうちから加津佐を出発。国道57号で島原半島の裏側を回り、阿母崎−愛野の田んぼアングルを目指す。島原イベント皆勤賞 のコサカミ氏のプランでは、1本目のキハはここからスタートして安徳−瀬野深江の普賢岳バック、加津佐の斎場海バック俯瞰と3発仕留 められるという。本日の総指揮官はコサカミ氏、ドライバー私と決まった。間もなくW先輩チームも到着し、朝日に染まる金色田んぼに感 動しながらセッティング。朝の静寂を破ってタイフォンが響き、2連の国鉄色キハ20が黄金の波の上を滑るように駆け抜けた。

06・10・15 阿母崎−愛野 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
 ここには3年前、鹿児島南線で「なは」を撮影した翌日に初めて立ち寄った。そのときは国鉄色の単行を撮った。今回は2連。単行は単 行で好きだが、やっぱり2連は存在感が違うねぇ!

撮り終わるや即撤収し、W先輩の車と重連で追っ掛けスタート!といっても街中を走る片側1車線の道路では大して飛ばせるわけもなく、 車列に乗って流して走る。それでも数駅先で列車に追いつき、そのまま瀬野深江へ先行した。諫早方面から見ると全体的に霞がかったよう に見える空模様だったが、普賢岳は麓まで来ると独特の山容で目の前にクッキリと鎮座されていた。

06・10・15 安徳−瀬野深江 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
 前年のコサカミ氏データによると、左側のオレンジポールから右側の電柱までの間でキハ2連がキレイに抜けるとのこと。確かに、計算 通り列車はピタリと画面に収まった。

次が加津佐の斎場俯瞰。果たして昨日夕方の草刈りの成果や如何に?しかし、現地に着くと何のことはない、草刈りはOKだったもののガ スって海の色がイマイチであった。再訪できる保証はないので一応シャッターは切ったが、ここではとてもお見せできない(汗)。ポジは半 永久の蔵入りである…。

斎場俯瞰は間もなくサイドに日が回らなくなる。W先輩と分割運用しツートン×2の返しは有馬吉川へ。付近はまさにはさ掛けシーズンで、 秋らしさ満点!実りの季節の風物詩はやっぱりコレである。田んぼの畦から普通にツートンを撮り、原城交換でやって来るタラコ+ヒゲ急 行色はビールケースを拝借してハインアングルで。雰囲気のある民家をバックに配して思い通りの絵ができた。

06・10・15 有馬吉川−東大屋 PENTAX67 smcPENTAX90oF2.8 RVP(+1)
 一面の田んぼにはさ掛けがズラリ。全国広しと云えども、国鉄キハの残る路線の傍らでここまで壮観に並ぶのも珍しい。支柱が全部木製 なのもGood!

タラコ+ヒゲのコンビが折り返して行くと、日中は一休み。鉄なので(!)昼食タイムは色気もなくコンビニ弁当で済ませ、腹ごなしに草刈 りその他の整地事業を施行する。普賢岳を背に有馬吉川を発車してからの大カーブが見渡せる踏切で待つことしばし、数十年前の特定地方 交通線を思わせる長閑な風景に、当時と同じ姿のキハ20がゆっくりと現れた。

06・10・15 有馬吉川−東大屋 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
 晴れとはいえガスっていたせいか普賢岳が薄め。だが、その分光線は午後早くから黄色味を帯び、ポジはいい雰囲気に仕上がった。

次は、この区間を山腹の県道から海バックで俯瞰する。しかし、事前に確認すると足回りがスゴイ草!1両目は何とか抜けるだろうが、下 手をすると2両目は窓まで茂みに隠れようかという勢いである。インターバルが小1時間あるので早急にガーデニング。地元鉄ちゃんも含 めて皆で自然を相手に格闘を挑む。コサカミ氏はハサミで掌を切った。★氏は笹の鋭い切先で指先に深手を負った。私はお約束のリストカ ット。激しい戦闘に負傷者続出。一人涼しい顔をしていたのは、いつの間にか側で傍観していた地元鉄氏だけであった…。

立ち位置に上がると、頑張った甲斐あってだいぶ足回りがスッキリ見えるようになっていた。ただ、空気がクリアーでないためにバリ晴れ なら対岸に見えるはずの三角半島は行方不明。仕方ない、海の青い部分だけを切り取って、ペンタ300oでツートンダブルを仕留めた。

06・10・15 有馬吉川−東大屋 PENTAX67 smcPENTAX300oF4ED RVP(+1)
 大伐採の成果で左側車両の車体までは何とか抜けるようになった。加津佐から帰ってくるツートンを迎撃してX!

続いて加津佐に向かうタラ・ヒゲのコンビは、線路際のトラクターをカットするべくペンタ400で。こちらもXにお持ち帰り♪

 06・10・15 有馬吉川−東大屋
 PENTAX67 smcPENTAX400oF4ED RVP(+1)
  今度はタラコと島鉄色の2連をペンタ400タテで。桧舞台はどう切り
 取っても絵になる。

そして本日最後のタラ・ヒゲ諫早行き。どこで撮るかしばし迷った。第1志望は加津佐駅裏の女島展望台。白浜に弧を描く線路を空撮的角 度から見下ろせる、島鉄のもっとも島鉄らしいハイライトである。その代わり夕方のエロ光線時間帯では鉄も集合して立ち位置は苦しいか も知れない。現に先ほどの傍観地元鉄氏曰く、あそこは本当に数人しか入れない、先客が1人でもいたら展望台の柵に跨って手持ち必至! とのこと。が、勝負ってなぁやってみないとわからない。どうせ有馬吉川で粘っても同じアングルの量産である。開き直って女島にトライ することにした。

加津佐の駐車場に滑り込んだのが発車の15分前。キャンプ場の裏手から岩場を登る。急な勾配が機材を背負った身に堪える。時間に追われ てハイペースで一気に登頂すると、展望台にはW先輩はじめ知った顔がズラリと三脚を並べていた。ざっとその数10人ほど。足場は思った より広い。1人でもいたら手持ち必至?…とんだ取り越し苦労である。バタバタと脚を据えてペンタ165oでセッティング。巻上げを確認す るや、間髪入れず目当ての列車が眼下の加津佐駅を発車した。オレンジ色の夕日を浴びて、2両のキハ20がゆっくりと去って行く。展望台 の上では、列車が見えなくなるまでシャッター音が響き続けていた。

06・10・15 加津佐−白浜海水浴場前 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
 渚が茜に染まる頃、最終のキハ20が諫早に向けて走り出す。島原鉄道南目線は、先頃残念ながら来春の廃止が決定した。我々は、あと何 度この光景を瞼に焼き付けることができるだろうか。

下山すると17時過ぎ。★氏と私はこの後福岡から飛行機で一気に帰京する。周囲の鉄ちゃんに「時間は大丈夫か?」とひたすら心配されて 焦ったが、ミラAviエクスプレスは快調に高速を流し、福岡空港には20時前に到着。月曜1日かけてメーターの回転を楽しみながら(笑)自走 入区するというコサカミ氏に別れを告げ、我々は東京に向かって飛び立った。僅か2日とはいえ濃密で長かったツアーに幕が下りた。



懲りない我々は、翌週も出撃。キハ58・28「あまるべ」を撮りに、へっぽこ氏・★氏と3人で餘部鉄橋まで自走した。だが、行かれた方は覚 えておられるだろう、恐怖の全列車来る曇るという結末を。まさに絵に描いたような“ガックリ”。こんな悪夢はここ数年思い返しても他 に思い当たらない。そういうわけで、私の中では「あまるべ」は公式記録からデリートされ、行ってなかったことになっている。まぁ鉄な んてそんなもんさ!



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