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と、そこへ、ここでも現れた乗り遅れ組。斎藤環の精神分析的に言う“ヤンキー”風な、小泉政権の郵政選挙戦略
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的に言うと“B層”的なワカモノが、立ち位置がないからとジャングルジムに取り付いた。ご本人たちはドヤ顔で粋が
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るが、そんなもの傍から見れば修羅場をくぐった経験もロクにないガ●の蛮勇以外の何ものでもない。昨今のマス
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コミを中心とした撮り鉄叩きと、コンプライアンスという名のマナーファシズムには閉口するが、デジ普及後に幅を利
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かせるようになった職人技無きお手軽鉄のイタい所業にも、暗澹たる気持ちにならざるを得ないのであった。
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強風吹き付ける稜線で待つこと小1時間、10時半ジャストに、軽やかなジョイント音を響かせながらアングルに主
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役が現れる。圧倒的ボリュームの新緑を背に、最後の特急色485系を切り取った。
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この後は、返しを川桁の磐梯山バックで撮ってミッション終了。6月のラストランは仕事で行けないため、これが最
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後のA1A2編成、そして最後の特急色ヨンパーゴの撮影となった。確かに、3000番台でよければ485系という形式
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自体はまだ存続する。189系でよければクリーム4号と赤2号の国鉄特急色は残存する。しかし、正統派特急として
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の、我が青春の憧れだった485系はこれで見納めとなった。日本国有鉄道の1ページにその名を刻んだ名車は、今
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日を最後に私のアルバムから永遠に姿を消すことになったのである。
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