| 2026.07.30 |
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1995.07.30 小沢駅
OLYMPUSOM−1 Tokina70-210oF4-5.6 RDU(+1) |
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「原点」から30年余りが経とうとしている。高校2年の夏、前年のネガ写真のグレードアップを図るべく、ポジフィルムを携えて再び北海道へ。ラストシーズンを迎えた「C62ニセコ」を撮影するべく山線に乗り込んだ。が、現地は朝から雨模様。今なら雨を切り裂いて驀進する蒸機はカッコイイなどと余裕のコメントを残すところだが、開放F4、F5.6のレンズにフジクローム増感のISO200が限界だった当時は、日差しが消えた時点で死活問題だった。とはいえ2週間の旅程でシロクニの運転がある日を考えると、敵前逃亡は許されない。こんな日でも労せず構えられるだろうと小沢発車を狙う5号線のオーバークロス下に陣取った。
同じ発想の先輩方も多かったようで、雨に濡れない特等席には雛壇ができていた。安物の三脚にTokinaの70-200oF4-5.6という絶望的に暗いレンズでOM-1を構えていると、前方でオリンパスの誇る“白い巨砲”ZUIKO250oF2を構えたお兄さんが「君もオリンパスか〜」と声を掛けて下さった。この方こそ、現在もSNSで交流が続いているくっぴい氏であった。人の縁とは不思議なものである。氏とOM談議に耽るうち、遠方からカマの鼓動が聞こえてきた。 古くからの木造の跨線橋が残る小沢駅に旧客を従えたC62が入線。雨脚が依然弱まらないまま、数分の停車を経て汽笛が山間に鳴り響く。腹に轟くようなブラスト音を轟かせ、煙とドレーンに包まれながら黒い巨体が動き出した。露出はズーム端210oでf5.6、1/60secの限界値。出鼻を真正面で撃つ以外止める手立てはない。今と違って連写も、ましてや動体予測どころかAFすらない当時の機材では、頼れるのは己の拙い腕のみである。置きピン慎重に見定めて、たった1枚のシャッターを切った。 |
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