Memorial GALLERY


 2026.05.15

2011.05.15 更科(信)−翁島 NikonD700 AF-SNikkor70-200oF2.8VRU ISO200

今から15年前の春は東日本大震災で東北はもちろん関東一円も計画停電だ物資不足だで大混乱に陥っていた。当時高校の非常勤講師と予備校講師を掛け持ちしていたフリーランスの私は、計画停電による予備校の講義のスケジュール変更に翻弄され、不規則生活に不規則勤務でもうヘトヘトになっていた。だが、そんな日々も5月くらいになると次第に落ち着いてきた。すると鉄の意欲も俄然湧いてくるというもの。磐西では583系の「あいづライナー」が走っていると聞いて、新緑の猪苗代湖畔に車を走らせたのだった。

朝は一ノ沢Sカーブで本命カットを決め、返しを団臨の定番高速俯瞰のカーブで待ち構えることにした。古くから電化区間にジョイフルトレインが入線すると多くのファンが集まっていたこの場所は、確かに神社裏からアプローチして斜面に陣取ると、キャパも広いし、アウトカーブを見下ろす線形が長編成ものに映える。時期的にも、築堤はやや枯草色が目立つが、背後の木々は萌黄色に染まりつつありちょうど良い。本命のペンタ67と併せて、当時勝負所ではあまり使っていなかったD700を出してみた。11時半、眼下の築堤にゴッパーサンが弧を描く。手堅く欲しい絵を抑えることができた。

あの頃から機材はすっかり様変わりし、今や私を含めてほとんどの鉄ちゃんがデジタル主体。保存性・利便性、それに現像ソフトの発展などを見ると、もっと前からデジ化しておけばよかった…と悔やむこともないではない。一方で、出始めのデジタル機がフラッグシップで数百万画素なんていう話を聞くと、やはり当時最高画質は67だったのだと安心したりもする。カメラ史を振り返ると、1200万画素フルサイズというスペックを打ち立てたD3とD700はやはりエポックメイキングなカメラだったのだと思う。被写体も減り、公私ともに多忙な中で、D700で撮ったデジタル初期のカットを見直してみるのも悪くないと思いつつある今日この頃である。



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