2024.08.13 |
2005.08.13 倶知安−小沢 PENTAX67 smcPENTAX165oF2.8 RVP(+1)
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今年はまだ年度途中とはいえ、根室本線の富良野−東鹿越間が廃止されたり新型車の投入でキハ40の運用が激減したりと、北海道の鉄道には変化の大きい年となった。若手の鉄ちゃんたちの中には足繁く渡道し、ヨンマルの最後を追い掛けた人々も多いと聞く。まぁ、認めたくはないがオジサンになってしまった我々世代は、タラコならいざ知らず、白い気動車はDD重連の石北貨物や道南ブルトレの合間に練習台としてずいぶん撮ったので今さら熱くなることもなかったが、北海道らしい大自然の中を行くローカル線を撮る際に、さりげなく存在感を示す国鉄型気動車が風前の灯火というのは寂しいものではある。
さて、そんなわけで今回は19年前に撮影した山線のヨンマルを1枚。当時は夏の噴火湾が海霧の魔手に襲われ極度に晴れないということを知らないままに自車で北海道まで乗り込んだため、連日のどんよりした空模様にすっかり気が滅入ってしまっていた。仕方ない、ならば晴れマークの出ているところで勝負をしよう!と、日本海側に転戦。朝方銭函海岸で711系を撮った後、高校時代に「C62ニセコ」を追った函館山線に車を走らせた。だが、あれから10年、沿線風景は大きく変わっていないものの、もはや線路上に花形列車の姿はない。それでもキハ40ならまだいいか!とシロクニ時代に行けなかった金五郎山の俯瞰を1発撮った。 次にシロクニの幻影を辿るなら、やはり立つべきは羊蹄バックのお立ち台、北四線踏切だろう。訪問当時は山が見えればいつも満員札止めと聞いており、写真を始めたばかりの高校生には近づくのも恐れ多い場所だった。だが、もはや耳目を集める被写体なき今、他に鉄の姿を見ることはないだろう。10年前に雛壇ができていたであろう踏切は、ここが超有名撮影地であったのが嘘のようにひっそりとしていた。8合目辺りに雲を纏った蝦夷富士を入れてペンタ165oをセット。程よい斜光線を浴びて、軽やかに2連のヨンマルが姿を現した。 |
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