2024.03.12 |
2019.03.12 松久−児玉 NikonD850 AF-SNikkor300oF2.8VR ISO200
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5年前の今頃、八高線でハンドル訓練が幾度か行われ、久しぶりにDD51の勇姿を拝もうと沿線に繰り出した。1回目は2月19日。往路をタケオリのインカーブで押さえ、復路は10年前にも67で撮った松久−用土のストレートへ。高尾臨を彷彿とさせるカットを極めたかったので、後補機が目立たぬよう500oタテでカブりついた。ところが、本務機897号機がまさかのライト点灯忘れで周囲からはブーイングの嵐。まぁまぁ、そんなに貧弱な語彙で口汚く罵らなくても、正直私としては「国鉄時代っぽい」と百歩譲って及第点かと思ってはいた。
だが、再履修のチャンスがあるならそれに越したことはない。2回目、3月12日の運転でも懲りずに同じ場所に三脚を立てることにした。とはいえ、コピーを量産だけしても能がない。今回は本命500o付きのD5の隣に、サンニッパを付けたD850をヨコ位置でセット。天地はパツパツで勇気のいる構図ではあるが、ダメ元前提で腹を括り、レール面を画面下端一杯に配して、1粒で2度美味しいリベンジマッチを仕掛けたのだった。 定時、遠方の踏切が鳴ると、今日こそは2灯のライトを輝かせてDD51が登場。D5の500oアングルを覗きながら、ここぞのタイミングでレリーズ・オン!本命カットは言うまでもないが、ノーファインダーで切ったD850のモニターにもいい感じの元御召機888号機の勇姿が刻み込まれていた。思い返せばマミヤ645で中判デビューしたての頃、雪深い石北本線からぼた山草生す筑豊本線まで、DD51の姿を追って日本全国を旅したものだった。翻って今日、デジに完全移行してから、DDの姿を何度捉えただろう。その数は恐らく両の手で数える程度なのではないか。願わくば、あと少しの間、朱いデーデーに夢を見させてもらいたいものである。 |
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