Memorial GALLERY


 2022.10.19

2001.10.19 小野−和邇 MamiyaM645SUPER SEKOR A150oF2.8 RVP(+1)

10月14日は鉄道の日。しかも1872年の新橋−横浜開業から150年ということで巷ではちょっとした話題になっている。 だが実際何かイベントがあるのかといえば、小耳にはさんだのはPトップが12系を牽いて高崎エリアを走ったらしいという話だけ。 確かに現役蒸機最末期で老いも若きも“SLブーム”に沸いていた50年前と比べれば、路線は大幅に減り、 全国均一で弁当箱みたいなステンレスボディーに安っぽいロングシートの電車や気動車ばかりが闊歩し、 挙句ネトウヨレベルの下品で反知性主義的な記事を連発するSケイ新聞グループのTV局があることないこと捏造して鉄叩きに興じる昨今、盛り上がる記念列車を仕立てる方が難しいというものであろう。

それでも150周年記念ということで鉄歴を振り返ると、私の中で長きにわたって鉄路への憧れの象徴だったのが寝台特急だった。 小学生の時分、コンパクトカメラを手に東京駅で目を輝かせて眺めていたのは威風堂々青い客車を10両以上連ねた「あさかぜ」や「富士」、「はやぶさ」だった。 Nゲージの入門セットに入っていたのもEF66に24系。世のブルトレブームは去ってしばらく経っていたけれど、まだまだ男の子といえばブルートレイン!そんな時代だった。

しかし1994年の「みずほ」廃止から櫛の歯が抜けるように我らがブルトレは1本、また1本と姿を消していき、王道の九州特急は2009年の「富士ぶさ」廃止で鬼籍に入った。 次に我々の興味を引いたのが、地味ながら国鉄時代から変わらぬローピンパイチに白帯・銀帯24系で組成された「日本海」だった。 2009〜10年はそれこそ狂ったように高速終夜運転で出撃し、羽越線や奥羽本線、北陸本線で“今なお現役”の寝台特急を迎え撃ったものだった。 今回の1枚はそれに先立つこと約10年、京都在住時に撮った「日本海4号」。堂々の12連で上ってきたTDL臨の583系を仕留めた後についでの1枚で撮影したが、 今思うと贅沢な時代だったものである。



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