2022.09.13 |
1998.09.13 長谷−生野
OLYMPUSOM−1 ZUIKO100oF2.8 RVP(+1) |
先日、久々に大サロが浜坂まで入るということで、非電化のDD+ジョイフルトレインを見ようと、近畿エリアが多くの鉄ちゃんで賑わった。
特に返しの日曜は好天に恵まれ、沿線の名撮影地には幾重もの雛壇が形成されたという。
私は山陰本線内でこの列車を待ち受けたが、播但線にも多くの同士が集ったと聞く。
播磨から但馬に抜けるこの陰陽連絡線のハイライトが、平安の昔に小式部内侍が「大江山 生野の道の遠ければ…」と詠った生野峠。 室町末期以降は石見と並ぶ生野銀山で知られた所である。今から四半世紀近く前、キハ181系の「はまかぜ」が醜い色に塗り替えられると聞き、この峠路に幾度か足を運んだ。 目を付けていたのが長谷−生野の中間に当たる、線路と市川がS字を描きながら並走する地点。 ちょうどそこを正面から見下ろせる場所が伐採されたとのことで、長谷駅から徒歩でアタックしたのだった。 伐採されたとは言っても、公園整備などではなく林業で杉材の切り出しが行われただけなので、道などはない。 木の枝をつかみながらひたすら直登すること約30分、ようやく視界が開け、足場の悪い急斜面に張り付くように機材をセットして列車を待つ。 1本目は13時台の「はまかぜ3号」。直下のカーブを入れて、100oタテで分水嶺にアタックする国鉄色の勇姿を切り取った。 |
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