2022.06.05 |
2000.06.05 長岡京−山崎 Mamiya645 1000S SEKOR210oF4N RVP(+1)
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1990年代末期から寝台特急の退潮が明らかになってくると、東海道・山陽筋では併結ブルトレが見られるようになった。
古くは「明星/あかつき」などに例があった(西宮に住んでいた小学生の頃、朝の校庭でこいつをよく見送っていたっ
け…)が、「明星」亡き後独身?を貫いていた「あかつき」が99年3月改正で「彗星」とドッキング。東京発着では名門列車
「さくら」と「はやぶさ」が手を組んだ。さらに2000年代に入ると、両列車とも相方が姿を消して「あかつき」は「なは」と、「は
やぶさ」は「富士」とコンビを変えて終焉まで走り切った。伝統の単独看板が見られなくなる寂しさはあったが、本州内で
は深い屋根を連ねた10両以上の長大編成を維持してくれたことはありがたかった。
この日は、3月にデビューしたばかりの「あかつき/彗星」を狙いに、近畿エリアの定番“山崎の天王山バック”に出掛け た。程よく日も長くなり、北東方向に向かうこの区間でも正面にきれいに陽が回る。天王山の緑も瑞々しい色合い。家か らは愛車スーパーカブで40分ほどで着くので、1限ギリギリに駆けこむ覚悟があれば毎日でも朝練が可能だった。 定時、梅雨入り前最後の晴れと思しき好条件の中、定刻通りに複々線のストレートにロクロク牽引の堂々たる編成が登 場!併結後は向きが変わり、カマ次位がレガートシートなのが良いアクセント。中パンが抜けた瞬間で一発勝負である。 手応えあり!場所が場所だけにそそくさと片付けて撤退する。それにしても、コンプライアンスにがんじ搦めの現在ならと ても許されぬ立ち位置(汗)。それだけ当時は変なキッズもおらず、みなわきまえて行動していたということか。責任回避 のためのエクスキューズばかりで息苦しい昨今と違いおおらかな時代だったものである。 |
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